第十八話「魔触の森」
ゴォォォォ──ッ!
「なんだッ!?」
裂くような轟きに、反射的に身を伏せる。
大地の奥で何かが捻れ砕けたような感触が、空気ごと森を震わせた。
衝撃はすぐに鎮まり、俺は身を起こした。
「地割れか……?」
周囲を見渡す。
森は異様なほど薄暗い。
陽光は届かず、蔦は伸び荒れ、虫の羽音すらしない。
ここは、生の気配が欠落した“死の森”だった。
鍛錬を経た今ならはっきりと分かる──大気中の魔素が、気味が悪いほどに乱れている。
空気は腐った泥のように濁り、居心地は最悪だ。
地図を開く。
入口からほぼ一定の速度で進んできたから──
遺跡まで、あと半分ほどだろう。
エルフほどではないが、地理を把握する力がいつの間にか身についていた。
「だいぶ奥まで来たな……どこにいるんだ」
フィオナが徒歩で進んでいるのなら、この森にまだ居るはず。
「こんな事なら、最初からついていけばよかったな」
一歩踏み出したとき、焦げた臭いが鼻をかすめた。
視界の端で、灰がほの白く光っている。
あれは──焚き火の跡だ。
近づき、指先で薪に触れる。まだ温かい。
居たんだ。ついさっきまで。
自然と口角が上がる。
すぐそこに、彼女がいる。
「!」
獣の気配。
数は一、二──三匹。
囲まれている。
ザッ、ザッ……。
草をかき分け、ホーンウルフたちが忍び寄ってきた。
灰色の毛並みは逆立ち、牙には唾液の糸を引いている。
「……」
大丈夫。
以前の俺とは違う。
「来いよ、犬ども」
短剣を抜く。
魔力を刃に纏い、震わせた。
いわば高周波ブレード。切断力は並の刃物を遥かに凌ぐ。
三匹の狼が、低く唸りをあげた──
──エルフの里、西外れの夕刻。
魔法の師であるダークエルフ、ヴァネッサは言った。
「お前には、魔法の才能がない」
夕焼けが横顔を照らし、金の瞳が揺れた。
俺の絶望を映した顔に、彼女はふっと笑った。
「別に、いいじゃないか」
「でも……これ以上強くなれないってことだろ」
「いいや。お前はもっと強くなる」
「本当か?」
「今あるものを──さらに磨くんだ。強く、鋭く、誰も届かないほどに」
茜の空へ、彼女は手を伸ばした。黒い長髪が風に舞う。
「それは凡を越え、才を越え、いつか……逸脱した“何か”になる」
ヴァネッサは、どこか遠い目をしていた。
「忘れるな。本当に大切なのは、自分を信じることだ」
あの日の言葉が、耳の奥こだました──
──いま俺が使える魔法は、ただ二つ。
体の能力を上げる、
「≪身体強化≫!」
そして──
「≪思考加速≫!」
一秒が、じわりと伸びる。
景色が引き延び、風音は遅れて聞こえる。
意識は刹那を追い越し、世界を置き去る。
三匹のホーンウルフが迫っている。
左右の二匹は腕を狙った突進。もう一体は高めの上段攻撃。
未来が、手に取るように見える。
ああ。
なんて遅いんだ。
狼の首筋に、剣閃を描く──斬り、押し通す。
景色が追いつくと、血飛沫が舞った。
断末の叫びすらなく──
首が三つ、大地に転がり落ちた。
「……まずいな」
フィオナに追いつくことだけを考え、ひたすら突き進んできたが──
獣の気配が、続々と集まってきている。
なるほど。彼女が慎重に進んでいる理由はこれか。
身体強化し、前へ駆けた。
「──はぁっ、はぁ……」
息が上がってきた。
思考加速は脳への負担がでかい。稼働時間もって三分。
闇雲に戦うのは悪手だ。
黒銃を使う手もあるが、撃てばさらに目立つ。
いったんこの場を離れ、身を隠すのが最善──
「!」
轟轟轟轟ッ!!
地を揺らす重低音。
凄まじい勢いで、それは近づいていた。
──魔獣──ッ!
それは俺の横、森を切り裂くように抜けてきた。
咄嗟に身を転がす。前へ!
「くっ……!」
すぐに受け身を取り、顔を上げると──
そこには一角魔獣ホーンウルフ、ではない。
大きな角が二本──二角の魔獣が唸りをあげた。
「ガァアアアアアアアアア!!!!」
里の近くに出る個体とは、比べ物にならない魔力量だ。
ホーンウルフの上位種か。
「……見逃しちゃ、くれないよな」
魔獣は身を低くすると、前足を振り抜き駆けた。
「思考加速!」
軌道予測──
上段振り下ろし。
半歩、体をずらす。
ドォン──ッ!
黒腕が地面にめり込んだ。
──速い。
加速が一秒遅れていたら死んでいた。
その腕を両断する気で、魔気を纏った剣を振り下ろす。
ブシュッ──
浅いかッ!
「グゥガァアアアアアアア!!!!」
苛ついた咆哮。横薙ぎの腕が迫り、後ろに跳びずさる。
「硬ぇなッ!」
魔力を纏わせた剣でも、奥まで刃が通らない。
皮膚の表面が、魔力で覆われているせいだ。
しかも、魔獣は並みの魔力量ではない。
それを上回る出力を叩き込むしかない──
「仕方ない。使うか……!」
俺は対魔獣戦闘用十一ミリ拳銃、ジューダスを抜いた。
革のポシェットを開き、弾を親指で弾く。
銀弾が空中へ飛ぶ。掴む。
「試し打ちといこうか」
薬室に貫通弾をぐっと込め、シリンダーをジャラ──と回した。
シリンダー回転、問題なし。
狙う。
怒り狂った魔獣の中心──強く魔力を放った右胸を見定めた。
魔獣は右へ左へと素早く跳躍し、距離を詰めて来る。
もっと、もっとだ。
喰らうような重圧が迫る──ッ!
もっと、引きつけて……!
ここだ!
「っ──!」
引き金が重い。尋常じゃない硬さだ。
さらに指へ力を込め、握り潰す勢いで引く。
バチバチ──ッ!
「なんだ!?」
シリンダーが、弾頭が、空気が熱を帯びる。
黒い銃身は激しく胎動した。ッ手が、震える!!
シリンダーが、回る──ッ!
ガチン──ッ!
ダァアアアアアアン──ッ!!!!!!!!!!!!
もはや拳銃の音ではなかった。
体を強化しているはずなのに、反動で腕が弾け飛びそうだ。
砕けそうなほど奥歯を食いしばる。
エネルギーの塊が、抉り喰らうように穿ち通っていく──!
──。
威力は保証する。
そうドレスタは言っていた。
しかし──
「こりゃ……すっげぇや」
これはもう、銃じゃない。
「グ、ガ──ァ……」
魔獣の胸には、どでかい風穴が空いていた。
破壊光線じゃないか。
反動に震えが収まらない手をみて、俺は苦笑した。
「ッ!?」
強い気配が、横に轟く。
「くそっ、まだいたのか!」
体はしびれ、指は震えたままだ。
身体強化をもっと強くすべきだった。
ここまでの衝撃だと思わねぇだろ普通!
速く、はやく弾の装填を──ッ!
「やべぇ──!」
新たな二角魔獣は、すでに俺に迫っていた。
「思考加──」
思考加速の前に、世界がスローになった。
体が、うまく動かない。
ああ──
死──
爆ッ!!!!!!
魔獣の顔に真紅の烈火が爆ぜる。
炎撃に巨体が弾け飛ぶ。
「ガァアアアアアアア──!」
爆、爆、爆、爆!
紅き炎弾の嵐が、抉るように追撃する。
「グガァ……ア、ァ──」
紅炎の中で、深紅の瞳が救いを求めている。
魔獣は、一歩踏み出した。
──だが。
瞳から光は消え、その場に崩れ落ちていった。
「まったく。里で一生を過ごすんじゃなかったの?」
「フィオナ──!」
懐かしい声に振り向いた。
「……?」
そこに立っていたのは──
紅蓮の長髪に、赤眼の少女。
右手に炎を灯し、ニッと笑った。
「えーっと……フィオナ、さん……ですよね?」
「あぁ~! これ! 体質なんだよね~。魔法使うとさ、髪の色変わっちゃうんだ」
真っ赤な髪の先を指で遊ばせながら、彼女は愉快そうに笑う。
炎に照らされた横顔は、変わらず──春陽のように明るかった。
「それにしても、すごい詠唱魔法だな」
「えっ? 詠唱なんて、してないけど」
「……」
今の炎弾の嵐が……無詠唱だと?
戦慄した。
忘れていた──
彼女は、英雄と呼ばれる存在だった。
「早く行こっ! 面倒くさいことになるからさっ」
「──ああっ!」
爆音を聞きつけたのか、今も敵の気配が近づいている。
俺は深く考えるのをやめた。
本当に、エルフが──彼女が友好的で、良かった。
*
フィオナに続くように跳び走る。前へ、前へ。
彼女の髪は、いつのまにか淡い水色へと戻っていた。
「もう着くよ!」
暗い樹々の奥に一筋の光。
視界が開ける。
──そこは、広大な平原だった。
夜。灯火ひとつないそこに、白銀の星光が大地を照らしていた。
遠景には黒い大山脈。その裾には──天を貫く巨大な塔が聳え立っていた。
塔の頂は雲間に隠れているが、その先は緩やかな丘が続いているように見える。
「ん~! 疲れた~!」
彼女は腕を高く上げ、思いきり伸びをした。
俺は腕いっぱいに、夜気を吸い込んだ。
「……はぁ。空気、美味いな……」
「よーし! このへんで野宿しよっか!」
小さな倒木のそばで、彼女は大きな背嚢から何かを取り出した。
銀細工が施された長方形の道具だった。
「それ、ランプか?」
「魔物除けのランタンだよ。これ置けば、野獣が寄ってこないんだ」
「はじめて見たな」
そんな便利ものがあるなんて。
「えぇ! 風牙隊の野外訓練とか、どうしてたの?」
「敵が寄ってきたら……殺すスタイルでしたね……」
風牙隊では、寝てる時すら訓練だった。
意識が落ちた瞬間に、狼に殺されかけたことがある。今となっては良い思い出だ。
常に気を巡らせなければ、この世界は死ぬと思っていた──
銀のランタンを見つめ、俺は遠い目になった。
あの苦労はいったい何だったのか。
「野蛮ね~」
肩をすくめつつ、フィオナはランタンの前で指を鳴らす。
ぱちん、と穏やかな火が灯った。オレンジの光が、夜気にぽうっと揺れる。
続けて背嚢を漁り、手のひらサイズの四角い黄袋を取り出した。
「で、これが携帯テント! 魔法で収縮する優れモノなので~す」
軽く放ると、ボンッと膨らむ。
黄色のお洒落なテントが、一瞬で形を成した。
「すっげぇ!」
「あとは、お待ちかねの~! ご飯!!」
フィオナは背嚢にくくりつけていた薪を外すと、重ね置いた。
「ほいっと」
ぱちん。指を鳴らすだけで火が起きる。
ライターいらず……なんて便利なんだ。
続けて小鍋を置き、水と香辛料、ナイフで刻んだキノコを落とす。
スープを作るのだろう。
「あのさ、俺──」
薪の近くにあった倒木に座り、声をこぼした。
「ん~?」
「実は、この世界の人間じゃなくて……他の世界から来たっていうか」
ぱちぱちと、薪が音を立てている。
「異界人──ってやつなんだ。黙ってて、ごめん」
フィオナは目をぱちくりさせ、きょとんと俺を見た。
「……えぇ~!!!! あっはっは!!」
大げさに驚いたあと、彼女は腹を抱えて笑った。
「今さらぁ!? 知ってたよ! 里の案内する前に、長老に聞いてたし」
「……そうか。そうだよなぁ」
薄々気づかれていると思っていたが、自分の口で言っておきたかった。
胸につっかえていたものが、ひとつ落ちた。
「そろそろかな~♪ はい、緋色の分!」
木皿に注がれたスープが、湯気を揺らして渡ってきた。
旨味が詰まったような香りが、鼻奥を刺激する。
木皿を傾け、ゆるりと口へ──
あたたかな煮汁が、舌の上を滑っていく。
体に染み込み、胸がじんわりと温まった。
「──美味いッ!」
「でしょー! 自信作、ぷにぷにバン☆ボンスープでぇす」
「前衛的な名前だな」
「キノコも食べてみて!」
「どれどれ」
ぷっくりとしたキノコを口に含む。
これは──
弾む。ぶにぶにと、口の中でばんと跳ねる。噛むと、スープの旨味がぼんっと舌へ広がる。
この歯応え、癖になる。
「ぷにぷにバンボンだ」
「でしょ~!」
キノコの食感を楽しんでいると──
「……私、嬉しかったの」
フィオナは火を見つめたまま、静かに言った。
「緋色が追いかけてきてくれてさ……ああ、独りじゃないんだって」
両手で顔を覆い、涙を零した彼女の姿が──脳裏に蘇った。
「……これからは、ワガママめっちゃ言っていいぞ」
「ほんとに?」
「あぁ。何とかしてやる! 俺に出来る範囲でな」
「じゃあ、今日は一緒に寝て」
「オーケー。わかった──えぇッ!?」
──小さいテントの中、彼女は俺の横で、スヤスヤ寝ていた。
なぜ、こうなった──?
横にいる彼女は布団を蹴飛ばし、俺に抱きついた。
最悪の寝相だ。
しかし……
すごく、やわらかいです──
抱き枕に命があれば、きっとこんな気持ちだ。
これ、眠れないかもしれん。
「ん~むにゃむにゃ……もう食べれないって……へへ」
夢の中まで飯食ってんのかよ。
ふと、彼女の手に指が触れた。
フィオナの体温は、とてつもなく安心感がある。
それはここ数日の疲れを、じんわり溶かすような温もりだった。
「おやすみ……」
彼女に布団をかけ直し、俺は目を閉じた。
意識は温もりに引きずられるように、深い眠りへと落ちていった──




