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20……原点怪奇2/2

 何よりも先に、生きていたという事実に理子は驚いた。そうならないように、二度とと立ち直れないように、心と希望を粉々に砕いた。自殺を図ってもおかしくはないほどに傷めつけたのに、生きている。自分の全てを知っている相手が目の前にいるというのに、恐怖していない。足も手も、病院で見た時と変わらない。それが理子には不可解だった。

「はあ、ラウンドツーってなんですか? あなたの幼稚さと未成熟さを端的に表す単語か何かですか?」

「そのままの意味。もう一回、あなたと戦いたいと思って」

「あの、私、今さっき仕事から帰ってきたばっかりなんですよ。これから彼に夕食を作ってあげないといけないんですね。なので、そういう遊びは今度にしてもらえませんか?」

 口を動かしながら、理子はなめらかな動きで手に持ったハンマーを振り上げた。殺しに来たのなら、殺すしかない。そう考える。正当防衛は果たして成り立つだろうかと考える。絶望から立ち直った相手は厄介だ思考する。

 なるべく一瞬で殺せる方法を理子は選んだつもりだった。人を殺す時の最低限の礼儀という気持ちなど微塵もあるはずもなく、単純に悲鳴を上げられては困るという思考から出た選択。

「あなたのお母さんとお兄さんにあったよ」

 振り下ろそうとした手から、ハンマーが零れた。短く呻いて、理子は狼狽えた。どうして狼狽えたのか自分でも分からない。

「……か、帰ってください」

「やだよ」

「帰ってくださいよ!」

「話し合い、しようよ。彼のこれからのこと……じゃなくて、あなたの話しをさ。じゃないと健くんに酷いことしちゃうよ。うーん、そうだね、あなたの前で健くんのチューしちゃおうかな」

 冗談めかして由紀は笑った。そんなもので理子は揺れない。揺れないが、由紀の言葉は“話し合いに応じないのならあらゆることをしてやる”という意味が含まれたものだった。

 以前の由紀とは違う何かに理子は寒気を感じた。

「あなた、何ですか……? 私を殺そうとしたり、私とあの人の仲を邪魔して、心をかき乱して」

「そうだね、何だろうね。あなたを殺そうとして、あなたと健くんの仲を邪魔して、心をかき乱す私は何だろうね。最初はね、最初は助けたいだなんて思わなかった。ただおかしことをおかしいって伝えたかっただけなの。間違っていることを正したいっていう欲求かな。その本質ってさ、そう本質、それはきっと私自身の間違いを正さなきゃいけないっていう気持ちから来てたんだろうね。自分の考えと、行動と、盲信は間違っているっていうことを正さなきゃっていう意思」

「菅原さん……変わりましたね」

 やはり決定的に何かが違った。いつものように人懐っこい笑みをこぼしながら、どこか不気味なことを語る彼女が見えてこない。

「何が? 私は何も変わってないよ? 何も、変わって、ない。……ね、タクシー待たせてるからさ、行こうか。じゃないと彼に告っちゃうよ? なんてね」

 由紀は相変わらず弱々しいままだった。電動の車椅子も、欠けた体も変わらない。理子が少し手を押せば、簡単に崩れてしまう。

 そのはずなのに、何故か理子は彼女の言葉に逆らうことができなかった。


 タクシーというよりもハイヤーだった。ついた場所は話し合いに相応しいとは思えない、地下駐車場だった。篭ったような熱が白熱灯の白い光と相まって、理子の額に汗を浮かばせる。

 彼女はなれた手つきで運転手らしき男の支えた車椅子に座ると貨物用のエレベーターに乗った。つるりとした子供のような手で理子を招く。

「このエレベーターはどこへ?」

「私んち」

「なぜ、菅原さんの家へ?」

「だって、そこら辺のファミレスにしたら、きっとあなた、逃げちゃうじゃない。私の話しに逃げちゃう。お母さんの話しとお兄さんの話しが怖くて怖くて逃げちゃう。ほら、おいでおいで。怖くないから」

 童話の狼のように言葉こそ柔らかいものの、どこか尋常ではないものを理子は感じた。行くべきではないと本能が訴える。それなのに理子の足は前へと進んでしまう。見えない糸で引かれているように、意思とは関係なく体がエレベーターに吸い込まれていく。扉が閉まる瞬間、理子は学生時代の講師の言葉を思い出す。

 ――人間は閉じ込められることを恐れる。それは棺桶や土の中を連想するからなんだ。つまりは死ぬことを恐れるわけだね。

「ねえ、悪魔を見たことってある?」

「それは比喩としての悪魔ですか? それともオカルト的な?」

 彼女は答えなかった。

「死の瞬間か、その前に予兆として悪魔が現れる。黒い服を来た悪魔が、青い炎を届けにやってくる。最後の希望と引き換えに。私は二度、それを見たよ。あなたの目にはまだ映らない?」

「あなた何をいって――」

 何を言っているのか。そう続けようとして、理子の言葉は止まる。エレベーターの扉が開いたのだ。開いた。黒い黒い、全てを飲み込むような闇が。

 そんな中を由紀は進んだ。懐中電灯も点けずに進んでいく。慣れたように進んでいく。

「ちょっと、どこへ! なんですか、ここ!」

「私の家」

「そんな。ここには何もないですよ」

 月明かりの中、目を凝らして理子は状況を確認する。やはり何もない。周りがコンクリートに覆われただけの瓦礫の山しかない。何かを建設中に、放棄されたような、そんな場所だった。

 理子は恐る恐る、進み、何かを踏む。手にとって確かめる。ぼろりと崩れるそれは黒い炭だった。

「炭? あっ」

 理子は分かった。分かってしまった。悪魔を見たという言葉の意味。それは死の瞬間のことを言ってるのだと。一度目は両親との事故で。二度目はここで。

「……菅原さん、自分の自殺しようとした場所を見せて、何がしたいんですか?」

 菅原由紀はここで焼身自殺を図ったのだ。ここで火を点けて死のうとした。でも死ねなかった。

「だからね、話し合いっていってるでしょ。ああ、エレベーターね、私が操作しないと動かないから、逃げても無駄だよ」

「…………」

 エレベーターの電灯の光に縋りつくように、辺りを窺う。周囲の壁が声を反響させるのか、彼女の姿が見えない。

「まずはあなたのお母さんの話しをしようか。あ、ちょっと違うね。あなたのお母さんとあなたの話しの方が正しいかな。それとも支配者と奴隷の話し? シスター、手首をセンターに」

「シスター?」

「何でもないよ、こっちの話し。ああ、それでね、あなたのお母さんと話しをしてやっと分かったよ。あなたが執拗に他人を支配しようとする理由。あなた、子供の頃……旧姓が安田だっけ? 安田家が裕福だった頃、酷い折檻を受けてたんだってね。習い事とか、英会話とか、三つと歳を取らない頃から。百点を取らないと、殴る蹴るの暴力で、淑女のあり方を叩きこまれたんでしょ?」

 由紀は続ける。庶民の家の出だった母が庶民ゆえの無知で恥をかいたこと。その恥を娘にも味あわせてなるものかと、きつく当たったこと。意見など許さなかったこと。兄以外誰も助けてくれなかったこと。むずがることを笑うような声色で、ゆっくりと続ける。

 理子は息を浅くして、それを聞いた。そんなことは分かっていると思った。思うが、動悸が治まらない。

「あなたはさ、繰り返してるのよね。昔、親にされた辛いことを他人に向けてる。母に支配された自分の憎しみを、他人を支配することで解消しようとしてる。あなたのお母さん、すごく後悔してるっていってたよ。没落した後、あなたに酷い目に遭わされたのも仕方がないって耐えてたみたいだし。それほどのことをしたんだって泣いてた」

 理子は自分が冷静であることを確認する。これは感情的になったわけではないのだと思う。いたって当たり前の、間違えを正したいという欲求からくる声なのだと。

 彼女は息を吸って、震えたような声で口火を切った。

「そ…………それほどのことをした!? 泣いてた? はあ!? だから何なんですか? だから許してくれと? 私が、泣いて謝っても許してくれなかった癖に、自分の番になったら許してくれ? 自分が上流階級の人間との付き合いで恥をかいたとかいう意味不明な理由で私をあんな目に遭わせておいて、謝って済むとアイツは思ってるんですか? アイツはね、アイツは私の骨をへし折ったことだってあるんですよ? しつけと称して、子供の骨を。お兄ちゃんが病院に連れてってくれなかったらどうなってたか! それなのにアイツ、アイツはっ!」

「だから仕事先も酷い労働条件のものしか許さなかったの? だから条件のいい採用通知は全部、断ったの?」

「アイツはね、何も知らないんですよ。結婚してから何にも! だから、世間の厳しさを知るべきなんですよ!」

「ふうん、そう。ま、可哀想だからさ、うちで雇うことにしたから。今よりもずっと条件のいい仕事だよ」

「か、か、勝手なことしないでくださいっ! アイツは、私が! 私を!」

 理子は顔を真っ赤にして暗闇の中、由紀を探す。獣のように感情を顕にして由紀を探す。

「没落した後、恐れていた母が何もできないことを知って安心した。自分よりも実はずっと弱くて、貧弱で、貧相で、何もなかったことに安心した。あなたは立場を逆転させて、支配した。それでもあなたの支配されたという屈辱は冷めない。そんな相手に支配され続けたという屈辱は冷めない。だから、あなたは他人を支配するようになった。……違うね、そうせざるを得なかった。それしか知らないから。他人よりも優位でなければ、支配されたと、屈辱を感じてしまうから。だから、あなたは他人を支配する。支配されることが怖くて怖くて仕方がないあなたは、他人を支配する。自分の母親に仕返ししてもまだ呪いは解けないの? あなたがやってることと、お母さんがやってることって同じでしょ?」

「違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う! 私はママとは違う! 何で分からないの? 何で分かってくれないの? あんな感情的な生き物と私のどこが一緒なのよ!! あんな生き物にされたことを引きずってる? 違う違う! 私はあんな生き物に影響されない! 私は私が構築したんだ! 何者にも、左右されない!」

 あたりにあるものを掴んでは暗闇に投げつける。半狂乱に叫んで、理子はもがく。溺れたようにもがく。涙をボロボロ零しながら、もがいた。

「あなたは、そのママと同じ。本当は愚かで、感情的で、自分の屈辱を晴らすために他人を支配するような人間なんだよ」

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