第六話:霧の祠と、最後の巫女
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第6話、更新しました。
「ハぁ……ハぁ……本当にこんな所にあるのかよ……」
湿った生ぬるい風が吹き抜ける、深い霧の谷間。俺は泥だらけになった靴底を呪いながら、急な山道を足をもつれさせて登っていた。
「村からどんだけ離れてんだよ。道は険しいし、服は汚れるし……なぁ師匠、あの酒場の爺さんの言葉、ガセネタなんじゃないの?」
『黙って歩かぬか! 泣き言ばかり垂れおって! 最高の合奏とやらがしたいと言ったのはおぬしであろうが!』
「そりゃ言ったけどさぁ! 旅の快適さと演奏のクオリティは別問題だろ!」
俺の肩の上で、威厳たっぷりに踏ん張る老狐——師匠のふかふかの腹を小突くと、案の定「キィィッ!」と怒って耳を甘噛みされた。痛い痛い。
「だいたいさ、何だよ『呪われた古い社』って。不気味すぎるだろ。俺は平和に三味線弾いて美味しいご飯が食べられればそれで……」
文句を言いかけた俺の言葉は、風に乗って流れてきた「音」によって唐突に遮られた。
「……っ!?」
ピィー……ヒャラリ……。
澄み切った、哀愁を帯びた高い音色。
それは深い霧を切り裂くように、しっとりと山肌を滑り降りてきた。音程の揺らぎ、息の含ませ方、そして琴線を揺さぶるような圧倒的な情緒。
(な……なんだこの音色……!? めちゃくちゃ上手い……!!)
三味線弾きとしての俺の腕毛がゾクゾクと逆立つ。先ほどまでの疲労が一瞬で吹き飛び、俺は引き寄せられるように音のする方へと足を早めた。
霧がふっと薄れたその先に、小さな古びた祠がひっそりと佇んでいた。
苔むした石畳。その祠の前で、一人の女性が佇み、一本の竹笛を口元に当てて風を奏でていた。
緋色の袴に、白い小袖。神聖な巫女の装束を身に纏った、凛とした美しい女性だった。彼女が静かに息を吹き切ると、余韻を残して最後の音が風に溶けていった。
「……すっげえ……」
思わず漏れ出た俺の声に、女性がハッと振り返る。澄んだ瞳が俺、そして俺の肩の上にいる師匠を捉えた。
「旅のお方……でしょうか。このような廃れた場所に、何かご用で?」
「あ、いや! 怪しいもんじゃないです! 俺、トウマっていう三味線弾きで……実は、かつての『稲荷の村』について探してて(うわぁ、綺麗な人だなぁ)」
俺がそう言うと、女性の眉がかすかに動いた。
「稲荷の村……。その名を知る方が、まだいらっしゃったのですね……」
「そうなんだよ! 村に行ったら変な洋風の『鳳凰の村』になってるし、九尾の狐の神社は聖堂になってるしで意味不明でさ。……おい師匠、出番だぞ」
俺が肩から老狐を降ろすと、師匠は胸を張り、尊大な足取りで巫女の前へ一歩踏み出した。
『うむ。久しぶりじゃな、巫女の末裔よ。気安く呼ぶでないトウマ、わしの威厳が損なわれるではないか』
「……え?」
巫女の女性は目を丸くし、トコトコと歩く老狐を食い入るように見つめた。その狐の背後にゆらめくかすかな黄金の霊気、そして気品ある眼光に気づいた瞬間、彼女の表情が劇的に変わった。
「そのお姿……息づく黄金の霊気……ま、まさか……あなた様が……『お狐様(九尾の天狐様)』でおられますか……!?」
『うむ! いかにも我が天狐——』
「あ、ワンちゃんじゃないですよ、一応九尾の狐らしいです」
『だんまりいトウマ!! 余計な口を挟むな!! 噛み殺すぞ!!』
怒り狂って俺の足元でキャンキャン(本人は咆哮のつもり)跳ね回る師匠。巫女の女性は一瞬ポカンとしたものの、感極まったように膝をつき、深く頭を垂れた。
「……ああ、なんと……! 言い伝えは誠だったのですね……! 申し遅れました、私はお狐様に代々仕えてまいりました巫女の末裔、シオリと申します。よくぞ……よくぞご無事で……!」
『うむ、面を上げよシオリ。……して、わしが封印されてから、この地で一体何が起きたのじゃ? なぜ村の名が変わり、わしへの信仰が途絶えておる?』
師匠の問いかけに、シオリさんの表情が陰った。
「……ここでお話しするには、風が冷たすぎます。詳しい歴史は、奥の院にてお話しいたしましょう。お二人とも、こちらへお越しください」
◇
祠の脇にある隠し扉から、地下へと続く石造りの長い階段を下りていく。
ほの暗い洞窟の壁には古風な燭台が灯り、静寂が広がっていた。
「……ところで」
前を歩くシオリさんが、チラリと振り返って俺に視線を向けた。
「そちらのお方は……天狐様のお連れ様でしょうか? お名前は……?」
「俺? 俺はトウマ。ただのしがない三味線弾きだよ。このわがままな老狐に強引に引っ張り回されてる被害者」
『誰がわがままじゃ! 言い草に気をつけよ!』
俺と師匠がいつものように小競り合いをしていると、師匠が不敵な笑みを浮かべてシオリさんに付け加えた。
『フン、謙遜など冗談めかしても無駄じゃ。シオリよ、こやつはただの三味線弾きではない。千年前、わしと共に戦い散っていったあの『天神家』の最後の生き残りじゃ』
「なっ……! 天神家……陰陽師の御頭であられた、あの天神様のご末裔なのですか!?」
シオリさんが目を大きく見開いて立ち止まった。
「いやいや! 本当にただの三味線弾きだから! 剣も握ったことなかったし、陰陽術なんてひとつも使えないからね!? 師匠が勝手に盛り上がってるだけだから!」
『黙れ! 血脈は偽れぬと言っておろうが! 早くその三味線で敵をバッサバッサと斬れるようになれ!』
「三味線は人を斬る道具じゃねえよ!!」
あきれ顔で手を振る俺と、ドヤ顔の師匠。シオリさんは思わずといった風にクスッと小さく微笑み、「……とても賑やかなお二人ですね」と呟いた。
◇
階段を下りきった先には、古い古文書や神具が整然と並ぶ『奥の院』と呼ばれる広い部屋があった。
薄暗い部屋の壁には、古い絵巻物や歴史を記した掛け軸がずらりと並んでいる。
中央の座敷に案内された俺たちは、差し出された温かい茶を一口すすった。
山登りで冷え切った身体に、お茶の温もりがじんわりと染み渡る。
「……さて」
シオリさんが凛とした表情で座り直すと、棚から一冊の分厚い、古びた和紙の書物を取り出してきた。その表紙には、金文字で固く封じられた禁書の印が刻まれている。
「お狐様、そして天神様のご末裔であるトウマ様。今からお話しするのは、表の歴史からは完全に抹消された、千年前の惨劇……そして、この村が『鳳凰の村』へと塗り替えられた真実の記憶でございます」
『うむ……心して聞こうぞ。語るがよい、シオリ』
師匠が真面目な顔(狐顔だが)になり、シオリさんの手元を凝視する。
俺も喉を鳴らし、手に持ったお茶の湯飲みを静かに置いた。
(千年前の出来事……そして、なぜ『稲荷の村』が消えてしまったのか……)
シオリさんが静かに古文書の紐を解き、一ページ目を開いた。
ろうそくの火が揺らめき、重々しい雰囲気が部屋を包み込む。
読んでいただきありがとうございました!
新キャラのシオリさんです。シオリさんは髪が長く目はバッチリした美人さんです。トウマが一目ぼれしたかも?
次回は九尾の狐の封印された後の歴史が語られますお楽しみに。
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