↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/6

第6話 夜はまだ、神のものじゃない

夜半の王都は、昼とは別の街だった。


 昼間は商人の声と馬車の音で満ちる石畳も、夜には風の音のほうがよく通る。表通りの店々は扉を閉ざし、灯りは窓の奥に引っ込んで、残るのは巡回兵の足音と、遅くまで働く職人の小さな明かりくらいだ。


 だが、静かなのは表だけだった。


 西の荷車置き場へ近づくにつれて、空気の質が変わる。


 乾いた木材の匂い、馬の汗、油の臭い、積み上げた荷箱の隙間に溜まる埃。人目を避けて動く者たちの気配が、暗闇の下で薄く重なっていた。


 レインは指定された裏手の石壁に背を預け、周囲を見渡す。


 月は雲に半分隠れている。悪くない夜だ。 明るすぎず、暗すぎない。


 見張る者にとっても、忍び込む者にとっても。 


「ちゃんと来たんだ。」


 頭上から囁くような声がした。


 次の瞬間、屋根の縁からミレイアが滑り降りてくる。


 相変わらず音が軽い。着地のときに石を鳴らさないあたり、慣れている。


「来ないと思ったか」


「半々。真面目そうだから来るかなって思ったけど、真面目そうだからこそ“危険すぎる”ってやめる可能性もあるかなって」


「それで、どっちだと嬉しかった」


「来るほう」


 ミレイアはあっさり言って、すぐに目を逸らした。


 軽く言っているようで、その実、昨日より少しだけ警戒を解いた声音だった。


 レインはそれを指摘しない。


「状況は」


 短く問うと、ミレイアの顔つきが変わる。


 ふざけた色が引き、仕事の目になる。


「見張りは表に三人、裏に二人。荷運びの連中があと四人。交代はまだ。教会の紋章付き箱は奥の倉庫に運ばれてる。問題は、その倉庫に普通の鍵だけじゃなくて封印が一つついてること」


「封印?」


「扉の下に細い銀線が張ってある。踏んだらたぶん鳴るか、光るか、そのへん。あたしはあれ嫌い。音より厄介だから」


 レインは小さく頷いた。


 教会は、表では古代召喚術を危険視し、価値のない外れ系統として扱っている。 そのくせ、裏では封印まで使って回収品を管理している。


 やはり隠しているものは一つではない。

「中の箱の数は」


「少なくとも三つ。昨日あたしが見たのもそのうちの一つだと思う。たぶん、まだ何かある」


「護衛の質は」


「そこそこ。正規兵じゃない。けど裏仕事には慣れてる感じ」


「教会付きの私兵か」


「そうかも。あんた、こういうの詳しいね」


「詳しくなっただけだ」


 何度も見て、何度も失ってきた結果として。


 そう続ける代わりに、レインは荷車置き場の奥を見た。


 木箱が積まれ、幌付きの荷車が何台か並んでいる。遠くの詰所にだけ灯りがあり、そこから時折、男たちの低い話し声が聞こえた。


目立つ見張りは少ないが、それは油断ではなく配置だ。見えやすい場所より、侵入者が隠れそうな陰に意識を置いている。


「正面はだめだね」


 ミレイアが言う。


「だろうな」


「じゃあ、屋根から行く?」


「見張りの死角が残るなら」


「あるよ。二十歩ぶんくらい」


「十分だ」


 ミレイアはレインの反応を見て、少しだけ感心したように眉を上げた。


「迷わないんだ」


「迷う時間があるなら、先に見ろ」


「そういうとこ、ちょっと怖い」


「褒め言葉か」


「さあね」


 ミレイアは笑ってから、荷車の陰へ身を滑らせる。


 レインも続く。


 足音を消しながら進むと、自然と呼吸まで浅くなる。


 こういう夜の侵入は珍しくない。過去の世界でも何度もやった。敵地への潜入、逃走路の確保、監視塔の間を抜ける移動。覚えているというより、身体に染みついている。


 だが今夜は少し違った。


 隣にいるのが、かつての仲間ではない。


 まだ信用していない少女だ。


 それなのに、ミレイアの足運びは思った以上に安定していて、無駄に足を引っ張られる気配がない。物音を立てるタイミングも、身を屈める位置も悪くない。雑に見えるわりに、危険の感覚が研ぎ澄まされている。


 ひとつ目の荷車を越え、木箱の山の陰へ入る。


 そのまま梯子代わりに積まれた樽へ足をかけ、低い屋根へ上がった。


 板張りの屋根は古いが、体重のかけ方さえ間違えなければ軋みは最小限で済む。ミレイアが先に進み、屋根の端で指を二本立てた。


見張り二人。次いで手のひらを伏せて振る。


しゃがめ、の合図。


 レインはそれに従い、視線だけを前へ送る。


 見えた。


 倉庫の裏口。


 木扉の下に、確かに細い銀線が走っている。月明かりでは見落としそうなほど薄いが、そこだけ空気が少しだけ硬い。踏めばただの紐では済まない類の封印だ。


「どう?」


 ミレイアが唇だけで訊く。


 レインは首を傾け、目を細めた。


 銀線の両端に刻まれた小さな印。


 教会式の封印だが、純粋な聖術だけではない。古代文字の崩しが混じっている。つまり、教会は古代術を否定しながら、その一部を自分たちの術式に取り込んでいる。


「切るな」


 囁くと、ミレイアが怪訝そうに眉を寄せた。


「切る気だったんだけど」


「たぶん二重になってる。線を切ると、印の方が起きる」


「うわ、嫌なやつ」


「迂回する」


「できるの?」


「やるしかない」


 レインは屋根の上で一度目を閉じた。


 こういうとき、自分の中の“ずれ”を探る。


 現在の視界に、過去の欠片が混じる瞬間がある。嫌な感覚だが、使えないこともない。


 暗闇の向こうに、別の夜が重なる。 

四度目の世界。雪の城壁。見張り台の影。


 五度目の世界。崩れた修道院の地下。


 六度目の世界。焼けた神殿の封印陣。


 断片的だ。 誰の記憶なのか、自分のものなのか、もう曖昧なこともある。


 けれど、封印を無力化する前に“眠らせる角度”だけは、指先が覚えている。


 レインはゆっくり右手を開いた。


 亀裂紋が、微かに熱を帯びる。


 すると視界の端に、一瞬だけ別の手が重なった。


 焦げた皮手袋をはめた、節くれ立った手。


どこかの敗北世界で、神殿の封印を解除しきれずに死んだ誰かのもの。


 その指先の動きを、レインは薄くなぞった。


 屋根の端から身を乗り出し、石壁に刻まれた印へ向けて、空中でゆっくりと線を描く。


 触れていない。


 だが、印の上を通る空気だけが僅かに歪む。


 銀線の輝きが、ふっと鈍った。


「……は?」


 ミレイアが声を飲み込む。


「今、何したの」


「起こす前に、眠らせた」


「意味わかんない」


「俺も全部はわかってない」


 正確には、理屈ではなく感覚のほうが先に動く。


 過去の敗北の中に、そうするしかなかった誰かがいた。その“選び方”を借りたにすぎない。


 銀線の光が完全に沈む。


 ミレイアは数秒だけレインを見つめ、それから首を振った。


「ほんとに気味悪いね、あんた」


「褒め言葉か」


「今日は褒めてる」


 そう言いながら、彼女は屋根からするりと降りる。


 着地、歩幅、重心移動。やはりうまい。


 レインも続き、倉庫の裏口まで近づいた。


 扉自体の鍵は単純だった。


 ミレイアが針金道具を二本差し込み、耳を寄せる。カチ、と小さな音。わずか数秒で錠が外れた。


「見てた?」


「早いな」


「そっけな。もうちょっと褒めてもよくない?」


「十分だ」


「そういう中途半端な褒め方が一番むず痒いんだけど」


 小声でそんなやり取りをしながら、二人は倉庫の中へ滑り込む。


 内部は暗かった。


 だが外よりはましだ。月明かりが高窓から差し込み、床と荷の輪郭だけはぼんやり見える。積まれた木箱、縄、布、古い木棚。その奥に、他より新しい木箱が三つ並んでいた。


箱の側面には、確かに聖教会の紋章が押されている。


 ミレイアが顎で示す。


「あれ」


 レインは頷き、最も近い箱へ寄った。


 蓋には封蝋がされている。 ただの回収品なら、ここまで厳重にしない。


 教会はやはり、これが何かを知っている。


「開けるよ」


 ミレイアが囁く。


「待て」


 レインは箱の木目に指を当てた。


 嫌な感触がある。


 封蝋だけではない。箱の中身そのものが、微かに反応している。まるで蓋を開ける人間を待っているような、湿った気配。


 《終焉契約》が、はっきりと熱を持つ。


 右手の亀裂紋がじわりと疼き、視界の奥が暗く染まる。


 また別の終わりが混線する。


 崩れた祭壇。 黒い獣の瞳。


 誰かの「遅い」という声。


 レインは一瞬だけ息を止め、低く言った。


「……中身は一つじゃない」


「どういう意味?」


「箱は三つだが、起点は奥にある」


 目を上げる。


 確かに視えるのだ。


 木箱三つの先、倉庫の最奥。古い木棚の陰。そこだけ暗闇の質が違う。何も置かれていないように見えて、何かが“ある”と空気が告げている。


 ミレイアもそちらを見る。


「隠し部屋とか?」


「いや……たぶん、もっと雑だ」


 教会は丁寧に隠しているのではなく、

 “見えないと思っている場所”に押し込んでいる。


 レインは箱から手を離し、棚の奥へ歩いた。


 木箱の陰を回り込み、棚板の下へ屈む。


 そこに、石床の継ぎ目があった。


 不自然に新しい漆喰で埋められている。小さな窪み。人の拳ひとつぶんほどの穴に、黒い金属の欠片が差し込まれていた。


「こっちだ」


 ミレイアがしゃがみこむ。


「……これ、昨日の欠片と似てる」


「同系統だ」


 差し込まれているのは、環状の器具の別の断片。


 そしてその先、床下に何かがある。


 レインの指先がわずかに震える。


 近い。


 思い出せない。


 なのに、近いとだけわかる。


「抜く?」


 ミレイアの声が少しだけ硬い。


「慎重に」


「それ、雑に抜いたらまずいって意味?」


「かなり」


「先に言ってよ……」


 ミレイアは息を整え、そっと金属片へ手を伸ばした。


 その瞬間、倉庫の外で声がした。


「おい、裏口の封印が変だぞ」


 ふたりの動きが止まる。


 続けて、別の男の足音。


 複数。近い。


「誰か触ったのか?」


「中を見ろ!」


 まずい、とミレイアが口の形だけで言う。


 レインは一瞬で距離と時間を測る。


 裏口から入ってくるまで数秒。隠れてやり過ごすには倉庫が狭い。箱の陰では足りない。逃げ道は高窓か、今いる床下。


 だが床下は中身がわからない。


 それでも――選ぶしかない。


「抜け」


 短く言う。


「は!?」


「今しかない」


 ミレイアは舌打ちしそうな顔をしたが、躊躇は一瞬だった。


 金属片を掴み、力を込める。


 ごり、と嫌な音がした。


 次の瞬間、石床の継ぎ目の奥から、低く長い唸りのようなものが響いた。


 空気が変わる。


 冷気ではない。


 もっと古くて、湿った、地下深くから這い上がってくるような気配だ。


 男たちの足音が、扉の直前まで迫る。


「開けるぞ!」


 そして石床が、内側からひび割れた。


 漆喰が砕け、暗い穴が口を開く。


 そこから吹き上がったのは風ではなく、重く淀んだ“影”だった。


 ミレイアが息を呑む。


「なに、これ……」


 レインの右手の亀裂紋が、焼けるように熱を持つ。


 その熱の中で、彼は確かに聞いた。


 暗闇の底、まだ姿も見えない場所から。


 懐かしく、ぞっとするほど近い声を。


……遅い。


 扉が蹴り開けられる音と、床下から這い上がる影の唸りが、同時に倉庫へ満ちた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。