第十三話『水竜ソキュラ』
大陸暦一三五八年、七月二十五日――
港湾都市ニプモスの商業港から中心街へと抜ける通りを、文字通り一掃したのは大量の水とそれを押し出す暴風だった。空から爆弾を連続でピンポイント投下しても、これほどにはならない。つい先程まで、通りで逃れようとごった返す人の群れと、現場に駆けつけようとする車輌の隊伍は、最初から存在しなかったかのように消え去っていた。
「あんなに、沢山の人がいたのに……」
「俺の元いた時代では珍しくもなかったが、見慣れたくはない光景だな」
リンダとカーンの声は、マンスィスの打ち鳴らす打楽器の音に紛れる事無く、むしろ不気味なほどに響いていた。それほどまで、通りは静けさに包まれていた。しかしそれは静謐というより、虚無に近かった。本来あるべき生命の音が全てかき消されたような、死に満たされた空間と言ってよい。
「あなたがやったのね……!」
リンダが拳銃を抜いた。構えた銃口の先に見据えるのは、この惨劇をもたらした張本人、水竜ソキュラだった。二足歩行する若い鮫を思わせる竜、それが第一印象だ。沈むような瑠璃色と輝く乳白色の鱗が織り成すコントラストは見方によっては美しく、貝と珊瑚と真珠で作られた装束は海の宝石と言って良かった。そして、それらを全て打ち消して余りあるほど、暗緑色の鋭い双眸が残忍に輝いている。
「いかにも。憎き人間共をこの地から排除するため、我自ら参じたのだ」
「人間を……憎んでいるの?」
「伝承は本当だったようだね。水竜ソキュラと言えば、黒い鎧の戦士率いる軍勢を相手に戦った四大竜王のうち、最後まで魔王ルハーラに与して屈しなかったとされている」
「ほう、短命なる者よ、よく知っているな。我が一族は祖父の代にて人間共に敗れてから、その恥辱を雪ぐべく、戦いを挑んだ。三百年ほど前、父も敗れて死んだ。我は、祖父と父の御霊に捧げるべく、憎き人間共の首を狩る!」
カリエの言葉に、ソキュラは自身の生まれを語った。キュリール王国の近海を荒らしていた大海獣が討伐された時と、ソキュラの父が人間に討たれた時が一致する。
「そうだ、やってしまえソキュラよ。目の前の者共を片付けても、まだまだ討つべき人間は山ほどいる……!」
傍らのジェリム男が命じる。両者の関係性は今ひとつ掴めなかったが、ジェリム男が魔王直属の配下であるなら、竜王達よりも位が高い可能性は充分にあった。しかし、リンダとカーンの予想はすぐさま覆された。ソキュラの手にした純白の槍の穂先が、ジェリム男の喉下に当たる位置に向けられたからである。
「図に乗るなよイミノッキ……! 貴様がかつて魔王の直下で動いていたとは言え、今は我と対等の筈だ。貴様は我が水竜王軍に技術を与え、我は貴様に兵力を貸し出す……そうだろう?」
「……そうだったな」
「だが、憎き人間が数多くいるというのは事実。急ぐに越した事は無い」
イミノッキと呼ばれたジェリム男から槍を下ろしたソキュラは、その穂先をリンダ達に向けた。横隊を組んだマンスィスの親衛隊が、銃剣着きの小銃を構えて前進する。それはまるで、蒸気文明時代のレンストラ大陸で見られた戦のようであった。打ち鳴らされる打楽器のリズムが変わる。前進を伝える音が止み、小刻みに叩く事で立つ者としゃがむ者に分かれる。並んだ銃口は、銃殺刑の執行間近のようだった。
「ちょっと、これはまずいわね」
「心配いらないよ、お嬢ちゃん。もう少し寄りな。ほら、あんたも」
カリエに促され、リンダとカーンが身を寄せる。傍から見れば、処刑を前に恐怖で身を寄せ合っているようにしか見えなかったが、実際は違っていた。
「ふん、啖呵を切って出てきたは良いが無策だったか。撃て」
ソキュラの命令と共に、右手が振り下ろされる。並んだマンスィスの小銃が一斉に火を吹いた。銃口から吐き出される煙が視界を覆う。イミノッキが用意出来た銃火器の類は、どうしても年代にばらつきがあった。資金面もあるが、裏市場に流通している数の問題もあったのだ。襲撃に用いた潜水艇も、なんとか数隻を手にした程度に過ぎない。その年代の差が、この時は彼らに仇となった。
「ふん、呆気ないものよ。我が主に仇なす娘と出たが、結局は生身の人間か……」
「いや、待て」
イミノッキの嘲笑とは裏腹に、ソキュラは目を細めた。煙をも払って飛び込んで来た弾が付近で次々と炸裂し、小銃を構えていた親衛隊を吹き飛ばす。想定外の反撃に、親衛隊は浮足立った。横隊の斉射を受けて、生身の人間が生き残っているはずがないからだ。
「あんたが石畳を捲りあげてくれていたから、何とかなったよ」
「なるほど、精霊魔術か。また久しいものが出てきたな」
リンダ達を銃弾から守ったのは、土から迫り上がった熊のような姿の精霊だった。相当な強度があるためか、銃弾程度で破壊されるような事はない。斉射が止んだ後、カーンが水平二連式の散弾銃に装填していた榴弾を見舞ったのだ。態勢を立て直していたマンスィスの一体が、首筋に流れるような蹴りを叩き込まれ、地面を二度三度と転がった。起き上がる頃には、腰の軍刀と銃剣の二振りを奪われていた。
「さて、今度はこっちの番よ!」
「ほう、あの僅かな間に」
親衛隊のマンスィスに、不慣れな小銃を構え直す余裕は無かった。着剣していた事を幸いに、そのまま槍のように振り回してリンダを迎え撃ったのだ。先頭の一体が突き掛かる。赤黒く汚れた穂先とすれ違うように避けると、駆け抜けざまに足を払った。防具こそ身に着けていないに等しいが、硬く滑らかな鱗は並大抵の刃物を通さなかった。わずかに血が滲む程度の刀傷を穿ったに過ぎない。
「思ったよりも硬い……!」
「リンダ、チューブを狙え。こいつら、エラ呼吸のための海水を背中のボンベで循環させてる。顔から背中に掛けて周っているチューブが弱点だ!」
同時に斬り込んでいたカーンが声を上げた。彼のナイフは切れ味こそ勝るものの、どうしても間合いを詰めなければ有効打にならない。ニールの事務所から逃げる際、倒したマンスィスの背中のボンベから海水が流れ出ている事を思い出したのだ。それから様子を窺っていたが、口から喉元まで覆うマスクを外した姿を見ていない。その事から、カーンはマンスィスがエラ呼吸であると踏んだのだ。
「チューブ……首筋から脇腹を狙うしかなさそうね」
リンダは態勢を立て直し、包囲するように銃剣の切っ先を向けてにじり寄るマンスィスを眺めた。非常時だと言うのに、ひどく落ち着いている。興奮しているはずなのに怜悧で、視界は澄み渡っている。村の外から来た浮浪者が酒場で暴れた時、その制圧を引き受ける事は多く、多人数を相手にした事も一度や二度ではなかった。微妙な足取りや視線、切っ先の揺れ具合から一番槍に目星を付ける。
「あの小娘、何者だ?」
「妙だな……我が襲った時と比べて、動きがまるで別人のようだ」
感心半ばにリンダを一瞥するソキュラの傍らで、イミノッキは彼女の変貌ぶりを訝しんだ。エール村で占い、襲撃した時は足が竦み、その顔は恐怖に塗り固められていた。遺跡の石室でも、構えた拳銃が震えて狙いが定まらないほど腰が引けていたはずだった。どこからともなく現れた男と、黒い鎧の戦士が影響しているのは想像に難くないが、それにしては成長が早過ぎる。
「我が奴を襲ってから、まだ十日と経っていないぞ。そんな僅かな間に……」
最初に突き掛かったマンスィスの首筋を、すれ違いざまに斬り払う。チューブが裂け、海水が勢いよく噴き出した。明らかな狼狽を見せ、同時に包囲していた者も警戒の色を強める。しかし、包囲していながら攻めないのは失策だった。姿勢を低くしたリンダが左手の銃剣を繰り出す。脇腹に周るチューブに穴が空く。二体を無力化された時点で、マンスィスの包囲は半ば崩れたも同然だった。
「貴様の魔力に当てられて、何かしらの覚醒を促された……と見て問題なかろう」
「馬鹿な、魔法文明は遠くに過ぎた。そのような目覚めを果たす者など……!」
「逆だ。今のような時代だからこそ、きっかけ一つで凡人が英雄になったりもする。お喋りが過ぎたな」
ソキュラの言葉に、イミノッキは反対側に振り向いた。十五は下らない数のマンスィスが倒されており、その中央に立っていたのはカーンだった。足元に転がる者達は、全員がエラ呼吸用ボンベのチューブを切られており、もはや身動き一つ出来る状態ではなかった。
「こっちは片付いた。そっちはどうだ?」
「なんとかね」
リンダもカーンより少ない数とはいえ、包囲を破ってソキュラ達に迫っていた。御付の鼓笛隊も短刀を抜こうとしたが、カリエの放った土の熊によって蹴散らされていた。その上で、ミルからの情報も察知している。ニールは生きており、しかし人の足で動くには妙に速いペースで接近していた。
「これは車……にしては、ちょっと遅いね。自転車にしては速いし」
生きてて合流してくるならいいか程度に捉え、カリエは考えを切り上げると、目の前の敵への対処に戻った。相手は四大竜王と名高い水竜ソキュラである。通りを一掃するだけの水と風の発射能力、それしか分かっていない。そして、傍らのスライム男に関しては何も分かっていなかった。リンダとカーンの口ぶりからすると、脅威的な再生能力を有しているくらいだった。
「さて、我はあの小娘を始末しよう。あの男は貴様に任せたぞ」
「……分かった」
二度も仕損じたがゆえに代わられた、イミノッキはソキュラの背中からそんな意図を感じ取ったような気がしたが、努めて気のせいだと思うようにした。リンダを襲った時と同じナイフを取り出し、禍々しい形状の刃を太陽に照り付かせて鈍く光らせる。
「……ゆくぞ、得体の知れぬ異郷の男よ」
「はっ、リンダを二度も仕損じたから、そっちの竜王様に代わられたか?」
「貴様ッ……!」
「その様子だと、図星みたいだな」
カーンの言葉に、イミノッキは激昂した。激しく地面を蹴る音と同時に、互いの刃が甲高い悲鳴を上げる。
「我は、我は水の四天王……! 主のために障害となる人間を確実に排除してきた。それが、あの小娘一人にしてやられ、挙句は他の四天王からも役目の交代を言い付けられたのだ……!」
「それで、そんな頭数でこの大きな港町を襲うって作戦を押し付けられたのか」
「黙れ……黙れ!」
イミノッキの怒り狂う刃は狙いの正確さを欠き、精神的に優位に立ったカーンにことごとく弾かれ、避けられ、返す刃で身を斬られ始めた。ジェリムの再生能力であれば、ナイフ程度の刀傷であれば大した事は無い。まして、水の四天王にまで上り詰めたイミノッキほどの力があれば、わけない事だった。
「なるほど、あれがあのジェリム男の再生能力……」
二人の剣戟を遠巻きに眺めながら、カリエは必勝の策を編み出していた。
四大竜王
キュリール島が魔の島と呼ばれていた時代、魔王ルハーラに与していた、四大元素の力を特に強く有する竜の一族の長。
火竜ツアンカ、水竜ソキュラ、風竜ミュルコ・モース、地竜コッティスの四頭で、各々が千頭の竜を従えたと言われている。
黒い鎧の英雄サイクスとの戦いで竜族の多くが喪われ、ソキュラを除く三頭は一族と共に降伏した。
その後の魔王との決戦でコッティスとソキュラが相討ちになり、ツアンカも戦えなくなるほどの重傷を負った。
キュリール王国建国後、サイクスはツアンカに北西の火山地帯を、ミュルコ・モースに北東の森林地帯を、コッティスの一族に南西の砂丘地帯を与えたとされている。
とは言え、竜は知的生命体ではあるが人間ほどの政治機構を持たないため、生存を脅かさない限りは各地の開発を許していた。
最後まで人間に敵対したソキュラは、後の世代にも残党やマンスィスを率いて人々を襲ったという。




