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第十四話『秘めた力』

 大陸暦一三五八年、七月二十五日――

 水竜ソキュラと対峙したリンダは、未知の感覚に包まれていた。身体の内側から滲み出るような高揚感、胸の高鳴りに合わせて全身を熱い血が廻る。頭は朝霧が晴れたように冴え渡り、両の眼は痺れるような快感と共に澄み渡っていた。目の前の存在が、かつて魔王に従った竜の王の一族である事など構わなかった。


「小娘よ、我にそのような目を向けるとは、命が惜しくないようだな……」


 ソキュラが槍を振りかざす。返しのない純白の穂先は、太陽の光を受けて神々しくも見えた。腰の高さまで下ろし、目にも映らぬ速さで突き込む。リンダの脇を抜けるように放たれた突きは、衝撃だけで付近の建物の壁を抉るほどの威力があった。生身の生物が受ければ、竜に類する者でもただでは済まない。


「……これを見ても動じぬか。ならば、そのような目を二度と我に向けぬようにしてやろう!」


 リンダの挑戦的な目付きは、ソキュラの癇に障っていた。竜より遥かに劣ると見なしている人間が、父祖の代から憎み切って生きてきた相手が、王たる自分にひれ伏す事もない。むしろ、あざ笑うかのような視線を送ってくるのだ。白々と輝く穂先が陽光を照り返して美しい軌跡を描くと、再び腰の高さまで下りてきた。槍を突き出さんと踏み込んだ瞬間、リンダの姿は影と化していた。


「上か!」


 見上げた先には、長短二振りの剣を振りかぶった娘の姿が映る。風切り音と共に振り下ろされた刃は、ソキュラの左腕の手甲に防がれた。衝撃だけで、斬られた感触はない。突きの姿勢は崩されたが、半歩ずつ下がってすぐに立て直す。そう目論んだソキュラの後退りに合わせて、リンダは低い姿勢から踏み込んで来た。


「む、そう来るか」


 狙いは足元か、あるいは槍を手繰る指か。足は動かしている最中なので蹴りに転じるのは難しく、軸足に残していた左足に剣を叩き付けられた。すね当ては着けているが、衝撃だけでも骨に響く感触はある。ソキュラは想定以上のたたらを踏み、その分リンダの踏み込みを許していた。


「やるな小娘、だが甘い!」


 ソキュラも竜王の系譜を継ぐ者である。リンダの初手を許したのは、ほとんど無意識の侮りによるものだった。右足で踏ん張り、全身を時計回りで大きく捻る。繰り出されたのは人間にない第三の武器、尻尾だった。鞭のようにしなり、丸太のように打ち据える一撃を受け、リンダは大きく吹き飛ばされた。別方向に、きらめく金属片が飛ぶ。


「防いだか、だが、これで仕切り直しだ」


 リンダの体は、カーンとイミノッキの戦いを遠巻きに見ていたカリエの元まで吹き飛ばされた。


「お嬢ちゃん、大丈夫かい。というか、あんな怪物相手によく動けるね」


 カリエが熊の精霊を戻し、土くれから兎の姿をした精霊を繰り出した。


「ヤス、お嬢ちゃんの傷を治しておやり。終わったらあたしの所に戻っておいで」


 地の精霊ヤスが、リンダの傍らで柔らかな光の粒を振り撒く。ソキュラの槍を受けた衝撃、吹き飛ばされた事で生じた傷の痛みが和らいでいった。


「よし、良いだろう……年寄りから施しがあったんだ。礼の一つくらいあってもいいだろ」


 治療を受けたにも関わらず、顔を向ける事もなかったリンダに、カリエは溜息混じりで苦言を垂れた。しかし、当の本人にはそれさえも届いていない。瞳孔の開いた目を剝き、口許を不気味な笑みで吊り上げたリンダの横顔に、カリエは一瞬たじろいだ。一種のトランス状態に陥っていたが、出会ってから今までの僅かな時間とは言え、彼女にそのような性質があるとは思えなかった。


「狂戦士……いや、違うね。そうなら、今頃あたしに斬りかかってる」


 ソキュラに向かって駆け出したリンダの背中を目で追う。程なくして竜王の槍を躱し、右手の剣を繰り出す。先程の受け太刀で切っ先が折れていたが、叩くくらいには使えるとばかりに振りかざしていた。


「やれやれ、ちょっとおかしい事になりそうだね……さて、ユキの出番……あら?」


 カリエがリンダの治療を終えたヤスを戻そうと思った時、さらなる違和感に気付いた。ヤスが戻っていないにも関わらず、別の精霊を実体化させるだけの余裕が生じたのだ。精霊魔術師は通常、一度に一体ほどの精霊しか実体化させられない。カリエほどの熟練者であっても二体が精一杯だ。ニールの位置を把握するためにミルを出している以上、カーンの援護に回るには、ヤスを戻さなくてはならないはずだった。


「ヤス、あんたは誰に使われているんだい……」


 ヤスは未だ、リンダの傍らにいる。ソキュラとの接戦で生じた傷をその場で治しているのだ。それでも、カリエにはもう一体の精霊を実体化させる余裕がある。つまり、今のヤスはカリエ以外の何者かによって使役されているのだ。


「もしかして、お嬢ちゃんが? しかし、精霊石もなしにどうやって?」


 精霊魔術師は、精霊石を消費する事で使役している精霊を実体化させ、術式を行使する。晶石魔術師が魔晶石を消費して術式を行使するのと同じだ。

 考えていても仕方がない、カリエは風の精霊ユキを繰り出した。低温を操る白い狐のような姿をしたユキは、カーンと斬り結ぶイミノッキに向けて走り出した。ジェリムは火に弱い事が多いが、それは体を構成する粘液に、今まで消化してきた獲物の脂が混ざるためである。そのため、油分を含まない鉱物や飼料で育ったジェリムは、火に強い事もあるという。


「水の四天王を名乗り、水竜とも繋がりがある……という事は、あいつに効くのは……」


 カーンのナイフが弾かれ、大きく隙を見せた。もらったとばかりに突きを繰り出そうと構えたイミノッキの腕が凍り付く。ユキの口から吐き出された冷気が、ジェリムの肉体を凍らせたのだ。


「しまった、冷気の使い手がいたか!」

「危なかったが、婆さんに助けられたな。さて、これで終わりにしてやるぜ」


 冷気は足元にも周り、イミノッキは見動きが取れなくなった。これで勝ったも同然、カーンがナイフを構えた瞬間、カリエは見逃さなかった。向きこそ逆だが、リンダがカーンと全く同じ構えを取ったのである。


「偶然、いや違うね。あの子の本質は……!」


 何かを察したカリエがカーンの元に駆け寄る。老齢ではあるが、兎亜人の速さは健在である。イミノッキのコアを狙ってとどめを刺そうとしていたカーンの左腕を掴んだ。


「何だよ婆さん!」

「こいつはあたしが引き受ける。あんたはお嬢ちゃんと一緒に、ソキュラを相手してくれ」

「おいおい、何言って……」

「あんたが手を止めちゃいけないんだ。早く」


 鋭い視線に歳から来る凄みを感じたカーンは、分かったとだけ返してリンダの援護に向かった。カリエはミルとユキを出したままにして、イミノッキの凍り付く様を見ていた。既に四肢は動かせないほどに凍て付き、いよいよ下半身が氷の像になろうとしていた。


「流石に、胴体を凍らせるには時間が掛かるね」

「ふん、我を凍らせた程度で、動きを封じたとでも思ったか」

「思ってないさ。まだ両手足を砕いて切り離せば、凍ってない部分だけで動けるだろう」


 カリエがイミノッキと対峙する。四肢を凍らせても油断は出来なかった。ユキの冷気を帯びた吐息が凍らせると同じ速さで、イミノッキが凍て付いた自分の体を溶かしている。水の四天王の二つ名は伊達ではない。


「ふん、二人になった所で、有利になったなどと思うなよ」

「思っちゃいない、ずっと震えっぱなしさ」


 ソキュラの言う通り、リンダとカーンの二人掛かりになっても、状況は好転しなかった。異なる方向から振るわれる刃を、一本の槍でほとんど同時に捌いている。大掛かりな構えを要する突きを繰り出させないため、攻め続ける必要があるのだ。リンダの右手の剣が砕け、左手の銃剣を持ち替えていた。カーンのナイフも同様に、刀身の短さから踏み込まざるを得ず、致命傷を与え得る首筋や脇の下を狙うも、槍捌きと硬い鱗に阻まれていた。


「洒落臭いッ!」


 自分を左右から挟む形で斬り掛かる男女を相手に、一方的にしてやられる竜王ではなかった。穂先で突き刺すまでもない、軽く硬質な珊瑚を整えて作った柄で足を払った。手元に意識が集中していたリンダとカーンはバランスを崩して倒れ込んだ。


「ふん、この程度か……しかし、この小娘の違和感は何だ?」


 ソキュラはリンダを一瞥し、それからカーンに目をやった。


「まるで、この男が二人いるような太刀筋だった……それに、精霊まで従えていた……」


 明らかに、自分だけの力ではない。ソキュラはリンダに対して抱いた違和感の正体に薄々勘付くと、槍の穂先を倒れたまま動かないリンダに向けた。


「なるほど、確かに魔王の障害となるはずだ。ここで始末するべきか」


 純白の穂先が不気味に輝く。神秘的でさえある白も、この時ばかりは全ての命を無に還す冷たさを帯びていた。なんとか体を起こそうとしたカーンの背中を、イミノッキの足が踏みつける。やめろ、叫ぶ気持ちは呻くような声にさえならなかった。カリエも魔力勝負で根負けし、弾き飛ばされている。


「しぶとさだけなら自信があるのだよ……貴様も、小娘も、そこの婆も、死んでもらう!」


 ソキュラが槍を、イミノッキがナイフを振り上げる。二つの刃は断頭台のそれに等しかった。


「ぐっ……情けないね、歳は取りたくないもんだ……」


 歳には勝てない、カリエは思ったように動かない体を奮い立たせようとして、それでも叶わぬ自分に苛立ちを隠せずにいた。せめて、どちらか一人だけでも助ける事が出来れば――


「……む、何だこの地鳴りのような感触は」


 竜王の手が止まる。カリエが見たのは、地面に落ちた鳥の影だった。精霊の気配、ミルが戻ってきたのだ。ソキュラとイミノッキは地鳴りをもたらしている主を視界に入れて、振り上げた刃を下ろすタイミングを失っていた。



《はっはっは。エリック君、物持ちが良いというのは良い事だと思わんかね》

《先生はこんな物騒な物、どこで調達したんですか》

《三十年ほど前、モノゲア共和国軍が装備の刷新と共に、レンストラ大陸戦争に向けて作り過ぎた余剰品の吐き出しをしてね。その時に流出したのを骨董品扱いで、五年ほど前にこっそりと導入したのさ》

《今更ながらニール殿、この鉄の箱は何なのですか? 砲艦に載せるような大砲まで付いて、まるで戦に使うような物に思えますが》


 ご名答、ニールはサイクスに上機嫌で答えると、三対の脚を駆動させる二本のレバーを前に倒し、右足のペダルを踏み込んだ。外は軽い地鳴りで済むが、中はその挙動によって大きく揺れる。外洋に小舟で繰り出すのと同じ程だとも言われている。既にエリックの胃は空になっており、車内の熱気でも補えないほど青ざめた顔が、その過酷さを表していた。


《みんな無事かね!》


 ニールが車内無線を外部スピーカーに接続する。これはニールが導入後に追加した機能だった。モノゲア共和国製、イグリンカⅣ型六脚歩行戦闘車の短砲身三オビュア砲がソキュラを捉える。六つ脚の怪物を前に、竜王の鼓動は驚愕と興奮で否応なしに高鳴っていた。

イグリンカⅣ型六脚歩行戦闘車

大陸暦一三二二年に制式化された多脚歩行車で、車輌では進入が困難な森林や山岳地帯に機甲戦力を投入するために開発された。

乗員は四名で、車長、運転手、装填手、射手が搭乗する。ニールが所有していたタイプは短身砲搭載で、生産数も多い。

主砲の三オビュア(約四.五センチ)は徹甲弾も発射できるが、砲身が短いために貫徹力は低く、主に榴弾を使用していた。

レンストラ大陸戦争において、森林や山岳の多いカレド帝国への進軍を見据えたワーグリン王国に向けて、二〇〇輌ほどが輸出された。

その後も多数が生産されたが、戦争の終結と装備の刷新で多くが中古品として輸出、放出される事となった。

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