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第四十八話『火と風の竜』

 大陸暦一三五八年、八月二十五日――

 キュリール島東部、港湾都市ニプモスをめぐる攻防は、ここ数日の間は小康状態となっていた。警察署を中心に大きな損害を出した夜襲の後は、威力偵察程度の小競り合いが日に数回発生する程度である。


「ゴードン、リカルド殿を見てないか?」

「数刻前に偵察に行ってくると言ったきりだ」


 司令部の片隅に設けられた、傭兵や義勇兵を統括する非正規兵詰所にて、ゲルハルトがゴードンに尋ねた。


「どうした、ひと風でも吹かして貰う気だったか?」

「なくもないが、違うな」


 珍しく冗談めかしたゴードンに、ゲルハルトは頭を振った。夏も終わりに近付くが、天井の扇風機一つしかない空調では、部屋の空気はこもるばかりだった。


「水竜の一派があの夜以降、大きな動きを見せない事が気になってな」

「なるほど、同じ竜ならば何かを察するのでは、という期待か」

「そんなところだ。あの夜襲も結局のところ、奴らの目的が分からなかった」

「夜襲を仕掛け、治安維持に重要な警察を攻撃する事で、心理的に絞め上げる……という線もありそうだがな」


 二人のベテラン傭兵は、あの不可解な夜襲に、得体の知れない不安感を覚えていた。散発的な小競り合いも、こちらに絶えず緊張を強いる作戦の可能性もある。しかし、死傷者の少ない小規模な戦闘の繰り返しは、素人同然の義勇兵に経験を積ませるには一定の効果があり、長期的に考えればこちらが有利であった。数の差をひっくり返す事は容易ではない。深い思考の沈黙が漂うも、直後にドアを勢いよく開ける音によって打ち破られた。


「戻ったわ、ヒヨっ子達もいい具合になってきたわ」

「戦力としてはどのくらいだ?」

「まだ組織立った戦闘は難しいけど、基本的な動きと銃の取り扱いくらいは、ってところね。車が動かせる奴はトラック運転手に回してもいいと思うわ」


 右肩負傷のため、右腕を吊った状態で義勇兵の『引率』に当たっていたマリーが、昼前の訓練を終えて戻って来たのだ。鼻歌交じりで薄くなった新聞を広げると、目を丸くして黙り込んだ。


「えっ、この新聞の漫画描いてた人、亡くなったの。ツアンカでの戦闘が原因……」

「ツアンカか……リンダ達が向かった場所だな」


 思わぬ訃報に嘆息を漏らすマリーに、ゴードンは思わずこぼしてしまった。マリーが目を細めて向き直る。しまった、と思う頃には既に遅かった。


「あんた、リンダちゃんがツアンカに行ったって言い切れるのかい?」

「あぁ、リカルドが言ってた」

「リカルドさんねぇ……あの人、なんか隠してる気がするのよね。妙に情報通だし、戦い慣れてるし、それでいて軍歴がない」


 リカルドが風の竜王ミュルコ・モースである事を知っているのは、ゴードンとゲルハルトだけだった。竜王が正体を明かしたのはゴードンだけだったが、傭兵部隊の指揮官であるゲルハルトに知らせない訳にもいかず、内々に明かしていたのだ。


「何らかの事情で明かせない秘密があるんだろう」

「明かせない秘密ねぇ。抹消された軍歴とか? でもリカルドさん、鳥亜人よ。あの歳から考えると、どこで戦ってたのかしら」

「要らぬ詮索よりも、現状への対処だ」

「そうね。味方である事に変わりはないんだし」


 ゴードンにたしなめられたマリーが、再び新聞に目を落とす。手に入る情報は何でも見ておきたいというのが彼女の心情だった。正確さなどの価値は後で見極めればいい。ツアンカの苦しい戦況、避難民で溢れるジョーギン、散発的な戦闘に心が落ち着かないニプモス、そしてまともな情報すら掴めないアーカル。朗報の見えない紙面に、マリーは幾度となく顔をしかめていた。



 同時刻――

 リンダ達が通されたのは、火竜の一族が住まう地であった。ここはヌンカル火山の裏側にあり、常人では立ち入るどころか近付く事さえ困難な場所だった。三階建ての建物に匹敵する高さまで掘り広げられ、必要があるか不明な梁や石柱に至るまで、削り出されている。さながら、一つの巨大な彫刻作品の中にいるような気分だった。そして、祭壇状にせり上がった積み石の上に、登山道で立ち寄った山小屋ほどの体躯の老竜がいる。


「改めて、ようこそ。我ら火竜の郷へ。私が竜王ツアンカだ」


 竜王ツアンカは他の火竜と同様、山椒魚を思わせるシルエットではあるが、長い年月を経て形成された赤銅色の鱗や甲殻は重厚感のある装甲に等しく、生半可な武器では太刀打ち出来ない威圧感を放っていた。比較的柔らかいと思われる腹側の滑らかな鱗も、年季を重ねたイカヤジウム鋼のような鈍い銀色の輝きを放っている。


「お久しぶりですツアンカ王。前にお会いしたのは、妖精の郷でオーヴェル様のお屋敷を建て替えた時ですね」

「おう、そうであったな、ミュルコ・モースの孫娘よ。ソキュラの子も一緒か。いや、こんなに長く生きてると、前に会ったのもついこの間のように感じてしまう」


 一歩進み出たティットルとソキュラを一瞥すると、ツアンカは懐かしむように顔をほころばせた。リンダはともかく、エリックとカーンは真剣な面持ちを崩しておらず、サイクスの表情は見えない。メリッサとローザは状況に付いていくので精一杯、そこに怪訝な表情を混ぜていた。


「お爺さん、昨日の夜は助けてくれてありがとう」

「いや、お前さん達をあの山小屋まで運ぶしか出来んで済まなかったな。出来れば全員をここまで運びたかったが、歳には勝てぬものよ」


 リンダの明朗な声に、老いた竜王は柔和な声で返す。しかし、その奥には剣呑な色が見え隠れしている。しれは一行の存在ではなく、火山都市を巡る情勢が不利である事と、それを何とか出来ない自身や火竜の一族に対する焦りや苛立ちからなるものであった。


「話に入る前に、そこの娘よ、ちょっとここへ」

「お姉ちゃんを?」


 ツアンカが手招きした相手はメリッサだった。祭壇まで上り、自分をまっすぐ見据えるように促す。後退りしそうになったメリッサだったが、不思議と引き込まれるように足を動かしていた。竜の声は心に作用すると聞く。大気をも揺るがす咆哮一つで、心ある者は軒並み崩折れ、立つ事さえままならなくなるという伝承は、広く知られている。同時に、穏やかな声で語り掛ければ、心ある者を奮い立たせる力がある。顔を引きつらせながらも、ゆっくりとした足取りでツアンカの前に立ったメリッサに、竜王は火柱を立てて応じた。


「お姉ちゃん!」

「お、おい。何をする気だよ」


 ローザが叫び、カーンが彼女を押さえつつも戸惑いの声を上げる。しかし、サイクスやティットルは落ち着いた表情で壇上の光景を眺めていた。リンダは二人の横顔を信じて、声を上げずに見守った。それに倣ったエリックを見て、フィズとソキュラが落ち着きを見せる。単なる傍観ではなく、心を預けた静観が、一行の間に広がっていった。


「竜の火は心の火、全身の力を抜いて、心を静めるのだ」


 ツアンカが火柱の勢いを強めると、真正面から照らされたメリッサの影が祭壇から落ち、リンダ達の足元にまで伸びた。


「これは……ただの影じゃないな!?」

「そうだ、心の火に炙り出された不自然に伸びる影は、傷付き植え付けられた心の闇。その娘は意図的に口が聞けなくなるように心を閉ざされている」

「お姉ちゃんが……何のために?」

「すぐに分かる。見ていろ……!」


 努めて気を落ち着けつつも、カーンとローザの平常心はひどく脆かった。竜王の語気が気持ち強まる。

 メリッサから伸びた影が、火柱の揺らめきに応じて不気味に踊る。それはまるで、身を焼き焦がされ悶え苦しんでいるかのように見えた。火の爆ぜる音が立て続けに響き、やがて影は金切り声とも断末魔とも付かない声を上げて弾け飛んだ。誰もが驚き飛び上がると、後には火の光と熱による静寂に包まれていた。


「今のは……」

「……私の心を押さえ付けていた、よくない者、といえば良いでしょうか」

「お姉ちゃん!」


 ローザが祭壇を駆け上がり、メリッサに飛び付く。追い付いたリンダ達の目の前にいるメリッサは、まるで別人のように変貌していた。暗く澱み切った光のない目は嘘のように晴れ渡り、半ば青白く見えていた顔色も、戦禍で心身共に疲弊している分を差し引きしても、明るい色が戻っている。


「竜王ツアンカ、彼女の心には何が宿っていたのだ?」

「先程も言ったが、その娘は心の傷に闇を植え付けられていた。術式による呪いの類なのだが、かなり強いものだ」

「私達を山に登らせ、洞窟を抜けさせたのは、この準備のためか」

「そうだ。呪いの質の見極めと、それに必要な霊木の準備だ」


 サイクスがツアンカに尋ねた。恐らく、本当はこの黒い鎧の英雄に掛けられた呪いに対する準備をしていたのだろうが、メリッサの姿を見て追加していた。それは単純に、竜は娘を攫うといった伝承的なものではない。


「竜王様、ありがとうございます」

「なに、例には及ばん。むしろ、お前さんに聞きたい事がある」

「私にですか?」

「うむ、お前さんは、誰にその呪いを掛けられたか覚えているか?」


 ツアンカに問われ、メリッサは答えに窮した。植え付けられた闇は打ち払われたが、心の傷そのものは残っている。脳裏を過ぎる忌まわしい記憶に、思わず口をつぐんだ。


「メリッサ殿、無理はしなくても構わない。恐らく、リンダが察している」

「大丈夫、大丈夫よ」


 顔を青くしたメリッサに、ティットルが助け舟を出した。事が起きてから日が浅い彼女に尋ねるには、過分に残酷な内容だった。吹き出るように滲む嫌な汗の感触を全身に覚え、ローザやティットルの心配そうな視線を受けながら、メリッサは厳かな面持ちを崩さない竜王に向き直った。


「あの夜、私はローザに手出しはさせないという取引で、傭兵隊長ドキャンタとその副官アロンツォの要望に応えました。ドキャンタとの事が済み、アロンツォに代わったその時、奴が口を滑らせたのです。今に我が主の世が来る、と」

「我が主……その言い方は聞き覚えがあるわ。四天王のジェリム男と同じね」

「そう、四天王といったような事も言ってました。確か、ゲハロークと」


 ツアンカとサイクスの色が変わった。その剣呑さに、エリックとカーンの表情も険しくなる。


「君達の口封じをしなかったのは、余計な騒ぎを起こさせないためか」

「リカンパ少佐が言っていた。ドキャンタは指揮官としては有用だが、女癖に難があると。恐らく、過去に出ていた脱走者に女性が多かったのも、そういう事だろう」

「能力だけで見るからこうなる、という事か」


 エリックに対してサイクスが返す。リンダ一行の誰もが苦々しい表情になっていた。重苦しい空気に包まれていると、外から一陣の風が吹いてきた。自然に吹く風ではない、それほどの風を起こす者の到来だ。


「なるほどな、ゲハローク……火の四天王は、前々から傭兵を介して正規軍に入り込んでいたという事か」

「その声は……」


 聞き覚えのある声に、ティットルが振り向く。翼膜に巴の紋を宿した極彩色の翼、稲妻を形にしたような尾羽、武神シージョの隷下にある神鳥を思わせるシルエット。竜王としての姿を顕現させたミュルコ・モースだった。


「よう、ツアンカ。まだ生きてたみたいだな」

竜の精神干渉

創世の時代より、竜は元素エネルギーに加えて精神干渉の力を有するとされている。

佇めば竦ませ、吼えれば怯えさせ、囁けば惑わされ、歌えば奮い立つという魔法文明時代の碑文が残されているほどである。

特に火竜は心ある者の精神に強く作用する『火』を操るため、他の竜と比べて精神干渉能力が高い。

心の火は懐灯かいとうの術式といい、照らした相手の心に潜む闇を払う性質があり、人間社会でもセラピーの一種として用いられている。

竜王ツアンカが用いた心の火の効果は非常に強く、呪いやトラウマを文字通り焼き払ってしまうが、加減を間違えると対象の人格まで破壊する。

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