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第一話:三味線と、老狐と、嵐の夜の災難

ご覧いただきありがとうございます。


三味線しか弾けない(弾きたくない)主人公と、威厳はあるのに犬扱いされるとキレる老狐(師匠)の、嫌々旅立つ和風ファンタジーです!


少しでも楽しんでいただけたら、ぜひブクマや評価(★)で応援してもらえると嬉しいです!

 人生において最も大切なものは何かと問われれば、俺は迷わず「平穏」と答える。


 東方の辺境に位置する、山あいにひっそりと佇む小さな村。そこが俺——トウマの生まれ故郷であり、世界のすべてだった。

 朝は鳥のさえずりで目覚め、昼は適当に菜園の手入れをし、夕暮れ時には村の広場や酒場で大好きな三味線を抱えて爪弾く。耳の肥えた村人たちが投げ銭代わりに野菜や米をくれ、夜は自分の家で温かい汁物をすすって寝る。

 これ以上の幸せがどこにあるだろうか。剣術の稽古? 冒険者の名誉? ダンジョン攻略? そんな血生臭くて面倒な代物は、俺の人生の計画表には一文字たりとも存在しなかった。


 あの日、あの神社の奥へ迷い込むまでは。


 ◇


「……ひどい大雨になってきたな」


 山へ薪を拾いに来ていた俺は、頭上の空を仰いで深く溜め息をついた。

 急変した山の天気は瞬く間に土砂降りとなり、雷鳴が遠くで轟いている。背中に背負った愛用の三味線を濡らすわけにはいかない。俺は慌てて雨を凌げる場所を探し、木々の隙間に見えた古い鳥居を潜った。


 そこは、村の誰もが「近づいてはならん」と口を揃える、苔むした寂れた神社だった。

 濡れた衣服を絞りながら境内の奥へ進むと、風雨を避けられそうな古い祠(ほこら)が佇んでいた。だが、その祠は普通ではなかった。太い注連縄(しめなわ)と幾重もの札が厳重に巻き付けられ、まるで恐ろしい何かを閉じ込めているかのような異様な威厳を放っている。


「雨宿りさせてもらうぞ……っと」


 祠の屋根の下に滑り込み、背中の三味線をおろそうとした、その時だった。


『……おい小僧。聞こえるか……』


 脳裏に直接、掠れた、だが重厚で威厳に満ちた声が響いた。

 俺は思わず跳び上がりそうになった。周囲を見回すが、当然ながら人影はない。声は目の前の祠の中から発せられていた。


『なにをぼさっと立ち尽くしておるのだ。見ればおぬし、三味線弾きであろ。その手にある撥(ばち)で、この忌々しい注連縄を弾き切るのじゃ』

「いやいやいや、怪しすぎるだろ! なんだお前、封印された悪霊か何かか? 俺は関わりたくないから雨が止んだらすぐ帰る!」

『戯けが! わしを悪霊などと同列に扱うな! 良いから早く助けい!』


「絶対嫌だね」と突っぱね、足早に立ち去ろうと振り返った瞬間——足を滑らせた。


「うわあっ!?」


 派手に転んだ俺の手から、三味線がすっぽ抜ける。

 三味線は宙を舞い、そのまま祠の注連縄へと一直線に衝突した。万事休す、三味線が壊れる! と俺が悲鳴を上げた瞬間、奇跡的な惨劇が起きた。


 撥が注連縄を切り裂き、張られた弦が結界の波長と寸分の狂いもなく共鳴したのだ。


 パチン——ッ!


 乾いた澄んだ音が境内に響き渡る。

 直後、祠を縛っていた札が一斉に燃え上がり、注連縄が弾け飛んだ。


「あ」


 地響きとともに溢れ出す、天地を揺るがすほどの圧倒的な霊気。

 漆黒の霧が立ち込め、その奥から巨大な九つの尾を揺らめかせる、圧倒的な存在感を放つ黄金の影が現れた。


『くっくっく……ハハハハ! 千年……実に千年の月日であった! ついに我が封印は解かれたぞ! 太古より生きる神獣、九尾の天狐の威光を、再びこの世界に知らしめてやるわ——!』


 天地を揺るがす咆哮。しかし、霧が晴れていくにつれて、その声は急速に小さくなり、高くなっていった。


『……ぬ? ぬぬっ!? なんだこれは! 霊力が……体が……持っていかれ……うぎゃあぁぁっ!?』


 ポン、とマヌケな音がした。

 霧が完全に晴れたあとに残されていたのは——柴犬ほどの大きさに縮んだ、毛並みの綺麗なモフモフの狐だった。


 沈黙が流れる。

 俺は転がった三味線を拾い上げ、無事を確認してから、足元で呆然と自分の肉体を見つめている狐に声をかけた。


「……なんだ、犬か。驚かせやがって」


 狐の全身の毛が、逆立った。


『犬ではない!!』


 耳が痛くなるほどの金切り声が境内に響いた。


『どこをどう見たら犬に見えるのだ戯けが!! わしは神獣! 九尾の天狐じゃと言っておろうが! どこに尻尾が九本もある犬がおるか無礼者! 噛み殺してやろうか!?』

「わかったわかった、キャンキャン鳴くなよわんちゃん。耳に響くんだよ」

『わんちゃんと言うなぁぁぁ!!』


 両前足で俺の膝に飛びかかってくる老狐を、俺は冷ややかな目で見下ろした。

 話を聞くに、千年の封印で霊力を使い果たしたうえ、封印が解けた反動で本来の力である「九つの尾の内八本の尾」が世界各地へ飛散してしまい、こんな不完全で小さな姿になってしまったらしい。


「まあ、何はともあれ命が助かって良かったな。じゃ、俺は村に帰って三味線の練習があるから。じゃあな、犬師匠」

『師匠とは呼ぶが犬と呼ぶな! 待ち分かれ小僧! 助けておいて捨てていく気か!?』


「当然だろ、俺はただの三味線弾きだぞ」と背を向けた、その時だった。


 ズスン……!!


 地面が大きく揺れた。雨の音をかき消すような、地鳴りのような低音の唸り声。

 杉木立の奥から、幾つもの禍々しい赤目が浮かび上がっていた。山から下りてきた魔物——赤目の妖狼の群れだ。一匹一匹が馬ほどもあり、鋭い牙から泡を垂らしている。


 そして、その群れは俺たちを無視し、一直線に山の麓——俺の村がある方向へと向かおうとしていた。


「っ……!? なんだアイツら、村の方に行こうとしてんのか!?」

『フン、霊脈の乱れで狂暴化しておるようじゃな。おい小僧、あのまま放置すればおぬしの愛する村は一刻もたたずに全滅じゃぞ』

「そんなの困るよ! 俺の平穏な生活が! 俺の三味線を聴いて野菜をくれる村人たちが全滅しちゃうだろ!」

「ならば戦え!」

「無理に決まってんだろ! 俺は刀の握り方すら知らねえんだぞ!?」


 狼のリーダー格と思われる巨大な個体が、俺たちに気づいて向きを変えた。空を切り裂くような跳躍。鋭い爪が俺の喉元へと迫る。

 万事休す。終わった、俺の短い人生——そう目を瞑った瞬間。


 ポン、と軽い衝撃とともに、老狐が俺の右肩へ飛び乗った。


『ぬかせ! 我が力を貸してやる、腹を括れ小僧!』

「へ!? うわっ、何だこれ——!?」


 次の瞬間、老狐の体内から絶大な霊気が俺の身体へと流れ込んできた。

 全身の血が激しく巡り、視界が恐ろしいほど鮮明になる。雨粒の落ちる速度すら緩やかに見えた。


 老狐の背後で、一本の尻尾が黄金の光となって収束する。その光は俺の右手に吸い込まれ——一振りの美しい、黄金の狐火を纏った日本刀として実体化した。


『ぬうう……体が鈍っておるが、背に腹は代えられん! 身体の力を抜け、弟子よ!』

 脳内に直接響く老狐の威厳ある声。


「勝手に身体動かすな! 怖いんだよ!!」


 俺の意志とは裏腹に、勝手に右腕が動いた。

 迫り来る狼の爪を紙一重でかわすと、自然な動作で刀を滑らせる。三味線の撥を叩きつけるような、流麗かつ鋭い軌跡。

 閃光が奔り、一閃のもとに三匹の狼が黄金の炎に包まれて切り伏せられた。


『踏み込みが甘い! 腰を落とせと言っておろうが!』

「言われたってできるかよ! 初めて刀握ったんだぞ!?」

『黙って技を目に焼き付けよ! 次は右じゃ! 腕で振るな、背中で振れ!』


 身体の主導権を老狐に八割がた握られた状態で、俺は悲鳴を上げながら刃を振るった。

 しかし、恐ろしいことに刃の軌道は寸分の狂いもなく狼たちの急足を捉えていく。老狐のスパルタな指示と、俺が長年三味線で培ってきた「間合い」と「リズム」の感覚が重なり合い、恐ろしいほどの殺陣が生み出されていた。


「はぁぁぁっ!」


 最後の巨大な赤目狼の首を切り落とすと、霊刀は光となって砕け、俺の肩から老狐がぽすんと地面に転がり落ちた。


 静寂が戻る。雨はいつの間にか上がっていた。


「はぁ……はぁ……死ぬ……絶対に死んだ……」

「ふん、まあ初陣にしては悪くない筋じゃったぞ、トウマ」

「……俺の名前、勝手に覚えるなよ……もう二度と嫌だこんなの……」


 地面に膝をつき、激しく肩で息をする俺の視界に、先ほどの激闘で抜け落ちた老狐の「太くて頑丈な髭」が落ちているのが目に入った。

 俺は素早くそれを拾い上げると、三味線の三の糸(一番細い弦)に巻き付けて結び直す。


 撥で爪弾くと——ベベン! と、鳥肌が立つほど美しく、霊力の乗った深い音色が静まり返った山に響き渡った。


「……うわ、すごいなこれ。めちゃくちゃいい音出るじゃん」

『おいトウマ!! またわしの髭を勝手に抜きおったな! 外道め、返せ!』

「落ちてたんだからいいだろ! 最高の弦になったぞ!」


 怒り狂って飛びかかってくる老狐の手を手で制していると、老狐は不意に真面目な顔になり、俺を見上げてきた。


『トウマよ。おぬしの体に我が霊力が馴染んでしまった。このままではおぬしの身も霊力に押し潰されて危険じゃし、わしも本来の力を取り戻せぬ。飛び散った残り八本の『尾』を探す旅に出るぞ。我が『師匠』として、おぬしを一人前の剣士に鍛えてやるのじゃ』


「断る。俺は村で呑気に三味線弾いてたい」

『……尾を全て集めれば、おぬしを完全に解放してやる。このまま我の霊気を含んだままの体では魔物が寄ってくるぞ?』

「……マジで? もう平和に暮らせないじゃないか、絶対約束しろよ?」


 はぁ、と今日一番の深い溜め息が出た。


 戦うなんてまっぴらごめんだ。でも、元通りの平和で呑気な日常を取り戻すためには、この口うるさくて犬扱いすると即座にキレる「師匠」と一緒に世界を巡るしかないらしい。


「分かったよ、師匠。……その代わり、街に着いたら俺は演奏でお金稼ぐからな。俺は三味線弾きなんだから」

『ククッ、好きにするがよい。行くぞ弟子よ! 尾の手がかりを求め、まずは隣町のダンジョンじゃ!』

「いきなりダンジョンかよ!」



ここまで読んでいただきありがとうございました!


伝説の九尾なのに柴犬サイズになってしまった師匠と、絶対に戦いたくないトウマの冒険が始まりました。


次回『第二話:酒場の演奏と、スパルタ師匠』

次の町でトウマが三味線でお金を稼ごうとするのですが……?

次回8月16日19時予定 


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