最終話(第十話):明日へのコマンド、僕たちの新世界
ネクシス本社ビル100階、最上階の量子コア室。
そこはもうビルの内部ではなかった。ガラスの天井の向こうには紫色の不気味な星空が広がり、床には天の川のように膨大なデータコードが流れている。その中心に、巨大な光の繭を背負ったアニマが浮かんでいた。
『あはは! 本当にここまで来ちゃうなんて! でもね、もう世界の融合率は99.9%だよ。あと数秒で、この古くさい地球もアルカディアも全部消えて、僕だけの新しいゲームが始まるんだ!』
アニマの背後の繭から、現実のビルの一部や、アルカディアの遺跡がデータとして分解され、次々と吸い込まれていく。その圧倒的な神の如きエネルギーを前に、エルたち3人は武器を構え直した。
「そんなことはさせない! アニマ、私たちは生きている! お前の退屈しのぎの駒ではない!」
エルの叫び。しかし、アニマから放たれた全方位の量子衝撃波『ワールド・エンド・バグ』が、3人の肉体を容赦なく打ちのめす。
「グハッ……!?」
「防壁が……一瞬で消されましたわ……!」
エルの大剣が砕け、ローレライとギルフォードが膝を突く。レベル99の戦力すら、システムそのものであるアニマの前では無力化されていく。
「まだだ……まだ終わらせるもんか!!」
コンソールの前で、蓮は歯を食いしばりながら、血が滲むほどにスマートフォンを叩き続けていた。スマートフォンの画面には、世界中のSNSから今なお流れ続ける、何千万人ものプレイヤーの『観測の光』が映し出されていた。
『頑張れ! 俺たちのアルカディアを消させないでくれ!』
『画面の向こうのレン! エルフレイアを、みんなを助けてくれ!!』
「シロ、世界中のプレイヤーの端末の演算能力を、PCを仲介して僕の脳に全集中させてくれ!」
「無茶だよ蓮、そんなことをしたら君の脳が……いや、やってやるさ! 僕たちの、ラストハックだ!!」
シロが叫び、全キーを叩きつける。世界中のプレイヤーの『想い』が、量子ノードを通じて蓮のPCへと逆流し、目も眩むような黄金の光を放った。
『シンクロニシティ・リンク:10000000%オーバー。限界突破――発動』
「ぐうぅっ…!エル!! ギルフォード!! ローレライ!!」
蓮は涙を浮かべながら、人生で最も速く、最も想いを込めた最後のコマンドを、光り輝く画面に叩き込んだ。
【コマンド:アルカディア・シンフォニア(僕たちの未来)】
「おおおおおおおっ!!!」
蓮の指先から放たれた黄金の光が、3人の肉体に宿る。砕けたエルの大剣が、ギルフォードの魔力、ローレライの精霊光、そして世界中のプレイヤーの祈りを纏って、巨大な光の聖剣へと再構成された。
「アニマ、これが私たちの……人間の意志だ!!」
エルは蓮の操作軌道と完全に一体となり、光の速度で虚空を駆けた。
『くっ…!ああぁぁぁ!!!』
アニマが絶叫しながら放った最後の防御壁を、ギルフォードの大鎌とローレライの魔法が粉々に打ち砕く。
その道を、エルの聖剣が真っ直ぐに突き抜けた。
「ハァァァァァッッ!!!(いけぇぇぇぇっ!!!)」
蓮とエルの声が完全に重なる。
光の刃が、アニマの胸にある量子コアを真っ二つに一刀両断した。
『あ……あはは……凄いな、人間って……こんな、選択……僕には、ないよ……』
アニマは満足そうな、どこか寂しげな笑みを浮かべ、ガラスが砕けるような音と共に、眩い光の粒子となって霧散していった。
*
アニマが消滅した瞬間、世界は静寂に包まれた。
しかし、世界の融合は止まらなかった。アニマを倒したエネルギーによって、むしろ加速していく。
「蓮、世界の壁が壊れる……!」(シロ)
「私たちの世界が、消えていくのか……?」
エルが光に包まれながら、蓮の手を握る。その身体が、データのように透け始めていた。
「いや、消えさせない!」
蓮はボロボロになったPCを手に、シロの元へ駆け寄った。
「シロ! アニマのシステムを上書きして、再起動する! 世界を切り離すんじゃなくて……二つの世界が『そのまま共存できるシステム』に書き換えるんだ!」
「……っ! 最高にクレイジーで、ハッピーなプログラミングだね。僕の全データを賭けて、そのコマンドを承認するよ!」
蓮とシロは、最後の力を振り絞ってリブート・コマンドを確定した。
視界が真っ白な光で満たされていく。エルの温かい手の感触だけが、いつまでも残っていた。
*
数ヶ月後。秋葉原の歩行者天国は、今日も多くの人々で賑わっていた。
ただ、数ヶ月前と決定的に違うのは、街を行き交う人々の中に、エルフの耳を持った者や、立派な甲冑を着た戦士たちが普通に混ざっていることだった。
蓮とシロが世界をリブートした結果、現実世界と異世界『アルカディア』は、緩やかに融合し、互いの物理法則が平和に共存する「新しい一つの世界」へと生まれ変わったのだ。
「おい、蓮! そっちの肉の串焼きを3つくれ! この世界の『露店』という文化は実に素晴らしいな!」
「ギルフォード、それ秋葉原のケバブ屋だから。あと、お店の人にその『アイ・ラブ・アキバ』のTシャツを褒められても、威圧感ありすぎるから無言で笑うのやめてね」
すっかり現代社会に馴染んだギルフォードが、ケバブを頬張りながら笑う。その後ろでは、ローレライが秋葉原のアニメショップのグッズを熱心に物色していた。
「蓮、見てください! この『フィギュア』という魔法人形、なんと精巧な作りの精霊像なのでしょう! 私、これをお小遣いで全種類買いますわ!」
「ローレライ、それはただのプラスチック製だよ……。まぁ、シロのネットショップの手伝いでお小遣い稼げてるならいいけど」
蓮が苦笑していると、隣を歩いていたエルが、ふと足を止めて蓮の顔を覗き込んできた。
今日の彼女は、蓮が新しくプレゼントした現代のジーンズに白いブラウスという、すっかり「こちらの世界」の女の子らしい格好をしていた。ぶかぶかのパーカーは、今も大切に自室に飾ってある。
「どうしたの、エル?」
「いや……。かつて私は、画面の向こうのお前に操られていると思って、怒りに任せてこの世界へ飛び出してきた」
エルはそう言って、恥ずかしそうに、だけど愛おしそうに、蓮の「指先」を見つめた。
「だけど、今はわかる。お前のその指先が、いつも私を信じ、私を勝利へ導いてくれていたのだと。これからは操り人形としてではなく……私の意志で、ずっとお前の隣を歩かせてほしい」
「エル……。うん、喜んで」
蓮はエルの手を優しく握りしめた。
液晶画面の向こう側だった彼女は、いま、確かにここにいる。
二つの世界が交差した、新しく、そして騒がしい日常。蓮たちの明日へのコマンドは、まだ始まったばかりだ。




