アンカーに託して
グラウンドを包むのは、歓声と熱気と――期待。
「続いての種目は、学年対抗・コース別混合リレー!」
テント裏、スタート準備をしていた姫川咲は、隣に立つ朝霧蓮に声をかけた。
「……がんばろうね、朝霧くん」
「うん」
その短い返事だけで、咲の胸の奥が不思議とあたたかくなる。
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レースが始まる。
観客席では、ざわつく声が飛び交っていた。
「アンカー朝霧!?」「進学1年で!?」「あの見た目で速いの!?」
それは、ほとんどが他学年の反応だった。
1年進学のクラスメイトは違う。
(朝霧、本気出せば速い。みんな、知らないだけ)
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レース中盤、バトンは次々に繋がれ、
姫川咲がラストスパートをかけてアンカーゾーンに飛び込んできた。
「……お願い!」
バトンを渡された朝霧は、わずかにうなずき――そして、走り出す。
最下位からのスタートだった。
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次々に選手を抜きながら、朝霧はトップ集団に迫っていく。
「うわ……マジで速い」「あれ、ヤバくない……?」
会場の空気が変わっていくのがわかる。
ラスト一周――
狩野隼人(2年総合)のすぐ後ろに、朝霧がぴたりと迫る。
狩野は気配に気づいて、舌打ちをひとつ。
「オイオイ……1年が俺に勝てるとでも思ってんのか? 調子のんなよ、ガリ勉」
周囲に聞こえるように吐き捨て、狩野はコーナーでわざと膨らみ――
朝霧の進路を“塞ぐ”ようにラインを被せた。
「……今の、妨害じゃね?」
「わざとだろ、あれ」
「え、録画してる人いた? やばくない?」
観客の中で、ざわつきが広がる。
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その瞬間。
朝霧はラインを切り替え、外から加速――
狩野の脇を風のように抜き去った。
「は……!?」
バランスを崩した狩野は、スパイクが引っかかり――
転倒。
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会場がどよめいた。
「抜いた……!?」「1年が……1年進学が勝った……!!」
最初にゴールを駆け抜けたのは、
静かに、正確に走りきった――朝霧蓮だった。
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転倒した狩野に、駆け寄る者はいない。
ざまあ…という空気が、言葉には出ないまま漂っていた。
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審判テント前。
体育教師が無線を耳に当てながら、記録担当の生徒に声をかける。
「……今の妨害行為、映ってるな。ビデオ提出頼む」
「はい。観客席のスマホからも映像集めます」
狩野の顔が引きつった。
(やべ……マジかよ)
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そして――
観客席のすみにいた桐谷蒼馬も、沈黙していた。
笑っていたはずの口元は、引きつっている。
「……は?」
わずかに漏れた独り言。
狩野が負け、転び、教師に指導される。
自分が仕掛けた“軽いやり口”が、あっさり崩れ去っていく。
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その光景を、黒瀬結愛は遠くから見ていた。
(ざまぁって、ああいう顔のことを言うのね)
彼女はそんなことを思いながら、静かに席を立った。
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ゴール後。
咲が駆け寄り、ペットボトルを差し出す。
「……おつかれさま」
「ありがとう」
「さっき、バトン渡すとき……なんか言いたそうだった?」
「……ただ、ちゃんと受け取るって、思ってただけ」
「……ふふ。うん、伝わったよ」
その返事に、咲の頬がわずかに染まる。
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結愛は、無言でタオルを渡す。
「助かった」
目が合った。けれど、彼女はすぐにそらす。
(だめ。こんなの、意識しないほうが無理)
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玲奈は、観客席で叫んでいた。
「っしゃー!! ナイス!! マジで、最高かよ!!」
周囲から笑い声と冷やかしが飛ぶ。
「玲奈、それ……好きじゃん」
「ちげーし!! ……ちげーってば!!」
でも――顔は真っ赤だった。
(……マジで、なんなんだよ……ずるい)
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静かにゴールを踏みしめた朝霧の背中に。
少女たちの感情が、それぞれの形で絡み合い始めていた。




