《黒呪術師》との対峙
「それで、どこに向かうんですか?」
不安げについてくる健心が問う。
制圧班は飛び出していったが、璃沙達は特に焦る様子もなく、部室を出ていた。
「《黒呪術師》がいるところ、よね?」
「うん、そう。気乗りはしないんだけど、って言ったら、俺ぶっ飛びそうだね」
奏人からはやる気が感じられない。実際、言わずともぶっ飛ばしたいくらいだった。そうしたら、少しはやる気になってくれるだろうか。それとも、トドメを刺すことになるか。
「首根っこ引っ掴んで、《黒呪術師》の前に差し出してほしいの?」
「手、繋いでくれると大変ありがたいんだけど……うぅっ、睨まないでよ。俺、メール消したりして大分消耗してるんだよ?」
彼がどれほど頑張ったかは知らないが、嘘臭いものである。璃沙がちょっと真似して念じてみたくらいで消えるものを消すのに、どれだけパワーを消費すると言うのだろう。皆のメールを消して回っていたわけでもないだろう。
「なんか、部室で充電して元気になってましたよね」
「てへっ」
最悪のごまかし方だった。健心も相手にしたくないと思ったようだ。
「って言うか、《黒呪術師》がここにいるんですか?」
「入り込んでるね。生徒の格好してどっかにいるんだよ」
「どっかって……」
奏人の緩い態度のせいで、今一つ緊張感にかける。《黒呪術師》が入り込んだのが、大事でないように思えてしまう。
彼も《白呪術師》であるなら、《黒呪術師》の位置くらいわかるものではないか。
しかし、彼には何を言っても無駄だろう。
「二人して俺をダメな子みたいな目で見ないでよ。あいつは悪意の塊で、あいつがまき散らしたメールのせいで悪意だらけ。そのせいで、俺、今、吐きそうなくらいなんだよ? こうして、立って歩いてるのが奇跡、もう気力だけだよね」
それで《黒呪術師》に立ち向かえると言うのか。それとも、サイキックオフィスや日高兄弟が駆けつけてくれるとでも言うのか。あるいは、神木家か。
「だから、圭斗先輩は、この子を貸してくれたのかしら」
璃沙には相変わらず圭斗の眷属である狼の頼斗が一緒にいる。今、璃沙は一行を先導しているが、その前にいるのはその借り物の眷属である。
「頼りになるよねぇ。俺、一生璃沙について行きたいよ。むしろ、俺、婿殿になりたい。あの家から連れ出してくれないかな?」
なんとも軟弱な発言だった。こんな男を家に入れるなど両親は許さないだろう。
「あーもうっ、うざい! しゃきっとしなさいよ!」
璃沙が奏人の手を取った。けれど、握ってやるつもりはない。
「こ、これ……」
手首にブレスレットをはめてやっただけだ。かつてお礼にと彼に作って、渡しそびれている内に今日になってしまった。今更とは思った。
立ち止まった奏人は目を閉じ、そして、開かれた時には別人のような顔つきだったキリリと凛々しく、背筋もピシッと伸びて、全身が自信に満ち溢れているかのようだ。ミスター神前、何でもナンバーワン男、完璧なる生徒会長の姿がそこにあった。
「上だ。何とかは高いところに。どうせ、支配者気分で見下ろしているんだろうさ」
いくら強力なパワーストーンを使っているとは言ってもブレスレットごときでそう簡単にパワーアップされてたまるものか。
しかし、奏人はニッと笑って、先導し始めた。頼もしくなった背中に狼がついていくのが見えた気がした。
屋上に続く扉の前で緊張感は一気に高まった。警戒するのも無理はない。
「かーごめかごめ、かーごのなーかのとーりーはー」
歌が聞こえてくる。少し音程の外れたかごめかごめを歌うのは子供ような、幼い声だ。
「テラ、君は璃沙から離れないこと、いいね?」
小声で奏人が言う。はい、と健心が頷く。今の彼になら従える。歌は続いている。
「行くよ」
奏人が薄く開いていた扉を押す。
その人影はすぐに視界に入った。一人佇むのは制服に身を包んだ少年だった。その後ろ姿は見覚えがある。
奏人は近付いていくが、璃沙は途中で足を止めて健心を制する。
「うしろのしょーめんだあれ?」
歌が終わる、少年が振り返る。その瞬間、璃沙は走り出していた。
少年は海里だった。そして、その瞬間に助走をつけた璃沙の蹴りが彼をフェンスの側まで飛ばしていた。
「うぅっ……可愛い後輩なんでしょ? もうちょっと容赦したらどうなのさ?」
呻きながら起き上がり言う顔はもう海里ではなかった。見知らぬ少年の顔になっている。
「一度通用しなかった手が二度目なら使えると思ってる方がどうかしてるわよ。あんた、もしかしてドMなんじゃないの?」
少年が起き上がった瞬間、璃沙は頭を薙払うようにする。手加減など微塵も考えていない。妙なことをされる前に動きを封じてしまいたかった。
「璃沙!」
奏人が叫ぶが、既に手遅れだった。璃沙は背後を取られ、首元にはナイフを突き付けられているらしかった。かなりのダメージを与えたはずなのに、効いていなかったようだ。
「さてさて、どうする? 正義の呪術師さん。それとも君は王子様を気取るかい?」
中性的な、楽しげな声が響く。
《呪術師》同士が対峙したからと言って超能力対戦が始まるわけでもない。
「君は邪魔だね。取り込んでやろうとも思ったけど、障害にしかなり得ない」
「冗談じゃないわよ」
璃沙が胸元に手を伸ばす。この少年に自分は殺せない。
「ダメだっ!」
奏人が悲鳴のような声を上げる。だが、次の瞬間、璃沙は突き飛ばされていた。そして、カシャンという音はナイフが落ちた音だろうか。
「うぐっ……このケダモノがっ!!」
うずくまるのは《黒呪術師》、璃沙は奏人に受け止められていた。
けれど、見える。暴れている《黒呪術師》を抑えつけているのは狼である。しかし、それがついに弾き飛ばされ璃沙は悲鳴を上げていた。本来自分を守るものではない存在だ。だからこそ、傷付くところは見たくない。
「お前達が僕を倒そうって? 無駄さ、無駄無駄無駄! 僕一人いなくなったって何も変わらないよ」
ケラケラと少年は笑う。そうしている間にもまた顔が変わっている。
「言ったよね? 僕はお手伝いをしていただけ。僕を倒したって何にもならない」
その小さな少年に一体何ができたというのだろう。
現実離れしている。現実を生きながら、立ちながら夢を見ている。そんな気分だった。少年の独演会は続く。
「だって、誰もが《僕》になれるんだ。誰もが人を呪える。そういうことなんだよ。ちょっと囁いてやればすぐに悪意は増幅する。僕だけの力じゃない。このくだらない世界が悪いのさ! ああ、なんと世界は愚かで醜いんだろうね! あは、あはははははっ! 愉快、愉快、実に愉快だよ!」
狂ったような笑い声が響く。それは不気味さなどよりも虚しさを醸し出した。
こんなことをして何になるのだろう。放っておいても生まれる憎悪や憤怒をわざと増幅させて世の中を混沌とさせて、多くを傷付けて何が楽しいのだろう。なぜ、笑っているのだろう。
「独り言はそれだけか?」
奏人の声ははっきりと響いた。空気を凍て付かせる強さと怖さを持っている。彼も同じ《呪術師》、対極の存在。白と黒、正義と悪、けれど、そんな単純なものだろうか。
「お前、一人だろう? 半端者、お前を拘束する。悪の芽は摘む。それだけだ。見せしめにもならないだろうが」
奏人は冷酷だった。けれど、正義だ悪だなどと言うのは滑稽にさえ思えた。
「笑わせないでよ」
少年は笑う。儚げに、中性的に、少年のような純朴さと少女のような無垢さで。
「僕は悪夢になるよ」
フェンスを越え、笑う。健心は走っていた。
「――バイバイ」
「何で安っぽい台詞吐いて、安っぽく命を捨てるんだ! ここはお前のゴミ箱じゃない!」
叫んで、手を伸ばして、けれど、届くはずがなかった。もう健心の目の前にその姿はなかった。
ドサリと響く音が妙に耳について、健心がその場にへたり込む。ボロボロと涙をこぼして、声を上げて泣き出してしまった。




