第十三話「フラッシュバック」
「僕はお前のことが嫌いだった」
ライルは真顔でそう言った。
「なんですか急に」
フィオナが去ってすぐに、呼び止められたかと思えば毒を吐き出した。
「僕は物心ついた時、人に攫われそうになった……人相が悪く、野蛮な男たちだった。そのときから、人間が嫌いになった」
思えば彼は、最初は敵意の塊だった気がする。
「お前も同じなのだろうと、そう思っていた」
「そんな野蛮に見える? 俺……」
「だが、お前は風牙の厳しい訓練に耐えた。それどころか、周りをいつのまにか明るくしていた。特にフィオナは、お前が来てからずっと──笑うようになった」
「……」
「僕にはできなかったことだ」
真剣な面持ちでそう言った。
「お前を友として見込んで頼みがある、山田。いや……戦士、緋色殿」
胸に手をやり、深々と頭を下げた。
その仕草には、言葉以上の意味があった。
「お、おい……どうしたんだよ。お前らしくない」
顔を上げたライルの瞳は、いつもの鋭さを失っていた。
「フィオナを、助けてやってくれないか」
「……彼女を、追いかけろってのか?」
「そうだ。今なら間に合う」
「……無理だよ……ライルは俺を戦士だって言うけどさ。本当は、俺は……弱いやつなんだ」
「そんなことは──」
「それに、彼女は一人で行く覚悟をした。俺が、邪魔していいわけないだろ」
痛い。
言葉をしぼり出すたび……胸の奥がちりちりと。
助ける?
……おこがましい。
俺はいまだに、自分すら救えていないのに。
「ライルがついて行けばいいじゃないか。聖弓を持って旅に出るって、前に言ってたろ」
強い奴が横に居た方が、フィオナも嬉しいはずだ。
半年と少しの訓練で、彼女の横に立てるはずもない。
「……だめなんだ……僕じゃ……僕じゃフィオナを守ってやれないんだ……!」
口をきつく結び、ライルはいった。
「掟があるんだ。本来なら僕が先に行くはずだった。しかし……」
まだ九十なのに──街の中、酔ったエルフがそう言っていた。
そうか。フィオナには、“例外”が適用されたのだ。
「とにかく緋色。お前なら掟なんて関係ない。フィオナについていける」
エルフは命より掟を重んじる。
そして、ライルは里を率いる身分でもある。
そんな彼が、規則を破るわけにはいかないのだろう。
「無茶いうなって。それに、俺が出ていく理由なんて──」
「異界人」
ただ一言、彼はそういった。
「……知ってたのか」
「僕は里を導く七聖だ。長老から話は聞いている」
「……」
「見れば分かる。まだ、元の世界に未練があるんだろう。外に出れば、分かることだってあるはずだ」
彼は再び、頭を深く下げた。
「頼む、緋色。お前しかいないんだ」
外の世界は危険だ。
何が待っているのかも分からない。
この里に居る方が安全だ。
それに──
元の世界への帰り方を、俺が見つけられるとでも?
エルフが二千年を費やしても、解けなかった謎だぞ。
ここは日本とは違う。
最悪の場合、本当に死ぬんだ。
……命を賭けるほどのことじゃない。
断ろう。
それでいいんだ。
そう、それで──
『本当に、自分のことばっかり』
フラッシュバック。
新宿東口、休日の昼。
大型ビジョンの下で、女性が小さな鞄を落とした。
俺はそれを拾い、彼女に渡す。
黒いショートカットにラフな服装。
美しい人だった。
何気なく、ランチに誘って世間話をした。
離婚で落ち込んでいた俺は、彼女が眩しく見えた。
この人となら、もしかしたら──
何度も会った。
何度も、何度も。数えきれないほど。
彼女は繊細で、自分のことを喋るのが苦手だった。
だから俺は、彼女の代わりに未来の話をした。
仕事を成功させ、有名になり、金持ちになって、いつか、世界中を二人で巡る──
成功の未来ばかりを描いた。
楽しかった。
いつか報われる。きっと上手くいく。
そう言い続けた。
彼女にではなく、たぶん、自分に。
彼女を大切にしている証拠だと、本気で思っていた。
俺は、人生二度目の結婚をした。
幸せ──のはずだった。
おかしい。何かが。
新しく人生を出発させた。
なのに。
以前よりも、頭にノイズが走っていた。
母親に暴力を振るう父親と、それを見る幼い俺。
離婚からの空虚な日々、変わろうとした自分。
壊れてしまった家庭。
無理やり忘れようとした離婚、去り際の子供の顔──
今までの空虚が、後悔が、すべてが。俺を掴んで離さない。
成功すればいい。
成功すればいいんだ。
気持ちに反比例するように、彼女の泣く回数は増えた。
「緋色は、自分のことばかりだね……いつも、いつも私の話なんて聞いてくれない」
「そんなことない。君だって乗り気だったじゃないか」
「……最近はもう、顔を見るのも嫌になってきたんだ。私のこと、大事じゃないんでしょ」
「そんなこと──」
「応援したいって思ってた。でも限界だよ。合わせるの、もう辛いよ──」
「ごめん……」
「本当に、好きだったよ……離婚しよう」
「──待ってくれ! 自分を変えるから」
「喧嘩したとき、いつもそれ。でも、分かっちゃったんだ」
「なぁ……悪かった」
「あなたは私じゃなくて、いつも自分を見てる」
「……」
俺は、何も言い返すことが出来なかった。
彼女は最後に、泣きながら笑った。
「本当に、自分のことばっかり」
そこからは、もう、よく覚えていない。
この時から俺は、山田緋色という人間は、完全に死んでいた。
“なぜ生きているのか”
もう一人の自分が、常に問い続ける。
お前に価値は無い。
そう、暗に囁くように。
「──考えさせてくれ」
「……わかった」
ライルは一瞬目を伏せたあと、俺の顔を見た。
きっと酷い顔をしている。
「緋色。僕は……お前を弱いと思ったことは、一度だってない」
「……」
「その気になったら、いつでも声をかけてくれ」
そういうとライルは背を向け、去っていった。
彼が見えなくなるまで、俺はそこに、ずっと立っていた──。




