第四話「七夜祭」
石畳の道を、エルフの少女と歩いていく。
肩下まで伸びた水色の髪が、夜風に揺れている。
ふいに彼女は足を止め、脇道へふらりと逸れた。
その先から、サァァ──と澄んだ水音が聞こえる。
そこには岩肌をすべり落ちる細い滝が、小さな泉をつくっていた。
月光を受けた水面に、淡い光の粒が漂っている。
「山田、喉乾いたでしょ。飲んでいいよ」
彼女は膝をつき、両手ですくった水を口に運んだ。
きっと安全な飲み水なのだろう。俺も泉に手を伸ばした。
指先に触れた水は、驚くほど冷たい。
「くぅ~、染みる!」
清涼水が舌の上をすべり落ちていく。
体の疲れが溶けるような、そんな味がする。
「美味しいでしょ。新鮮な山の水だからね」
何度も飲む俺をみて、彼女はくすりと笑った。
「そんな飲んだら、お酒入らなくなっちゃうよ」
今夜は七夜祭──長老がそう言っていたな。
今日は酒が飲めるのか。異世界の酒、一体どんな味なんだろう。
想像すると、俺の口は自然と緩んだ。
里の大通りへ戻ると、エルフたちが忙しなく行きかっていた。
「七夜祭って、何なんだ?」
「七夜祭はね──七日に一回開かれる宴のこと! みんな祭りが大好きなんだ」
彼女は振り返り、ぱっと笑った。
「七日に一回……やりすぎじゃないか?」
「昔は毎日やってたんだよ。でも色々あってね、七日に一度になったんだ」
「すごいなぁ」
そんな会話をしていると、正面から若いエルフの娘たちが四人、肩を寄せて歩いているのが見えた。祭り装束に花籠を抱えている。
笑い声が風に乗り、淡い花びらがひらひらと舞った。
日本の夏祭りを思わせる、どこか懐かしい光景だ。
年齢柄にもなく、胸の奥がほんの少しだけ浮き立つ。
賑わう街を見渡しながら歩いていくと、大きな広場へ辿り着いた。
「ついたよ!」
足を踏み入れた途端、熱気が体を包んだ。
あちこちでランタンの灯りが揺れ、丸い木のテーブルと椅子が幾列にも並び、すでに多くのエルフで賑わっている。焚き火はそこかしこで火の粉を散らし、甘い果実酒の香りが満ちていた。
「すごい人数だな」
「うん、里には五千人以上いるからね」
周りを見渡していると──
カンカンッ!
乾いた音が、広場に響いた。
広場中央にある木の高台からだ。そこには、壮年のエルフ──長老が立っていた。
緑のローブをまとったその影は、炎に照らされ威厳ある輪郭を浮かびあがらせている。
彼は手にした木槌で、もう一度カンカンと台を叩いた。
「静粛に──エバーウッド五代目長老、ヴァレン・シリウスである。今宵は七夜祭、よく集まってくれた」
先ほどまで騒がしかった民衆が、驚くほど静かだ。
「今日は珍しい客人もいる。すでに目にした者もいるだろう……このエバーウッドに、流れ人がやってきた!」
流れ人という言葉に反応するように、皆がざわついた。
「なぁ、流れ人って何だ」
俺は小声で彼女に聞いた。
「人間の旅人のこと。昔は豊作の前兆っていわれてたんだ。最近じゃ魔素の影響もあって、人が通れる道はなくなっちゃったんだ」
まそ、とは何だろう。
飲み込めない単語を問おうとした瞬間、
「紹介しよう。流れ人、山田緋色! さぁ、前へ──」
「えっ!?」
しまった。まさかここで紹介してくれるとは、思っていなかった。
スピーチ原稿など用意していない。
長老、そういうのは前もって言ってくれ……!
脚の震えをどうにか誤魔化しながら、俺は木の高台へと歩いていく。
木の灯りに照らされた多くのエルフたちが、一斉にこちらへ顔を向けた。
好奇、警戒、嫌悪、興奮──さまざまな感情が絡み合った視線を感じる。
これほど注目されるのは、久しぶりだった。
「このように大々的に紹介していただけて、嬉しく思います。名前は山田緋色──人間、です」
先ほど水を飲んだばかりなのに、カラカラに喉が渇いている。
「森で迷っていたところを、ひとりの少女に助けられました。この里の美しさには、本当に……驚いています」
思っていたより、すらすらと言葉が出た。
「エルフの勝手は分かりませんが……どうぞ皆さん、仲良くしてください」
深々と頭を下げ、群衆の反応をうかがった。これでよかったのだろうか。
次の瞬間、広場は大きな拍手に包まれた。ぴゅいと口笛を吹く者もいる。なんか恥ずい。
「おーい、山田ー! あとでこっち来いよ! 飲み比べだ!」
声の先を辿ると──見張り台で会った衛兵の男、グレースがいた。
横にいる青年、ライルは変わらず俺を睨んでいる。
今は気にしないでおこう……。
壇上から降りると、もはや見慣れた少女が俺を出迎えた。
「山田! はい、お酒」
木製のジョッキを渡されると、ほんのり甘い香りが鼻をくすぐった。
「さぁ! ぞんぶんに宴を楽しもう。里の豊穣を祈って──女神アストレアに、チーラ!」
長老が号令すると、数えきれないジョッキが一斉に掲げられた。俺もそれに続く。
「「チーラ!!」」
チーラ──乾杯みたいな意味だろうか。
たまに知らない単語が出てくる。というか、そもそも何で俺の言葉は通じているんだ。
掲げたジョッキを下げると、広場中央にいる楽団が演奏を始めた。
高らかな笛、琴の柔らかい和音、太鼓のリズムは心地よく拍を刻んでいく。
火の粉が焚き火から舞い上がり、宵風がそれをさらった。
幻想と喧騒の渦の中で、酒を一口含んだ。
果実が弾けるような風味、ビールより少し強いのど越し、どこか懐かしい味わい。
「──美味い」
その一杯は、異世界の酒とは思えないほど、やけに“現実”の味がした。
「さ、出店がいっぱいあるからいこ!」
少女に手招きされ、俺は賑わいの渦の中へと進んだ。
石畳の両脇には、即席の屋台がずらりと並んでいる。
木製の看板に手描きの紋様、ランタンの淡い光、通り全体に祭りの色が満ちていた。
小さな酒場の軒先では、老齢のエルフたちが弦楽器を奏でている。
少し歩くと、ひとつの屋台の前で少女は足を止めた。
白銀の髪を腰まで流した、美しいエルフが店番をしている。
鉄板の上で肉がじゅうっと音を立て、香ばしい脂の匂いが鼻を刺激した。
「イリナばあちゃーん! トントン串焼き二つ!」
少女は元気よく手を挙げた。
──ばあちゃん?
思わず二度見した。
ばあちゃん、と言うにはあまりに見目麗しい。肌には皺ひとつない。
「お姉さんの間違いじゃ……」
「あら! 口が上手いのね」
「山田……イリナばあちゃんは、来年で三百歳だよ」
少女はじとりとこちらを見ている。
「さんっ……!?」
「こら、女性の年齢は口に出しちゃいけません。めっ、ですよ」
年上という次元を超えていた。
そういえばエルフたちは、総じて見た目が若い。みんなこうなのだろうか。
「はい、どうぞ」
イリナはやわらかく笑うと、香ばしい肉串を差し出した。
「祭りはやっぱコレだね」
少女は幸せそうに肉を頬張っている。
彼女の実年齢も気になったが、聞く勇気はなかった。
「うっ、めぇ!」
肉は噛むほどに旨味が広がり、胸の奥へじんわりと熱が満ちていく。
「出店の食べ物って、なんでこうも美味いんだろうな」
歩きながら、肉の柔い食感と香りを楽しんだ。
気づけば串は、あっという間に空になった。
「この時期は特に美味しいの! 夏だから魚も美味しいし、お肉も新鮮だよ」
「そうか……今は、夏なのか」
森に囲まれているせいか、里はとても涼しく感じる。
その時、俺の名を呼ぶ声がした。
「山田! こっちだこっち!」
通り沿いの店先へ顔を向けると、衛兵の男グレースとライルが腰かけていた。
グレースはすでに頬を赤らめ、手にした酒をぶんぶん振って手招きしている。
彼らのもとへ歩くと──
「「チーラ!!」」
グレースと少女は盃を掲げた。
「チーラ」
続くように、俺も盃を合わせた。
「……チーラ」
渋々といった様子で、ライルも小さく盃を合わせた。
直後にそっぽを向いてしまったが、悪い奴ではないのだろう。
「どうだ、七夜祭は楽しいだろ」
グレースは陽気に言った。
「はい。出店はどれも美味しくて……酒も最高です」
「ガハハ! そうだろう、そうだろう」
その後は、自然に話が盛り上がった。
特に俺の故郷である“日本”について、根掘り葉掘りと興味津々だった。
ライルはどこか気まずいのか、話を聞きつつも会話には入って来ない。
「お酒つぎます。どうぞ」
空になったライルの盃に酒を注いだ。
「……人間の男は、性欲の塊だと聞く。フィオナに手を出すなよ、里の女にもだ」
「あっ、はい。自制心はあるつもりです」
「お前なぁ~、酒ぐらい楽しくやろうぜ」
グレースが肩をすくめると、ライルは不満げに酒を飲み干した。
「ふんっ……隊長は甘すぎなんですよ」
「やれやれ、わりーな。こいつ人付き合いが苦手なんだわ」
「私ぐらいしか友達いないもんね」
少女は口元を緩めると、からかうようにいった。
「なっ……そんなことはないっ!!」
「じゃあ他に誰がいるの? 言ってみなさいよ」
「ぐっ……!」
言葉に詰まったライルは、椅子をガタリと鳴らし立ち上がった。
「ちょっとライル、どこ行くの。ごめんってば~」
「帰る!」
短く吐き捨てると、ライルは賑やかな広場へと消えていった。
「……ほっといていいの?」
「大丈夫、大丈夫。どうせ明日になったら忘れてるって」
少女は全く気にしていない様子だ。
グレースも「いつものことだ」と言わんばかりにジョッキを煽っている。
どうやらこれでも仲は悪くないらしい。
「私、お祭りの服に着替えて来るね」
「ああ、わかった」
少女が席を離れて少し経つと、背後から甲高い声が飛んできた。
「ねぇねぇ! あなた、どこから来たの!?」
振り返ると、先ほど通りにいた四人組のエルフ娘たちがいた。
それぞれ花飾りを髪に編み、薄布の華やかな衣装を着ている。
「なかなか良い男じゃない」
「歳は?」
「彼女いる?」
「ちょっと、まずはお酒が礼儀でしょ。チーラ!」
「チ、チーラ」
圧がすごい。機関銃のように浴びせられる質問に、たじろいでいると──
「ちょっと! みんな!」
凛とした声が割って入った。
後ろに立っていたのは、露出の多い踊り装束に身を包んだ少女。
水色の髪と薄布の服には金装飾が散り、短い裾は腰下で揺れている。軽やかな見た目だ。
可愛い、というかエロい。
豊満な胸に視線がうつった時、ライルのじろりとした顔が浮かんだ。
南無阿弥陀仏・邪念退散・煩悩封印だ……!
「山田が困ってるじゃない。あっちいってよね」
むーっと頬をふくらませている。かわいい。
「山田さんてば、姫様にずいぶん気に入られてるのね」
「姫様?」
「もーっ。行こっ、山田!」
「あ、あぁ」
少女に手を引かれるまま、俺は席を立った。
姫様──。
どうやら彼女は、“特別な存在”なのかもしれなかった。
少女に導かれながら、賑わう通りを歩いていく。
祭りの熱気と酒の余韻が回ったのか、身体の芯がじんわりと温かい。
ふと、夜空を仰いだ。
「山田、どうしたの? 楽しくない?」
ぼんやりとした俺に気づいたのか、彼女は心配そうな顔をしている。
「いや……こんな誰かに歓迎されること、無かったからさ」
ここに来る前は、ずっと一人だった。
誰と関わることもなく、寂しく終わりを迎える──そう思っていた。
「……もっと歓迎してあげる!」
思うことがあったのか、少女は俺の手をきゅっと握り直した。
大通りを外れて歩いていくと、大きな焚き火が見えた。
エルフたちは火を囲って輪になり、踊りと演奏を楽しんでいる。
「山田、踊ろ!」
「ちょ、踊りなんて分かんないよ」
「いいからいいから!」
少女に引っ張られ、俺は焚き火の輪へと近づいた。
「どうすればっ」
「回って、跳ねて、自由に揺れたらいいの。ルールなんて、ないんだから!」
くるり、ゆらり──少女の身体が舞う。
薄布に散った金糸の飾りが揺れ、炎の光を反射してきらきらと弾けている。
俺は彼女に合わせ、ぎこちなく体を揺らした。
「楽しいでしょ?」
彼女の声は、音楽と炎に溶けていく。
「……ああ」
本心だった。
この夜が、ずっと続けばいいのに──。
踊りつかれ、火照った体のまま通りを歩いた。
祭りの灯りが遠ざかるにつれ、森の空気が深くなっていく。
「山田! こっちこっち!」
俺の少し前で、少女はひらひらと手を振った。
奥には、木で組まれた長い階段。それは樹々の合間を縫うように、森の高みへと続いている。
階段へ足を踏み入れると、欄干には小さな光がいくつも漂っていた。
「ずっと気になってるんだけど、この光ってるやつ──なに?」
「森の精霊だよ。知らないの?」
「知らないねぇ」
「森に入ればだいたい居るのに。ほんと変な人っ!」
変な人、その程度で済んでいるのは不幸中の幸いだ。
出会ったのが彼女でなければ、謎の研究機関にでも拉致されていたかもしれない。
階段を登り切った瞬間、息がふっと漏れた。
──光だ。
里を包むようにそびえる巨大樹が、夜闇の中で淡い蒼光を放っている。
枝葉の隙間には無数の灯りが浮かび、まるで星が閉じ込められているようだ。
地上では、灯籠が暖かな光を灯していた。
森も、空も、街も、すべてが静かに呼吸している。
世界そのものが、宝石になったような景色だ。
言葉が追いつかない。
見上げると、夜空にはこぼれ落ちそうなほどの星屑があった。
「きれいだ」
無意識に、言葉が漏れた。
空を見るのは、いつぶりだろう。
子供の頃は、いつだって上を見ていた。
星を美しいと思っていた。
夏は永遠に続くと思っていた。
いつからか上を見なくなった。
永遠の夏は二度と来なかった。
空は、ずっと曇っていた。
きっと曇っていたのは、空ではなかった。
少女は何も言わず、優しく笑っていた──。
「フィオナ・レスター」
「えっ?」
「私の名前、フィオナ・レスターよ!」
──『エルフの真名は、親しい相手にしか名乗らないのよ』。
彼女の言葉を思い出し、口元が思わず緩んだ。
「よろしく、レスターさん」
ぶふっと彼女は吹き出した。
「なにそれっ。フィオナでいいよ」
「わかった。じゃあ、俺も緋色でいい──よろしく。フィオナ」
「ふふ。今年の夏は、楽しくなりそう! ね? 緋色!」
「ああ。そうだな……」
俺は何気なく、夜空へ手を伸ばした。
遠いはずの星が、手の届く場所にある気がした。




