第八十七話「イリスとの約束」
教室の前の扉であたしを見つめる一人の少女。
襟足が長く毛先は狼の尻尾のように少しくせ毛感のある少し青みがかった銀髪。
前髪から覗かせる鋭く吊った視線は怒っているように思えるけど、慣れた今となってはそれがデフォルトで素っ気ない感じがむしろ良いと思ってしまう。
ホワイトリリーの白い制服の袖は七分くらいに捲り上げ、片方の手はポケットに突っ込まれている。
傍から見れば不良少女っぽいイリスの無言の手招きを受けて、あたしは前方の扉に駆け寄る。
選考会についてイリスとは話したかったけど、もうすぐ授業が始まる今このタイミングじゃなくてもいいのではと思ってしまう。
「どうしたのイリス? もうすぐ授業始まるよ?」
あたしが聞くと、イリスは気恥ずかしそうに目を逸らして頬を掻く。
「いや、まぁ、なんだ。お前訓練以降あの先輩の家に行ってただろ。それで、その……」
「あ、もしかして長く会えてなくて寂しかったとか?」
「え、あぁ、まあ……」
もどかしいイリスを茶化すようにあたしは言った。
てっきりデコピンの一つでも返ってくるかと思ったけど、イリスは丸くした目を逸らすだけだ。
思った反応が返ってこなくてあたしは少し罪悪感が湧いてきてしまう。
だけどイリスはすぐにいつもの感じを取り戻して話を戻す。
「そうじゃなくて、今日の放課後空いてるか? 双花祭とか今後のことについて話したいんだけど」
「分かった、あたし達の今後の関係についての話だね! あいたっ」
またまた茶化すように言ったあたしの額をイリスのデコピンが撃ち抜く。
イリスらしい反応にあたしは額を抑えながらも嬉しくなる。
「まあそういうことだから放課後空けとけ。絶対に他に誘われても乗るなよ。たとえばあの煉燦姫とか」
「アタシがなんだって?」
噂をすれば何とやら、クレアの声が聞こえたので廊下に顔を出すと、イリスの隣で不機嫌そうな目を向けるクレアが立っていた。
燃え盛る炎を彷彿とさせる深紅の髪は左の側頭部で束ねられて、垂れた毛先が腰元で揺れ動く。
足技を主に使うからしなやかな健脚が、スカート丈より少し長いスパッツから伸びていた。
普段なら左腕に風紀委員の腕章をつけているけど、もうすぐ授業が始まるこのタイミングではさすがに外している。
強い意思を感じる凛々しい目が今は少しふくれっ面。
ただクレアが不機嫌な理由よりも気になるところが顔のあちこちに散らばっていて。
「え、どうしたのクレア? カチコミ後?」
額には包帯が、頬には湿布が、よく見ると指先も手当した後。
特別訓練で仕込まれた動きの機微が読み取れるせいか、クレアの普段は滑らかな動きもどこかぎこちない。
影殺姫との戦闘後よりも酷い状態とも言える。
「これはまぁ休みの期間にいろいろとね。そんなことよりアタシがどうとかって言ってなかった?」
クレアが追究するとイリスはあたしの肩に腕を回して抱き寄せる。
「いや、コイツは放課後オレと先約があるからちょっかいかけてくる奴がいてもついていくなよって言い聞かせてたところだ」
「ちょっかいだなんて失礼ね。誰についていくかはサラが決めることじゃない?」
イリスとクレアは静かに睨み合っている。
この二人、特別訓練の時もそうだけど相性あんまりよくないのかな。
水と油と言うか、やっぱり氷使いと炎使いなわけだし。
微妙な空気を断ち切るようにあたしは疑問を口にする。
「ところでクレアはどうしてここに?」
「サラ、アンタ特別訓練終わった後アリシアの所に行ってたじゃない? で、来てみれば面白そうな話してたってわけ」
イリスといいクレアといい、どうしてあたしがアリシアの所に行ってたら様子を見に来ることになるのだろうか。
クレアはあたしとイリスとで視線を行ったり来たりさせると、何かを納得したように目を閉じて踵を返した。
「ま、元気そうで何よりよ。ホントは放課後もって思ったけど、今回はイリスに譲ってあげるわ。選考会、頑張りなさいよ」
「へぇ~、まさか先輩からエールをもらえるなんてな」
「メインはサラで、イリスはついでよ。アタシとしても双花祭は一緒に出たいしね」
「ってことはクレアも出るの?」
「もちろん。アタシとアリシアは出場確定よ」
ってことはトリプルペタルの中でも成績はトップということだよね。
さすがの成績にあたしとイリスは感心してしまう。
「ま、特別訓練を見てる限りアンタ達なら十分出場狙えると思うわ」
あたしとしては不安しかなかったけど、クレアにそう言ってもらえるとやる気と一緒に自信も出てくる。
「クレア、ありがと。お陰でやる気出た」
あたしは教室に戻っていくクレアに感謝を伝えると軽く手を振って去って行った。
クレアの姿が見えなくなるまで見送った後、イリスは再びあたしに向き直る。
「ま、そういうことだから放課後この教室に迎えに来るから大人しく待っとけよ」
「もう、そんなに言われなくてもイリスを放ってどっかいったりしないよ」
あたしが言うとイリスの信頼ゼロの眼差しが返って来た。
そしてぐっと顔を寄せてあたしの視界がイリスで埋まる。
「お前はほっとくとすぐに誰かとどっか行ってトラブル持って帰ってくるからな。しっかり首輪つけとかねぇと」
イリスのクールな笑みで視界が埋め尽くされた状態で言われると、あたしはイリスの所有物なのだと錯覚してしまう。
独占的に感じる視線を受けたあたしは気の抜けた声で、
「は、はい……」
そう答えるしか出来なかった。




