頼むから、嘘だといってくれ
1
魔都カンサイを支配する三大組織、『蛙』『蛇』『蛞蝓』。
抗争の時代を経て、秩序を保つための誓約がつくられた。
そのひとつが、仲介役。
すべての組織が利用する、どの組織にも属さない存在。
そいつに危害を加えることは、死と同義だ。
組織ぐるみと判断されたなら、残る二つの組織が手を組み、潰す。
仲介役の名は『シケモク』。
つまり、俺だ。
ようするに俺は、三つの組織の使い走り。
小さい仕事で小銭を稼ぐ、ケチくさい男だ。
2
高画質の映像が、壁一面に流される。
どこかの研究室だろう。
白い実験服を身にまとう、陰気なメガネ女が映っている。
ひたすらメモをとる陰気なメガネ女の前には、透明の容器が並んでいる。
それらに浸け込まれているのは、若い女の体のようにもみえる、艶めかしい形をした、根菜の数々だ。
「なんなんだ、このマニアックな研究映像は?」
「これがあなたに運んできてもらいたいものです」
喪服をきた女がこたえた。
鴉の濡れ羽のような髪を流す、肌の白い妙齢の女だ。
美人ではある。
容姿も肢体も申し分ない。
だが、情欲をおぼえる男は少ないだろう。
右眼の眼帯は問題じゃない。
不吉に病んだ存在であると、残った左眼が知らしめるからだ。
ましてや『蛞蝓』の支配者とくれば、情欲など萎んでしまう。
「『蛞蝓』のボスが現場にあらわれ、直々に依頼の説明をするという。事態の深刻さに気合いを入れざるを得なかったんだが……なんなんだ、この無駄にエロい根菜たちは?」
「セクシー植物ダイテーナです」
思考が途切れて空白が生まれた。
理解するまでに、わずかながら時間を要した。
この女、冷めた表情でなんてことを口にしやがる。
俺は黙って相手を見つめた。
怖い女ボスも、その後ろにひかえる怖いメイドも、一切表情を動かさない。
微動だにしない女たちと睨みあう状況。
疑惑と葛藤が渦まくが、そんなもの、向こうはお見通しのようだ。
「安心してください。名づけたのはこの男です」
映像が切り替わる。
映し出されたのは、以前、仕事で知ることになった男。
「変態モザイク野郎か」
こいつなら納得だ。
俺は妙な安心感をおぼえた。
「彼のもとに出向いて目的のものを受けとってきてください」
「交渉は?」
「すでに終わっています」
それはおかしい。
「……どうやって『蛇』と話をつけた?」
「今回は彼との直接交渉です。『蛇』は関係ありません」
「そんな話が通じるとでも?」
「彼は『蛇』の取引相手であって構成員ではありません。いろいろと思うところでもあったのでしょう。『蛞蝓』と接触するため、近頃はこちらの色街でも散財していました」
野郎が『蛇』に不信感を抱き、『蛞蝓』とも交流をもった。
「さすがに『蛙』の領域には近づかないようですが」
先の一件でいろいろと学んだはずだ。
近づけば殺されると理解しているのだろう。
「モザイク野郎の行動について、『蛇』のほうは?」
「黙認といったところです」
不愉快ではあっても、警告はしない。
鞍替えするとまでは考えていないのか。
「となると、俺が出張る必要もないのでは?」
「仲介役を使わないと『蛞蝓』が彼を引きこんだように見られます」
野郎は『蛇』の金づる。
俺を使うことでそれを認め、あちらの顔を立てているわけか。
「取引は今夜です。こちらが受け取りに出向くまで、あなたのほうで管理しておいてください。それも仕事の範疇です」
怖い女ボスは、俺に退室の許可を出した。
いまひとつ腑に落ちないでいる俺に、これ以上の説明をする気はない、ということだ。
3
俺の愛車、ベビージープのとなりに、少女が立っている。
気の強そうなローティーンの少女は、『蛞蝓』のメッセンジャーだ。
「ここでしばらく待て、とのことです」
「それはボスの命令か?」
「いえ、姐さんです」
「そうか……で、俺はなにを待てばいいんだ?」
「『クノイチ』の姐さんです」
ボスのうしろに立っていた怖いメイド。
ここの姐さんのなかで、一番危険な奴だ。
「わざわざ見送りにくるわけがないな」
「同行されるそうです」
「……『クノイチ』が、動くのか?」
今回の取引、そんなに重要なものなのか?
監視役でもある少女とともに、しばらく待った。
女の身支度にしては、それほど長くない。
「さすがに、メイド服ではこないよな」
あらわれたのは、整ったボディラインを見せつける、ライダースーツの女。色気に満ちあふれる姿態、はち切れそうに豊かな胸は、真っ当な男を魅了する兇器といえるだろう。
触れることができるのは、死にたい奴に限られる。
魅惑的で、危険な女だ。
役目を果たした少女が、危険な女に一礼して去っていく。
憧れの存在なのだろう。
顔を赤く染め、興奮気味の様子だった。
「今回の件、あんたが動くほどのものなのか?」
あの奇怪な根菜類に、それほどの価値があるのか?
「お前が考える必要はない」
質問にこたえる気はないらしい。
「私がお前をリードする」
「助手席にのって、ナビでもしてくれるのか?」
「私が、そんなものに乗るとでも?」
俺の愛車を馬鹿にした女は、場所を移動し、大型のバイクを押してきた。
「私が、お前の上にのるとでも?」
「いきなりどうした!? 思ってねぇよ! 聞いてもいねぇよ!」
油断のならない、危険な女だ。
俺は女が転がしてきたバイクを確認する。
エンジンが大きい。
改造もしているようだ。
スピード勝負では敵いそうにない。
「私の後ろから攻める気か?」
「追いかけるさ、技術には自信がある」
「私を、後背位で攻める気か?」
「さっきからどうした!? さっきの少女の憧れを返せ!」
俺の知る『クノイチ』ではない。調子が乱れるが、仕事は仕事だ。
俺は愛車に乗りこむ。
女はバイクに乗り、エンジンをふかせる。
女の表情が愉悦に染まる。
「……どれだけ飛ばす気だ?」
「私を、天国までとばせるとでも?」
「それもあれか? 絶頂させるとかそういう意味なのか?」
バイクが疾走する。
俺は愛車を走らせ、危険極まりない女を追いかけた。
4
財閥グループが運営する製薬会社、その研究所が目的の場所。
俺と『クノイチ』が到着すると、美しくない女があらわれ、案内役だと告げた。
裏取引にもかかわらず、堂々と正面から入り、最上階まで連れていかれる。
モザイク野郎との再会は、互いに気分のいいものではなかった。
一応警戒はしていたのだろう。
野郎のそばには、荒事に慣れていそうな男たちがひかえていた。
「そいつらは『蛇』の構成員かい?」
「いやいや、彼らは我が社の警備員だよ」
私設部隊か。
本当のことを話しているかは不明だが。
「『シケモク』のことはいろいろと教えてもらったよ。ある意味、この取引が公正であると証明するような存在だ。『蛇』も『蛞蝓』も、もちろん『蛙』も、後からケチはつけられない。不愉快ではあるけれど、歓迎させてもらおう」
「パーティーの誘いなら断る。受け取るものを受け取って、とっとと退散しよう」
「僕としても、そちらのほうがありがたいね」
野郎が合図を出すと、女が入ってきた。
映像でみた陰気なメガネ女が、そのまま俺のほうに歩み寄る。
合わせるように、『クノイチ』が離れる。
「どういうことだ?」
質問にこたえたのは『クノイチ』だった。
「彼が『蛞蝓』に接触してきたのは、私に仕事をさせるため。
交渉の結果、代償として彼女をもらい受けることになった」
さすがに取引の場では、まともな答えを返すらしい。
「……思っていたよりも大きな取引だ」
「なんだ、あんた知らなかったのか?」
野郎が笑っていやがる。
だが、それが気にならないほど、情報の整理が追いつかない。
俺は隣りにきた、メガネ女をみる。
「とりあえず、俺が勘違い、いや、勘違いさせられていたのが問題だな」
俺は向こう側の『クノイチ』をみる。
無表情ゆえに思考は読めないが、絶対、わざとだ。
「『シケモク』さんは、今回の取引が不服かな?」
あの怖いボスがやることだ。
いまひとつ状況はつかめないが、この取引に問題はないだろう。
モザイク野郎の利になることが、『蛞蝓』に利を与える可能性もある。
「……なに、俺としては、ダイテーナが出てくるとばかり思っていたんでな」
「はあ? なんだって?」
「だから、ダイテーナだ」
「……なんだ、それは?」
モザイク野郎の顔には、困惑しかみえない。
「……おいおい、ダイテーナだぞ? セクシー植物ダイテーナだぞ? 知らないはずがない。お前以外、誰がそんな名前をつけるっていうんだ?」
嘘だろう?
頼むから、嘘だといってくれ。
「はっ、よくわからないが、あんたが苦悩する姿をみるのは気分がいいな」
他に誰がいるんだ。
俺の知るなかで……だいぶ、変わった女がいたな。
俺が気づいたとき、『クノイチ』の姿はどこにもなかった。