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第十二話『水の嵐』

 大陸暦一三五八年、七月二十五日――

 港湾都市ニプモスを襲った異形の群れは、瞬く間に遊覧船や個人所有の船が並ぶ船着き場を制圧し、停められていた車やバス、破壊した警察車輌でバリケードを形成した。付近の市場や露店も襲撃され、逃げ惑う人々が背中から撃たれ、突き伏せられるのが見えた。

 既に死傷者は百を超え、至る所で黒煙が上り、火が爆ぜ、肉を焼く臭いが血生臭さに混ざっては不快感を漂わせていた。


「どうしてこんな事に……」

「急げリンダ、エリック達を連れて、少しでも陸の方に逃げるぞ」

「ニールの奴なら、窓に梯子の一つや二つ掛けてるでしょ。締切に追われてた時は、決まってそこから逃げてたものよ」


 階段を駆け上るリンダ達の後ろから、新たな足音が聞こえてくる。魚が跳ねる音を大きくしたようなそれは、マンスィスの足音だった。血糊で赤く濡れたナイフを取り付けた小銃を構えた者が、四体ほどついて来ている。


「来ないで!」


 まっすぐに射線を取ったリンダが、拳銃を抜いて発砲する。装填されていたのは信号弾だった。激しい光が瞼の裏にまで染み渡る。普段から光のあまり差し込まない海中に棲息しているマンスィスにとって、その光は網膜を焼き切るほど強く、直撃を受けた先頭の一体が肉と脂の塊になって飛び散った事で、階段を駆け上る事は困難になっていた。


「やるな、リンダ」

「カーンに教えてもらったからね」

「二人とも、じゃれ合うのは後にしな。目くらましは足止めでしかないからね」


 カリエに急かされて、リンダは再び足を動かした。程なくして二階に辿り着く。事務所の玄関扉は閉まっていた。鍵が掛けられている。


「お兄ちゃん! 開けて!」

「エリック! サイクス! 聞こえるか!?」


 二人掛かりで扉を叩き、声を上げるも、反応はない。籠城戦を決め込んでいるのか、カリエの言った窓の梯子で脱出したのか、どちらとも取れた。


「替わりな。二人は階段から来る奴を頼むよ」


 リンダ達と扉の間にずいと割って入ったカリエが、杖の柄の先で床を突く。突如として巻き起こった風が、彼女の足元から吹き上げるようにして舞い上がった。淡い紫の光の粒が、その風に乗るように昇っている。


「おばあちゃん、それは……」

「精霊魔術さ。ちょっと風の精霊を使って、中を見てくるのさ。そろそろ奴らの目も見える頃だ。しっかり時間を稼ぐんだよ」


 カリエの不敵な笑みが、リンダに得体の知れない頼もしさを覚えさせる。奇声に気付いて振り向くと、三体のマンスィスが小銃を槍のように構え、階段を駆け上がって来ているのが見えた。今度は自分の番だとばかりにカーンが前に立ち、腰だめに構えた散弾銃の引き金を引いた。水平二連の銃口から少し間をおいて放たれた散弾は、三体の異形を吹き飛ばすには充分な威力だった。


「凄い威力ね」

「年代物だけどな。骨董屋で買ったんだよ。大陸暦一五〇〇年代の軍用銃だ」

「未来の物ね、そりゃ強いわ」


 リンダとカーンが顔を合わせて笑う。どことなく、時代のズレを楽しむ余裕のようなものさえあった。実際は、この異常な状況下において気分が飛んでいる以外にない。少し経って、カリエが声を掛けてくる。ゆっくりと、首を横に降っていた。


「窓から逃げてるね。まぁ、大した時間も経ってないし、充分追い付ける。行くよ」


 今度はカリエが先導する。リンダは自分達を置いて逃げたエリックへの文句も後回しに、とにかく生き残る事を考えていた。マリーから借りている拳銃の残弾は一発、それも通常弾だった。内心、これだけは最後まで使わないようにしたい、そう思って拳銃をホルスターにしまった。カーンは散弾銃の装填を終えている。残りの弾数は決して多くはないが、銃がなくとも戦えるだけの技量がある。まずはここを生き残り、後の事はその時に考える腹積もりだった。


「カグ、あんたも出番だよ。目標はいつものニール。ミルと一緒に空と陸で追跡だ。便所に隠れてても追い詰めな!」


 カリエの杖から発せられた淡い紫の光の粒が、一組の狼と鴉を形作る。どちらも、淡く光る薄紫の体色をしていた。


「それも、風の精霊なの?」

「あぁ、狼がカグ、鴉がミルだ。こいつらが最も力を行使しやすい姿がこれでね。風が司るは知恵と俊敏。鼻と目で捉えて追い掛けるのさ。ついて来な」


 カグが走り出す。ニールの匂いを嗅ぎ付けたようだ。ミルも先行して空に上がり、離れ過ぎない範囲で八の字を描いていた。


「カグとミルは感覚を共有している。そして、それらの情報はあたしにも分かるように教えられる。近いよ」


 カグとミルを追って、リンダ達は海沿いから中心街に向けて走っていた。港の一角から生じたパニックは、既にニプモス市街の一部を取り込みつつある。一隻の潜水艇で乗り付けた、五〇に満たないマンスィスのために、二十万を数える人口を有する港湾都市ニプモスが揺るがされているかのようだ。車道は逃げようとする車と、駆け付けようとする警察や軍の車輌でごった返し、その隙間を埋めるように人々が逃げ惑っている。


「これじゃあ、お兄ちゃん達もそんなに遠くまでは行けないわ」

「いや、カグは足が止まったけど、ミルはそうじゃないみたいだね。ニールの奴は、逃げ足が速いんだ。だが、少し遅いね……まぁ、歳だろうね」


 カリエは嘲笑に似た表情を口許に浮かべたが、リンダとカーンは別の可能性を考えていた。


「とりあえず、カグは一度精霊体に戻りな。ミルはそのままニールを追尾」

「しかし、あの潜水艇一隻で乗り付けた奴らに襲われたにしては、ちょっと騒ぎが大きくないか? 見た所、この街は軍港もあるし、戦闘艦らしき船の姿もあったぞ」


 カーンの言葉に、リンダとカリエは足を止めた。マンスィスの数と騒ぎの大きさが吊り合わないのである。いくら突然の襲撃とは言え、中心街の通りまでもが混沌を極めるには、あまりにも早すぎるのだ。三人は建物の隙間から路地裏に入り、人の濁流を逃れた。


「確かに、ニプモスはキュリール王国海軍の東の要、駆逐艦とフリゲートだけでも五隻はいるし、コルベットや沿岸警備隊の巡視船も含めれば数十隻になる。その守りを、たかだか一隻の潜水艇が抜けられるか……言われてみれば不自然だね」

「おばあちゃん、詳しいのね」

「こんな仕事をしてるとね、軍にもお得意様がいるものさ」

「さて、婆さん。もし俺の勘が正しければ、敵には増援が来るか、どこかで陽動が行われてる。さっき、ここは東の要と言ったな。西からは何が来る?」

「ジョーギンより西は火山活動で作られた、なだらかな土地さ。西部方面飛行隊から、騎兵隊のお出ましさ」


 カリエは口許をにやりと歪ませる。キュリール王国空軍は精鋭揃いで知られており、主力戦闘機のルンビーカ200『ロンディネ』は、紙幣にも描かれているほどの名機だ。


「だったら、そいつ等が来る前に飛んで逃げた方が良さそうだ。婆さん、あんたの精霊魔術に、空を飛んで逃げられるほどのものはあるかい?」

「中々に難しい事を言うね。出来なくはないけど、ミルも戻さなくちゃならないし、ニールを見失う可能性が高い。合流は難しくなるよ……ん?」

「どうしたの?」

「おやおや、珍しい事もあるもんだね、長生きはするもんだ」


 リンダとカーンが目を瞬かせる。問われるよりも先に「ミルがこっちに戻ってきている」と告げた。つまり、追尾目標であるニールが戻ってきているのだ。それを珍しい事とまで言われる辺り、ニールという博士はよほど信頼されているらしかった。無論、悪い意味で。


「博士が来ると言う事は、お兄ちゃんやサイクスも戻ってくるのね。ちょっと通りを見てくるわ」


 喜色を浮かべたリンダが、気持ち駆け足で中心街の通りへと向かう。彼女の体が通りまであと数歩という所で、カリエは目を見開いて叫んだ。


「止まりな! 行くんじゃない!」


 老いた兎亜人のものとは思えないほどの声量と威圧感で、リンダの足はすくみ上がり、止まった。目の当たりにしたカーンまでもが立ちすくんでいる辺り、相当な衝撃を伴っていた。そして、リンダが震え気味に振り向いた次の瞬間、通りを一陣の暴風が突き抜けたのだ。


「ミルが知らせてくれたよ。後は、この子の力を借りたのさ。闇の精霊ロア。強い言葉に相応の圧力を込める事が出来る、変わり者さ」


 カリエの肩には、うっすらとした群青色の輪郭線に覆われた、漆黒の蝙蝠の姿があった。


「おばあちゃん、ミルは、何を見たの?」

「……連中の本命さ」


 リンダは弾けるように通りへと飛び出した。先ほどの暴風に、エリック達が巻き込まれた可能性もあるからだ。


「な、なに……これ……」

「何だってんだ、爆弾でも落ちたのか?」


 通りに出たリンダがみた光景は、あまりにも突然過ぎて理解の追い付かない状況だった。先ほどまで混沌の坩堝にあった中心街の通りが、不気味な静寂に包まれている。人も車も、通りに出ていたものがほとんど吹き飛ばされていたのだ。石畳が剥がされ、建物の壁がひび割れてめくれている。そして、それらは全て水に濡れていた。吹き抜けたのは暴風ではなく、想像を絶する速さの、水――


「何をしたら、こんな事になるの?」

「建物が吹き飛んでいない、という事は……この通りの幅に合わせてまっすぐに吹き飛ばした、という事か」

「量はさほどでもないけど、とんでもない速さで水を『発射』したんだね。こんな芸当が出来る存在など、あたしでも初めて見るよ」


 カリエが濡れた地面や建物の壁を見て言った。リンダをあのタイミングで止めていなければ、恐らくあの巨大な水と風の塊に吹き飛ばされる塵芥と化していた。


「おばあちゃん、奴らの本命って……?」

「来るよ、水竜……ソキュラ……!」


 三人が海の方へ向き直ると、静寂を打ち破るような打楽器の音が、規則的に打ち鳴らされ始めた。太鼓とも銅鑼とも微妙に異なる、空気というよりも水を震わせるような、重苦しさを帯びた高い不協和音だった。その打楽器を鳴らすマンスィスの列が、通りの中央を開けるようにして行進して来る。

 開かれた通りをゆっくりと進んでくるのは、二階建ての小屋ほどの背丈がある、二足歩行する鮫を思わせる流麗なシルエットの、竜だった。そして、その傍らには見覚えのある影がある。


「あいつは……!」


 リンダとカーンは直前までの恐怖も忘れて、見覚えのある影に向かって駆け寄った。カリエも一寸遅れて走り出す。相手はいち都市の通りを消し飛ばすほどの力をもった竜だったが、わずか三人を相手にその力を行使するほど愚かではなかった。


「ほう……娘、お前にまた出くわすとは」

「もう回復したの……?」

「コアが見えるほど吹き飛ばしたってのに、随分とタフなんだな」

「当たり前だ。我は主に仕えた水の四天王。かつてはコア一つからの再生を果たしたものよ」


 リンダとカーンにとって見覚えのある影、それは彼女を狙い続けていた、あのジェリム男だった。

精霊魔術

晶石魔術、言霊魔術と並んで世界三大魔術と呼ばれている魔術形態。

魔法物質の一つである精霊石を媒介に、多種多様な元素を司る精霊を使役し、魔力を引き出して術式を行使する。

精霊を従えるという要素に素養が大きく関係する都合上、ほか二つと比べて術者は少なく、汎用性は著しく劣る。

同じ元素の精霊であっても、個体ごとの性格や適正があるため、同じようには扱えない。

各々の精霊に応じた姿形を取らせ、得意とする形で魔力を最大限に発揮させなければ一流には遠い。

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