第七十一話『転換点』
大陸暦一三五八年、九月十日――
港湾都市アーカルをめぐる攻防は、思いのほかキュリール王国軍の優勢だった。郊外あたりでぶつかる事で市内の主力をおびき出しつつ引き付けさせる算段だったが、想定以上に攻勢が進んでいる。
「キュリール軍は市内へ進入、郊外の防衛線は突破されました」
「ふむ、陸の奴らはかなり苦戦しているようだな。まぁ、そう来なくては、こちらも艦隊を連れて来た意味がないだろうがな」
アーカル沖に座するワーグリン海軍機動部隊旗艦、ビオムス級空母二番艦『リギニオ』の艦橋では、芳しくない戦況を歓迎するような空気さえあった。
「港を押さえているカレド軍の巡洋艦はどうしている?」
「はっ、既に重巡『チャヤム』及び軽巡三隻は港から離れ、市街地への砲撃準備を進めております」
「よろしい。仮にキュリール軍が艦を回してきたところで、フリゲートばかりの奴らでは、我らの亀甲陣は破れまい」
ワーグリン、カレド二国の連合による艦隊を率いる提督は、遠くに見えるアーカルから立ち昇る黒煙を見て、薄ら笑いを浮かべていた。事実、ワーグリン海軍の編成は空母一、軽巡二、駆逐三であり、これを突破するには、キュリール海軍の力はあまりにも足りていなかった。
地の四天王、ヨイカフツが浮遊させている石の砲台は、砲口から覗く魔晶石を爛々と輝かせていた。配下のオルウーク兵に手を出させないのは、せめて自分の手で葬るという意思表示だろう。本心を言えば、戦士として相対したかったが、状況がそれを許さなかった。なかなか術式の行使に踏み切れずにいるのは、その葛藤も含まれていた。
「刃光の術式」
三門の砲台から放たれたのは、弧状の光だった。刃光の術式は、魔力で圧縮された高熱の刃を撃ち出す術式で、あまりにも高い熱ゆえに光を帯びる事から、その名が付けられた。金属さえ焼き切る火力があるため、人間など当たればひとたまりもない。溶断ところではなく、蒸発する勢いだった。しかし、その刃はリンダとカーンの身体を無に帰す事はなかった。爆発に近い轟音と衝撃、そして周囲に溢れる生臭い蒸気が、状況を物語っていた。
「……まさか、鏡幕と障壁の同時行使とはね」
半ば安堵した表情のヨイカフツの視線の先には、エリックとヴァイスの姿があった。一人と一頭は、各々の得物を掲げている。
「奴らに近付くな。あの鏡幕は血を集めて張った」
「了解、だから臭いのか」
オルウーク兵の一人が鼻をひくつかせながら顔をしかめた。鼻が利くオルウークにとって、焼け焦げた血の臭いは人よりも堪える。水から離れている以上、水の魔術を行使する者はいないと踏んでいただけに、足元をすくわれたような気分になった。その一瞬の隙は、エリックの魔晶石の筒がまだ輝きを残していた事を見落とすには充分だった。
「突風の術式!」
血煙を含んだ淀んだ空気が、風に乗って吹き付けられる。思わず目をそむけ、顔を伏せる者が相次いだ。血煙を含んだ突風は、オルウーク兵の優れた目と鼻をたちまちに無力化するには充分だった。
「ぐっ、怯むな! 奴らから顔を背けるな!」
えも言えぬ臭いを含んだ空気を叩き付けられながらも、戦化粧で幾らか軽減していたヨイカフツが怒鳴る。臭いも堪えるが、ほとんど霧状の血煙が目を傷めてくるのも大きな要因だった。
「なるほど、確かに凄い臭いね」
ヨイカフツは背後に明らかな異種の声を聞いた。オルウーク兵を次々と斬り伏せてきたイェリアが、浮石の刃まで叩き落として迫ってきたのだ。
「態勢を立て直せ!」
イェリアとヨイカフツの距離はほとんど無かった。あと少し踏み込めば、必殺の間合いとなる。石の砲台を二門崩し、すぐさま即席の籠手へと姿をか変える。端から見れば、両腕がたちまち巨大化したようなものだった。
「俺が戦った時よりもでかい……イェリアさん一人だと危ないな」
「挑むなら、援護する。僕の中にいる誰かさんも、だいぶ状況が飲み込めて来たようだ」
ナイフと拳銃を構えたカーンに、エリックが声を掛けた。その顔立ちは端正というより妖艶で、男の顔にどこか女の色気が宿っている。
「あんたが、エリックの中にいる女か」
カーンのぼやきに、エリックの口許を借りた何者かはうっすらと笑みを浮かべた。薄気味悪さもあるが、今は戦いに勝たなくてはならない、その気持ちが先行していた。
リンダはヴァイスやダジラに守られながらも、どこか茫然自失の気があった。写し身――コピーが使えなかった事が、少なくない衝撃になっていたのだ。
「しっかりして下さい、コピーが無くとも戦えるよう、訓練は積んできたはずです」
「う、うん」
リンダの背中を軽く叩いて気付けをするが、自分の価値と思っていたものが失われた衝撃が分からないヴァイスではない。しかし、コピー無しで戦える事を勇気付けられるカーンとエリックが近くにいないため、励ましにも限度があるのもまた事実だった。
「腹に力入れろ、俺達は敵の真っ只中なんだ」
ダジラが背中合わせになって小銃を構える。有無を言わさず背中を任せるという意図にも取れた。リンダは動揺しながらも、カーンに言われた事と、義勇兵になってから受けた訓練を思い出していた。狙いを定め、引き金を引き、レバーを動かして排莢と装弾までを円滑に行う。オルウーク兵は自分達を囲んでいるに近い形になるので、流れ弾の懸念から安易に撃ってくる事はない。遠目に見ると、リンダ達は口蓋垂のように突出している。何かの弾みで包囲されかねない危うさと、敵の集団を分断して混乱させる可能性を併せていた。
「俺達は楔だ。敵陣に打ち込まれた楔なんだ。このまま突き抜けて、市庁舎を奪還する!」
ダジラの怒号に似た声色は、不思議とリンダを勇気付けていた。どことなく、マークスに似ている。懐かしささえ覚える程だった。遠くにマリーやゴードンの声が聞こえるような気さえした。
「全速前進! 先行した義勇兵と合流する!」
「了解!」
ふと、聞き覚えのある声が聞こえた。気のせいと思いつつも、戦場の混乱の最中にありながら、不気味な程に通る声が、リンダの耳朶を打ったのだ。
「くっ、何が起きている。奴らはどこから来たのだ」
上空から逆落としを企みつつも、ボーヴァンの巧みな操縦によりかき乱され、翻弄され続けるワイヨールは、下界のさらなる変化に戸惑っていた。状況の把握が追い付かない。後ろを取り合う巴戦になってから、半刻あまりが経過していた。
「一機は呆気なく墜ちたが、奴は何なのだ」
老体の背骨は軋み、臓腑は腹から飛び出そうなほどに引っ張られている。我慢比べだった。高さを活かす、八の字、捻り込み、あらゆる機動を繰り出し合いながら、決着しなかった。ふと、ワイヨールは疑問が生じた。あの敵機の燃料はどうなっているのか。ルンビーカ200は搭載燃料がそこまで多くなく、継戦能力は決して高くない。早朝から動いているのであれば、既に燃料は尽きているはずだった。
「もしや、奴は……!」
ワイヨールは速度を落とす事なく、捻り込みの要領で高度を大きく落とした。その瞬間、老いた目にもはっきりと、沖合に展開した艦影の数々が映った。
カレド海軍の巡洋艦がアーカルの沖を砲火で彩ったのは、大陸連合軍の陸上部隊がほとんど海側に追いやられた時だった。重巡の十四オビュア(約二十一・五センチ)砲と軽巡の十オビュア(約十五・四センチ)砲が轟き、低い弾道でアーカルの都市部に砲弾が叩き込まれる。対艦用の徹甲弾がビルを貫き、衝撃からの崩落も確認された。目標はキュリール軍の本隊であり、市庁舎に展開した少数の切り込み隊ではない。曲がりなりにも味方を巻き込む事を防ぐ意味合いがあったが、アーカル市街地の北東部を解放しつつあるキュリール軍の進軍速度が想定以上だったためだ。
「カレド軍の砲撃が始まりました」
「うむ、我々も艦爆隊を出すとしよう。敵の戦闘機は残っているだろうが、ここで一押しすれば奴らは瓦解しよう」
「はっ、ただちに」
空母『リギニオ』の艦橋では、よりいっそう黒煙と土煙を噴き上げるアーカルが遠巻きに見えていた。このワーグリン軍提督は、陸戦部隊の不利はあるものの、決して負ける戦いではないという確信を得ていた。キュリール海軍の規模は大陸国家とは比べものにならないためだ。
「ところで、陸軍の砲兵陣地はどうなった?」
「応答がありませんでした。既に後退したと思われます」
ふと、キュリール軍の攻勢の速さに疑問をもった提督は副官に尋ねた。市街地中央部に、陸軍の砲兵部隊が展開しているはずだった。敵との砲戦に撃ち負けたという話は聞かず、南側から侵入した敵が市街地中央まで足を伸ばしたとも聞いていない。
「……まぁ、良いだろう。いずれにせよ、カレドの艦の砲撃が敵を薙ぎ払うまでよ」
艦橋の外、駐機していたカキセイ艦上爆撃機が次々と飛行甲板から飛び立つのを眺め、提督は気持ち上機嫌に言った。
次の瞬間だった。飛び立ったばかりの艦爆がいきなりコントロールを失い、左に傾いては海面に叩きつけられたのだ。水柱がわずかに見え、それが一つ二つでない事は、たちまち異常事態と認識されて艦橋に広まった。
「何が起きている?」
「分かりません、風向きも強さも問題ないないはずです」
考えられるのは突然の急激な横風か、何者かによる干渉だった。先程、魔王軍の老竜が精神干渉だけで敵機を墜としているのが確認された。
「この島には竜王という者がいると言うが……」
「そう聞いています。しかし、今は人の時代です。今時、竜の力程度で艦隊は沈められますまい」
提督の懸念を払った副官の言葉は、飛び込んで来た通信によって脆くも説得力を失った。
『左側面より、火竜接近。不明瞭な攻撃により、対空機銃沈黙』
左前方の駆逐艦より入った一報に、艦橋はどよめきの色に染まった。攻撃を受けたと判断されたのは、対空機銃が迎撃出来なくなっていた事によるものだろう。しかし、実際には機銃に破損はなく、射手も生存している。
違う事は、太陽に似た赤銅色の火球が、駆逐艦を覆うように照らしている事だった。
「何だね、あの光は」
「分かりません。しかし、火竜が接近しているとの事から、それが関わっている事は確かでしょう」
提督は双眼鏡を手に、一〇〇〇ルマーチョ(約六・五キロ)ほど離れた駆逐艦の方角を見た。強烈な光に照らされているためか、駆逐艦のシルエットはぼやけていた。しかし、それがやがて黒い艦影を飲み込んでいる事を確認すると、通信士の方に向き直った。
「あの艦からの応答は」
「ありません。ノイズもほとんどないため、通信機器がやられたわけでは無いようです」
焼かれているわけではない、そう判断した提督だったが、直後に艦橋を包むように走り抜けた稲妻に、目を白黒させた。
『驚かせちまったようだな!』
「何者だ?」
『こちら風の竜王、ミュルコ・モース。悪いが、あの艦はもう役に立たんだろう。そして、あんた達にも退場してもらう』
「退場だと? 竜王など、古い時代の遺物が、でかい口を叩くものよ」
分厚い防弾窓を挟んで向かい合う提督と竜王、この二者が会話出来ている事に疑問を抱かなかった時点で、既に艦橋の面々は精神干渉の渦中にあった。




