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第二十七話『路地裏の飯屋』

 大陸暦一三五八年、八月八日――

 精霊の森を出て翌日、グリンクパース中心街に戻ったリンダ達を待っていたのは、思いもよらぬ人物だった。


「刑事さん、どうしたの」


 真っ先に気付いたリンダが声を掛ける。キスウィーだった。ロックを伴っておらず、車もない。完全に一人で立っていたのだ。ニプモスで別れてから十日近く経っていたが、その僅かな間で大きく憔悴しているようにも見えた。数日は洗っていない、またはアイロンも掛けていないと思われるシャツのくたびれ具合が、それを物語っていた。


「そうだな、どこから話をしようか……取り敢えず、適当な場所を探そう」

「でしたら、向こうの通り路地裏に、僕達が入ってちょうど満席になるくらいの小さな飯屋があります、そこにしましょう」


 昼下りを少し過ぎた時間だったが、一行は昼食を摂っていなかった。凍らせた多肉カマキリの脚を換金するのに手間取ったためだ。とはいえ、カリエとニールが一本ずつ山分けした分を除いても、軍資金としては充分過ぎるほどの現金が手に入った。節約すれば、十日は動ける。加えて、妖精の郷で幾分かの保存食を分けて貰っている。

 エリックが案内した路地裏の飯屋は、小奇麗に整えられた外装に風見鶏の付いた看板が特徴であった。看板の下から見上げると、建物の隙間から覗く狭い空に向かっているようにも見える。店の名前は空見鶏(そらみどり)、確かに的を射た名前だった。


「お兄ちゃん、こんな店いつ見つけたの?」

「以前に先生から聞かされた事があってね。気のいい店主だとか」


 エリックが先頭に立ってドアを開けると、備え付けのベルが爽やかな音を奏でた。


「いらっしゃい。随分と面白い顔ぶれのお客さんね」


 ベルの音を聞き付けて出て来たのは、見た目三十から四十の女店主だった。後頭部で一括りにしたこげ茶の髪は硬く、やや白みを帯びた肌に十人並の器量、特徴的なのは耳元にびっしりと生え揃ったもみ上げだった。背は低いがたくましく、真っ赤なシャツと黒いエプロンで引き締められた稜線は、女性的な肉感も湛えている。


「人間が四、竜が二、幽幻(ファントム)が一、合わせて七人ね。その辺の席に適当に掛けて。あなた達で満席よ。外のニダモアは駐車場にでも繋いでくれれば大丈夫よ」


 一行が通されたのは、四人掛けのテーブル席二つで、それがこの店の席の全てだった。しかし、入ってみると思ったよりも広い。バンドでも入りそうなステージがあり、比較的新しいジュークボックスが置かれている。


「良いステージでしょ。駆け出しの子があそこで演奏するのよ。料金は一刻五〇ヒネリオ。だいたい二刻くらい使っていくわね」


 ガーヴィネーのコテージが一人一泊で約一〇〇ヒネリオだったので、それなりによい商売である。女主人が人数分の水を持って来た頃、フィズを駐車場に繋いだリンダが戻って来た。


「注文が決まったら言ってね。今はこんな状況下で、出せるものはこれだけしかないけど」


 テーブルに配られたメニューは、壮丁も紙選びもされていない、即席のものだった。料理も飲み物も酒類も、数種類ずつしかない。それでも、店として経営出来ているだけマシという状態であった。いつ、グリンクパースも魔王による侵攻を受けるか分かったものではない。


「それじゃあ、木こりの大皿パスタを二つ、取り皿は七つで。飲み物はコーヒーを四つとレモンティー三つ、全てアイスで」

「かしこまりました、ちょっと時間掛かるから、先に飲み物持って来るわね」


 女店主は気さくというより、どこか母親のような風情を感じる。ふと、リンダとエリックはエール村にて今も仕事に勤しんでいるだろう、ウィノアの事を思い出していた。魔王の配下による襲撃以降、南部がどうなったのかという情報は入ってこない。


「刑事さん、差し支えなければお聞きしたいのですが、今の状況はどうなっていますか?」

「そうだな、ラジオで言われてる情報に少し加えたくらいしか話せないが……ニプモスは何とか落ち着きを取り戻しつつある。とはいえ、ジョーギンから軍用車輌を回す都合上、直通の道路は制限が厳しいな。我々は北からローディン岬方面の湾岸道路沿いにここまで来た」

「もう一人の刑事さん、ロックさんの姿が見えませんが、どうされたのですか?」

「あいつは先日、ニール博士を見つけて、あれこれと話を付けられてニプモスへ車を出してしまったよ。その時に君達の人数も概ね聞けたのでね。あいつには一度ジョーギンに戻り、別の車で来るように伝えてある」


 キスウィーの言う別の車が、大型のトラックやバスの類である可能性はあった。そうなると、荷物運びの負担は大きく軽減されるが、フィズをどうするかという問題も浮上する。


「ツアンカからアーカル方面は、魔王の手下がかなり荒らし回っててな、特にアーカルは軍施設も多くて損害が大きい。ジョーギンは今のところ目立った損害はないが、厳戒態勢が続いている」

「刑事さん、エール村について、何か情報は入ってませんか?」

「……いや、エール村もリマーブ村も、現時点では特に動きはない」


 エリックの食い入るような質問に、キスウィーは頭を振った。


「刑事さん、私達、次はツアンカに行こうと思ってるの」

「待った、ツアンカは言った通り危険だ。それでも、行く必要があるのか?」

「それは……サイクス」

「分かった、私から説明しよう」


 リンダに振られたサイクスが立ち上がり、キスウィーに説明を始める。精霊の森で起きた出来事を丁寧に話す。サイクスの記憶と魔王の呪いについて、さらなる情報が必要になったため、ツアンカに赴く必要がある事、火山帯での高熱対処及び魔王派の勢力から守るために幼いソキュラを連れている事を明かした。


「なるほど。そこの小さい竜は、ニプモスを襲ったソキュラの子か」

「はい。父の行いに対し、僕の口から弁明出来る事はありません」

「まぁ、落ち着きな。今すぐ君をどうしようってわけじゃない。それよりも、君の継承した竜王の座を狙って来る奴はいるんだな」

「可能性は大いにあります。ニプモスとグリンクパースが狙われる事も、考えられます」


 キスウィーの言葉に一瞬たじろいだものの、ソキュラは思った以上に冷静だった。慌ててどうにかなる状況ではないが、ここまで落ち着いていられるのも、王者の印を戴いた者がなせる気配なのか、生来より秘めていた器なのか。サイクスはその幼い横顔に、何かを思い出しそうになった。しかし、その記憶にも靄が掛かり、肝心の顔と名前は白く濁って出てこない。


「危険を承知か。しかし、さっきも言ったが、ツアンカまでの道は交通制限が掛かっている。ジョーギンから北に抜ける道はともかく、西に抜ける道はほとんど通行止めだ」


 島の北岸沿いの道も、中央を迂回する道も使えないという事だった。それに関しても、既に対策は取られている。ティットルが伸びるように立ち上がる。すらりとした長身は、ほとんど音を立てない。


「ドワーフの隠れ道を使えば、ツアンカまでの経路は確保出来ます。道幅も狭くなく、車でも通れるでしょう」

「ふむ、噂に聞くドワーフの隠れ道か。しかし、誰が話を付ける? そして、君は何者だ?」

「申し遅れました。妖精の郷の領主オーヴェルに仕える騎士、ティットル・ソグと申します。ドワーフの隠れ道ならば、何度か利用した事があるので、話は通せます」

「そのための竜、という事ね」


 突然、話に滑り込んできたのは女店主だった。巨大な盆一枚に、パスタの大皿二枚と人数分の取皿を乗せ、危なげなく運んでくる。エリックやカーンの手伝いもあって配膳を済ませると、女店主は興味ありげに一行を見た。


「ドワーフの隠れ道とはいうけど、もはやマニティ山地を丸々くり抜いた要塞よ。隠れ道と言われていたメインの大通りなら、人間の戦車でも充分通れる広さと強度は確保してあるよ。何せ、トロッコ列車だって通っているんだから」

「そうなんですか、詳しいんですね」

「私もドワーフでね。髭は流石に剃ってるけど」


 女店主の全身を改めて見ると、確かにドワーフの特徴を有していた。がっしりとした体躯に毛深い顔、女性でも顔面の防護のために髭が生えるとされるが、剃ってしまえば人間とさほど違いはないように見えた。


「とはいえ、ドワーフの縄張りに足を踏み入れるなら、体力はしっかり付けておくのよ」


 思ったよりも愛嬌のあるウインク一つ投げ掛けると、女店主はステージに上り、舞台袖に置いてあったギターを取り出し、奏で始めた。ドワーフは古くから山の妖精で、生活の多くを重労働で占めている。そんな彼らの娯楽といえば、専ら装飾品作りと音楽であったという。そのためか、ドワーフの明文化した詩歌や演劇は多くない。口伝やアドリブが多いのだという。


「陽気な店主さんに美味しい料理、ニール先生も風流ね」

「……先生の事だ。あの店主に惚れ込んだ可能性もある」

「なあティットル、ドワーフって、そんなに長生きなのか?」

「私が知っているのはエルフや職人妖精(レプラコ-ン)家事妖精(ブラウニー)だが、彼らでも人間の数倍は生きる。ドワーフもそのくらいだろう」

「何はともあれ、しっかりした飯が食えるのがありがたい。そうだろう、黒い鎧の」

「えぇ、恐らく次に休めるのは、ドワーフの領域でしょう」


 女店主の奏でるギターの音に合わせて歌が響く。薄橙色の明かりが店内を淡い黄昏色に染め、一行は各々の思いを語りながら食事する。パスタはオリーブオイルとバジルをしっかりと絡めた薄めの塩味で、いつもならチーズとトマトを添えているのだという。

 コーヒーは南方のシージョ大陸産のブランド豆で、レモンティーの茶葉はメーシア大陸域のギムココ諸島産、スライスされたレモンはエール村の特産である。

 旨い飯と心地よい空間。ただ腹を満たし、栄養を補給するだけではない。目と耳と舌と、あらゆる感覚をもって英気を養っているのだ。やつれた印象を見せていたキスウィーが、いささか血色を取り戻していた。


「ごちそうさま、美味しいパスタありがとう」

「どういたしまして。こんな路地裏の小さな店だけど、味には自信があるのよ」

「色々と落ち着いたら、また来てもいい?」

「もちろんよ。メニューが元に戻ったら、また皆でいらっしゃいな」


 女店主に、リンダは微笑み一つを返した。エリックがお代を支払い、店を後にする。繋いでいたフィズの紐を解いてやる。少し遅れて、キスウィーが出てきた。店のフロントに電話が置かれていたため、使用していたのだ。


「あぁ、すまない。ジョーギンの署と連絡を取っていた。申し訳ないが、私はまた戻らなくてはならなくなった」

「何か、あったんですか」

「ニプモスで動きがあったらしい。マンスィスどもの動きが活発になったとな。君達に同行する予定だったが、私はロックの迎えが来たら、ジョーギンに戻るつもりだ」

「お気を付けて」

「君達もな」


 エリックがキスウィーを送り出す。結局、この刑事がグリンクパースにまで足を運んで出来た事といえば、状況確認とニールの移送くらいだと思われた。後日分かった事だが、彼が市街地を動き回っていた事で、ある程度の治安維持になっていたようだった。

 ともあれ、リンダ達の旅路は西へと舵を切っていた。

空見鶏

森林都市グリンクパースの中心街と西地区の境目の路地を少し入った所にある、定員八名の小さな料理屋。

看板の風見鶏を下から見上げると、路地裏から仰ぎ見れる小さな空へ向かっているように見える事から、店の名前が付けられた。

店内にはステージがあり、普段は駆け出しの音楽家や役者が腕試しに訪れる。酒の席で気を良くした客からおひねりが入る事もあれば、喧嘩になる事もある。

店主はキュリール島東部では珍しいドワーフの女性で、看板の風見鶏も自作したとの事。ジュークボックスや電話など、新しい技術の導入にも積極的。

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