第六十四話『英雄という御輿』
大陸暦一三五八年、九月一日――
夕刻、一行は基地内に設けられた酒場の一画にいた。ダジラとネジムは目当てにしていたキュリール王国の地酒と小料理に舌鼓を打ち、エリックはニールにこれまでの経緯を説明している。ティットルは歳の近いソキュラと話し合い、ヴァイスは久しぶりに会った兄との時間を無駄にしないため付き合っていた。
「お前がこんな所で丸くなってるなんて、珍しい事もあるんだな」
「朝からずっと偉い人の顔見てたんだもの、疲れちゃった」
片隅の椅子に腰掛けながら、観葉植物の葉を指で弾いていたリンダに、ビールが注がれた小さなグラスを片手にしたカーンが話し掛けた。彼女の隣に座り、目を細くしてエリック達の方を見る。カーンは意識して、ニールから距離を置いていた。考古学者や歴史家を相手に『答え合わせ』は危険行為である。王都ジョーギンからここまで共にしたイェリアも同様にしていた。その傍らには、決して穏やかではないサイクスがいる。
「……なぁ、イェリアさん。サイクスの件なんだが……」
「ニックがどうしたの?」
イェリアがわざとニックの名前を出した事には触れず、カーンは棒状の携帯端末を取り出した。端を捻り、先端を軽く叩いて映し出される画面を切り替える。以前にエール村で見せた人物事典だった。リンダは視線をダジラ達に向けており、サイクスは心ここにあらずと言った状態である。この場でこれを見せられる相手はイェリアしかいなかった。
「面白い道具ね……これはティズ語かしら」
「ハーム語に切り替えようか」
カーンの言葉に、イェリアがぴくりと反応した。ニールからの紹介では、彼女はあくまでハーム王国の歴史に詳しいとしか言われていないからだ。そして、映し出された画面を見て、さらに目の色が変わった。
「ニック・ミア、大陸暦五九八年生まれ、六三八年死去……業王ハロルド三世の時代、ハーム王国第二王子として出生……べクォンの乱にて初陣、活躍するも、ハロルド三世の崩御と第四王子グレンを擁する王妃サラの介入により……」
「……キュリール島の歴史と照らし合わせて、サイクスが名乗ったニックという名前の人物について調べてみたら、この男が当てはまった」
「記録が残っているという事は……」
イェリアは努めて冷静に振る舞いながらも、狼狽の色を隠せないでいる。仮に、サイクス・キュリールを名乗る鎧がニック・ミアであった場合、カーンの時代までには忘却の呪いは完全に解けている事になる。それが書いてあるかもしれなかったが、カーンはそこから先を見せようとはせず、彼自身も見ようとはしなかった。
「未来は知らない方がいい。俺も、この先に起きる事を知るのは怖い。たとえ、俺達の行く先に魔王との戦いがあり、サイクスに掛けられた呪いが解けるのだとしても、その勝利の裏で失われるものの大きさに耐えられないかもしれない。だから、知らないでおきたいんだ」
カーンの言葉に、イェリアはしばし黙り込んだが、深く静かに頷くと、この話は忘れましょうと返した。カーンも静かに了承すると、顔を上げて視線を酒場の雑踏に戻した、と同時に目を丸くした。意識が向いていなかったから気付かなかった。辺りを包む剣呑な空気、怒声を包む静寂。リンダとサイクスが姿を消していた。
「どういう事だい兵隊さん、もういっぺん言ってみな?」
争いの真ん中にいたのはダジラだった。言葉の分からないネジムは戸惑いつつも、場の空気を察して身構えている。二人が相対していたのは正規軍の兵士だった。兵科も階級も分かる者がいなかったが、若く日焼けしている事から、歩兵科と思われた。
「何が起きてる?」
「先生の連れて来た義勇兵が、正規兵と喧嘩になってる」
カーンがエリックに状況を尋ねる最中にも、正規兵からの刺すような視線が所々から向けられていた。原因が自分達にあると察したエリックは、皆をまとめて引き上げようとしていたのたが、その目論見は思いもよらぬ形で崩れた。
「あんた達みたいな奴らに、ここを堂々と使われちゃ困るって言ってるんだ」
「俺達は民間人でも観光客でもねぇ。れっきとした義勇兵だ」
「その義勇兵の為に、俺達正規兵を使い倒そうって話を聞いたぞ」
「お偉いさんが立ててる作戦を、下っ端が知ってるなんざ、只事じゃねえな。誰が漏らした?」
言い合うダジラと正規兵の口調と語勢は、重ねるごとに威圧感を増していた。呆れたような表情を浮かべたニールが寄って来る。
「やれやれ、ウチの副長が何かしでかしたかね。それと、特別顧問はこんな重要な作戦内容を簡単に漏らすタイプじゃない。誰かが盗み聞きでもしてたのかね?」
「知らねえよ、俺だって又聞きだ」
「又聞き、誰からだ?」
「色んな奴からだよ、あんた達が来る前から、噂になってたんだ」
「それで、その義勇兵というのが我々だと?」
「そりゃあ……司令部のお偉いさんに呼ばれるくらいなんだし……」
ニールに気圧された若い兵士が引き気味になる。重ねた年嵩ゆえか、眼鏡を光らせるように威圧感を出すだけで、相手を怯ませる話し方が出来た。ニールの目から老獪さが消え、不気味なほどに真剣さを帯びた光を放つ。やり取りを遠巻きに聞いていたソキュラも、良からぬ気配を感じ取っていた。
「これは……ちょっと相談しに行く必要がありそうだ。エリック君、ついて来たまえ」
ニールに呼ばれたエリックは、黙って従った。彼の表情が真剣さを増すほど、事態は深刻である事を意味するためだ。周囲から向けられる敵意に満ちた視線もお構いないに、酒場を後にしようと足早に歩き出し、すぐに止められた。
「済まないが、荒くれ者の喧嘩に付き合っている余裕はない。特別顧問に話があるのでね」
立ち塞がった大柄な男を見て、同様の威圧感を放つニールとは裏腹に、エリックは驚きを隠せなかった。ラインの入った星付きの階級章は将校のそれであり、兵卒から下士官ばかりが集まる酒場において、明らかな異物感を醸し出していた。
「リカンパ特別顧問の作戦が漏れている件か?」
「話が早いね。もしかして、盗み聞きして漏らしたのは君かね?」
大柄な将校はニールの言葉に、憎悪に近い敵意を込めた視線を返した。その気配を察してか、視線を向けるだけだった兵の中から、下腕ほどの長さの棒を構える者が前に出た。取り囲むような足運びは、ルビィ隊とクニット隊をこの場で叩きのめそうという気配に満ち満ちている。
「特別顧問がいきなり上層部に差し挟んだ作戦が、こんな爺と若造と女子供ばかりの義勇兵のために、俺達を使い倒すという内容だ。司令も焼きが回ったのかとしか思えん」
「それで、我々をどうするつもりだね。その爺と若造と女子供ばかりを囲んで棒で殴って、作戦をご破算にする気かね。それは、王家より直々に権限を与えられたリカンパ家の顔を潰す事にならないかね?」
ほとんど挑発に近いニールの言葉に、大柄な将校は顔に明らかな憤怒の色を宿した。こめかみの血管が浮き、紅潮した肌は溶岩に近い。よほど、カリエの独断に近い采配が気に入らなかったらしい。ニールも挑戦的な表情を浮かべる薄皮一枚の下は、緊張感に満ちていた。出来れば、自分がこの大柄な将校に殴られるより前に、別の誰かが喧嘩を始めて欲しいとさえ思っていた。はたして、それは彼の望み通りになった。
将校の手の者が先走り、エリックの背中を打ち据えたのだ。ほとんど不意打ちに近く、彼の視界は白く染まり、呼吸が止まった。リンダが駆けて来る叫び声も届かず、膝をつきそうになった、その時だった。
「やっちまえ!」
別の兵士が振りかざした棒が、リンダの横顔を払ったのが見えたのだ。一拍(一秒)に満たない時間がスローモーションになり、何倍もの長さに感じられる。頬とこめかみの間から赤いものが弾け、前のめりに倒れ込むリンダを見て、エリックの脳裏を幾つかのビジョンが過った。妖精の郷での戦いで重傷を負った時、火山都市ツアンカの司令部に呼ばれた夜。そして彼の記憶にない、小麦色の髪に青い瞳の、リンダによく似た娘の顔――
「……様……!」
エリックの口から、しかし彼のものではない声が発せられたが、いよいよ喧嘩に発展した騒ぎによってかき消されていた。だが、彼の意識が半ば失われている事に変わりはなく、自分でも知らない呪文を口走っているのが分かった。
(これは……あの時と同じ感覚だ、サイクスとミュルコ・モース様がぶつかり合った時……)
混濁する意識の中で、エリックは自分の体を勝手に動かしている何者かの存在に気付いた。声からして女、年齢は分からなかった。
(君は、誰だ?)
返事が得られた感触はない。しかし、どこからともなく迸る魔力の奔流が、全身を駆け巡るのを感じていた。痺れるような感覚に、エリックは分かっていながらも意識を手放してしまっていた。白く爆ぜる火花のような視界は、やがて静寂の闇へと包まれようとしていた。
「何をやってるんだい!」
闇の精霊ロアの補助を受けた、カリエの怒声が周囲の喧騒に終止符を打った。エリックの意識を包み込もうとしていた静寂は瞬く間にに打ち破られ、現実へと引き戻される。背中の痛みがそれを証明していた。周囲を見渡すと、すでに殴り合い取っ組み合いの喧嘩が終わっていて、少なくない数の兵士が鼻や切れた口許、その他の顔の傷から血を滲ませていた。ダジラとネジムはかなり暴れたようで、酒瓶で殴られた痕まであった。だが、最も畏怖の視線を集めていたのは、エリックに他ならなかった。
「これは……」
「あんた、何も覚えてないのかい?」
彼の身の回りには、金色の茨が転がっていた。そのほとんどが鋭い刃物で寸断されており、何者かがこれらを斬り落としていたと言う事だけは理解出来た。そして、同じ意匠の剣を手に、ひどく鋭い視線を向けるイェリアとサイクスの姿があった。発端となった大柄な将校が腕を組み、異様な光景を一瞥する。カリエが彼の元へと歩み寄った。
「どうだい、ボーヴァンの小倅」
「これが、特別顧問殿の仰っていた、例の力ですかな」
「いや、あたしが言っていたのは奴の妹の方。兄にはそこまでの力は無いと思っていたが……妹が妹なら、兄も兄だったか」
カリエは目を細めてエリックを見た。リンダが駆け寄り、体の具合を確かめているが、周囲からの視線が変わる事はない。ティットルやヴァイスでさえ警戒している。かろうじて、ニールとカーンが彼に近寄っていた。
「予想外だったのは、あのイェリアって女もだね。冥界の使者というのは知っていたけど、あの剣の腕は只者じゃない」
「……あの義勇兵達が、あなたの言う……」
「あぁ、アーカル奪還の英雄として祭り上げるには、ちょうど良いだろう」
ボーヴァンと呼ばれた将校が、カリエの怜悧な横目に思わず戦慄する。その会話を小耳に挟んでいたのか、ソキュラが割って入ってきた。
「なるほど、全てはあなたの筋書き通りと言う事ですね。作戦の一部をわざと漏らしたのも、兵士に義勇兵への不満を溜めさせたのも、そして彼らの実力を見せつけさせるのも」
その声色には微かな怒りが含まれていた。英雄という御輿に乗せて担がれる者の中に、弟がいたからである。同時に、カリエのやり方を全面的に否定する事も出来なかった。質量共に不利な相手に挑むには、奇策をもって臨むしかない。そのために必要なパズルのピースを揃える事に、手段を講じる暇はなかったからだった。
ティズ語
主にヤノミ大陸域をはじめ、世界の大半で使用されている言語。
大陸のほとんどの面積を占める、世界最大の国家であるティズ合衆国を中心に、公用語に採用する国は多い。
キュリール王国でも公用語のひとつに制定されており、リンダ達もこの言語で会話している。
ハーム語とはほど近い言語であり、改まった書式でもない限りは会話には困らない。そのため、サイクスが普段から問題なく会話出来るが、イェリアが情報端末を読む事が出来なかった。




