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AB

 それからのことは何も覚えていない。

 いや、正確に言うと、走行する車のボディに必死にしがみつきながら、直前に空木に言われたことを思い出し、自分の肩の辺りを振り返った。するとそこに、一匹の青い羽の蝶が止まっているのを発見した。

 そこから先のことは何も覚えていない。

 気が付くと僕の体はいつかのように後ろから羽交い締めにされていて、目の前には大破した車があった。そしていま、僕は再び空木が運転する音尾の車の助手席に座っている。

「……先に言っておいてくださいよ」

「先に言ったら、きみは絶対に承諾しなかっただろう。それに、車の中でさっきみたいに暴れられたら我々の車のほうがスクラップになっていたかもしれない」

「それは、まあ、そうかもしれないですけど……」

「なんにせよ、きみのおかげで無事、片桐を捕まえることができた。世を乱す大罪人の逮捕に一役買ったんだ。これできみの犯した罪はチャラということでいいだろう」

 はあ、と僕はため息まじりの返事をする。捕まえた片桐は現在、手足を縛られた状態で車のトランクに放り込まれているらしい。

「トラップカード発動! 『エンド・オブ・エタニティ』」

「だー! やっぱそれトラップかよー! 警戒してたのにー」

「悪くない手」

 音尾は少し前に目を覚まし、現在は双子と一緒にカードゲームに興じている。空木から事情を説明されたときはひどく落胆していたのに、いまはもうそんなことは全て忘れたと言わんばかりに元気だ。

「あの、空木さん」

「なんだ」

「いまさらなんですけど、ソルさんとルナさんが午後四時から六時の間しか力を使えないって話も……やっぱり、嘘なんですか?」

「そうだ。きみたちが『勇気』をもって犯行を行なえるよう、こちらの弱点はなるべく多く提示しておいたほうがいいと思ってな。双子の〝力〟が二人揃ったときでないと使えないのは本当だが、寝起きの時間に関しては普通の人間と特に変わりはない。もっとも、二人とも夏休みに入ったことで、趣味の虫捕りで明け方から起きてばかりいるソルは平時以上に早寝早起きに、普段から宵っ張りの傾向があるルナはここぞとばかりに昼夜逆転と、実際にその嘘に近い生活リズムの崩れ方をそれぞれにしてはいるがな」

「でもさあ、だいたい、よく考えたら嘘だってわかりそうなもんじゃない? もしそれが本当だったら、ルナがこんな性格をしていることの説明がつかないじゃん。あたしという、太陽のように明るくキラキラした女の子といつも一緒にいるから、それに気後れしてルナの性格はこんなにも暗くねじくれ曲がってしまったんだよ」

「もしその話が本当だったら、ソルだけが普段学校に行っているはずで、なのにわたしがこんなに賢く、ソルがこんなにもバカであることの説明がつかない」

 即座に双子の喧嘩が始まる。おい、この距離で大声で喧嘩するな、と音尾が自分の耳を両手で塞ぐ。

「はあ」と僕はため息をつく。

「どうした」

「……いや、これでまた、いまの仕事もクビだろうなって。車を破壊したなんて大事件、絶対近いうち職場に洩れ伝わるだろうし、そうなると虫のことも隠し通すのが難しくなるから……。そんな人間に、もう客の給仕なんてやらせてくれないですよ」

「ああ。そのことなんだが、きみさえよかったら、うちの事務所で事務員として働いてみないか?」

「え、いいんですか!?」

「もちろん。きみにあんなことをさせたのはこちらなわけだし、そのせいできみが解雇されるのだとしたら我々の責任でもある。よかったら、後ろのきみもどうだ?」

「俺もいいのか? へへ、助かるぜ。そろそろ働かなきゃやべえなって思ってたとこなんだ」

「……音尾さん、無職だったんですか」

「こちらとしても助かるよ。ちょうど人手が不足してたところだったんだ。明日からでも、ぜひお願いしたい」

「はい!」

 と僕は元気よく返事をする。

 生身で走行中の車に突っ込まされるなんて、ずいぶん無茶なことをさせられはしたけど、こんな厄介な性質のことを知ってその上で雇ってくれようだなんて……見た目は冷たそうだけど、案外いい人なのかもしれない。ありがとう、空木さん――

 ――なんて、思っていそうな顔だ。実際に思っているかどうかは別として、私が彼らを雇おうというのは、けっして私が「いい人」だからではない。情けない話だが、タレント事務所としての我が社の生命はもはや風前の灯火。私自身、双子の〝力〟をもってしての「副業」でなんとか生計を立てているという現状だ。それだって当然、安定した仕事とは言い難い。

 ほぼただ働き同然だった職員たちは、多くが辞めていった。そのせいで事務員が足りない。その補充人員として迎えようというのだから、彼らもまた労働量に対して些か、いやかなり少ない報酬で働いていってもらうことになる。辞めたいと言い出すのも時間の問題だろう。だがこちらは彼らの「弱み」を握っている。窃盗目的での不法侵入はけっして軽い刑では済まないだろう。

「服装って、どんな感じで行ったらいいですか? やっぱりスーツとかのほうがいいですか?」

 自由だ、と私は答える。そう、全てはきみたちの自由意志次第。もちろん私は彼らのもつ不思議な〝力〟にも着目しているし、双子のする本来の業務外の仕事にもいずれ携わってもらいたいと考えているが、それに参加するかどうかは彼らの自由意志によって決めてもらえたらいい。まあ、前述のように、それを阻害するカードをこちらはもっているわけだが。

「明日から、よろしくお願いします!」

 羽江青年がキラキラとした目を私に向ける。「ああ」と私はそれから逃れるように、反対側に広がる夕日の沈む海に目をやった。

「トラップカード、発動!」

 後ろで、ソルが言う声が聞こえた。



(了)

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