第四十二話『決意と準備』
大陸暦一三五八年、八月二十四日――
伝令が去った後、まず最初に行ったのはメリッサとローザの動揺を静める事だった。二人ともひどく怯え、激しく震えている。青ざめた顔には生気がなく、見開かれた目からは光が消えていた。叫び出しそうになるローザをリンダが押さえ、頭を抱えて子供のように泣きじゃくるメリッサをティットルが支える。そして、次は自分の妹がこうなるのかと愕然とするエリックが立ち尽くしていた。
「行かせるわけにはいかない、と言いたいところだが、俺達の方が分が悪い」
「でも、リンダさんを一人で行かせるのは反対です」
カーンとソキュラは反対の意を示していた。サイクスもドキャンタの手腕を評価しないわけにはいかずとも、目の前の状況に賛成とは言えなかった。エリックは絶望も極まり、この世の終わりのような顔色になっている。
「こうなったら、リスピッツ少佐に報告するか。彼はドキャンタの醜聞を欲しがっている」
「でも、どこにいるか分からないんでしょ、今日は非番らしかったし」
取れる手段は取っておく、それしかなかった。少し間を置いて、サイクスが一歩前に出た。
「司令部に直接赴くのも手だろう。リスピッツ少佐以外にも、助けになってくれる人はいるかもしれない」
「……それもそうだな、その方が良いかもしれん」
「それと、司令部の構造を出来る限り頭に入れておいてくれ」
サイクスは含みを持たせるように言った。他のルビィ隊の面々は義勇兵の入隊手続きをした、市庁舎側の一階ロビーくらいしか覚えていない。メリッサとローザをソキュラとティットル、エリックに任せ、リンダとカーンはサイクスの案内の下に動き出した。
ホテルを出て、大通りに出るまで数ブロック、そこからさらに司令部のある市庁舎まで歩き通し、概ね半刻の時間を要した。位置関係でいえば、ルビィ隊が宿舎として充てがわれているホテルは市街地の東側にあり、市庁舎は中央部に近い。
「司令部から見て、ヌンカル火山は北西の方角だ。ドワーフ通りをまっすぐ抜ければ、門まで車で半刻と掛からんだろう」
歩きながらサイクスが言った。決して小声ではなかったが、立ち止まって声を潜めるよりは良いとの事だった。説明をしやすくするため、手のひらに収まる紙切れに、簡単な地図が書かれている。
「現状、ヌンカル火山の戦略的な価値は低いとされている。観測のための兵を置くにも前線は遠く、火山活動が不安定というのが理由だ」
「それでも、門の方にも銃塔はあるのね」
サイクスの説明を受けたリンダが、地図に記された対空機銃座を見て言った。
「侵攻初期、火山側に回り込んで北西から斬り込んでくる飛行部隊がいたとの事だ。私達が来る頃には、もう来なくなったそうだが」
リンダが覗き込む地図に、カーンが指で推測される飛行経路をなぞる。市庁舎の周辺も攻撃されていた事から、早い段階で中枢を攻撃する計画が立てられていたらしい。
「なるほどね、私達が訓練とか色々やってた時、こんな感じで調べてくれてたのね」
「リカンパ少佐がドキャンタ大隊長に便宜を図って貰ってな、私をお付きの兵として召し上げる形で連れ回し、情報を寄越してくれた。家柄を利用したと苦笑していたよ」
「カリエのお婆さんの家系って凄いのね……」
「リカンパ家はキュリール王国を治める王朝の盛衰を幾度も見てきた、由緒ある家系だそうだ。今でも、多少の無理は通せるらしい」
サイクスとリンダのやり取りを聞いて、カーンの中で、リカンパがドキャンタの横暴を泳がせているという、リスピッツの言い方にも合点がいった。
「しかし、何だかんだで渡りに舟が多いな。微妙に手詰まり感を覚えた頃に、ちょうどいい助けが入る。俺達が出会った事も、ニプモスで婆さんと出会った事も、グリンクパースで竜王の爺さんに会った事も、全部が巡り合わせみたいだ」
カーンの言葉に、サイクスが足を止めた。少し遅れてリンダが止まり、進んだ分戻ってきた。
「巡り合わせ、か。確かにそうかもしれんな。運命のようなものを手繰り寄せる何かが、私達の中にあるのかもしれん」
「……私がマークスさんのお店であのジェリム男に襲われた時に、言われたんだよね。運命に導かれ、古の真実を暴き、未来を塗り替えるって」
「って事は、その上手い巡り合わせの元はリンダって事か」
「その可能性はあり得るな。そして、私も行動を倶にする事で、魔王に封印された記憶を取り戻しつつある」
サイクスとカーンの真剣さにリンダはたじろぎ、一歩後ずさった。
「私にサイクスの記憶と、カーンの時代を何とかする力があるって事なの?」
「それは分からない。しかし、今の私にとって、希望の光は君から放たれている」
「気にするなとは言わないが、背負い込むなよ。俺達が付いてる」
和らいだ二人の表情に、リンダはいくらか気分を落ち着けた。そして、再び歩き出した。
「……何で、オレはあの娘を呼ぶように言ったんだ?」
昼過ぎ、傭兵隊の宿舎に充てがわれたホテルの一室にて、夜勤明けの一眠りから覚めたドキャンタが言った。歳のせいか、寝不足が頭痛に直結する。重く痺れるような感覚を振り払い、ベッドからソファーに移ったところで、副官のアロンツォが部屋にいる事に気が付いた。
「いたのか、アロンツォ。何かあったか?」
「いえ、先日の一戦以来、大きな動きはありません。敵も五輌の戦車と随伴歩兵を喪った事が堪えたのでしょう」
アロンツォの報告に、ドキャンタはそうか、とだけ返した。しかし、思い返すと不可解な戦闘だった。侵攻部隊の本隊として見るには少なすぎ、先遣部隊として見るには後続の影がない。敵の狙いがアーカルから上陸して東に向いているのであれば、こちらに対しては牽制としてある程度の打撃を加えておく、という意図だったのだろう。
「……そうかもしれんな。まぁ、細かい事は上に任せよう。ところでアロンツォ、ひとつ気になる事がある」
「先程の、どうしてルビィ隊の娘を呼び付けたか、ですね」
重苦しい声のドキャンタに、アロンツォは軽やかな口調で先回りしてみせた。長い付き合いではあるが、蛇を想起させるこの話の早さは、今でも慣れない不気味なものであった。
「オレはリカンパ少佐から、ルビィ隊の奴らに関して色々と便宜を図るように頼まれ、その見返りに幾らかの粗相に目を瞑って貰ってる。しかし、そのルビィ隊の副長である娘を呼び出した。自分で言った事なんだが、今一つ分からなくなった」
確かにリンダという娘の、若く瑞々しい魅力は手にしたいという欲求を抱かせる。しかし、彼女はリカンパからの要請で手を出せないはずの存在だった。疲れのせいで自分でもよく分からない発言でもしたのか、ドキャンタはちょっとした混乱状態に陥っていた。
「それは、あのリンダという娘がそれほどまでに美しいのでしょう」
アロンツォの言葉がドキャンタの耳朶を撫でる。音もなく、滑らかな所作で斜め後ろに回り込む。鋭い目に惑わすような言葉遣い、そしてこの挙動、毒蛇のような男だと思わせるには充分だった。
「リカンパ少佐が便宜を図るよう求めた第一の目的は、あのサイクス・キュリールを名乗る黒い鎧です。隊長エリックの妹というだけで副長の座に収まっているに過ぎない小娘一人、少しつまんだところで文句は言われますまい」
突き立てられた牙から滲み出た毒が回るような感触だった。
「あなたは既にこの街を守るために多大な貢献をしました。もはや英雄的さえあります。英雄は色を好むものです」
アロンツォの甘美な囁きに、ドキャンタは正常な意識を手放しつつあった。この副官の、痺れるような耳触りの良い言葉が、生来の悪癖を邪悪な欲望にまで育て上げていた。
結論から言うと、司令部では目ぼしい成果は得られなかった。非番の将校の居場所など教えて貰えるわけもなく、またリカンパも軍務に忙しく、話が出来る状況ではなかった。
「出来れば、話の分かる人に伝えておきたかったな」
「仕方がない。一応は落ち着いているとはいえ、現在は防衛戦の真っ只中だ。そうそう個人間の問題に対応してくれるなんて事はないだろう」
「せめて、ローザちゃんとお姉さんの件だけでも話しておきたかったね」
気晴らしついでに畜舎を訪ねる。司令部の食堂で働くリンダにとっては日課となっていた。フィズは奥から二番目に繋がれており、他にも四羽のニダモアと十五頭の馬が繋がれていた。さらに、同じ規模の畜舎がもう二棟ある。物資輸送の自動車化は進んでいるが、まだ馬や陸鳥による運搬も必要とされていた。リンダが首筋から下顎、耳元までを掻くように撫でてやると、気持ち良さそうな表情で喉を鳴らす。その間にも、サイクスとカーンは畜舎の構造を頭に入れていた。
「またね、フィズ」
「ホテルに戻る前に、もう一箇所寄っておきたい」
畜舎から出たところで、カーンが言った。時計の針は十四の刻限を少し回っている。三人が向かった場所は、司令部近くの老舗ホテルだった。
「リンダ・ルビィ、消灯時間が近いが、出頭命令が出ている」
「はい」
二十二の刻限少し前、リンダ達の部屋に迎えの兵士がやってきた。傭兵ではなく正規兵、肩や二の腕に然るべき印が着いているため、偽物ではない。
「他の者は下がっていろ」
出ていくリンダが心配で、ドアから身を乗り出そうとしたティットルとソキュラを、もう一人の兵士が制止する。仕方なく部屋の中に戻り、窓の外に目をやる。しばらくして、リンダを乗せた車が走り去るのが見えた。
「……よし、動くぞ」
ドアに耳を押し当て、廊下の気配と物音を探る。見回りがいない事を察したティットルは、音を立てないようにゆっくりとドアを開けた。少しだけ開けて、手鏡で確認する。竜は目の位置と鼻の長さから、人間のように隙間から垣間見るといった芸当が出来ない。
「水は用意出来てます、行きましょう」
シャワーの水を桶に貯めておいたソキュラが彼女を呼ぶ。鏡幕の術式ほか水の術式には、ある程度の水量を要する。竜は生物的に高い魔力を有しているので、魔晶石を必要としない。小さな両の手が水に触れると、にわかに水面が震え始めた。まるで池に降り落ちる雨粒が、逆に舞い上がるようであった。水の粒は小さな鏡ともレンズとも付かない形になり、二人を包み込んだ。
「まずはエリック達の部屋へ行こう。手筈通りに、だ」
「はい」
半刻と経たず、リンダは司令部の三階にある奥の部屋まで通されていた。この奥に、自分を呼びつけた者が待っている。通路は一本道で、警備を担当していた傭兵達は、大隊長のお楽しみを邪魔しないようにするためか、扉から離れていた。
「仕事中だってのに、いい気なものよね。でも、あの人達、離れ過ぎじゃないかな……」
リンダは警備兵がかなり離れている事に気が付いた。部屋の中で何かが起きても、駆けつけるまでに十数歩は掛かる。
「どんな事に及ぶのよ……」
リンダの不安はさらに増した。そして、ドアの向こうから厳かな声で「入りたまえ」と聞こえてきた。深呼吸し、意を決してドアの取手を掴む。瞬時に伝わる悪寒、直後に身に降り掛かるであろう出来事に対する予感とは、明らかに違うものだった。心なしか、ドアは異様に重い。部屋の中は暗く、夜番が勤めている司令部の一室とは思えなかった。リンダは内心呆れてドアを閉める。
「リンダ・ルビィ、参りました」
不安と緊張、そして苛立ちを含んだ声色はどこか上ずり、普段の明朗さは感じられない。しかし、部屋に漂う異様な空気から、その苛立ちはたちまち消え去った。その分だけ、不安感が増す。暗闇に慣れてきた目に映ったのは、ランプの薄明かりに照らされた、物言わぬ屍となったドキャンタの姿だった。
竜と魔術
人間や亜人など、生物的に魔力を持たない生物が魔術を行使する際、魔晶石や呪文などの媒介を用いる必要がある。
魔晶石を用いるものは晶石魔術、呪文を口頭ないし書面で用いるものは言霊魔術、精霊石で精霊を従えるものは精霊魔術とされる。
竜は生物的な性質として、生まれた頃より元素エネルギーを吸収して育ち、その過程で魔力を蓄える性質があるという説、魔力で元素エネルギーを吸収する事で育つという説があり、両者ともその謎を解く鍵は角にあるとされている。
しかし、竜の個体数からなる希少性の高さと、魔法文明時代が過ぎ去って久しい現代において、竜と魔術の関連性を解き明かす研究は進んでいない。
キュリール島は神々に追われた魔物の存在により、島全体が高い魔力を有しており、魔王ルハーラの時代より以前から、四大元素各々のエネルギーを有した竜の王族が栄えている。そのいずれも、高い魔力により自由に術式を行使する事が出来るという。




