第五十七話『戦う覚悟』
大陸暦一三五八年、八月三十日――
振り払われる双剣は、速さに重さを伴っていた。受けるのは不利と悟ったのは、最初の一撃を躱した際に走った、刺すような衝撃波からだった。
「女だからと油断したかしら?」
ラニャの手繰る双剣は、乱れ泳ぐ小魚の群れのようであり、それらを一呑みにする大魚のようでもある。それでいて、挑発的な言葉を口にする余裕さえある。ただただ強い、リンダはそう感じていた。一歩後ろに跳んで下がった。
「速すぎてコピーする余裕がない……! でも、これなら……」
地を蹴り、渦潮のごとく迫る斬撃の前に、リンダは半身で短剣を構え、カーンに言われた事を思い出していた。基本は突き、突いたらすぐに引く、刃渡りが短いので振り回しはしない。正確に眉間を狙った突きに、ラニャは思わず足を止めた。踏み込んだ勢いがなくなると同時に、短剣は繰り出されるのと同じ速さで引っ込む。リンダの戻しの速さに、ラニャは嘲るような余裕を潜めた。
「基本に忠実な突き、やるじゃない」
「……それはどうも」
「でも、当てる気がなかったのはまずいよ?」
次の瞬間、リンダの胸に重い衝撃が走った。ラニャが体を丸め、右肩から飛び込むようにぶつかってきたのだ。声も出せず息も失うほどの、速く重い衝撃だった。間合いは皆無で、短剣すら繰り出せない。ラニャの左の膝が、リンダの右脇腹を捉えた。みぞおちに達しなかったのは、体格差の問題である。
「ぐっ……!」
「あなたに足りないのは、覚悟よ」
うずくまったリンダの左側頭部に、鋭い蹴りが見舞われた。頭にも首にも痛みが走る。
「これでも手加減したわ。本気なら今頃、あなたの首はその細くて可愛らしい体に繋がってない」
リンダは突き飛ばされるように転がり、起き上がっては短剣を構える。心臓の鼓動は嫌に頭に響き、その振動が全身の血管の隅々にまで伝わるような感覚だった。極度の緊張感を覚えていたが、恐怖は感じなかった。港湾都市ニプモスで先代の竜王ソキュラと戦った時の感覚に似ている。同時に、違和感も覚えていた。
「なるほどね、このリボン……妖精の銀糸が編み込まれているわ。鎮静の術式陣かしら」
ラニャの言葉に、リンダは慌てて左手で顔から頭までを探った。いつものリボンが無く、それは目の前の敵の手中にある。
「これが無いと困るみたいね」
「返して!」
リンダが勢い任せに突きかかった。短剣は宙を切り、返す刃も届かない。見開かれた目の光に、ラニャは嘲笑ひとつで応じた。冷静さを失い、振り回される短剣を弾き返す。
「大事な物のようだけど、先に奪われたのは私達よ」
嘲りに鋭利な刃物のような一筋の光が走る。腹に響く前蹴りを受け、リンダはたたらを踏んで後退した。腹を押さえながらも向けた視線は、怒りに我を忘れた存在だった。
「リンダ、大丈夫?」
ピコーダとの打ち合いから離れ、ティットルが飛んで来た。ラニャと同等の速さで振るわれる双剣を相手に、細剣一本で立ち回っていたためか、所々に小さな刀傷を負っている。それはピコーダも同様で、特に左腕に小さな刺し傷が集中していた。
「苦戦しているようね、ピコーダ」
「……ラニャほど余裕のある相手じゃない。どれだけ人間に近しい存在でも、竜は竜だ」
「それだけじゃないわ」
ラニャの言葉に、ピコーダは目を丸くした。よく見ると、双子の姉は傷らしい傷がない。相手が弱すぎたのかとも思ったが、それだけではない何かを感じていた。
「リンダ、私の剣を持って」
「……これは……」
ティットルは唯一の得物である妖精の細剣を、リンダの左手に握らせた。荒れ狂っていたリンダの目の光が、みるみるうちに落ち着きを取り戻す。
「風竜の魔力を少しだけ入れておいたわ。私達の力は鼓舞、水竜の錯乱に対して打ち消すわけじゃないけど、コピーするくらいなら出来るわ」
「ありがとう、でも、ティットルは……」
リンダが言い終わらないうちに、ティットルはリンダの元を飛んで離れ、ピコーダに向き直った。
「剣一本でも苦戦してたのに、丸腰でやる気……? 舐められたものだね」
「一本では及ばないから、増やそうと思ってな」
ティットルが目の前で手をかざし、練り込むように動かしてみせた。竜とも魔晶石とも異なる魔力の集束を感じたピコーダは、双剣を構えて踏み込んだ。何かされる前に叩く、常々斬り込み隊長をしていた事による習慣のようなものだった。右手の剣で抉るように斬り込んだ、その瞬間だった。空気が弾ける音と、空間が割れる感触に阻まれた。淡い翡翠色の光の粒が、幾つかの筋を成してティットルの元に集まっている。
「風為す光、我が翼の友、剣を成して廻り、踊れ」
風の妖精の織り成す光は、柄のない六振りの剣となった。右手の剣を弾かれたピコーダは、すぐさま左手の剣を繰り出した。仮にまだ隠し玉があるならば、暴くのは早い方がいいと踏んだのだ。左手の剣は風の刃二振りによって阻まれた。再び右手の剣を振るっても二振りで止められた。ティットルの手元には、まだ二振りの風の刃が残されていた。
「水鏡の術式……!」
「つむじ風の如く、舞え!」
螺旋を描くように放たれた二振りの風の刃は、ピコーダが張った水鏡をすり抜けるようにして斬り抜けた。
「ピコーダ!」
「どこを見ているの……?」
双子の片割れが二振りの刃を受けて血煙を噴き上げる様に、思わず振り返ったラニャだったが、それは彼女が作った致命的なまでに大きな隙だった。落ち着き払ったように目が座り、黒い短剣と妖精の細剣を構えたリンダが目の前にいる。
「あなたの言う覚悟が何なのかは、まだ分からない。でも、私はみんなと一緒にいたい。カーンやサイクス、ヴァイスの力になりたい。それが今の私がやりたい事……!」
別人のように跳躍したリンダの眼光が尾を引く。ラニャは反射的に双剣を構えて迎え撃った。リンダとラニャ、合わせて四振りの剣が荒れ狂うように踊りぶつかり火花を散らす。喧嘩独楽のような打ち合いに、鋭い突きや体術が組み込まれる。ラニャの裏拳がリンダの顔を打つと、リンダの膝蹴りがラニャの脇腹に食い込んだ。
「このっ……! 水槌の術式!」
打ち合いの隙を突いて、ラニャは圧縮された丸太状の水を、爆発的な勢いで撃ち出した。リンダが紙一重でそれを躱す。水の勢いに、垂れた鼻血が吸い寄せられるように伸びた。突き抜けた水の塊が鏡のような幕にぶつかり、激しく飛沫を散らしながら抜けていった。
「この間合いで避けるとか……!?」
「喋り過ぎだよ」
水槌の術式を放った反動で半歩下がったラニャに、リンダは躱した半身のままで踏み込んだ。基本に忠実な突きが、驕る水竜の左肩から首筋に狙いを定めて繰り出される。すんでの所で左手の剣の腹で受け止めたが、その瞬間、ラニャは黒い短剣の刃を通じて異様な気配を感じ取った。魔力の渦と、リンダから発せられる不気味な殺気のようなものを感じ、ラニャの顔から余裕が消えた。
「炸裂火の術式」
淡々とした、それでいて粘り気のある冷酷な響きだった。リンダは今、ラニャをコピーしていない。これだけの火の術式を手繰る力を有していたのは、火の四天王ゲハロークだった。この場にいない者をコピーしているという異常な事態に、ラニャは頭が追い付かなかった。黒い短剣の刃が赤熱し、左手の剣を焼き溶かす。その刃から放たれた炸裂火が、ラニャの左肩を吹き飛ばすように爆炎で包み込んだ。
「あれは、火の四天王の力か? しかし、どうやって……」
「ラニャ!」
ティットルの刃をさらに受けていたピコーダが、戦いをも投げ出して飛んでいった。倒れ掛かったラニャを抱き止め、座っていない頭に手を回す。
「しっかりしてくれ、まだ動けるだろう?」
恐らく息をしていない姉の身体を何度も揺さぶりながら、ピコーダは名前を呼び続けた。
「勝てたわね、リンダ」
「ありがとう、ティットル。あなたも剣が無いのに、よく勝てたね」
「妖精騎士は伊達ではないわ」
リンダの元へと戻ったティットルが、風の妖精を指で軽く弾く。少し経ってから、リンダは自分が倒した相手に目をやり、如何ともしがたい表情を浮かべていた。言葉の通じないマンスィスや、野生の動物や魔物を倒した時とは違う、明確な意思を持った相手を倒した気分は、決して良いものではなかった。
「結局、分からなかったな。水竜達の言う、私達に足りてない覚悟が何なのか」
「それは……」
「敵を殺す覚悟だ」
割って入った声に振り向くと、エリックとサイクスを征したルミチャスが立っていた。立ち込める白い霧から、相応に激しい術式戦が繰り広げられていたのだろうが、魔晶石の欠かせない人間と自ら魔力を有する竜とでは、圧倒的な差があった。
「お兄ちゃん!」
リンダは弾けるように地面を蹴った。繰り出された突きが、錫杖に弾かれる。左手の細剣で斬り掛かるよりも、石突きで小突き倒される方が早かった。
「ぐっ……!」
「お前にも足りていない。自らの死を省みぬ覚悟とは違う、相対する者に死をもたらす事への覚悟だ」
腹を押さえてうずくまりながらも、顔だけは下げなかったリンダに、ルミチャスは冷淡に言い放った。
「それが……何だって言うの……!?」
「戦うに際し、相手に対する無礼というものだ。お前も、お前の兄も」
言われて、リンダは返す言葉が無かった。ラニャとの戦いの最中、突きを当てる気が無かったのは事実である。実力を見せる事で引き下がらせようという考えがあった。それは、以前に先代ソキュラを相手に戦った事があるという実績からなる慢心であった。
「奴は、ヴァイスはその覚悟を決めるようになったか」
「どういう事……!?」
悶えながらも言葉を返すリンダに、ルミチャスは黙って顎を向けた。その先には、シェパーナの大剣に物怖じする事なく向き合うヴァイスの姿があった。
暴風の如く振るわれる大剣のうねりを、しなやかな木の葉のように躱すヴァイスがシェパーナに踏み込む。粗暴ながら無謀ではない長兄は、大剣を振るいながらも軸足で身体を支え、前蹴りを放って弟を突き放した。それでも突き出された刃が脚を掠め、小さいながらも出血をもたらす刀傷を創る。
「くっ、やるようになったか」
「……こちらも、だいぶ削られましたけどね」
両者とも、肩で息をするほどに消耗していた。ヴァイスも無傷とはいかず、海洋銀の刃が織り成す細かい飛沫は、まるで礫のように鱗や革を削り抉っていた。相対すると、互いの足元に赤い滴りを認めるほどのぶつかり合いだった。
「あれが、あのソキュラ……じゃなくて、ヴァイスなの?」
「そうだ。奴もこの五年の間で、何か得るものがあったのだろうが……あの男の影響だろうな」
ルミチャスが目をやったのはカーンだった。ロゼが繰り出す槍の穂先を掠めない程度で避け、拳銃を向けながら踏み込む。突いてからの戻しが速く、ただ踏み込むだけでは二度目の突きを貰うからだ。拳銃でも短剣でも、とにかく対応させなければならない。無論、カーンはロゼがヴァイスと同じ腹の姉弟である事は知っている。また、兄弟同士で命を賭け合う事が間違っているとも思っている。しかし、それでも直面した以上は立ち向かわなければならない事もまた知っているのだ。
「……貴方があの子を強くしたのね」
「いや、ヴァイスは元々強い。俺は側にいただけだ」
互いに決定打こそないもなの、やはり掠めた傷は少なくなかった。竜王の座を巡る戦いにも、終わりが近付きつつあった。
妖精剣の術式
精霊魔術の系統に類する妖精魔術で、術者の得意とする元素(ティットルは風竜の為、風の属性を有する)の魔力で構成された剣を形成する術式。
元素によって剣の種類が変化し、風の妖精剣は柄も鍔もない刃に虫の羽根が生えたような見た目となり、操る事が出来る。
しかし、複雑な操作には術者と妖精の連携が欠かせないため、相性が悪かったり精霊石を渋ると、大抵ろくでもない結果を生む。
ティットルがこの時までこの術式を用いなかったのは、使う機会がないと判断していた上、精霊石の消耗が大きく補充が効かない為である。




