03:アスラの凱旋
「ぐ……ぁっ」
アスラを苛む頭痛はノーライフキングの魂を丸呑みしたせいだ。
うっすらと瞳を見開いたアスラは、体を動かそうとして悶える。
元々、魔法実験に耐えられなくなって廃棄された身だ。
アスラはとっくに限界を迎えている。
立ち上がることはおろか、このままでは数分もたずに死を迎えるのは明白だった。
「どう、すれば……」
誰か。
誰か……。
ぼやけていく意識の中にその声はあった。
【死にたくなくば治癒魔法を使うのじゃ。術式は――】
透き通った女性の声だ。
アスラの体の内側から生まれた声は、使うべき魔法の術式を列挙していく。
彼自身は実験体となるばかりで魔法を学んだことはない筈なのに。
それなのに。
(僕は、魔法を……知ってる……?)
アスラは揺らぐ思考の中で魔法の術式を描いていく。
展開するのは治癒魔法だ。
学べば数十年はかかる複雑な術式は、アスラが魔力を込めると順番に起動していった。
精神の再構築――完了。
肉体の再構成――完了。
第七階梯の治癒魔法 《エンシェントハイヒール》。
「……体が、もう痛くない……息も苦しくない……?」
全快までにかかった時間は僅か十秒。
通常なら数十人規模で行う儀式魔法を一人で複数展開した結果だった。
【瘴気への適応はノーライフキングを取り込んだ影響じゃ。
しかし驚いたのう……よもや初めての魔法をこうも容易く扱うとは。
勘は鋭そうじゃ】
アスラはゆっくりと体を起こして立ち上がる。
思いっきり息を吸えたのは久しぶりだった。
動かしても痛くならない体に驚いていると、胸の中で何かが蠢くのを感じた。
【ふむ……元気になったようで何よりじゃが……みすぼらしいのう】
アスラは殆ど全裸だった。
腐りかけた絹が肩から滑り落ち、更なる解放感に全身が包まれる。
【……少し貴様の魔力を借りるぞ】
女性の言葉と共に、腐り落ちた布や混沌熊の毛皮、周囲の草木が崩れていく。
再構築されたのはアスラの服だ。
黒を基調としたそれはどこか格式があり、ゆったりとした作りになっている。
「ありがとう……ところで君は誰? ノーライフキングじゃないよね?」
くすりと、アスラの中で誰かが笑った。
【妾の名を問う前に、貴様はこれからどうするのじゃ?】
「どうするって……?」
【貴様は今、最強の力を手にしたのじゃぞ!?
かつて世界に常闇をもたらしかけた、アンデッドの王に相応しい大いなる力じゃ!】
(大いなる力……)
目を閉じれば頭の中に数多の術式の欠片が広がっている。
一度の人生では蒐集しきれないそれらは、一つ一つが組み合わせれば最強の力に違いなかった。
「つまり、ノーライフキングの魔法が使い放題……?」
【さあ、その力でまず何をする? 人間を鏖殺するか?
それとも自然を焼き払い、恨みで星を闇の中に引きずり込むか?
自由となった貴様は何を望む?】
威勢を増す女性の声に問われて。
アスラが最初に思い浮かんだ自由は。
「……みんなを、友達を助けに行く」
【……は?】
「今も辺境伯に囚われてる友達を助けに行く」
アスラの感情とは別の怒りが胸の中で渦巻く。
【この阿呆が! 自分以外の者のためにその力を振るうと!?
貴様はようやく自由になれたのだぞ!?
弱者など切り捨てれば良いではないか!?】
「そういう言い方するなら……怒るよ?」
胸の中で渦巻いていた怒りは、アスラの一言で凪いでいく。
【……良かろう。ならば妾たちに見せてみよ。
貴様が臣下を統べるに足る王の器か否か】
「妾たちって……他にもまだ誰かが僕の中にいるの?」
【今はまだ、他の者は眠っておる……】
それ以上の返答はない。
声自体が錯覚だったのかと首を捻っていると、辺りに獣の臭いが急速に充満する。
【グルルルアァァアァ!】
木々の影から現れたのは大きな魔物だった。
四つの赤い瞳がアスラを見下ろし、鋭い牙を蓄えた顎からは涎が滴っている。
双頭の巨大な犬。名を双頭犬。
初めて見た筈のその魔物をアスラはもう知っていた。
「ねぇ、ちょっと教えて欲しいんだけどさ」
【ガウアアッ!?】
アスラが一歩近づくと、体の大きな魔犬は一歩後ずさる。
「この森の出口まで案内してくれないかな? 城塞都市ルーティカに戻りたいんだ」
アスラは知らない。
双頭犬は見たのだ。
優しく微笑む彼の奥底にいる常闇の王の姿を。
【ク、クウゥゥン……】
ひっくり返る狼の巨体。
お腹を見せるその姿は、もはや魔犬ではなくただの犬だ。
(この力でみんなを助けて、どこか遠くへ逃げて……静かに暮らせるかもしれない……)
未来に思いを馳せながら、アスラは黒い毛を撫でまわすのだった。
※※※
ダナット王国辺境伯領は《魔界の庭》に隣接している。
中でも城塞都市ルーティカは領内で一番大きな街だ。
魔物の飢餓暴走を食い止める役目を担い、《魔界の庭》に隣接する環境から奴隷やノーライフの人身売買が盛んに行われている。
「侵入者だッ! 伯爵をお守りしろ野郎どもッ!」
辺境領を収めるノルマン伯爵の屋敷は街の中心にあった。
権威を示すように丘の上に建てられており、門を抜けても広い庭園が広がっている。
「チッ、表の門番は何してやがる!」
「訓練通り展開しろ! 遅れんじゃねぇぞ!」
太い柱に支えられた白い屋敷は、蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。
赤い絨毯の敷かれた玄関ホールに侵入者――アスラが現れたためだ。
馬車が四台並んで止められる程に広いその場所で、男たちの怒号が飛び交っていた。
「せっかく帰って来たのに酷いなぁ」
アスラへ向けられる剣や槍の先。
矢は弓に番えられ、魔導士たちは杖を手に構えていた。
「お前一人か!? 仲間は何人いる?」
「僕を覚えてないの? 散々僕を殴りつけたくせにさぁ」
「殴り……貴様、まさか……ノーライフのアスラか……?」
一階で十人、ホールを見下ろせる二階に二十人。ざっと三十人程度が揃っていた。
見知った顔ぶれの中に、アスラは彼を捨てた男の姿を見つける。
「ばあ! 化けて出てみました」
「あの怪我が治るわけが……アンデッドに堕ちたか!?」
「おかげ様で今はすごく気分が良いんだけどさ……邪魔するなら容赦しないよ?」
ぬるりと、アスラの影から白骨化した腕が生える。
ゆっくりと這い出して来たその魔物は躯の兵士――スケルトンだ。
名はカラガン。
屋敷へ向かう途中で勝手に現れ、アスラの代わりに門番を切り殺した魔物である。
【カラカラッ! 戦いの気配を感じ参上いたしましたぞ、アスラ殿】
うやうやしく傅くカラガンの、虚ろな双眸が興奮に染まっていた。
「僕はノーライフキングじゃないけど、それでもまた手伝ってくれる?」
緊迫した場の雰囲気に、カラカラと愉快な音が響く。
スケルトンはどういう発声方法なのか、笑うと骨が鳴ってしまうようだ。
【カラカラカラッ!
アスラ殿についていけば血湧き肉躍る戦場に困らなそうですからな!
いくらでもお呼びくだされ】
アスラの影から更に五体のスケルトンが這い出て、その数は六体となる。
【カラガン軍曹以下はカラガン兵長の指揮下に入り、見事に敵を血祭にあげてみせましょう】
【我らがそうであったように! 我らがそうであったように!】
【およめさんはいますか!? およめさんはいますか!?】
【さぁ一言ご命令を! 鏖殺しろ――その一言で惨劇の幕は上がりましょう!】
カラガンたちは手の中で剣を回し、盾を持つ肩を回してカラカラと骨を震わせる。
たった六体の増援だ。
誤差の範囲でしかないと私兵たちは薄ら笑いを浮かべていた。
始まるのは喜劇ではなく、惨劇だというのに。
「――鏖殺しろ、カラガン」
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