16:始祖の心臓
「惨殺して差し上げますわ」
再生を終えた三体の《眷属》たちがエプスタインへ殺到していく。
門前で神聖騎士たちを葬った怪物たちだ。
万に一つも圧倒出来る――筈だった。
「素晴らしい技だが……それはもう再現している!」
エプスタインが指を鳴らすと《眷属》たちはぴたりと動きを止める。
「なっ、なぜ……う、動きなさいっ!」
「僕の支配権の方が上だということだよ」
彼の言葉を証明するように、《眷属》たちはその場で崩れていく。
「始祖の血をノーライフどもに調整輸血し、人の体に馴染むように作り替えたのだ。
そしてそれを投与した僕は……《始血夜姫》より始祖に近いということだよ」
たかが人間風情が始祖の力を操る。
自身の血に苦しめられてきたセレスティナにとって、それは信じがたい事実だった。
「君はどれだけノーライフを犠牲にしたんだ」
「数百年にも及ぶ研究だからねぇ……長生きをすると忘れっぽくなって困るよ。
記録を見ないと正確な数字は分からないなぁ」
「むごいことを……」
「むごい? 不死王は馬鹿か!? 研究は後世に残り、
ノーライフは人類発展の礎となりエリシア様に罪を赦される。
誰も損しない効率的な流れじゃないか!」
セレスティナの瞳が紅く染まる。
ノーライフの記憶も持つ彼女にとって、それは我を忘れさせるには充分な言葉だった。
「――《散華せよ紅き夜の血》」
砕けた《眷属》の欠片を血液へと戻し、次なる攻撃を放とうとしたまさにその時。
ぽん、と少女の肩にアスラの手が置かれた。
「セレスティナ、落ち着いて。また同じ手で防がれるよ」
「ですが……っ!」
「殺すなって言ってるわけじゃない。僕だって頭にきてるんだ」
アスラの表情は普段と変わらない。
だがしかし、セレスティナは怒れる不死王の姿を確かに見た気がした。
「ここは僕がやるから」
気配とは裏腹の落ち着いた声音に、セレスティナは熱が徐々に冷めていくのを感じた。
対照的に怒りを露わにするのはエプスタインだ。
「止めるなよノーライフキングゥゥッ! 記録が得られないじゃないかぁぁぁッ!」
「《ウインドスラッシュ》ッ!」
百発百中の弓兵リンに託された風の斬撃は回転を始め、宮殿内に血の竜巻を起こす。
エプスタインを中心に捕えた風の檻は、徐々に狭まり彼の生存圏を脅かし始めた。
だというのに。
「半殺してから連れていく予定だったが……もう待てないねぇッ!」
エプスタインの叫びを合図に――大部屋の地面が爆ぜる。
崩落は彼のみならず、アスラとセレスティナを飲み込んでいく。
「直々に、僕の研究成果で遊んであげるよッ!」
眼下に広がる暗い奈落。
落ちていくエプスタインの耳障りな笑いの中、セレスティナの腕が伸びる。
「アスラ様、お手を――ッ!」
彼が反射的に手を掴むと同時、セレスティナの背に血の翼が広がる。
衝撃と轟音が眼下で響いていた。
二人の体はゆっくりと落ちていき、やがて砂塵の中に着地する。
「ここってもしかして……」
「位置関係では……《夜天の宮殿》の最深部。心臓を封じた部屋あたりでしょう」
「ご名答ッ! 今は僕の研究室だけどね!」
暗闇は一瞬にして光に塗り潰されていく。
そこは白と紅しか色がない空間だった。
床から壁面、天井までが真っ白だ。
紅い液体の詰まった透明な大樽が規則的に並び、ぼこぼこと泡を立てている。
いくつもの箱が立てかけられ、寝台には血の跡が生々しく残っていた。
だが最も目を惹くのはエプスタインの背後――
「あれが、セレスティナの……始祖の心臓」
水晶に包まれた心臓は、力強く拍動を繰り返していた。
結晶から滲んだ血は漏れ出し、乗せられた台座を紅く染めている。
「《始血夜姫》の復活以来、拍動は強くなるばかりだ!
もし心臓が主の元に戻れば、そこから採れる血は更なる力を引き出せるだろう!」
エプスタインが指を鳴らすと、次々と大樽が割れていく。
内部の紅い液体と共に現れたのは十人の子供たちだ。
その姿に――セレスティナは小さく息を飲む。
怪物だ。
小さな体に似つかわしくない大きな腕。その本数も多い子では五本にものぼった。
皮膚は継ぎ接ぎだらけで所々腐っており、喉は声にならない苦痛を絞り出している。
彼らは有する真っ赤な瞳でもって、アスラたちを見つめていた。
「これのどこが……理想の世界でして……?」
同時に、セレスティナは自身の体を無意識に抱く。
彼らを怪物へと変えた血が流れていると思うとたまらなかったのだ。
「ノーライフキングは封印を解かせた後に殺す。
《始血夜姫》は四肢をもぎ、心を壊してから作業台に乗せよう。
その後は……くふふ、お楽しみだぁ」
皮算用で興奮するエプスタイン。
血の力は使えなかった。
その上で小さな怪物たちを傷つけず、エプスタインを撃破しなければならない。
(ど、どうすれば……)
戦闘が始まる。
濃密な死の香りをセレスティナは感じ取ったその時。
アスラは……挙手していた。
「……ん?」
その動きはエプスタインにも予想外だった。
呆気にとられた反応へアスラは提案を被せる。
「元々僕たちは心臓の封印を解きに来てるんだよね」
一同の沈黙は数秒。
小さな怪物たちの発する唸り声だけが、戦いの緊張感を繋いでいた。
「むしろ今、君が封じを解きにきた僕たちを邪魔してる形なんだけど?」
「何を言って……ふざけるなよノーライフキングッ! 貴様の戯言など……ッ!」
「戦わずに僕が封じを解いた方が効率的だと思わない?」
アスラの問いに固まるエプスタイン。
彼は顎に指を添え、巡る考えに眼球を動かす。
「む……ふむ……それは確かにその通りだ。仮に暴れても制圧は容易。
余計な手間と実験体の消耗が抑えられ、研究の時間も増える……実に効率的」
だがしかし、と言葉は続く。
「ノーライフキングの手の平の上で踊るのは……御免だねぇ」
瞬間、セレスティナがその場で硬直する。
驚愕で見開かれた臣下の瞳にアスラは全てを察した。
「僕を出し抜けるとでも思ったかい? 言ったよねぇ僕の方が始祖に近いって!
《始血夜姫》の体に流れる血も、当然僕の支配下なんだよ?」
エプスタインが指を鳴らすと、小さな怪物たちはアスラたちへ道をあけた。
「さあ、心臓を持って来いノーライフキング。臣下の命は大切だろう?」
人質にされたセレスティナの唇が屈辱に震えていた。
それは体が不自由になった恐怖からか。
あるいは魔将としてのプライドからか。
アスラは怪物たちに睨まれながら、ゆっくりと歩みを進めていく。
怪物たちの間を抜け、エプスタインを越して台座へ。
「これが……始祖の……」
水晶の中で心臓が紅く脈打つ。
体から離れても動き続ける姿は生々しいことこの上なかった。
意を決したアスラが水晶体に触れると、脳内に術式が流れ込む。
複雑で恐ろしく長い術式だ。
無理に破壊しようとすれば、その力を反射する攻撃魔法も組み込まれている。
だがしかし、鍵があればその限りではなかった。
「ノーライフキングの魂が鍵か……うん、やっぱり僕なら封印を解けそうだ」
アスラの触れる水晶体が段階的に輝きを増していく。
一つ、また一つと鍵を開くにつれ、その指先は水晶の奥へ沈んでいった。
(固くも柔らかくも、濡れてる感触もない……)
ずぶずぶと腕が肘まで水晶に潜る。
アスラは手の平に封じられた心臓を乗せると、一気に腕を引き抜いた。
「これが……セレスティナの……」
水晶がばしゃりと溶けて液体となり、台座を結晶化させる。
心臓は今も脈打ち、アスラの手の平に生を実感させた。
「さぁ僕に心臓を渡したまえノーライフキング! それとも臣下をここで爆ぜさせようか!?」
声を張るエプスタインの言わんとすることは一つ。
心臓の譲渡――それが彼の望む結末だ。
「ア、アスラ……さま……」
訴え続ける、見開かれたセレスティナの瞳。
声を絞り出したセレスティナの言わんとすることは一つ。
心臓の破壊――それが彼女の望む結末だ。
両者から投げかけられる圧に対してアスラは。
不満そうに顔をしかめ、動けないセレスティナに向き直った。
「歩く道は自分で選ぶって……あの夜に決めたんだ」
ぽつりと呟いた言葉と同時に。
肉体強化と風魔法の補助により、アスラの足がその場で加速する。
「なっ……っ!?」
エプスタインの横を駆け抜け、怪物たちが開いた道を滑り抜けて。
アスラの左手がセレスティナの右肩を掴んだ。
動揺する彼女の胸へ――心臓を握ったアスラの右手は深く突き立てられた。
「……は?」
茫然とするエプスタイン。
セレスティナはアスラの腕を抜こうとするがもう遅かった。
「な、にを……っ!?」
体内に戻った心臓が血管という脈の根を張り始める。
「心臓が戻ればワタクシは暴走を……理性のない始祖の怪物に――」
びくともしない右腕の先には、真摯なアスラの瞳があった。
「僕は初めから家族を知らない」
エプスタインが大声で怪物たちをけしかける。
けれど彼の言葉は、直接セレスティナの胸に届いていた。
「けれどセレスティナはまだ間に合うよ。
君は覚えてないかもしれないけど、この心臓はきっと覚えている筈だから」
「娘を痛めつけ、冷たく扱う親の何を知っても――」
どくん。
セレスティナの中で心臓が脈打つ。
それは意識が飛ぶほどの衝撃と力そのもので。
「逃げてくださいまし……今のアスラ様では……」
「じゃあ全部、支配して?」
セレスティナの傷も、葛藤も、苦しみも全てを知った上で。
アスラはほほ笑む。
臣下でいたければ全てを手に入れろと――王命を下す。
「僕の国に、ノーライフはいらないよ」
心臓から運ばれる濃密な血の力。
溢れ出る今ではないどこかの時間。過去への逆行。
溺れゆく意識の中でセレスティナは確かにその声を聞いた。
王の力を継いだ少年の、心の奥底にある優しさを。
(アスラ様……アナタはワタクシに何を求めて……)
セレスティナは沈む。
押し寄せる記憶の中に沈み――アスラへぐったりと体を預けた。
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