Fuc◯ing beef
人の親として、エミネムをリスペクトしています。彼の心に近づく事はできないけれど、せめて一端に触れてみたく書いてみました。
Fu◯k sucking world
高校二年生の言波 時雨は、教室の隅で息を潜めるように生きている。
スポーツテストは学年最下位、数学のテストは一桁。友達と呼べる存在はおらず、休み時間は常にライトノベルを読んでいた。ただバカなので——『広辞苑』や『類語辞典』のページをめくって作者の言いたいことや、小説の中で起こったことを調べながら読む毎日を過ごしていた。彼にとって、現実世界は苦痛でしかなく、言葉の海だけが唯一の逃げ場だった。
しかし、その平穏すら奪われる日が来た。
クラスの中心人物であり、不良グループのリーダー格である竜牙に目をつけられたのだ。最初は「ちょっと金貸してよ」というカツアゲから始まり、次第にパシリ、そして陰湿な暴力へとエスカレートしていった。
時雨は耐えていた。反抗したところで、身体能力の差は歴然だ。殴られて、痛い思いをして、さらに惨めになるだけだと思っていた。
だが、ある日、大切にしていた文庫本を泥水の中に蹴り落とされ、時雨の中で何かが限界を超えた。
「……どうすればいいと思う?」
放課後、時雨は隣の席の男子、達也に声をかけた。達也は唯一、時雨がプリントを回す時などに二言三言言葉を交わす相手だった。
達也はスマホのゲーム画面から目を離さず、面倒くさそうに鼻で笑った。
「は? 知らねーよ。先生に言えば?」
「言っても揉み消される。それに、余計に酷くなる」
「じゃあやり返せば?……ああ、無理か。お前、腕立て一回もできないもんな」
達也はため息をつき、適当な言葉を放り投げた。
「喧嘩で勝てないなら、口で勝てば? お前、いっつも本読んでんじゃん」
達也にとっては、関わり合いになるのを避けるための、ただの思いつきだった。しかし、時雨の脳裏にはその言葉が雷のように落ちた。
——口で勝つ。言葉で殴る。
帰り道、ボロボロになった文庫本を抱えながら歩いていた時雨は、ふと、錆びれた電柱に貼られた色鮮やかなチラシに目を奪われた。
そこには、この寂れた街にある唯一の小さなライブハウス『ROOTS』の告知が印字されていた。
『BEEF BATTLE -MCラップバトルトーナメント-』
エントリー求む。お前の不満(BEEF)、マイク一本で決着をつけろ。
時雨は、震える手でそのチラシを剥がし、カバンにねじ込んだ。
週末の夜。『ROOTS』の地下フロアは、煙草の煙と強烈な重低音、そして攻撃的な熱気に包まれていた。
ブカブカなダサいチェックのシャツに分厚い銀縁メガネ、青白い顔をした時雨は、完全に場違いだった。観客からは嘲笑の視線が突き刺さる。
「おいおい、中学生が迷子か?」
「ママのおっぱいでも吸ってな!」罵声が時雨を打つ。
時雨はしょんべん漏らしそう、(ちょっと漏れてたかも)になりながら、膝をガクガク震えさせながら、それでもステージに立っていた。
対戦相手は、タトゥーを見せびらかすようにタンクトップを着たチンピラ風の男だった。
マスターがバトル開始を宣言する。
DJがビートを流し、バトルが始まる。
先行のチンピラがマイクを握り、怒鳴り散らす。
「Yo! なんだこのガリ勉、マジで勘弁!
ここは不良の溜まり場、お前はただの残念!
震えてんじゃねえぞ、このくそビビり野郎!
悪いこた言わねえ、
俺のパンチラインでお前はここで散ろう!おうちでママのおっぱい吸ってちん◯擦っておねんねしとけ」
観客が沸く、後攻の時雨に嘲笑混じりのヤジが飛ぶ。だか、時雨は足の震えを必死に抑えながら、渡されたマイクを両手で握りしめた。
頭の中が真っ白になった、一言も何も出てこない。吐きそうだった。しかしその時、数万、数十万の語彙が眠る脳内の引き出しが開いた。あの鬱屈した時間達は裏切らなかった。時雨の剣となり、鎧となって相手に牙を剥く。
後攻、時雨のターン。ビートに乗る感覚など分からない。だが、リズムに合わせて言葉を置くことは、詩の朗読と同じだ。
「……残念、散ろう? あまりに稚拙なライムの構造お前の脳内、語彙の貧困さが露呈する惨状
ここは不良の溜まり場? クソだろここは言葉の闘技場
暴力でしかマウント取れない
お前はどこに行くんだ、教えてやるよ死ぬかムショでペンキぬってろ溶接してろ」
時雨の低く、しかしはっきりとした滑舌が、ノイズだらけのライブハウスを切り裂いた。
「『パンチライン?』その定型文の羅列
俺からすれば、思考の破綻と挫折、威嚇で隠したお前のの脆弱 自尊心を守るだけならここじゃなくてOK OK俺が引導渡す
言葉の海で溺れさす、お前のリリック乾いた、硬い、簡単なもの、その彫り物もダセー虚勢、誰に見せんだ、ママかパパか?わかった俺はママのおっぱい吸わせてもらうよ、約束するよ、お前はママとババににタトゥーかっこいいでしょって自慢して自爆して吸わせてもらえよママとパパのその黒ずんだ乳首をよ。
チンピラMCの顔が引きつり、観客が水を打ったように静まり返った後——爆発的な歓声が上がった。
「ヤバい! なんだあいつ!」「オタクが言葉でボコボコにしてるぞ!」
勝者は満場一致で時雨。これが彼の快進撃の始まりだった。
時雨のスタイルは異端だった。
ヒップホップのスラングも使うが、四字熟語、故事成語、文学的表現を高速でビートに叩き込む。相手が「リアル」や「ストリート」を語れば、時雨は「形而上学」や「レトリック」で相手の論理の矛盾を突き、徹底的に解体した。
「お前の『マジ』や『ヤバい』は記号化された逃避
俺が紡ぐは、お前の虚勢を削ぎ落とす言葉の消費
修辞の刃で切り刻む、これがアンサー
知性の欠如を恥じとけフェイクマン、お前のことだぜだっせえダンサー!踊ってねえけどな!ダセエラップよりダンス練習しとけよ、どっかで踊りゃいいじゃんダッセェダンス。
強面の実力者たちを次々と論破し、時雨はついに決勝戦へと駒を進めた。
決勝のステージに上がった時雨の前に現れた対戦相手を見て、時雨の心臓が早鐘を打った。
ニヤニヤと笑いながらマイクを回しているのは、時雨をいじめていた張本人、竜牙だった。彼は地元でも名が知れた若手ラッパーでもあったのだ。
「まさか、俺のパシリがここまで上がってくるとはな」
マイクを通さず、竜牙が耳元で囁く。
「ここで俺に恥かかせたら、明日学校でどうなるか分かってんな?」
一瞬、背筋が凍った。教室での暴力の記憶が蘇る。
しかし、時雨はマイクを強く握り直した。ここは教室の隅ではない。ステージの上だ。
ビートが鳴り響く。重く、攻撃的なトラップビート。
先攻、時雨
時雨は目を逸らさなかった。ゆっくりとマイクを口元へ運ぶ。
「 借り物の言葉で武装する裸の王様、教室でしか威張れないお前のリアル、あまりに浅はか 弱い者いじめで証明している矮小な肯定
俺がここで下すのは、虚偽に対する明確な否定!」
時雨の言葉は、ただの韻を超えていた。それは今まで溜め込み続けてきた、怒りと悲しみの弾丸だった。
「殴って暴力で俺の体は屈しても
俺の精神、言葉の牙城崩れない!じゃあやってみろ殺してみろよ、腕力で勝負、おまわり検察裁判官、どこまでえらそにいけるんだ?全部勝つ?誰にどこで勝ったら勝利か買ったのか買えるのかお前のプアーな懐で、知ってるぞお前トイプー飼って家族でトランプババ抜き仲良し家族、ほしいものはトイザらスで買うそれでギャングスタは無理があるよなダセエはいえねえダセエから、それでも言うわダセエよお前は、それよりどうするダセエお前の生き様
安いプライド、バラされ泣いちゃうメンタリティ、これが悲劇のトラジェディー!
明日殴るなら好きにしろ、だがこのステージの勝者はだれだ?
言葉を知らないイキリマン一生その狭い檻の中で吠えていろ!」
怒涛のパンチライン。息継ぎすら忘れるほどの、魂からの叫び。
ビートが止んでも止まらないリリック、全て吐き出しマイクを床に叩きつけて時雨はステージを降りた。
数秒の静寂の後、ライブハウスの床が抜けるほどの歓声と拍手が巻き起こった。
次は竜牙のターン。しかし竜牙は何も言い返せず、ただ唇を噛み締め、悔しそうに顔を歪めていた。
「勝者、シグレ!!」
DJのシャウトとともに、時雨の腕が掲げられた。DJは静かに時雨を抱きしめた。「いいラップだった、燃えたよ」
翌日。
教室の自分の席に座る時雨の前に、竜牙が立った。
周囲の生徒たちが息を呑む。時雨は身構えたが、竜牙は舌打ちを一つして、そのまま通り過ぎていった。それ以降、竜牙が時雨にちょっかいを出すことは二度となかった。
「……お前、なんか顔つき変わったな」
隣の席の達也が、珍しくスマホから目を離して言った。
「そうかな」
時雨は机の上に『広辞苑』を置きながら、少しだけ口角を上げた。
相変わらずスポーツはできない。友達もいない。
けれど、もう俯いて生きる必要はない。彼の中には、世界と戦うための「最強の武器」が眠っているのだから。
続くかもです。




