14『線香花火』
「木代花、樹介くん来てるよ」
木代花はそんなお父さんの声で飛び起きました。時計の針は五時過ぎを指していて、完全に寝すぎたことを察しました。
「もういるの!?」
「うん。ほら」
お父さんは廊下の方を指差しました。そこには、見慣れない男性が一人立っています。
「え………」
「お邪魔してます」
身なりを整えた高身長の男性は、柔らかく笑って言いました。
「樹介、くん?」
「久しぶり、木代花ちゃん」
木代花は頭の整理がつかず、その場に硬直しました。そして、持っていた子機の着信履歴を確認しました。そこには、五件の不在着信が表示されています。
「ごめん。全然気づかなかった」
「気にしないで! こうやって無事に会えたんだし」
木代花は現状を把握できていませんでしたが、目の前にいるのは紛れもなく恋人です。そう思うと体の底から嬉しさが沸き上がり、木代花は樹介に勢いよく抱きつきました。その衝撃で樹介は僅かによろめいたものの、すぐに木代花を抱きしめ返しました。
「ずっと会いたかった!」
「僕だってずっと会いたかった!」
「本当に樹介くんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
木代花はそう言って感動し、樹介の名前を叫びながら泣きました。忘れていた寂しさを思い出し、離さないように強く抱きしめました。
「木代花ちゃん泣かないで。僕はどこにも行かないよ」
「うん。もう離さない」
「いや、離してよ。これじゃあご飯作れないし」
笑い交じりにそう言うものの、樹介もきつく抱きしめた腕を放そうとはしませんでした。離れていた時間を補うように、二人は暫くそうしていました。それを終わらせたのは、横で一部始終を見ていたお父さんでした。
「そろそろご飯にしよっか」
お父さんはボウルを持って言いました。
「そうだね! みんなでお好み焼きをしよー!」
木代花は腕を解いてお父さんの方へ向かいました。樹介は名残惜しそうにしながらも、夜ご飯の手伝いを始めます。
「樹介くん。このホットプレートを机の方に持って行って!」
「分かった」
「木代花はお皿ね」
「うん!」
お父さんはキャベツを切って生地と混ぜ合わせていきます。その様子を少し離れたところで眺めながら、樹介は木代花にこう言いました。
「お父さん元気そうだね」
「まだ通院はしてるけど、お母さんのいた頃と同じぐらいには良くなってる」
「よかったね」
「うん。元気そうなのが一番嬉しい」
目の前で生地を作るお父さんは、どこか楽し気な雰囲気を醸し出していました。
「よし、食べよっか!」
出来立ての生地を抱えたお父さんが言いました。
「お好み焼きパーティーだー!」
「二人とも座ってくださーい」
「木代花ちゃんどこ座るの?」
わちゃわちゃする夜に懐かしいものを感じ、木代花は一層楽しくなりました。各々が座る場所は木代花の中で決まっています。木代花とお父さんはいつものように向かい合って座り、樹介は木代花の横に案内されました。お父さんの横でもよかったのですが、やっぱりその場所はいつまでもお母さんの席でした。
樹介はホットプレートに油を敷き、温まったところへお父さんが生地を乗せていきます。丸になるように形を整え、軽く火が通ったらフライ返しでひっくり返します。ホットプレート自体がそれほど大きいものではないので、小さめのものをいくつか焼きました。その中には、木代花の大好きなベーコン入りのものもありました。
「いただきます」
樹介は手を合わせてから、鰹節の踊るお好み焼きを口に運びました。ソースの旨味と生地の優しい味が口の中いっぱいに広がって、いつまでも味わっていたくなりました。
「どう?」
「とっても美味しいです!」
「よかった!」
お好み焼きを褒められたお父さんは、誰よりも嬉しそうに笑いました。木代花はそんな二人を見て、胸がぽかぽかと温かくなりました。近い将来、この光景が日常になるかもしれません。そうなったら、毎日のように幸せな気持ちになるのでしょう。大切な二人の傍で生活できることは、木代花にとってこの上ない幸せなのです。
「そういえば、明後日近くの神社でお祭りあるよ」
お好み焼きを箸でつまんだお父さんが言いました。お祭りのチラシは、木代花が働くご飯屋さんにも貼られていました。クラスメイトだって毎日のように話題に挙げています。木代花はお祭りに興味がないわけではありません。けれど、お祭りなんてもう何年も行っていないのです。今年だって、昨日までは行く気など全くありませんでした。
「二人で行ってくるといいよ!」
お父さんはお茶をぐいっと飲みました。木代花は隣に座る樹介のことをチラッと見て、少し様子を見ようと思いました。本音を言えば、樹介とお祭りに行きたくて仕方ありません。しかし「グイグイいきすぎる女子は嫌われる」と、先日読んだ本に書いてあったのです。
「僕がいたときもお祭りあったよね。久しぶりに行きたいなぁ」
木代花の耳がピクッと動きました。
「じゃあ一緒に行こ!」
キラキラと目を輝かせた木代花のことを見て、樹介は微笑ましい気持ちになりました。一見大人の女性に成長したように見えますが、中身は数年前と少しも変わってはいません。樹介の知っている木代花は、今もなお目の前に存在していました。
「時間は四時ぐらい? もっと早い方がいいかな?」
「そのぐらいでいいと思う! 夜は手持ち花火が配られるから、それも一緒にしよ!」
「うん! 花火いつ振りだろ」
「私も久しくやってないなぁ」
やっと恋人らしいことができる。そう思った木代花は、今以上に胸を躍らせました。夕飯を終えひとしきり話した二人は、玄関で名残惜しげに別れを告げました。
「また明日ね」
「うん、また明日。家に着いたら電話するよ」
「待ってる」
明日も会えるはずなのに、木代花はとても寂しくなりました。今日は泊まっていけばいい。その言葉が声になることなく地面に落ちていきます。
「そろそろ行こっか」
お父さんが車の鍵を握りながら玄関のドアを開けました。木代花は寂しさを堪えながら、玄関の外に消えていく樹介に手を振りました。ガチャンと閉まるドアの音が嫌に大きく聞こえて、木代花は暫くドアを見つめていました。そして、一度大きく深呼吸をしてから、子機を持ったまま自分の部屋に向かいました。
二日後。木代花はやっぱりそわそわしながら、樹介のお迎えを自宅で待っていました。
「お父さん、私変じゃない?」
「変じゃないよ。すごく可愛い」
木代花はその言葉に少しだけ安堵しました。
約一時間前。木代花が樹介とデートをするという情報を得たみかちゃんと楽々ちゃんは、浴衣やメイク用品を持って家にやってきました。
「浴衣もメイク用品も持ってないでしょ? たまには私たちに頼りなさい」と楽々ちゃん。
「今日ぐらいはみんなが惚れちゃうぐらい可愛くしなくっちゃ!」とみかちゃん。
二人が貸してくれた浴衣は白地で、青い花のデザインが施されたものでした。大人っぽいそのデザインに、木代花は内心似合うか心配でした。なぜなら、木代花は自分のことを大人だとは少しも思っていないからです。むしろまだまだ子どもだと思っています。けれど、木代花は自分で思っているよりも遥かに大人でした。それは、町中の誰もが知っています。木代花は二人にされるがまま浴衣に腕を通し、紅色の帯を締めてもらいました。そして、人生初のメイクをしてもらいます。
「木代花ちゃん肌綺麗すぎない?」
「私何もしてないよ?」
「羨ましいなぁ。私もこんな肌欲しい!」
下地やファンデーションを次々に施していく二人。木代花は何をされているのか全く分かりませんでした。指示に従いながら目を開けたり閉じたりしているうちに、「完成」という声が聞こえました。恐るおそる目を開けると、鏡には可愛らしい顔が写っています。
「すごい」
「でしょ? これが私たちの力よ」
楽々ちゃんは誇らしげに言いました。年相応の娘の姿を見たお父さんは、自分のことが少しだけ情けなくなりました。今まであらゆることを木代花に頼り切っていたせいで、木代花は周囲よりも早く大人にならざるを得ませんでした。何も気にせず幼馴染とはしゃぐ世界を、自分が作ってあげるべきだった。そう後悔しました。
役目を終えた二人は、樹介に会うことなくさっさと帰ってしまいました。会わないの? と聞くと、「明日にでも会うよ。今日は恋人同士で楽しんで~」と少し揶揄うように言いました。この二人は、本当に友達思いの優しい人なのです。
木代花が落ち着きなく待っていると、自宅のインターホンが来客を告げました。待ちに待っていた人が来た! と、木代花は巾着を持ったまま普段と同じように走り出しました。しかし、今日は浴衣のせいで上手く足が出せず、廊下の壁に肩を軽くぶつけました。
「大丈夫!?」
お父さんが慌てたように駆け寄ります。
「大丈夫大丈夫! まだちょっと慣れてないだけ」
肩に鈍い痛みが僅かに残ってはいますが、今はそんなことに気を配っている暇はありません。一秒でも早く樹介に会いたいのです。木代花は転ばないように廊下を早足で進み、裸足のまま玄関に下りました。
「樹介くん!」
ドアを勢いよく開けると、おしゃれな格好をした樹介と目が合いました。これが東京の人の服装か、と妙に納得してしまいました。
「木代花ちゃん」
浴衣姿の木代花に見惚れた樹介は、そのまま黙ってしまいました。
「変?」
「ううん! すっごく綺麗!!」
ストレートに褒められた木代花は、嬉しさと照れくささが入り交じり、頬を僅かに染めました。
「二人とも気を付けて行ってくるんだよ」
お父さんは玄関に出てきて言いました。
「はい。木代花ちゃん、行こ!」
樹介は手を差し伸べながら言いました。木代花は下駄を履いたのち、その手を取りながら元気いっぱいに言いました。
「お父さんいってきまーす!」
「いってらっしゃい」
通学路とは逆の方向にあるバス停。そのバス停を通り過ぎ、暫く歩くと目の前に二股の分かれ道が現れます。左側の道は交通量の多い下り坂で、坂が終わると鉄製の橋が現れます。その下には幅の広い川が流れており、木代花たちは端の浅いところでよく川遊びをしていました。二人はそれとは逆の、右側に伸びる道を進みました。そこから少し歩いた場所に、目的の神社があります。木代花は履きなれない下駄に苦戦しながらも、樹介と仲良く神社に向かいました。
「木代花ちゃん、その浴衣似合うね」
「ありがとう。みかちゃんと楽々ちゃんが貸してくれたの。メイクも髪も、全部二人がしてくれたんだよ」
「本当に似合ってる」
樹介と視線がぶつかって、木代花は歩みを止めました。今日の樹介は、二日前の樹介とはどこか違って見えました。
「今日の樹介くんもカッコいいね」
「え!?」
不意に言われた樹介は、そっと顔を赤くしました。その顔を隠すように、咄嗟にそっぽを向きました。前回の樹介と今回の樹介の間違い探しをしていた木代花は、その違いがなんとなく分かってきました。前回は下りていた前髪が、今回は少しだけ掻き上げるような髪型に変化していたのです。
「髪型変えたの?」
変化を当てられてしまった樹介は、恥ずかしくて仕方なくなりました。気合を入れてセットしてみた、なんてとても言えません。その上、今着ている服も昨日買ったばかりのもので、普段はこんなおしゃれな服は着ていません。木代花に負けないぐらい、樹介も今日のデートを楽しみにしていたのです。
「私の彼氏が一番カッコいい!」
木代花は誰に自慢するでもなく大声で言いました。
「木代花ちゃん!?」
「樹介くんは世界一!」
「ちょ、恥ずかしいって」
樹介の制止する手を振りほどき、木代花は小走りで走り始めました。その後を、慌てたように樹介が追いかけます。
「木代花ちゃん」
「樹介くんは私のもの!」
木代花は振り返り、満面の笑みを見せました。
「木代花ちゃん危ないから」
樹介は木代花に駆け寄り、その体を抱きしめました。木代花の後ろには男性が歩いており、危うくぶつかってしまうところでした。
「ごめん」
「走るの禁止!」
樹介は腕を解き、木代花の手を握りました。木代花は自然と繋がれた手を見つめ、嬉しそうに頷きました。神社で毎年開催される小さなお祭りは、町の人たちで賑わっていました。境内には屋台が立ち並び、浴衣姿の若者も大勢います。二人は手を繋いだまま境内に入り、屋台から漂ういい香りにお腹を空かせました。
「焼きそば食べよ!」
木代花はひとつの屋台を指差して言いました。二人は仲良く屋台まで歩き焼きそばを二つ買いました。そして、近くにあったベンチに座り同時に割り箸を割りました。
「あ……」
樹介は綺麗に割ることができましたが、木代花の割り箸は途中でポッキリと折れてしまいました。
「新しいの貰ってくる?」
「ううん、これでいい!」
木代花は短い箸を自慢げに見せました。綺麗に割れなかったことも、木代花の中ではいい思い出として記憶されました。短い箸で焼きそばを完食した木代花は、樹介とともに屋台を巡りました。クレープ屋やかき氷屋、お絵描きせんべいの屋台で次々にお腹を満たし、射的やくじ屋でどちらがいいものを取れるか競争しました。そうしているうちに日はすっかり暮れて、今日のために設置された丸い提灯が辺りを明るく照らしていました。
夜の神社で一際目を引く屋台を見つけた二人は、そこでお揃いの雑貨を買いました。木代花の左手首にはピンクの、樹介の右手首には緑の光るブレスレットがつけられています。目立つその二色は、二人の繋いだ手をハッキリと照らし出していました。
お祭りも終盤に差し掛かり、その場にいた人々に花火が配られました。境内にはバケツが二つずつ設置され、その中には火の付いたろうそくと水がそれぞれ入っています。花火を受け取った小学生たちは、境内の中を楽しそうに走り回り、端の方で花火の袋を開封していきます。木代花たちも花火を抱え、手を繋いだまま近くのバケツに近寄りました。
「どれからやる?」
二人はその場にしゃがみ込み、仲良く花火を取り出しました。
「この灰色のやつからやろっかなぁ」
木代花は灰色の花火を顔の横に出して言いました。
「最後はやっぱり線香花火?」
「もちろん!」
周囲には疎らに人がいましたが、二人には見えていないようでした。辺りには誰にも見えない、二人だけの世界が築き上げられています。二人は灰色の花火を持ち、揃ってろうそくで火をつけました。星が弾けたように輝くその花火は、パチパチと音を立てながら火薬を燃やしていきました。
二人はお互いの瞳に映る花火に見惚れ、どちらからともなく目を細めました。眩く光る花火によって映し出された影が、お互いの魅力を何倍にも引き立てていくようでした。燃え尽きた花火は水の入ったバケツに入れ、木代花は色の変わる花火に持ち替えました。
「この紙って取らなくていいんだっけ?」
「いいんじゃない? 僕は取らないでつけちゃうよ」
そう言って、樹介は次の花火に火をつけました。黄色から赤、青、緑。次々に色を変化させていく様は、見ていてとても面白いものでした。
「なんで色変わるんだろうね」
「さぁ。火薬に色が付いてるんじゃない?」
「打ち上げ花火も火薬に色付いてるのかな?」
「かもね。じゃないとあんなに綺麗にならないだろうし」
花火のシューっという音を聞きながら、二人は他愛無い話を続けました。いつまでも話していられるぐらい、お互いのことが好きで仕方ありませんでした。そうこうしているうちに、残りは線香花火だけになってしまいました。
二人は三本あるうちの一つに火をつけて、どちらが長く保っていられるか勝負することにしました。控えめな火花を飛び散らしていた線香花火は、次第にその火花を大きくしていきます。パチパチ音も激しくなり、ぼんやりと照らされた暗闇が二人の視線を釘付けにしました。勝負があろうが無かろうが、線香花火は最後の消える瞬間まで楽しみたいものです。けれど大抵の場合、途中で丸い火種は落ちてしまいます。そのときの感情は、なんと言い表したらいいか分かりません。「あーあ」というのが的確な表現な気もしました。二人の線香花火は接戦を続け、その勝負に終止符を打ったのは木代花のものでした。大きな火種は、その明るさを保ったまま暗闇に吸い込まれていきました。
「あーあ。落ちちゃった」
木代花は紙製の持ち手をバケツに入れ、なおも輝く樹介の花火に目を移しました。
「僕の勝ちだね!」
手元が揺れないようにそっと言った樹介に、木代花は少しだけ意地悪をすることにしました。弱まった火花が強くなる瞬間を狙って、ふーっとそよ風程度の風を送りました。花火の先端は風に揺れ、僅かに左右に揺れています。
「落ちちゃえ!」
「ふーってしないでよぉ」
樹介は必死に風を避けようと試行錯誤しますが、今回ばかりは木代花の方が上手だったようです。火種は木代花が望んだ通り、地面に真っ直ぐ落ちていきました。
「落ちた……」
「落ちたね」
「あとちょっとで全部燃えたのに」
「私の攻撃に耐えられなかったねぇ。私の勝ちってことでいい?」
「木代花ちゃん酷いよ。嫌いだよ」
この「嫌い」が嘘であることは木代花にも分かりました。今更嫌いと言ったところで、少しも説得力はありません。
「嘘でもそんなこと言っちゃいけないんだからね」
木代花はほんの少しだけ冷たい声でいいました。
「ごめんなさい。僕は木代花ちゃんのことが世界で一番好きです」
何度目かの告白をされて、木代花はニヤけるのを我慢するのに必死でした。誕生日のときの「おめでとう」と同じで、何度言われても嬉しいのには変わりありません。
「だったら私は銀河一好き!」
負けず嫌いの木代花は、樹介のさらに上を行きました。
「えっと……じゃあ、僕は宇宙一好き!」
「……………宇宙の次って何?」
宇宙以上に大きなものを思い浮かべることができず、今回は木代花の負けに終わりました。帰宅したらすぐに調べてやるぞ! と、木代花は謎の対抗心を露わにしました。残り二つの線香花火は、二人の醜い争いによって四秒ほどで落ちていき、あっという間に終わりを告げました。




