番外編-時の足音-
「元カノの結婚式」と「殴打の理由」との間のサイドストーリーです。弘毅目線。
素直になれない腐れ縁カップルが初めて向き合った瞬間です
「弘毅、久しぶり……」
弘毅は約3ヵ月ぶりに圭子からの電話を受けた。
「今から、会えない? 大事な話があるの」
「今からか?」
弘毅は時計を見た。時刻はもう夜の11時を回っている。こんな時間に、しかもあいつは自分からメアドまで変えて俺との連絡を絶っていたのに……一体今更何の話だ。
「お店とかでは話せないから、私の部屋に来て欲しいんだけど」
圭子の部屋にだって?! それに、店とかでは話せない話って、まさか、あのことか……弘毅の心臓はいきなり激しく動悸を打ち始めた。
「お前の部屋になんか行っていいのか」
弘毅はそれを隠すようにわざとぶっきらぼうにそう返した。
「うん、来て欲しいの。ちょっとね」
ちょっとって何なんだろう。今まで、『レディーの部屋は覗かせません』とか言って、俺の部屋には来るくせに自分の部屋に呼んだことなんてなかったのに。ということは、やっぱそういうことなのかも。
「わかった、すぐ行く」
弘毅は胸騒ぎを抑えながら急いで身支度を整えると、圭子の部屋に向かった。
「上がって」
そう言って玄関のドアを開けた圭子の目は涙で腫れて、声は少し掠れていた。
(ちょっとって、表に出れる顔じゃねぇってことか)
「おじゃまします」
そんな圭子の顔を見て、弘毅は思わず殊勝な挨拶をしていた。
「ぼーっとつっ立ってないで、座ったら?」
それから入ってきたものの、きょろきょろと落ち着かない様子で立ったままの弘毅に圭子が座るように促した。圭子は弘毅が床に腰を落ち着けたのを確認して、
「私、今日病院に行って来た。3ヶ月の終わりだって言えばわかるよね……つまり、そういうこと」
「そうか」
それに対して、弘毅はそう答えただけだった。
およそ3ヶ月前、弘毅はそれまで高校時代から腐れ縁の友人としてつかず離れずで、しかし男女の関係ではなかった圭子に、彼の元カノの結婚式の夜、彼が強引に押し倒して関係を迫った。圭子はそれ以来メアドを変え、彼の着信を拒否して完全に彼との連絡を絶った。
彼は直接押しかけようかと考えたこともあったが、そこで、直接自分が完全否定されるかもしれないという恐怖を拭うことができず、それをできずにいたのだ。
「ねぇ、弘毅、それでなんだけど…私、産んでも良いかな。迷惑とかじゃない?」
「は!?」
弘毅は圭子が実に恥ずかしそうに、だが嬉しそうに彼に産む決断を語るのに驚いた。圭子はあれ以来、一切の連絡を絶っていたのだ。弘毅は電話がかかってきた時点で妊娠を想定はしたが、圭子は事実に当惑して彼に改めて怒りをぶつけてくるのだと思っていたから、どうすればそれを回避できるだろうと、ここに来る道中そればかりを頭の中でシュミレーションしていただけに、彼女のこの発言にはいささか頭が付いていかない状態だった。
「今までシカトかましてたくせに。俺の子ガキなんて要らねぇんじゃねぇのか」
それでも、-産みたい-の言葉に一瞬顔が緩みそうになるのをムリに抑えて弘毅はそう言った。
「ううん、絶対産みたい。大好きなあなたの子供だから」
「今、何つった!?」
冷静にと思うそばから、圭子からどんどんと予想外の言葉が紡ぎ出されてくる。弘毅は思わず聞き返した。
「もう、何回も言わせないでよ、恥ずかしいんだから…」
それに対する今日の彼女のリアクションはもはや別人だ。
「俺の一方通行じゃなかったんだな。じゃぁ何でシカトなんかかましやがんだよ!!」
今までとはまったく違ってしまっている今日の圭子の態度に弘毅は苛ついて、弘毅はつい語気を荒げてしまった。
「怖かったの……」
すると圭子は俯いてポツリとつぶやいた。
「だって、ずっと好きだった人が、自分のものにはならないと思ってた人が、『お前だけが好きだった。』って囁くなんて思ってなかったんだもん。これは夢だって思った。覚めたら、現実は違ってるんだって。……じゃなきゃ、私になんてすぐに飽きる――」
「飽きるって、誰が!!」
夢って何だよ。俺が飽きるって? 俺って、お前にはそんなお軽いイメージしかないのか? 飽きるどころか、あの夜俺はやっぱりお前じゃなきゃダメだと、再確認した位なんだぞ。弘毅は圭子に怒鳴った後、そう思って唇を噛み締めた。
「私ね、ホントは一人で産むつもりだったの」
「一人で? バカな! 俺に知らせもせずに俺のガキ産んで、それでお前は満足なんかよ! それより俺にはそいつの父親になる権利もねぇのか!?」
「へっ?」
弘毅の言葉に圭子はビックリしたように顔を上げた。弘毅は正座をすると手をついて、
「へっ?じゃねぇよ。あんなやり方したのは謝る」
と圭子に頭を下げた。
「俺のガキなんだろ? それとも違うのか?」
圭子は黙って頭を振った。
「じゃぁさ、俺にも育てさせろよ。頼むから一人で産むなんて言うなよ、な?」
と圭子の顔をのぞき込んだ。それを見た圭子の目からみるみる内に涙があふれた。
「ホントに? 産んでもいいのね?」
「当たり前だろ。でなきゃ、そのままで最後までやるかよ」
だが、続いてそう言った弘毅に圭子は、
「まったく、言うに事欠いてそれ? 実は狙ってたって言うんじゃないでしょうね」
と言って彼を睨んだ。
「ま、まったく狙ってないっちゃウソになるな。でも、もうちょっと楽しませて欲しかったけどよ。俺のことを信じてくんないお前が悪いんだぞ」
「何よ、それ」
「そしたら、あと何回か妊娠が判る前に……」
圭子は弘毅が言い終わらない内に背中を思いっきりぶった。
「バカ! あんたってホントにバカとしか言い様がないわ。」
「バカで結構。でもよ、バカな俺に惚れたお前って、もっとバカなんじゃねぇ?」
弘毅はそう反論すると、圭子を自分のところへ引き寄せた。
「ちょっと、今はまだダメよ」
「わかってるって。これで今日は我慢するから。もうちっとで安定期に入るんだろ。それまでぐらい辛抱するさ」
そう言いながら弘毅は圭子に口づけた。
やっと……やっとだ。何年待ったんだ? こいつへの想いをはっきり自覚したのは18の時だったから、足かけ10年か……俺はこいつにだけは正直になれなかった。一番欲しかったのはこいつだけだったのに。
そう思った弘毅の胸にいつしか熱いものがこみ上げていた。
「え? もしかして弘毅…泣いてない?」
そして、圭子にそれを気付かれた。
「泣いてなんかねぇよ、絶対!」
「泣いてる、泣いてた。絶対!」
慌てて否定する弘毅に、圭子が笑ってツッコミを入れる。
「泣いてねぇったら、泣いてねぇんだ!!」
弘毅は圭子から身体を離して背を向けた。
「ゴメンね、今まで素直になれなくて…」
圭子はそんな弘毅の背中に頭をくっつけてそう言った。
「今日のお前って、ホント変だな。」
「今までとは違うのかもね。私の中にあなたとの命があるから。この子が仲良くしてって言ってるような気がする。」
圭子は自身のお腹を優しくなでてそう答えた。
昨日とは違う今日 ―― 弘毅は女の強さを見た気がした。
弘毅、ホントは一途だったってことで……
この後、圭子に結婚と妊娠の報告を同時に受けた絵梨花は弘毅の性格を考えれば良かったと、密かに自分の行動を反省したようですが、作者的には「絵梨花グッジョブ!」と思っております。