隣人退治
翌朝、更紗は健心の教室の前で張り込んでいた。おそろしい形相である。だが、健心は怯むわけにはいかなかった。
「健心様、昨日は一体どういうおつもりでしたの!? 着信も拒否するなんてひどいですわ! 彼女への仕打ちではございません!」
いきなり浴びせられた声に健心は顔を顰めずにはいられなかった。
ずいっと詰め寄られる度に健心は後退る。鼻をつまんでいなければ、どうにかなってしまいそうだった。今日は一層香水がきつく感じる。
「言った通りです。あなたとは付き合えません! って言うか、承諾してませんから!」
「わたくしをフるとおっしゃるの!?」
キンキンと響く声にまた健心は後退する。ふと、その視界の隅に丁度いい生贄が映った。
「はよっ、日高。朝から何だよ? 修羅場か?」
朝から彼は妙に元気だった。健心はさっと彼を捕まえて盾にする。
「騙されません! ネタになることを聞き出そうったって、そうはいきません!」
「あら、何のことでございましょうか?」
更紗はとぼける。健心の主張など誰も信じないのだ。信じてもらえるならば誰も苦労していない。
「利用されるとわかって付き合う馬鹿はいません。あなたがほしいのはネタだけです」
それでもいいと思えるような愛情は健心にはない。一瞬でも心を弄ばれて許せるはずがなかった。
「部のためにあなたを騙した璃沙様に利用されるのはよろしいのですか?」
「オカ研は俺の居場所です。ああ、洗脳されたなんて思わないでくださいよ」
「い、いや、あのさ、日高。とりあえず、俺を挟んで言い合いするの、やめねぇ? つーか、やめようぜ?」
盾にされた男子が戸惑っているが、健心はガッシリと肩を掴んで離さなかった。彼に逃げられては困るのだ。
「わたくしの何がそんなに不満だったのでしょう?」
「それ、全部言っていいんですか?」
「フられる理由は聞かされて当然でしょう?」
そう言うのなら、仕方がない。全て言い切るため健心は息を吸い込む。
「香水臭い、強引、しつこい、ライフワークが最低、キャラ作りすぎ、巨乳を武器にする男の敵、正直ご自分で思ってるほど……」
「もういいです! 聞きたくありません!!」
途中で更紗は耳を塞いで叫んだ。健心としてはまだ言い足りない気がするのだが。
「聞くのは当然のことじゃないんですか?」
「わたくしのライフワークが最低ですって? 崇高な趣味への侮辱は許しませんわよ!」
何が崇高だ。健心は心の中で吐き捨てる。馬鹿馬鹿しくて笑えるほどだ。
「あなたはその崇高な趣味とやらのために、純情な男子高校生を誘惑して、オカ研の人達の承諾もなしに卑猥な小説に仕立ててる」
健心は更紗がしてきた全てのことをしっているわけではない。だが、責めるには十分だった。
「小説はフィクションです。実在の人物とは関係ありません。そう書いてあるでしょう?」
「それがあなたの逃げ道ですか」
最早、取り繕わなくなった更紗を見て、健心はどこまでも冷ややかになっていく。
「黙れよ、ド淫乱、って言われてるぜ? 美空女史」
いつの間にか更紗の背後に現れた彼はニヤニヤと笑っていた。新聞部部長、蔵重である。健心には彼が援軍に思えた。
「お黙りなさい! 汚らわしい!」
「汚らわしいのはどっちですか。一体、冥加先輩に何したんです?」
「資料の提供をお願いしただけでございます」
「それはモデルにしたってことでは?」
「璃沙様とリサは別人でございます! 他に関してもそうです」
あくまで彼女はその主張を続けるのだろう。
「あー、美空女史? 俺はあんたに部室の半分を不法に占拠された上に紙面もジャック、犯罪行為の片棒を担がされてきたわけだが、何の証拠も取ってないと思うか?」
「あなたも同じ穴の狢でございましょう」
「俺は真実を伝えたいだけだぜ? あんたのせいで数々の記事がお蔵入りになったが……でも、これだけは公開できるな。『文芸部の実態、美空更紗の素顔大暴露!』ってな。真実しか書いてねぇだろ?」
蔵重が差し出した紙を更紗が引ったくる。その顔色は見る見る内に悪くなっていく。
盾にした男子が受け取ったそれを健心も覗き込む。更紗の大きな写真と共に実状が書かれている。壁に向かって何かをしている写真もある。
「この屈辱、忘れませんわ! 全員地獄に落ちればいいのですわ!」
ビリビリに新聞を破く更紗の顔は真っ赤になっていた。
「せいぜい、先に地獄で待ってろよ。ああ、その準備として今日中にうちの部室から退去してくれ。これは生徒会長殿からの命令書だ」
更に蔵重は折り畳まれた紙を広げる。内容はわからないが、更紗の唇が、全てがワナワナと震えている。
そして、更紗は何も言わず踵を返していったが、頬には確かな滴が伝っているように見えた。
女の子を泣かせた。その事実は健心の胸に棘となり、突き刺さる。これで良かったのかと自分が問いかけてくる。仕方のないことだと自分に言い聞かせたところで視線に気付く。
「すみません、フリは続けられませんでした」
盾を解放して、健心は蔵重に頭を下げる。
「あー、あれな。別にいいんだよ。性格の悪い奴がお前を試したんだ」
頭を掻く蔵重は本当にどうでも良さそうだった。
「生徒会長、ですか」
健心は確認のつもりだった。彼で間違いないとまで思っていたが、蔵重は動きを止める。
「いや、その神木奏人生徒会長が大好きな黒土恵だ」
「えっ……」
「生徒会書記、いわゆるオネエで、冥加を目の敵にしてるが、案外認めてるんだよな」
確かに健心も知っているということにはなるかもしれない。だが、顔は浮かんでこない。
「くろっち姉さんってやつだ。まあ、気にすんなよ。じゃあな」
そのまま蔵重も帰っていってしまった。
*
放課後、オカ研の部室には珍しい客がやってきた。
「よっ、良いニュースと悪いニュース、どっちから聞きたい?」
彼は軽い調子で踏み込んでくるなりそんなことを言ってきた。
部室に気軽に踏み込んでくるなり彼はそんなことを聞いてきた。神木奏人である。
「来るのではないかと思っていたが、席は用意できないぞ」
最初に反応したのは光明だった。
「報告にきただけだからな、気にしないでくれ。すぐに帰る」
「忙しそうだな」
「大きな問題を一つ、やっと進展させられたからな」
そこで奏人は一度深く息を吐いた。
「もう耳に入ってるだろうが、文芸部は強制退去させることになった。新聞部の部室からも隣の部室からも」
元々、部室を持っていながら新聞部の部室を侵略していた以上、追い出されるのは当然のことであり、今までそうされなかったことが不思議なくらいだ。しかしながら、その元々の部室にさえ戻れなくなってしまったらしい。自業自得だとしか思えない。
「火爪と黒土に監視させてるから、ちょっとうるさいかもしれないが、我慢してくれ」
廊下からは罵声が聞こえてくる。やたらと柄の悪い男子の声とオネエ言葉、それから女子の声は更紗達だろう。
「あの、質問いいですか?」
ぴっと手を上げたのは海里だ。おう、と神木は頷く。
「廃部、ですか?」
「同好会への降格ってところだな。部室の変更と部費の没収、接近禁止命令は通したんだが……これで限界だ」
「退学は無理か」
「停学さえ通らなかったからな」
被害を受け続けてきた以上十分な罰とは言えなかった。まだまだ物足りない。同じ目に遭わせてやりたいというのも違うのだが。
「これで、何もかもが平和ってわけじゃないのは確かだ」
そう言ったのは奏人でもオカ研のメンバーでもなかった。
いつの間にか奏人の隣に男子生徒が立っている。彼の隣にいても遜色ない美男子だと言えるのかもしれない。生徒会の人間でもない。
「むしろ、これからかもしれない。覚悟してくれ。俺にできることも限られている」
「俺もやり尽くした。もう無理だ」
「お前には嫌な役回りをさせたからな」
「そう思うなら、部費を上げてくれ」
「そんなに必要ないくせに」
二人は会話を続けるが、皆、呆然としている。彼が突然現れたのだから無理もない。