第十七話「規格外の怪物」
森の奥地──風牙隊の集結地にライルがいた。
「来たか緋色。行くぞ」
「ああ」
身体強化を発動し、ライルの後ろへ続いた。
日中だというのに、進むほどに森は暗く、影が濃くなっていく。
斜め後ろを並走しながら、ライルの言葉に耳を傾けた。
「フィオナの最初の目的地、冒険の丘に行くには──この先にある魔触の森を抜け、遺跡を突破する必要がある」
「遺跡?」
「試練の塔──古代遺跡だ。詳しくは、フィオナに会ってから聞け」
しばらく進むと、彼は足を止めた。
「僕が行けるのは、ここまでだ」
前方は、夜と見紛うほどに薄暗い──これが、魔触の森か。
「地図を渡しておく」
「助かる」
「あとは、これを持っていけ」
ライルは小さい皮袋をよこした。
中には──赤い木の実。
「これは?」
「狩人が好んで食べる、〈精霊の赤実〉だ。五粒も食べれば、マナと体力が戻る」
ありがたい。
食料はあまり手持ちがないからな。
「フィオナが里を出て二日、慎重に進んでいるはずだ。身体強化で走れば、日が暮れる前には追いつくだろう」
ライルは俺を見た。薄緑の瞳に、迷いはない。
「僕も、いずれお前たちに追いつく。その日まで、死ぬんじゃないぞ」
「ああ。楽しみにしておく」
「ッ──」
ライルが顔をしかめた。
──獣の気配だ。
それも、一つや二つじゃない。
その背後にも、膨大な魔力が迫っていた。
「これは……」
「チッ。魔獣か」
「どうする? 俺が囮になれば──」
「いいから行け。緋色」
「でも──」
「弟子が口答えをするな、早く行け。フィオナを、頼んだぞ」
「ライル。今まで──ありがとう」
「ふん……じゃあな」
ライルは背を向け、手を振った。
俺は駆け出したあとで、一度だけ振り返った。
──本当に、大丈夫だろうか。
いや──無用な心配か。
この数カ月、ただの一度すら、俺は彼に勝てなかった。
不安はすぐに溶け、足をさらに前へ運んだ。
前に、前に。
ひたすら、闇の中へと──
*
僕は緋色を見送ったあと、高い木の上に登った。
見えるのは──無数のホーンウルフ。任せろとは言ったものの、数が多い。
そして、狼の群れは、逃げていた。
強大な気配は、二つ。
目を細め、はるか奥を見据えた──ホーンウルフの変異体、一角魔獣だ。
獣たちを支配する王であり、荒れた魔素で生まれた忌まわしき怪物。
その怪物が、王者であるはずのそれが──
喰われていた。
一角魔獣は、無数の触手に絡め捕られ、喉を貫かれ、為す術なく引き裂かれている。
これは戦闘ではない、蹂躙だ。
錆び黒い触手の奥で、赤く濁った眼が覗いた。
血泥まみれの巨体は、もう何が変異したのかも分からない。
おぞましい……新種の魔獣か。
未知数の脅威は、もうすぐそこに迫っていた。
一人で逃げるのは容易だが、森への被害はさらに大きくなる。増援を呼ぶ暇はなさそうだ。
考えを巡らせると、木の下で陽気な声がした。
「おいおい! もう行っちまったのか!?」
見下ろした先にいたのは、ぼさぼさの茶髪をかく男。
「グレース隊長!」
「よっ!」
まったく気づかなかった。相変わらず、気配のない人だ。
「無理いって抜けてきたのによ……別れ、言いそびれちまったなぁ」
「そんなことより──」
おぞましい狂気が、魔獣が迫っている。
ホーンウルフの群れを喰らい、尚も進んでいた。
「なんとか凌ぎます。すぐに増援を呼んで下さい」
「まてまて! 流石に一人じゃ、お前もしんどいだろ」
「……」
否定できない。
一角魔獣を喰らうほどの怪物だ──負ける気はないが、殺すには骨が折れそうだ。
「いい機会だ。ライル、よく見とけ」
「まさか、聖剣を使う気ですか」
「バカ言え! こんなんで使ったら親父にぶっ叩かれる」
「では──」
「もう一本を使う。ダチの門出なんだ──派手にいくぜ」
「ちゃんと、手加減してくださいよ」
「わかってるって。ちょっと離れてろ」
僕が距離をとると、グレースは右手を振り上げた。
「来たれ」
指先の虚空に、赤黒い闇が滲んだ。
形を求めるように、闇は蠢き、這っていく。
やがて、姿を成したのは──一振の、黒剣。
「起きろ」
黒剣の中央に、ぎょろりと赤い一眼が開いた。
──見るのは初めてだ。
剣聖グレースが持つ一本──魔人を封じた鉄で打たれたという、曰くつきの業物。
森がざわめいた。
「外すぜぇ──」
世界が、深く沈んだ。
グレースの体躯から、赤黒い魔力が噴き出した。
濃縮された気が、制限なく奔流していく。
極意であり、必殺。
切り札であり、必滅。
戦具に封じた魔を、限界まで呼び覚ます奥義。
それは──果てなき超越の極技。
「無 限 解 放」
黒刃から、真紅が溢れ出した。
焼ける空気に、喉が詰まりそうだ。
「嗤い鳴け──黒 雷 魔 刃!」
赤黒い紫電に、大地は壊れ上がった。
悲鳴をあげるように、魔刃がつんざ鳴く。
そして、暗紅の奔流を、黒剣の先を──
「≪百 折 不 撓 ・ 斬 壊 波≫!!!!」
振り抜いたッ!
ゴォ──ッ!!!!
轟音と熱風に、視界は黒く潰れた。
焼ける臭いと耳鳴りで、意識が持っていかれそうだ。
赤黒い魔は暴渦となり、地を裂き森を飲み込んでいた。
────。
黒煙で、何も見えない。
心音だけがうるさく聞こえる。
視界が晴れると──グレースの一直線上、百メートルほどが消し炭となっていた。
醜悪な触手の魔獣、災禍の異形はどこにもいない。
消滅したのだ。怪物を越える、規格外の手によって。
森の面影すらない土地を見て、僕は深く息をついた。
「手加減って言葉、知ってますか?」
「ヤッッベェ──!!」
ひどく苦い顔をして、グレースはうろたえていた。
「やりすぎですよ……」
「こりゃあ、親父にどやされるなぁ」
グレースは誤魔化すように、暗い森に体を向け──
「緋色ーー!! 達者でなぁ!!!!」
思い切り叫んだ。
その声は暗い森の奥へと、吸い込まれていくのだった。




