第七十話『混沌とした急流』
大陸暦一三五八年、九月十日――
作戦の進行状況を指揮車にて聞いていたカリエは、概ね順調に進んでいる事に対し、幾ばくかの警戒心を抱いていた。あまりにもうまくいきすぎている――市庁舎正面の敵を制圧する戦車隊からの報告が入るたび、その先にいるであろう何かを見据えていた。
「あの嬢ちゃんにはダルトンの奴を付けてやった……」
「ダルトンというと、リカンパ顧問の弟さんですかね」
「あぁ。色々あって、リカンパ家のために軍を退いて貰ったが、あたしの片腕として立派にやってるよ。自慢の弟さ」
運転席の軍曹が口を挟むと、カリエの声色は僅かに柔らかさを取り戻した。面体のためにキャリアを潰される形となっても、懐刀として動いてくれている。仮にそう思っているのが自分だけでも、結果が出ていれば良いというのがカリエの本心だった。直後、無線から入るノイズ混じりの怒声に、全ての空気は戦場の混沌に引き戻された。
「何だ、どうした!?」
『二号車が被弾し、炎上! 脱出者なし、周囲の傭兵も動きがありません!』
正面の引き付けを任されていた戦車隊からの通信だった。
「攻撃の正体は分かるか?」
『分かりません、敵に対戦車火器の存在は確認出来ませんでした!』
「魔術によるものなら、炸裂火を強化や反響の術式陣で重ねて撃てば、戦車の車体正面なら壊せなくもないが……」
独りごちたカリエの脳裏を、魔封じの効き目が切れたのではという不安が過ぎる。投下爆弾に術式陣を刻んで広範囲に魔術の効果を及ぼす実験はした事があった。しかし、実験と実戦ではまるで状況が異なる。その不安は、次の悲鳴により確信となった。
『あれは……竜です、風と稲妻の渦巻く竜が上に……!』
落雷に似た響きに引き裂かれたようなノイズが、戦車隊からの無線を断ち切った。カリエは思わず指揮車のハッチから身を乗り出し、市庁舎の上に目をやった。稲光を引いた黒雲が渦巻いている。その光景には見覚えがあった。妖精の郷の入り口で、風の竜王ミュルコ・モースが見せた、あの渦巻く稲妻だった。
「似ている……情報通りか……!」
カリエは歯ぎしりすると、改めて風の四天王を鋭く睨み付けた。
「全速前進、奴をここで仕留める!」
「戦車隊もやられたんですよ!?」
「風や雷の魔術そのものでは、戦車に対してそこまでのダメージには至らんさ。さっきのノイズは無線がやられただけだ。一番気を付けるのは、竜の魔力による精神干渉さ」
風の竜の魔力による精神干渉は、主に高揚感を与えるというプラスの面が強い。しかし、度が過ぎればそれは無秩序への扇動となり、場合によってはショック症状を引き起こす。
「分かったら、車を出すんだ。竜の魔力に対しては、あたしが守りを固める」
「了解」
軍曹はアクセルを踏み込むと、指揮車を前進させた。カリエは右肩に精霊ロアを実体化させ、車内の空気を張り詰めさせた。市庁舎に近付くにつれて、風が勢いを増して渦巻く。稲光の走る黒々とした雲に飛び込んだような錯覚に陥り、軍曹はハンドルを握る手が汗ばんでいるのを感じた。目は見開かれ、呼吸は荒く、顔中に粒となった汗が浮き出ている。
「ロア、負けんじゃないよ」
カリエもざわつく心を抑えながら、ロアを使役していた。精霊魔術と竜の魔力、精神干渉を拮抗させるには決して充分とは言えない。元より、分の悪い賭けだった。英雄的存在や竜王をもって初めて拮抗出来る相手が、軍という組織に守られている。それを突き崩すには自軍の大半を囮にした奇襲しかなく、その制限時間も残りわずかとなっていた。
「騎兵隊は……まだかい……!?」
カリエは内心、タイミングのズレを感じていた。予定通り、それ以上に事が運び過ぎた。それにより『騎兵隊』との足並みが揃わなくなった可能性がある。あいつらの頑張り過ぎだ――口中に悪態をつきながらも、始まってしまった以上は終わらせるしかない状況に、少しでも手助けをするしかないと自身を叱咤していた。
魔封じの術式が切れた事で、状況が一変したのは地上も同じだった。市庁舎の裏手側に回り込んでいた傭兵隊を襲ったのは、見えない攻撃だった。
「よく持ちこたえた。ここで奴らの勢いを削ぐ!」
地の四天王ヨイカフツの手繰る浮石の術式は、さらなる進化を遂げていた。妖精の郷でリンダ達を苦しめた宝石の刃に加え、砲身の形に切り出した石材に、魔晶石が埋め込まれた物体が飛び回っている。
「二重術式か……!」
サイクスが口中に吐き捨てた。石の砲台は、浮石の術式で飛び回り、中の魔晶石から魔光弾や毒針の術式を放ってくる。反動の都合から炸裂火ほどの威力があるものは飛んでこないが、牽制としては充分なほどの効果があった。
少しでも動きを止めたら、そこを突くように斬り刻まれる。既に五人の傭兵が倒れていた。さらに、まだ半数以上のオルウーク兵が残っている。正面の囮も上空の援護も、ワイヨールによって制圧されていた。
「二番機、脱出しろ!」
風に煽られ、稲光に貫かれた機体が制御を失い、錐揉み回転しながらゆっくりと墜ちていく。黒い渦を巻くような風をまとい、竜王の系譜に連なる者が迫る。ボーヴァンは操縦桿を握る手におびただしい量の発汗を覚えながら、機体を急上昇させた。
「ついてこい……!」
主翼が軋み、エンジンは限界とばかりに振動する。ほとんど垂直に近い格好で昇り続けるボーヴァンは、自身の体に起きる異常の全てを興奮物質の巡りによって無視していた。
「……俺が、相手だ!」
ヨイカフツの前に躍り出たのはカーンだった。ドワーフの拳銃と大振りのナイフ、あとは一握りの度胸だけが彼の武器だった。自棄ではない、自分が出る事で彼女の見えない攻撃を引き付けられるのであれば、という目論見によるものだった。
「悪いけど、あんた一人を相手にしているわけにはいかなくなった」
「これでもか!?」
残念そうに返したヨイカフツに対して、カーンは間髪入れずに発砲した。弾は彼女を逸れ、その奥にいたオルウーク兵に直撃した。挑発しているのである。これほどされて、受けて立たなければ戦士の名がすたる。戦化粧まで施した身が、心の底から疼いていた。
「それでも……!」
石の砲台が三基、彼女の目の前に舞い戻った。恐らく、一撃で仕留める構えだった。魔晶石に赤い輝きが宿る。拳銃一丁で相手するには、間違いなく無理があった。配下の兵に手を出させないのは、戦士としての矜持を天秤に掛けた結果だろう。そして、その矜持は彼女の仇となった。
「何だ!?」
出し抜けに響いた悲鳴、イェリアが二振りの剣で斬り込んで来たのだ。彼女だけではない、ティットルが援護に放った妖精剣の半数が踊るようにイェリアを中心に廻っている。併せて五振りの剣が、まるで外れて飛んだ電動丸鋸の刃のように暴れている。謀られた――ヨイカフツがカーンに向き直ると、今度は彼が申し訳なさそうな顔をしていた。
「やれ、リンダ!」
「任せて!」
素早く屈んだカーンの背後から、鉄帽を被ったリンダが姿を見せた。何かに触れようとする仕草には見覚えがある。ヌンカル火山の戦いで見せた、コピーの力だった。ヨイカフツはまさか、と思い身構えたが、別段に何かが起きたという気配は無かった。
「……どうした?」
「……おかしいの、コピーが使えない」
「何だって?」
狼狽するリンダに、抜けた声で返すしかないカーンの姿は、ヨイカフツからすれば好機だった。石の砲台を再び煌めかせ、術式行使の準備を整える。イェリアは宝石の刃で足止めしている。
「悪いけど、ここで死んでもらうよ」
宝石の刃が無い以上、放たれる術式は考えられる限りで最大の威力のあるものだろう、リンダとカーンは容易に想像がつく光景に、見るからに慄いている。瞬きひとつの先にある闇が、二人の脳裏を過っていた。
「リンダ! カーン!」
二人の危機を視界の隅に捉えたエリックだったが、今の彼の手にあるのは杖ではなく小銃であり、放つものは魔術ではなく弾だった。予備の魔晶石の筒は持っているが、起動の必要がある上、手で持ったままの術式行使は危険が伴う。まごついていると、唐突に鉄帽を叩かれた。
「エリック君、その筒は銃剣の要領で取り付けられるタイプだ。ここは私が引き受ける。二人を」
「分かりました」
嫌に真剣な声色のニールのアドバイスが、エリックの耳朶を打った。戦場の混沌さえ貫くような、底冷えするような重さを含んだ声だった。エリックは魔晶石の起動呪文を早口で紡ぎながら、震える手で着剣の訓練を思い出しながら筒を小銃に取り付けた。
「間に合え……!」
リンダとカーンの元へと駆け出したエリックを、オルウーク兵が狙う。しかし、その指が引き金を引くより早く、こめかみに銃弾を叩き込まれていた。
『命中、次』
半壊した商店の二階に陣取り、瓦礫と看板を遮蔽物に狙撃銃を構えるのはネジムだった。傍らには別の傭兵隊の腕自慢がスコープを覗き込んでいる。
「あんた、やるなぁ」
「こいつは地元じゃ名の知れた狩人の一家の出でな。狙撃は一族の男の必修みたいなもんだ」
言葉の通じないネジムに代わり、ダジラが応じる。彼は命令伝達のほか、狙撃に集中するための周辺警戒も担当していた。
『ダジラ、イェリアが危ない』
『分かった、サイクスに伝えてくる。ちょっと開けるぞ』
そう言うと、ダジラは二階の崩れた壁からそのまま飛び降りた。軍からの支給品よりも二回りも大振りな銃剣を取り付けた小銃を振り回し、サイクスの元へと向かう。横隊を組んで迎撃に出たオルウーク兵の足元に、一発の銃弾を撃ち込んだ。目も眩むような閃光が走り、見た者の視界を奪う。殺傷力の無い、閃光榴弾だった。
「小銃弾用だから、大した効果は期待出来ないが、穴を開けるくらいなら充分だ!」
目が眩んでいたオルウーク兵数名を、銃剣のひと薙ぎで打ち倒した。それはちょっとした長刀の一振りに近く、鍛え上げられたダジラの赤銅色の肉体は、それを破壊力に変えるだけの力を有していた。
「サイクス、イェリアの嬢ちゃんが危ねぇ。助けてやれ」
「分かった、すぐに向かう」
イェリアの吶喊に乗じて防御陣地に乗り込んでいたサイクスが、彼女の姿を見つけるのに時間は掛からなかった。二振りの剣で暴れ回る姿など、血煙の上がる場所を見れば把握出来る、それよりも、サイクスにはイェリアをすぐに見つけられる理由があった。
「妖聖剣が残り一つ……ちょっと突っ込みすぎたかしらね……」
斬り込んでから、ちょうど五十人目の敵を仕留めたところで、イェリアは自身を取り巻く危機に気が付いた。冥界の使者は常人と比べて身体能力が高いものの、無敵という程ではない。囲まれている以上、銃撃を受ける可能性は低かったが、少しずつ距離を置かれている。流れ弾を考慮せずに撃ちかけられたらひとたまりもない、残り一振りの妖聖剣をどう動かすかを考えていたところに、影が差した。
「炸裂火の術式、連弾!」
頭上から放たれた火炎弾がオルウーク兵の集団で炸裂し、焼け焦げた臭いと悲鳴がたちまちにイェリアの周りを包み込んだ。
「ニッ……サイクス!」
「……ご無事ですか、母上」
イェリアが言い淀んだ名前に対し、サイクスは躊躇わずに返した。




