第九十九話「シース同士の戦い」
「疲れたぁ~」
あたしは全身の力を抜くようにベッドへとダイブする。
双花祭の開催中、生徒達は会場近くの宿舎の相部屋で過ごすことになるけど、あたし達出場生徒は一人一部屋与えられる。
寮の部屋よりもさらに広く、キッチンやトイレ、シャワーまで完備している好待遇。
そしてベッドの柔らかさと質感たるや、さぞ宿泊費がかかっているんだろう。
まだ双花祭は始まっていないというのに、あたしは心身共に疲れていた。
本当ならメイリーとデートして英気を養う予定だったけど、ちょっとトラブルというか自業自得と言うか神の試練というか、何故かブラックリリーの生徒会長にスカウトを受けるという緊急イベントが発生して、あたしの頭の中はそのことで持ちきりだ。
あの時はアリシアが割って入ってくれたから事なきを得たけど、もしそうでなかったらあたしはどうしてたんだろうか。
「ブラックリリーか……」
一体どんなところなんだろう。
あたしのイメージは結構殺伐とした感じだったけど、ノクシアさんやエクレインさん、セリーナさんは血の気の多い感じでもなかったし、意外にホワイトリリーと大差ないのかもしれない。
「ま、今はそれより双花祭。明日は打合せとかいろいろ忙しいみたいだし、早く寝よ」
と、明日に備えて寝ようとしたその時、部屋の扉から軽いノック音が響いた。
まだ寝るには早い気がする時間帯だけど、用事で訪ねるには少し遅い時間帯でもある。
ノック音の後に声はしないから、あたしは恐る恐る扉を開ける。
「はい?」
そこにはホワイトリリーの制服を着た生徒が立っていた。
知的で落ち着いた印象を感じる深い紺色の短めな髪、その前髪から覗かせる薄氷のように綺麗な瞳があたしを反射させていた。
あたしと変わらないくらいの背丈だから扉を開けた瞬間に顔を認識したけど、それでも一切記憶に引っかからない初対面の生徒。
これだけ綺麗な人ならすれ違っただけでも印象に残りそうなものだけど、ユリリア人は系統は違えど美人で可愛い人ばかりだから、いざこうして対面しないと意外と覚えてないのかもしれない。
「えっと……どちらさ――」
突然あたしは口を押えられて部屋の中へと押し戻される。
流れ込むようにその人も部屋へと押し入り空いた手でカギを閉めて唯一の逃げ道を塞ぐ。
命の危険もわずかに感じて心臓に痛みを感じるほど驚いたけれど、向こうはその気が無いらしくカギを閉めたらすぐにあたしを解放した。
「不用心ですね。それに警戒心も薄い。あの人がかなり評価していたからどれだけの傑物かと思えば……とんだ期待外れですね」
「ちょっ、なんなんですかいきなり!」
突然の辛辣な評価にあたしは食って掛かる。
少し距離を取って身構えるあたしに対して、目の前の彼女は至って冷静。
誰かの関係者らしいけど、本当に心当たりがない。
「あなたは一体誰なんですか? あんまり好意的な訪問ってわけじゃなさそうですけど」
「好意的ではないのはそうね。むしろ嫌悪感すらあると言ってもいいわ。今日は挨拶も兼ねた品定め。言い換えれば宣戦布告しに来たの。わたしの名前はルーシェリア、ブラックリリー闇暗姫のシース。つまりノクシア先輩のパートナーよ」
「ノクシアさんの……え、でもなんで?」
ブラックリリーの生徒なら不可解な点がいくつかある。
まず制服はホワイトリリーのものだし、ブラックリリーの生徒が簡単にホワイトリリーの宿舎に入れるとも思えないし、先輩ってことはノクシアさんの後輩、たぶんだけどあたしと同い歳だとすればノクシアさんのパートナーっていうのも気になる。
そもそもあたしはルーシェリアさんに嫌われるようなことをした覚えもない。
普段ならここまで気にして警戒することもないかもしれないけど、応化特性関連の何かという可能性も捨てられないが故の警戒だ。
「なんで? っていう質問の中身を勝手に想定して答えると、ブラックリリー所属であるわたしがこの宿舎に入れたのは見ての通りホワイトリリーの制服を着ているから。ホワイトリリーの制服はとある伝手で借りてるもの、あなたがこの部屋にいるのもその伝手の情報。ノクシア先輩なのは、わたしが双花祭前に飛び級でトリプルペタルになったから」
まるであたしの心を見透かしたかのようにルーシェリアさんは答えていく。
「先輩がやけに上機嫌に帰ってきたから何があったかと思えば、随分とあなたに入れ込んでいてね。あの人は優秀な人や潜在能力のある人には好意的だったけど、あれほどまでにご執心なのは初めてよ。帰ってくるなりあなたの話ばかり。せっかくの双花祭だっていうのに腹立たしいわ」
「そんなこと言われても……」
その不満はノクシアさん本人に言って欲しい。
おそらくこの人はリーナと同じタイプの人だろう。
「それで、話を聞けばあなたを賭けて勝負するそうじゃない。先輩の隣にあなたは相応しくないのだけど、先輩が評価しているのだから、実力があるのなら先輩の視界に入るくらい近づくのは許可してあげる」
あの時もあたしはいわれもない挑発をされていたなと、あたしはリーナに屋上で宣戦布告された当時を思い出す。
今回に限ってはあたしもハッキリしていなかったのが原因でもあるから、ルーシェリアさんに嫉妬されても仕方がないと取りあえず割り切ることにした。
「それでわざわざこんな敵陣に乗り込んでまで会いにきたってわけ? ず、随分大胆じゃん」
ノクシアさんのパートナーってことはルーシェリアさんも双花祭に出場するってこと。
ならここまホワイトリリーの代表として舐められるわけにはいかない。
飛び級ってことはあたしと同じか年下だろうし、応化特性関係のことじゃないってことは命までは取らないだろうと、あたしはやや強気にルーシェリアさんに言ってやった。
ちょっと声が上ずったし、噛んだけど。
「へぇ~……怖がって情けないと思ったけど、言うときは言うじゃない。噛んでたけど」
「んぐッ…………そもそも! 賭けがあったのは確かだけど、あたしがブラックリリーに入るかどうかはまた別の話だからね。こんな色々問題になりそうな手段を取らなくても――――」
「それは違うわ」
あたしはルーシェリアさんがしてそうな誤解を解こうとしたその時、彼女の冷たい声があたしを問答無用に黙らせる。
ルーシェリアさんは瞳孔の開いた鬼気迫る目をあたしに向けて、歩幅を大きくあたしとの距離を一気に詰める。
そして胸倉を掴まれて、あたしは強引にルーシェリアさんの方へ引き寄せられた。
「勘違いしないことね。あなたは選ぶ立場にないの。あの人は欲しいものは全て手に入れる。そして先輩が……いや、わたし達が負けることはありえない。それがどういうことか分かるかしら? あの人があなたを欲しているのなら、あなたがブラックリリーに来ることは確定なのよ」
ルーシェリアさんはノクシアさんの、引いては自分達の勝ちを一切疑っていない。
盲目とも言える信頼と、おそらく長年積み上げた確かな自信。
あたしが相手だから大きく出ているわけではないと思う。
おそらく他の生徒でも、同じ勢いで啖呵を切るだろう。
初対面だけどそう思えるほどの気迫をルーシェリアさんから感じた。
「で、でも……ならなおさらなんでここに来たわけ? 宣戦布告って言ってたけど、それだけなら双花祭当日でもいいし、ブラックリリーに来て欲しいわけじゃないけど、ノクシアさんの考えを止めるわけじゃないんだよね。ルーシェリアさんの言う通りならもうあたしの意思なんて関係なくない?」
こちとら命のやり取りみたいな修羅場を乗り越えてきた。
ちょっとやそっとの恫喝じゃ怯まない。
「確かにもうあなたの意志は関係ないわ。でもね、だからと言って放っておくのも後々面倒だし、先輩に誘われたって調子に乗られても腹立つし、わたし個人としては一切納得いってないから、分からせに来たの。言ったでしょ? 挨拶も兼ねた品定めって――――んんっ」
「――――んむぅッ!?」
唇に伝わる柔らかな感触。
ルーシェリアさんはガンを飛ばし、胸倉を掴んだままあたしの口にその潤んだ唇を重ねてきた。
あたしの視界はルーシェリアの顔で埋め尽くされ、両手で押し返そうとしても容易には剥がれない。
そしてルーシェリアさんの口から温かい感覚が流れ込んでくる。
これは授吻、つまりルーシェリアさんがあたしに魔力を流し込もうとしている。
――マズいッ!
ルーシェリアさんの特性は何か分からないけど、影響型なのだとしたら防衛しないといけない。
シースが相手のシースに授吻された時、魔力の特性効果を受けないようにするための手段は二つ。
一つは相手の魔力が魔力葯に届く前に授吻を止めること。
だけどすでに授吻され、魔力の感覚を感じ取った時点ですでに手遅れ。
もう一つの防衛手段は、逆に魔力を流し込んで押し返す。
今のあたしに出来る唯一の防衛手段だ。
「「んぅつ、んんっ――――」」
すでに後手に回った状況を押し返すように、あたしはルーシェリアさんに魔力を流し返す。
あたしとルーシェリアさんの魔力が押し合い、練った魔力で身体が火照る。
唇から伝わる柔らかな感触と剣戟のように合わさる舌が感覚を鋭敏にしていく。
鼻先が擦れて頭の先を迸るような刺激が巡る。
あたし達の漏れる吐息の音や瑞々しいリップ音が鼓膜に響く。
あたしの胸倉を掴んでいたルーシェリアさんの手はやがてあたしの肩や腰に回されて、逃げられないようにホールドしていく。
これがシース同士の戦いだというのなら、あたしも負けられない。
同じようにルーシェリアさんの後ろに手を回し、魔力を押し返すようにあたしもホールドを強める。
リーナと仲直りの授吻をした時と似たようなシチュエーションだけど、あの時は向こうも本気じゃなかったし、あたしも魔力の扱いが杜撰だった。
他の皆との授吻は基本的にシースからブレイドに魔力を供給する順当な授吻。
つまりあたしにとって互いに攻撃的な授吻は実質初めて。
魔力で押し合うように身体も押し合う。
ルーシェリアさんの身体の感触は柔らかいけど、強く押し付けられれば肺から空気が漏れる圧迫感がある。
授吻をしたまま呼吸をしようとあたしとルーシェリアさんは互いに顔の角度を変える。
あたしとルーシェリアさんの視線がバチバチとぶつかり、負けないという意思を互いに主張する。
「「んぅっ――むぅ――――」」
あたしが魔力を押し込んで一歩前に踏み出すけど、すぐさま押し返すようにルーシェリアさんも一歩踏み出して魔力を返してくる。
混ざり合うような感覚になるほど身体を押し付け合い、鋭くなっていく感覚はやがて麻痺していく。
呼吸のタイミング、身体の動かし方、互いに隙を窺い探る舌先の感覚。
すべてに気を配り、一切の油断が許されない攻防。
「ンンッ――」
あたしも特別訓練でシースとして成長していた自負はあった。
だけどルーシェリアさんの実力はそれを上回り、あたしは徐々に押されていく。
魔力という防衛ラインが決壊し、ルーシェリアさんの魔力があたしの中に流れ込んでいく。
思わず目を閉じたあたしが最後に見た、勝利を確信したルーシェリアさんの目。
悔しさすら感じるよりも先に、全身がルーシェリアさんの魔力で支配されていくのを感じ取った。
「「ぷはっ――」」
口が離れ、あたしとルーシェリアさんの口から糸を引くような唾液の橋が架かったけど、あたしは全身の力が抜けて膝から崩れ落ちてプツリと切れる。
ずっしりと鳩尾辺りに圧し掛かる感覚に、感覚が研ぎ澄まされて熱が籠った身体から汗が滲みだす。
少しでも空気を吸おうと呼吸が荒くなって、腰が抜けたように足に力が入らない。
重くなった瞼を上げて見上げると、ルーシェリアさんは勝ち誇った表情すらせず口元を指先で拭っていた。
まるで当然の結果と言わんばかりにあたしを見下ろすルーシェリアさん。
「とんだ期待外れね。最初こそ凄い魔力だったけど、授吻を続けるにつれて魔力が弱まって、最後の方はわたしの魔力に呑まれたようにあなたの魔力を全然感じなかったわ。あなた、本当に双花祭出場者?」
言い返せない結果だし、そもそも言い返す余力もない。
「あなたの底も知れたし、あなた程度じゃ先輩に相応しくないって分かったでしょうから、わたしの目的は果たせたわ。安心して、わたしの特性はあなたに作用したところで意味の無いものだから。じゃあ、次は双花祭本番で会いましょう」
あたしの反応も待たずして、ルーシェリアさんは部屋から出て行く。
遠のく意識の中、あたしは情けなくその後ろ姿を見送るしか出来なかった――――。




