第4話『混浴と猿の温泉?』
俺がこのゴールデン街の片隅の見るからに狭い飲み屋の暖簾を潜ろうと思ったのは、全開に開け放たれた戸の向こうにひしめき合う酔客たちが一際賑やかで目立ったから。
特に一番手前の窓際に、自分の同胞と思われる英語を話す集団が幅を利かせている。
その4〜5人の無粋な輩は、陽気な大声で何やら楽しそうに盛り上がっていた。
数種類のつまみの皿と1ℓのジョッキーに注がれた飲みかけのビールが、小さめのテーブルにところ狭しと無造作に置かれている。
正直言って俺はワザワザ日本くんだりまで来て、こんな酔っ払い達と群れたくはない。
何故そんな気持ちになるのだろう?きっとこの国の整然とした雰囲気と、それを乱す輩の存在が目障りに思えたからだろうか?
自分でも謎だった。でも、そうは言っても今コイツらと話さないと後で後悔する。そんな直感が俺を突き動かせた。何せ今の自分は自分の国アメリカは勿論、世界中にある他のどの国とも違う異国の中の異国『日本』という見知らぬ大海の漂流者であり、この国に対する事前基礎知識という情報と、よく知る人たちの助力無く独力で日本旅行というサバイバルを生き抜かなければならないのだから。
店に入ると俺の入店に気づいた店員の一人が大声で『いらっしゃいませぇ〜』と叫ぶ。
すると他の店員もそれに倣い「いらっしゃいませぇ〜』と声を合わせた。
ほぼ満席に近い店内だったが、偶然?にも同胞らしきあの目立った一団の隣の席が空いている。
近くにいた店員の一人が、俺をそこに座れと手振りで促す。
ごく自然な素直さで俺が座ると直ぐに、おしぼりと水の入ったコップが置かれた。
隣の一人がそんな俺の存在に気づき、他のメンバーに何やら目配せをした。
話に花が咲いていたのに、一瞬の沈黙。何だか嫌な雰囲気になりそう。
とても不思議な感覚だが、こんなところで不浄な(失礼?)奴らに因縁をつけられたくない。
それが不快な思いの正体だった。
故国で同じ状態に遭遇したら無関心か粗雑な態度を示し、決して友好的な交わりはないだろう。特に初対面の時は。
でも、大柄で鼻の頭が真っ赤になるまで飲んだくれたであろう50代に見える男が、人懐っこい態度と口調で俺に声をかけてきた。
「オゥ!ひとりか?」
「そうだ」
丁度その時店員がメニューが書かれた大きめの一枚の見開きのパウチを持ってやってくる。
「注文が決まったらお呼びください」そう言って去ってゆく。
日本語が分からない俺でも、何となく意味は通じた。だが、隣のテーブルの一団のひとりが俺に向かって「注文が決まったら呼べって言ってるよ。」とワザワザ通訳してくれた。
そいつはどうやら日本人のようだ。どう見てもソイツひとりだけ東洋人だし。
俺は目だけで頷く。(サンキュー!でも通訳無しでも何となく分かったよ)というつもりで。
俺は徐にメニューを眺める。写真付きのメニューは分かり易い。
まずはジョッキーの生と焼き鳥のセット、枝豆を一皿頼んだ。
俺が迷わずそれを選んだ基準と根拠は、周囲のテーブルの多くにそれが置かれていたから。
多分これがここのお勧めメニューなのだろう。
まずはジョッキー生が運ばれ、次に枝豆がきた時、さっきの鼻の赤いトナカイさんがまたテーブル越しに話しかけてくる。
「どっからきた?」
「アーカンソーだ。」
「ヘェ〜、そこには俺の叔父が住んでいるんだ。アーカンソーのどの辺だ?」
「リトルロックさ。」
「そうか、あそこはいい所だな。子供の頃、何度か遊びにいったよ。叔父の家が近かったからな。」
「そうか。」
「俺はジョン」
「俺はニックだ」
「旅行か?」
「そう、今日が2日目だ。」
「俺たちはもう一週間になる。」
「どうだろう、楽しかったか?」
「俺は3度目でコイツとコイツとコイツは初めて。コイツは日本人で俺たちを案内してくれているんだ。お陰で沢山名所や穴場を教えて貰ったよ。」
「ヘェ〜、そいつァラッキーだったな。俺はひとりなもんで、右も左も分からんチンさ。まぁ、その分お気楽な旅になりそうだがな。」すると日本人が、
「明日以降のと予定は決まっているのですか?」と流暢な英語で聞いてくる。
「コイツはケンと言ってな、俺の昔の同僚なんだ。気の置けない俺の友人だ。何なら色々聞いてみるといい。日本の事なら何でも来いってか?なぁ、兄弟!」そう言うと隣の男も話しかけてきた。
「俺はアーノルド。さぁ、こっちに来いよ。一緒に飲もうぜ!」皆んなが[そうそう]と頷き招き入れてくれる。
俺はビール片手にテーブルを移り、輪の中に入った。
「随分盛り上がっている様だがいつから居る?」
「だから一週間前からだ。」
「違う!いつからここで飲んでるんだ?」
「さぁ?いつからだっけ?」
「もう3年になるかなぁ〜?」
(な訳ないだろう?ダメだこりゃ。酔っ払いめ!)
「今日の予定は此処で仕舞い。明日の昼は帰りの飛行機の中さ。旅の名残に目一杯飲んでロストジャパンのホームシックに耐えなきゃな。そうだろ?なっ!」
一同、深く頷く。相当きているみたいだな。
「国に着いたら皆んなバラバラさ。また次に会うまでの生きがいと心の支えに、旅の締めくくりの思い出作りって訳よ。な、また皆んな集まってここ、日本に来ようぜ!」
またまた皆んなで深く頷く。結束の硬い連中だ。
「で?明日は何処に行くつもりだ?」と俺に聞いてくる。
「さぁ、どうしたものかな。ホントは一週間の予定で東京、京都、大阪を回ろうと思ったが、到着2日目から大寝坊してこの時間よ。計画では東京駅やスカイツリーや浅草、渋谷の交差点なんか行こうと思っていたのに、計画丸潰れよ。」
「そりゃァ、詰め込み過ぎってもんよ。もっと絞ってコンパクトに行かなきゃ。なっ?ケン、そうだろ?」
「そうだね。予約とか取ってあるの?」
「無いよ、真っ新さ。」
「滞在期間は一週間の予定でしょ?もし明日以降の予定を大幅に変える気があるなら、あまり移動に時間をかけないで東京周辺に絞り、京都と大阪は【セットで次回の旅行】って手もありますよ。」
「でも、新幹線も乗ってみたいしな。しかし、まぁいいか。移動に疲れるのは昨日で身に染みたし。」
「それじゃァ、東京周辺なら都内観光に重点を置いて、他にも日光とか伊豆とか温泉巡りなんかもお勧めですよ。」
「温泉?あのデッカいお風呂ってやつか?そんなの何処が良いんだ?」
赤鼻のニックのトナカイさんが言う。
「温泉は良いぞォ〜!室内風呂も良いが、屋外の露天風呂ってぇのも色々あってな、場所によっては混浴だったり、野生の猿も一緒だったりするんだからな。」
「混浴って?女も入ってくるってか?猿も!」
「なっ?乞うご期待だろ?」(日本人のケンは心の中で『違う!それは誤解!!』って叫ぶが、敢えて口には出さなかった。)
『場所によっては』ってあながち間違いとは断定できないし、説明は面倒臭いし、混浴と猿というワードに食いついてきたし。興味が湧いてきたなら、結果オーライか?外国人にとっては他人の面前で裸になって湯を共にするって、日本人が考えるよりずっとハードルが高いみたいだし。
混浴と聞いて俄然、興味が湧いたニックは、明日は温泉に行く!と即決した。
「で?何処の温泉がお勧め?」とケンに聞いてくる。行く気満々だな。
「東京周辺なら群馬の草津や伊香保。他にも鬼怒川や箱根や熱海など、初心者向けお手軽観光温泉地がありますよ。大抵電車で一本。乗り換え無しで行けるし。何処か、ご希望の温泉は有りますか?」
「特に無いよ。元々計画には無かったし。」
「それじゃどうしますか?行きます?それともやめます?」
「行く!」とキッパリ。「明日行く!」と前のめりのに答えた。
「じゃぁ、早速宿の予約をしなきゃ。何処にします?」
「何処が良い?」
「私の提案で良いのですか?」
「良いさ、お願いするよ。」
「じゃぁ、私のお気に入りで温泉地の規模が大きい熱海なんかどうでしょう?ホテルや宿が沢山あって選び放題だし、明日の予約だと急だけど、きっと直ぐに確保できると思うし。」
「それで良いよ。すんなり取れるかなぁ?」
「今はオーバーツーリズムで大変だと思うけど、シーズンオフだし大丈夫でしょう。
今から心当たりに当たってみましょうか?」
「是非頼むよ」
そう言って全面的にオンブに抱っこで予約依頼する事になった。
こりゃ、ラッキーかもしれんな。
ケンが幾つか当たってくれて、趣のある宿が取れたって言う。
割とスンナリいったな。まぁ、俺ひとりだったなら絶対に無理だったが。
親切な日本人もいたもんだ。
親切ついでに、宿の予約データと交通期間の手順と順路の説明、決済方法まで事細かに説明してくれた。
よし!これで明日は温泉行きだ!そうと決まれば明日に備えて深酒は禁物。
今日はキリの良いところで撤収だ。
と言っても、この一行と連絡先交換をして、記念スナップを撮って別れるまでには、相当な深酒をしてしまったが。
明日は早起きできるかな? ・・・・不安だ・・・・。
つづく




