第十五話「宝物殿」
琥珀色の灯りが、木目の壁と磨かれた床を柔らかく照らしていた。
低く抑えられた話し声と、食器の触れ合う音が心地よく混ざり合う。
ここは“銀葉亭”。なかなか予約の取れない、里でも評判の店だ。
案内されたのは窓際の席。
リーリーと来る予定だった二人席だ。
もう料理は作られているはずで、今さらキャンセルはできなかった。
俺は一人で腰を下ろし、外の景色を眺めた。
大神樹の近くに建てられたこの店からは、里全体がよく見える。
樹上に張り巡らされた回廊を、エルフたちは静かに行き交っていた。
しばらくして──
怪訝そうな視線を向けながら、スタッフが料理を運んできた。
白磁の皿の上には、焼き色のついた肉と、瑞々しい野菜。
銀色の飾り葉が、肉の上に添えられていた。
二人分の、贅沢な昼食だった。
頂きます──
肉をナイフで切ると、香辛料の匂いが鼻を刺激した。
「……うまいな」
誰に言うわけでもなく、そう呟いた。
肉汁が口の中で弾ける。
美味い。
──はず、なのに。
一人の食事は、いつもより味を感じなかった。
予約していた二人分の肉を、一人でがっついた。
好奇の視線を無視し、ひたすら食べた。
周りから見れば俺は、恋人にすっぽかされた悲しい男だろう。
赤ワインで最後の肉を流し込み、備え付きの紙で口を拭いた。
書館でイリナさんと話してから、俺の答えはほとんど決まっていた。
何度考えても、それは変わらなかった。
──行こう。
ライルのためでも、フィオナのためでもない。
誰が為でもなく、自分のために──
俺は、里を出る。
リーリーは俺が消える雰囲気を悟ったのだ。
フィオナだけでなく、仲良くしていた俺まで消える。
それは想像しているより……ずっと痛いことなんじゃないか。
だからこそ、しっかりと別れを告げたい。
あとで探しに行こう。
「う……食い過ぎた……」
腹を押さえながら、俺は食堂を後にした。
*
訓練場、空中回廊の一角。
風通しのいい小屋で、ライルが腰かけていた。
「休みの言い訳をしにきたのか?」
そういうと、木目の水筒を傾けて飲んだ。
「悪かったよ。悩んでたんだ」
「……それで?」
彼が飲み終わるのを待ち、俺は口を開いた。
「やっぱり、行くことにする」
「……そうか。本当に、いいんだな?」
「ああ。行かなかったら、たぶん、後悔するから──」
迷いなく目を見据えた。
「これ以上、自分を嫌いになりたくないんだ」
ライルは視線を細め、口の端を緩めた。
「きっとお前は、そう言うと思っていた」
「買いかぶりすぎだろ」
「僕は直感を信じてる。行くぞ」
そういうと、彼はさっさと歩き出した。
「えっ。まだ、何も準備してないんだけど」
「いいからついて来い」
──ライルの後ろを黙ってついていくと、長老の家に到着した。
蝋燭が照らす廊下を進んでいくと、古木の扉の前についた。
ライルは茶色の短髪を整えると、緑の軽装の襟を正した。
コンコンッ。
短く二度、扉を叩いた。
「弓聖、ライル・ハーケン。山田緋色を連れて参りました」
扉はギィ──と奥に開いていく。
「……来たか。話は聞いている」
しわがれた低い声がした。
灰色のローブに長い銀髪。胸に流れた白髭を整えながら、長老は俺を見た。
「すいません。せっかく迎え入れてくれたのに、勝手に出ていく感じになっちゃって」
「……よい。いずれこうなることは、分かっていた」
どういうことだろう。
腑に落ちない俺の顔を見て、長老は続けた。
「意味も無しに、神渦は開かれん。山田緋色──貴殿がここにいるのは、必然の因果なのだ」
「因果……」
「すべては導かれている──運命に」
運命。
およそ空想でしか使われないその言葉に、気味の悪さを覚えた。
俺は、人生で神というものを信じたことは一度もない。
だが。
神様がいるとして。
その存在は、いったい俺に、何をさせようとしているのか。
「森を抜けるならば、装備が必要だろう。ついて参れ」
長老はそう告げると、部屋の出口へ向かった。
「僕は準備がある。ここから先は、長老と行け」
「わかった。出発は?」
「すぐにでも。と言いたいが……もうじき日が暮れる。出発は明日の早朝、日が昇ったらすぐに」
そう、夜の森は想像以上に危険だ。魔獣も巣くっている。
彼女に追いつけるだろうか。
せがむように胸は高鳴った。
また会えるんだ。
彼女に──フィオナに。
心に刺さっていた何かは、いつの間にか抜けていた。
「集合場所は風牙の集結地。いつもの場所で待ち合わせだ」
ライルの話を聞いたあと、俺は長老のあとに続いた。
長老の家の裏手には、家よりも大きな一本の古木が立っている。
その麓には、人が通れるほどの穴が口を開けていた。
薄暗い中へ入ると、壁際の蝋燭に次々と火が灯る。
揺れる光に導かれ、進んだ先──
最奥で、長老は何もない石壁に手をかざした。
ゴゴゴ……。
音を立て、石壁が左右に割れた。
奥には古びた大階段が、深い闇の底へと続いていた。
「これは……」
「緊急時のために造られた地下洞だ。この先に、“宝物殿”がある」
一段、また一段と階段を下りていく。
長い階段を下りきると、壁沿いに蝋燭が灯る。
その明かりに照らされるように、左右に高く積み上げられた書架が続いていた。
装丁が異なる古書が、ぎっしりと収められている。
やがて視線の先に、それは現れた。
書架の三倍はあろうかという、黄金色の大扉。
表面には幾何学の装飾が施され、蝋燭の火を受け妖しく輝いている。
長老は進みながら、右手に魔力を集めた。白い粒子が霧のように掌に収束していく。
揺らめく白光を、そのまま扉の中央へとかざした。
──ゴォォ……。
腹の底に響くような低音が鳴り、大扉は奥へと開いた。
縦に長く伸びた通路。
左右には陳列棚があり、大小さまざまな武器がずらりと並んでいる。
剣、槍、斧、刀、大砲らしきものまで──
それらは薄明りに照らされ、沈黙の圧を放っていた。
……まさに、宝物殿。
奥に進むと──
「おぉ!? ここに来るとは珍しい!」
男の陽気な声がした。どこにも姿は見えない。
周囲を見渡すと、奥にある長机の影から何かが飛び出た。
「何の用だ?」
赤茶の髪と髭に、皺の刻まれた顔。
厚手の革の前掛けを身につけた体は、驚くほど小さかった。俺の半分ほどの背丈だ。
耳は尖っておらず、エルフではないように見えた。
「ドレスタ。この者に、武器を見繕ってやってくれ」
「おぉ! ほぉ~ほぉ! ほぉん!」
男は俺の周囲をぐるりと回り、品定めするような目で眺めた。
「アンタ……まさか人間か!? 流れ人とは珍しい!」
「えぇ、まぁ。色々あって」
「おれはドワーフのドレスタ。よろしくな」
どこかで聞いたような名前だ。
思案していると、彼は小さな手を差し出した。
「山田です。よろしくお願いします」
その手を握る。硬く、岩のようだった。
小柄だが、凄まじい筋力が秘められているのが分かる。
「ドワーフを見るのは初めてか?」
「あっ、すみません。ジロジロ見ちゃって」
「いいんだよ! このへんじゃ珍しいからな。ダッハッハ!」
ドレスタは豪快に笑った。
「で、山田よ。なにが欲しいんだ?」
「……長い旅になると思うので、携帯しやすい武器が欲しいです」
「旅に適した武器か。ちょっと待ってろ!」
そう言うと、彼は近くの長机をひっくり返すように漁った。
歯車だらけの機構部品や怪しげな本、煌びやかな宝石が、乱雑に置かれている。
やがて──細長い木箱を取り出した。
「こいつなんてどうだ?」
ドレスタはその箱を開けた。
「これって……まさか銃ですか?」
金の装飾が刻まれた黒い鉄製の拳銃。
銃身にはあちこちルーン文字が刻まれている。
このエルフの里で、銃を拝めるとは思ってもいなかった。
「対魔獣戦闘用十一ミリ拳銃──その名も『ジューダス』」
それを、ドレスタは誇らしげに掲げた。
「魔力を込めた専用弾使用、全長約二十七センチ、重量約一キロ、装弾数六発。必ずお前さんの役に立つはずだ」
「……かっ、けぇ──ッ!」
胸が高鳴る。銃は男のロマンだ。
これがあるならば、弓を持ち運ぶ必要もない。
「このオレ自ら改良を加えた自信作だ。威力も保証する」
そういうと、ドレスタは弾丸が収められたケースを取り出した。
「そしてこれは、魔力を込めた弾──“魔弾”だ」
蓋を開くと、銀、赤、青──三色の弾丸が並んでいる。
それぞれ、わずかに異なる魔力の気配を感じた。
「おぉっ」
「通常はこの銀の貫通弾、複数を相手にする時はこっちの赤い炸裂弾、そして逃げたいときはこの青い煙幕弾だ」
「使い分けまで!? 便利ですね……」
「おっと! 貫通弾を使うときは、必ず魔法で全身を強化して撃てよ。反動で体がイカれる!」
「こんなものがあるなら、狩りで使えばいいのでは?」
「この弾は、並みの職人じゃ作れねぇんだ。この里で作れるのはオレだけ──人手も時間も足りやしねぇよ」
彼は首をふりながら、肩をすくめた。
「それに、エルフはこんなもん無くても十分強い」
「なるほど……」
たしかにエルフは、尋常じゃなく戦闘力が高い。
俺が以前殺されかけた怪物、魔獣を弓や剣で対処しているのだ。
もし、彼らが人間に敵対心を抱いていたら──背筋が凍った。
魔獣など、風牙隊のみんなに比べれば可愛いもんだ。
エルフが味方で良かった。本当に……。
「ほかにも色々あるぞ──大剣なんてのもあるし、もっとデカい武器もある」
ドレスタは陳列棚のほうに右手を向けた。
大きな得物はかっこいいが、邪魔になる。
里は山に囲まれた山岳地帯。装備はできるだけ軽装な方がいい。
軍に所属していた頃、小銃と数キロほどのリュックを背負って、数十キロに及ぶ長距離の行軍をしたことを思い出した。
そのとき荷物はさほど多くなかったが、かなりの体力を消耗した。
しかもこの辺の山は平坦ではない。肉体を強化するにしても、使用できるマナには限りがある。
装備は、慎重に選ぶべきだ。
小さな武器が良い。
そう、たとえば──
あの台座に刺さっている、小振りの短剣、とか──。
「ほう、あの剣が気になるか。なかなか見る目があるな!」
ドレスタは顔の茶髭に手をやり、ニィと笑った。
「しかし、あれは抜けん。諦めて他のものを──」
バチバチッ──!
雷鳴が短剣に纏った。
爆ぜる台座。短剣は弾け飛ぶ。一直線に──俺へとッ!
「うぉッ──!?」
咄嗟に腰を捻る。剣先をかわし、柄を握りとった。
あっぶねぇ! 何だこの剣!!
「──えーーーーーーッ!!!!!!!!」
ドレスタは叫んだ。
腰を折るように尻をつき、今にも目と舌が飛び出そうだった。
長老は目を見開く。
「馬鹿な……」
「えーっと……エルフの剣って、飛ぶんですか?」
「こやつを、選んだというのか」
俺の話、聞いてなさそう。
「あの~、これ──」
「これも、女神の導きやもしれんな」
うん、聞いてくれないね。
「持っていけ。必ず役に立つだろう」
「……はい。ありがとうございます」
よくわからんが、ありがたく持っていこう。
短剣は用途が多い。飛行機能は別にいらないが……サバイバルナイフだと思えばいい。
獣の肉を捌いてスープでも作ろう。
「──世の中、なにがあるか分からんなぁ」
ズボンの埃を払うと、ドレスタは立ち上がった。
「中央に着く頃には弾が切れるだろう。エンバータウンについたら、トールって鍛冶師を探せ」
紙にさらさらと何かを書き、折り畳んで洋封筒に収めると、俺に差し出した。
「オレの名を出して、この手紙を渡せば取り合ってくれるはずだ」
「ありがとうございます。ドレスタさん」
その後も、いくつか装備を見繕ってもらった。
携帯しやすい皮の背嚢に、動きやすさを重視した黒基調の軽装。
厚手だが無駄のない作りで、汚れも目立ちにくそうだ。
背中には短剣用の鞘と、銃を固定できる革具も付けてもらった。
旅をするには十分すぎるほど実用的である。
いよいよ準備は整った。
「山田よ。私が言うのもおかしな話だが──」
長老の低い声が聞こえる。
「使命なぞのために、子供の未来を奪っていいはずはない……私は、そう思っているのだ。あの子を、フィオナを……よろしく頼む」
彼は胸に手をやり、深く頭を下げた。
その姿は、娘を想う父のようだった。
「……出来ることは少ないと思いますが、頑張ります」
大切な者を死地に送り出す。それは一体、どれほど苦しいことなのだろう。
必ず、フィオナに追いついてみせる。
風牙隊のみんなにも、あとで別れを言わないとな──。




