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第四十六話『我慢比べの追撃戦』

 大陸暦一三五八年、八月二十五日――

 下の方で、ロッジが燃えているのが見えた。脱出してからちょうど一刻、引き離した距離としては充分とは言えず、さらに時間が経てば夜が明ける。そうなれば、空から捕捉される可能性は大きく増す。少しでも先に進んでおく必要があった。


「どこまで行けばいい?」


 エリックがサイクスに尋ねた。目的地が明確でないまま歩き続けるのは無理がある。特に、竜王ツアンカに会うという目的自体を知らされていないメリッサとローザは、命が助かるという一点だけでついて来ているに等しい。


「……中腹に火山洞窟の入口がある」

「あぁ、危険だからと立入禁止にされている洞窟か」

「そうだ。高熱と有毒ガスの為、人間はじめ多くの生物が生存すら難しい環境だ。そのために、ソキュラとティットルを借りた」

「……なるほどね。そうなると、もう二刻ほど山登りという事になりそうだ」


 決して短くない時間、短くない距離を進む事になったが、文句は言っていられなかった。後ろからはアロンツォ率いる傭兵隊の追手が迫り、軍はツアンカ空襲への対処で動ける状態ではない。観光ガイドによると、中腹の火山洞窟の少し手前にもロッジがあるという。とにかく、足を動かすしかなかった。幸い、登山道が整備されている事もあり、手すりになるロープも張られているので滑落の心配は少ない。


 東の彼方に太陽が顔を覗かせ、水平線を朱い輝きで満たした頃、一行は中腹付近のロッジに辿り着いた。幸い、鳥亜人等による空からの偵察は行われておらず、敵機による空襲の痕跡も無かった。


「よし、半刻ほど休む。俺とエリックは交代で見張りだ」

「分かった」


 エリックがメリッサから小銃を受け取り、歩哨に立つ。訓練を受けたわけではないが、ニールとのフィールドワークではよくある事だった。一日歩き通した先の野営地が魔物の巣の近くで、ほとんど休まずに見張りをしていた事もある。カーンは交代までの間、少しでも休めるようにとソファに体を横たえた。メリッサを見張りから外したのは、傭兵隊の姿を見ると不用意に発砲する可能性があったからである。


「ここからが正念場だな」

「はい。僕もティットルさんも、魔力を絶やさないようにしなければなりませんね」

「あぁ。しかし、ツアンカ様がわざわざご自身の神殿にて待つとはな」

「ミュルコ・モース様の時と同じように、サイクスさんに思い出して貰いやすくするためでしょう」


 ティットルとソキュラはソファの近くで丸くなっていた。亜人や動物と同様に、体の構造上伸ばすより丸まった方が楽な事も多い。


「なるほどな、確かに一理ある。休める時間は短い、少しでも体を休めておけ」

「そうですね、僕も寝ておきます」


 二頭の竜は目を閉じると、程なくして寝息を立て始めた。側のソファではメリッサとローザが身を寄せ合って眠っている。夏の終わりが近付く山の明け方は、眩しいほどの太陽の光とは対称的に、ひどく肌寒かった。


 半刻ほど休み、出発前に気付けも兼ねてコーヒーを淹れる。なんとか全員分の量を賄える豆はあり、幸いにもロッジに置かれていたミルで挽く事が出来た。癖のない香りと嫌にならない苦味、これはエリックの得意とする所で、リンダでもこの風味を出す事は出来ないでいた。サイクスの提案で、カップは人数に対して半分だけ使い、同じ箇所に口を付けて回し飲みする事となった。


「すまないね、ミルクも砂糖も用意出来なかった」

「大丈夫です。私もお姉ちゃんも慣れてますから」


 エリックはメリッサとローザに目をやった。他の面々とは異なり、初めての相手なので勝手が分からなかったのだ。メリッサはまだ声が出せない状態で、目元にもまだ男に対する不信と恐怖の色が残っていたが、口許にささやかな笑みを浮かべるくらいの事は出来た。


「エリック、前々から気になってたんだが、どこでこんな淹れ方を覚えた?」

「先生の傍らで仕事をしているとね、色々と勝手に身に付いてしまうんだ」

「なるほどな。未来に帰った後のためにも、覚えておこうと思ったんだけどな」


 カップを空にしたカーンが尋ねた。未来という言葉に、姉妹は目を白黒させる。そういえば説明していなかったと気付かされたが、今はその余裕も無かった。

 全員の英気を養った所で、一行はロッジを後にした。戦況がどうなっているか分からない。自分達を狙う追手の数も距離も、大まかにしか掴めない。少なくとも、のんびりしていられない事だけは分かっていた。


 一刻と経たずに、アロンツォ率いる傭兵隊は中腹のロッジに到達した。トラップの可能性を考慮し、玄関ドアには手を出さず、横の窓を叩き割った。一人が小銃の先をカーテンの隙間に差し込んでめくり、中の様子を覗う。コーヒーの残り香がほのかに漂い、テーブルの上には四個のカップが置かれていた。


「大隊長、奴らがここで休息を取ったようです。カップが四個、テーブルに置いたままになっていました。コーヒーの残り香もありました」

「ふむ、まだここを出て間もないと見える。ルビィ隊は六人だが、カップは四個……二人が脱落した可能性もある、か」

「しかし、道中ではそれらしき人物を見掛けませんでした。滑落でしょうか」


 報告に来た傭兵の推測に、アロンツォは頭を振った。


「古典的な策だ。追われている側が、自分達の人数を過小に見せ掛け、追う側を勢い付かせて罠に誘い込む」


 アロンツォの言葉に、若い傭兵は慄きつつも感心した。先程出来たばかりの顔の傷は、血が止まって固まった跡になっている。明るくなってから、その傷がまるで顔を上下に二分しているかのように見えた。


「わざと痕跡を残してミスリードを誘うという事は、近いな」

「敵は山を登っているのでしょうか」

「いや、奴らの狙いはこっちだ」


 大隊長の狡猾な細い目が不気味に光り、まるで光線でも発したかのように、視線を追う事が出来た。その先には、中腹の火山洞窟がぽっかりと口を開けている。


「これより火山洞窟に入る。俺が真ん中に立つので基本的に円陣で移動、離れ過ぎたら即座に焼け死ぬぞ」


 バリケードを乗り越え、封鎖のために張られたロープを切る。大人数を連れてこなかった理由はこれだった。単純に、司令部の守りを疎かに出来ないだけでなく、火山洞窟に入るにあたり、高熱と有毒ガスから守れる人数が三十名に満たないのである。傭兵の中には困惑の表情を浮かべる者も少なくなかったが、従わないわけにはいかなかった。


 火の竜王ツアンカの棲家たる火山洞窟は、過去の噴火で多量の溶岩を噴き出した事により発生した空洞である。ヌンカル火山の溶岩は、その多くが西側に流れ、キュリール島の面積を広げてきた。万物を焦がし呑み込み燃える大地の脈動は静まって久しく、かつての溶岩台地にも生命が繁茂している。しかし、ヌンカル火山そのものはまだ活きており、ほとばしるエネルギーを溜め込んでいるに過ぎなかった。その証拠が洞窟内の高温と有毒ガスである。一定量の魔力で力場を作り、半ば強引に突破するしか手はなかった。


「ソキュラの水とティットルの風で、なんとかなっている……って所か」


 熱を帯びた溜め息一つ、カーンが言った。人が生きていられる程度にまで温度を抑えても、粘り気を含んだ暑さがまとわり付く。既に肌着の下は汗で濡れており、重く貼り付く感覚は不快でしかなかった。


「お兄ちゃん……よく平気だね」

「平気ではないが、今に始まった事ではないからね」


 妖精の郷でタニアから貰った服が軽減しているとはいえ、リンダも決して楽ではない。ルビィ隊を率いる者として、エリックは努めて涼しい顔をしてみせた。メリッサとローザは息を荒くしながらも、歩調は乱れる事なくついて来ている。


「そういえば、サイクスは昔、どうやってこの洞窟を進んだんだ?」

「まだ思い出せない箇所は多いが、魔法使いがいたような気がする」


 カーンの問いかけに、サイクスはゆっくりと返した。封印された記憶はパズルのピースのようであり、線を切られて点々としている。


「魔法使いか。魔法文明時代の前期、多くの大陸で栄華を極めたとされる者達だな」

「そもそも、魔法という言葉や形式も、彼らが作ったものとされている」


 エリックが割って入ってきた。また何かのスイッチが入ったとばかりに、リンダは兄に流し目を寄越す。後ろを歩く姉妹が乗ってくる雰囲気はない。関心がないのか、それどころではないのか、どちらかだった。


「晶石、言霊、精霊、その他の多岐にわたる魔力による超常現象を魔術として束ね、則と律をもって形式化したのが魔法。それを使う者達という意味だから、まさしく文明の主役だったんだ」

「相変わらず博識だな」

「人は創世の時代、今の冥界神イカヤザより魔術を授けられ、それを魔法に昇華させたとも言われている」

「でも、それだと、ティットルやソキュラ、お爺さん達が使うような、竜の魔力はどういうものなの?」


 リンダが食い付いてきた。珍しい事もあるもんだ、とばかりにカーンが目を丸くする。


「それに関しては、後で本人達に聞いた方が確実だけど、魔法学や魔術分類学では、晶石と精霊の中間とされているね。竜は卵から孵るまでの間に、周辺の元素を吸着する性質がある。それが、火や水といった力の源になるんだ。それらを吸着し、束ねて力に変えるのが竜自身の魔力、というのが主な見解だ」

「そうなんだ……色々と凄いのね」

「勉強になるな。俺も世界があんな事になってなけりゃ、もっと博識になれたかもしれない」


 少しトーンを落としたカーンの声に、リンダは寂しげな気配を感じ取った。だったら、この時代にいてもいいと言い掛けたが、待っている人がいるというカーンの言葉を思い出す。


「それにしても、よくこんな所を歩きながら喋れますね……」


 幾分か疲れた声を掛けてきたのは、後ろを歩いていたローザだった。メリッサも妹と同様、歩調は変わらなくとも顔に疲れが出ている。


「こんな所を歩いているからね。少しは気が紛れるだろう。ここなら追手も入っては来れない。とはいえ、ソキュラ達の体力という制限時間はある。油断は禁物だよ」

「分かりました。頑張ろう、お姉ちゃん」


 ローザが声を掛けると、メリッサは顔を気持ち緩めて頷いた。声はまだ出せないが、感情まで失っているわけではないようだった。

 先頭に立ち、前を向き直ったエリックは、顔に大粒の汗を幾つも浮かべ、伝い滴る様を見せないようにしていた。その後ろ姿に、サイクスは何かを思い出した。

 今のエリックはルビィ隊を率いる指揮官である。指揮官の弱みは隊の弱みになる。かつて、そのような無様な負けを見たような気がしたのだ。


「人間、どこで何が起きて、どのように変わるか分からないものだな……」

「どうした、サイクス」

「いや、何でもない」


 独り言のつもりだったが、カーンに聞かれていた。何事も無かったように取り繕うと、再びエリックの背中を見た。ふと、かつての自分もこのように何か変わったきっかけがあったのではないか、閉ざされた記憶の扉に呼び掛けても、応じる声はなかった。

コーヒー豆

大陸暦一三五〇年代のキュリール島では、一般的に南方のシージョ大陸産のコーヒー豆が流通している。

深く染み渡るような薫りで、蒸気機関文明時代前期には胡椒と並んで高価なものとされていた。

外洋航行が幾らか容易になったとはいえ、まだ海を越えるのは命懸けで、大海獣や海賊の被害も多かった時代である。

一般的に流通しているとはいえ、まだ決して安価ではないコーヒーは、主に飲食店で嗜むものとされていた。

エリックが貴重なコーヒー豆を所持しているが、これはニールからの受け売りである。

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