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第5話 盗賊少女は笑って嘘をつく

王都の裏通りは、表通りより少しだけ暗い。


 建物が古いせいではない。道幅が狭く、石壁が光を遮るせいでもない。


 そこを歩く人間が、必要以上に他人を見ないからだ。


 広場や市場では人々は肩をぶつけ合い、噂を交わし、笑い、怒鳴る。だが裏通りでは、誰もが少しだけ声を潜め、少しだけ視線を早く逸らす。見ないことが礼儀であり、生き延びるための知恵でもあった。


 レインはそんな路地の入口で足を止めた。

 先ほどの少女が消えた先。


 人気は薄いが、完全な無人ではない。洗濯物の隙間からこちらを窺う目、遠くで荷箱を運ぶ男、建物の陰で煙草を吸う年嵩の女。表通りの賑わいとは別種の生活が、ここにはある。


 ただひとつ確かなのは、教会の白い石壁より、こっちのほうがまだ人の温度があるということだ。


「ついてくるんだ」


 誰にともなく呟いて、レインは路地へ足を踏み入れた。


 少女が残した気配は浅い。だが隠し方が雑なわけではない。むしろ逆だ。普通の人間なら見失う程度には巧妙で、それでいて完全には消していない。


 試されているのだろう、とレインは思う。


 追えるなら来い。


 見失うなら、それまでだ。


 そういう無言の態度が、足跡代わりに石畳の上へ残っていた。


 路地は二度折れ、三度曲がる。


 途中で干し肉を吊るした店の裏手を抜け、使われなくなった井戸の脇を通り、最後に行き止まりに見える石壁の前へ出た。


「そこで止まるあたり、意外と慎重なんだ」


 頭上から声が降ってきた。


 見上げると、二階の突き出し窓に腰掛けるようにして、あの少女がこちらを見下ろしていた。黒に近い赤髪が風に揺れ、金の瞳だけが妙に明るく光っている。


「そのまま突っ込んできたら、ちょっとだけ馬鹿かなって思ってた」


「突っ込む理由がない」


 レインが答えると、少女はくすりと笑った。


「へえ。昨日の試験じゃ、もっと無口で陰気なやつかと思ってた」


「人の印象を一日で決めるな」


「一日で人を礼拝堂から引きずり下ろすやつよりは慎重だと思うけど?」


 その言葉に、レインの目が細くなる。


 やはり見ていた。


 公開試験だけではない。


 教会の裏回廊まで。


「……どこで見ていた」


「さあ。屋根の上とか、壁の陰とか、神官の死角とか?」


 少女はわざとらしく肩をすくめ、窓枠から軽やかに飛び降りた。


 着地音はほとんどしない。膝の使い方がうまい。細身の身体は華奢に見えるが、動きには無駄がなかった。


 近くで見ると、年はレインと同じか、ひとつ下くらいだろう。衣服は質素で、ところどころ擦り切れている。だが腰に差した短剣の鞘だけがよく手入れされていた。生きるために必要なものにだけ気を配っている人間の身なりだ。


「で?」


 少女は気軽な調子で首を傾げる。


「聞きたいこと、いっぱいありそうだけど。どれからにする?」


「お前のほうが先だろ」


「そう?」


「教会の裏まで覗ける人間が、偶然通りかかっただけとは思えない」


「うわ、ちゃんと疑うんだ。よかった。あんた、見た目より生き残るタイプだね」


 軽口。


 けれど、その目は少しも笑っていなかった。


 レインは一歩だけ距離を詰める。


「名前は」


「それ、あんたが先に名乗る流れじゃない?」


「俺は昨日、名前を知られてた」


「公開試験の勝者だもん。有名人」


「昨日まで外れ職だったはずだが」


「外れ職が面白い勝ち方したら、そりゃ広まるでしょ」


 少女はそこで一拍置き、唇の端を吊り上げる。


「まあ、いいや。あたしはミレイア」


 その名が耳に入った瞬間、レインの胸の奥で何かがかすかに触れた。


 痛み、と呼ぶほど強くはない。


 けれど、見覚えのないはずの名に、妙な引っかかりがある。


「ミレイア……」


「なに、その顔。もしかして惚れた?」


「違う」


「即答だ」


 ミレイアは笑った。


 その笑い方は明るい。だが妙に軽い。軽くしすぎている、とレインは思う。踏み込まれたくない人間ほど、会話を軽くする。


「で、レイン。あんたは何者?」


「召喚士だ」


「それは昨日みんな聞いた」


「じゃあそれで十分だろ」


「十分じゃないから聞いてるんだけど」


 ミレイアは壁に背を預け、腕を組んだ。


「外れ職って言われてるくせに、剣士を黙らせるくらいには強い。教会の裏回廊に入るくらいには度胸がある。しかも聖女候補が祈るのを止める。……普通じゃないよね」


「お前も普通じゃない」


「盗み聞きと尾行の達人に向かって失礼だなあ」


「否定はしないんだな」


「する必要ある?」


 その返しに、レインは少しだけ警戒を強めた。


 裏通りの子どもが強かであることは珍しくない。王都の表で生きられない者ほど、裏で生きる術を身につける。だがミレイアの雰囲気は、それだけではなかった。立ち位置が妙に軽い。危険の中にいても、そこへ慣れすぎているような――あるいは、生まれた時からそういう場所しか知らない人間の顔をしている。


「用件は」


 レインが問うと、ミレイアは指を一本立てた。


「取引しない?」


「内容による」


「王都の“表”じゃ手に入らないものがある」


 その一言で、レインの意識が少しだけ鋭くなる。


 ミレイアはその反応を見逃さなかったのだろう。得意げに目を細めた。


「やっぱり食いついた。あんた、ただ聖女様を心配してるだけの善人じゃないんだね」


「お前も最初から、そっちを見て話してただろ」


「まあね」


 彼女は壁から身体を離し、くるりと踵を返した。


「こっち」


 案内されたのは、路地の奥にある小さな空き小屋だった。表向きは使われなくなった物置らしいが、中へ入ると床板が不自然に一部だけ新しくなっている。ミレイアが足先でそこを軽く叩くと、隠し蓋が持ち上がった。


「……隠れ家か」


「仮のね。ずっと使うとすぐバレるし」


 地下は狭かった。粗末な机と椅子がひとつずつ、壁際に木箱がいくつか、隅には油紙で包まれた包みが積まれている。盗品置き場にも見えるし、単なる避難場所にも見える。


 ミレイアは机の上に小さな包みを放った。

 布がほどけ、中から黒ずんだ金属片が転がる。


 レインは息を止めた。 


 それはただの古い装飾品ではない。


 握り拳ほどの大きさの、歪んだ環。表面には消えかけた紋様が刻まれていて、欠けた縁の内側にごく薄く古代語らしき文字が走っている。


 見覚えがある。


 いや、正確には――“似たもの”を過去のどこかで見た。


「どこで手に入れた」


 声が少し低くなったのを、自分でも感じた。


 ミレイアは肩をすくめる。


「質問ばっかり。まあいいけど。昨日の夜、荷運びの連中が隠してた箱から。正規ルートじゃないのは確実。教会の紋章が押してあった」


「教会が、これを?」


「たぶん回収品。あるいは、回収したふりして横流し前。どっちにしろ、表に出したくないものっぽい」


 レインは机の上の金属片に手を伸ばしかけて、止めた。


 こういうものには触れた瞬間にわかる気配がある。


 これはただの遺物ではない。古代召喚術の系譜に属するものだ。しかもかなり古い。完全な形ではないが、起点にはなる。


 《終焉契約》が、薄く反応している。


 右手の甲の亀裂紋が、じわりと熱を持った。


「……あんた、知ってるんだ」


 ミレイアの声が少しだけ低くなる。


 軽口の色が消えていた。


「これが何か」


「断定はできない」


「でも、ただのガラクタじゃないとは思ってる」


「そうだ」


 正直に答えると、ミレイアは何秒かレインの顔を見つめた。


 試している。嘘をついているか、どこまで知っているか、自分を売る気があるか。そういう目だった。


「……いいよ。じゃあ、ほんとに取引しよう」


「条件は」


「まず一つ。これが何か、わかったらあたしにも教えること」


「それだけか」


「それだけに見える?」


 ミレイアは皮肉っぽく笑う。


「教会が隠してるものに手を出した時点で、あたしひとりじゃ危ないの。荷運びの連中も、たぶんそのうち気づく。だから、あんたが使えるなら組みたい」


「俺を信用する理由は」


「信用してない」


 即答だった。


「でも、利用価値はある」


 その言い方に嘘はなかった。


 だからこそ、レインは少しだけミレイアを見直した。信じてる、助けて、なんて甘い言葉で近づいてくる人間よりよほどましだ。

「お前は何が欲しい」


「金。生きる場所。あと、できれば教会の連中が困る顔」


 最後の一つだけ、少しだけ本音の色が濃かった。


 レインは目を細める。


「恨みがあるのか」


「誰にでもあるでしょ、この街で生きてたら」


 そう返したあとで、ミレイアはしまったというように視線を逸らした。


 ほんの一瞬。だが十分だった。


 やはり軽口の裏に傷がある。


「……深入りする気はないって顔してるけど」


 ミレイアがぼそりと言う。


「そういう顔のやつほど、放っておけなくて面倒ごと抱え込むんだよね」


「お前に言われたくない」


「ひど。あたしは面倒ごとの側だって自覚あるのに」


 レインは答えず、机の上の金属片を見る。

 形状。紋様。欠け方。


 おそらくこれは契約環の一部だ。完全な召喚陣を補助するための古代器具。その残欠。


問題は、なぜ教会がそれを秘匿していたのかだ。


 古代召喚術は現在では体系から外されている。王国も教会も、“使い勝手が悪く危険な外れ系統”として扱っているはずだった。そんなものを密かに集めているとしたら、表で言っていることと裏でやっていることが違いすぎる。


「これを運んでた連中、他にも何か持ってたか」


「箱は三つ。見たのはこれだけ。他は開ける前に見張りが戻ってきた」


「場所は」


「教えると思う?」


「取引だろ」


「そうだけど、あんたが本気で組むかまだ決めてないし」


 ミレイアは机の端に腰掛け、足をぶらぶらさせる。


「それに、あの手の場所ってさ。強いだけじゃ駄目なんだよ。逃げる足と、見つかる前に消える頭もいる」


「あるつもりか」


「少なくとも、教会の裏回廊に正面から入るような真似はしないかな」


 返す言葉が少しだけ遅れた。


 そのわずかな間に、ミレイアは楽しそうに笑う。


「図星だ」


「……うるさい」


「へえ、そういう顔もするんだ」


 レインは溜め息をついた。


 この手の相手は久しぶりだった。言葉が軽く、距離が近く、こちらの沈黙を都合よく解釈して進んでいく。鬱陶しいはずなのに、なぜか完全には突き放せない。


 それがさらに厄介だった。


 放っておけばいい。


 裏通りの少女ひとり、教会の裏事情に首を突っ込んでいるとしても、今の自分が背負う義務はない。


 なのに、そう切り捨てようとすると、胸の奥に小さな引っかかりが残る。 どこかで似たような顔を見た気がする。


 助けを求めないくせに、置いていかれることには慣れすぎている目を。


「……何」


 じっと見ていたせいか、ミレイアが居心地悪そうに眉をひそめる。


「さっきから変な顔してる」


「してない」


「してる。なんか、知ってるやつ思い出したみたいな顔」


 その言葉に、レインはほんの少しだけ呼吸を止めた。


 鋭い。


 ミレイアはすぐに、それ以上深追いしなかった。


 代わりに机の上の金属片を指先でくるりと回す。


「じゃあ、こうしよっか。今日の夜、あたしが案内する。あんたはその頭で見張りの動きでも読んで。で、中に入ってこれの元箱を探す」


「危険だな」


「今さら?」


「お前が死ぬ危険だ」


 レインがそう言った途端、ミレイアはぴたりと動きを止めた。


 金の瞳が、わずかに見開かれる。


 ほんの些細な一言だった。


 けれど、それがこの場ではおそらく一番意外な言葉だったのだろう。


「……へえ」


 ミレイアは小さく笑った。


 だが、その笑いにはさっきまでの軽さが少し足りなかった。


「自分が危ないとは思わないんだ」


「思ってる」


「じゃあなんで、先にあたしの話になるの」


「お前が余計なことをする顔だからだ」


「なにそれ」


「図星だろ」


 返すと、ミレイアは一瞬だけ言葉に詰まって、それから肩を揺らして笑った。


「……あんた、思ったよりちゃんと嫌なやつだね」


「褒め言葉として受け取っておく」


「誰も褒めてないけど」


 その軽いやり取りのあと、地下の狭い空間にほんの少しだけ静けさが落ちた。


 気まずさではない。互いの輪郭を、少しだけ測り終えたあとの静けさだった。


 ミレイアが先に口を開く。


「夜半。西の荷車置き場の裏。遅れたら置いてく」


「先に行くな」


「信用してない相手を待つほど優しくないんで」


「俺も、軽口の多い盗賊に走られるのは面倒だ」


「それ、少しは信用してるってこと?」


「利用価値があるだけだ」


 そう言うと、ミレイアはにやりと口元を歪める。


「それで十分。あたしも同じだから」


 レインは机の上の金属片を布で包み直し、彼女へ押し戻した。


「今は持ってろ。教会側が気づいてるなら、俺が持つよりお前が動かしたほうが追跡は切りやすい」


「へえ。ちゃんとわかってるじゃん」


「お前のほうが、この街の影には詳しい」


「当たり前。そっちがあたしの庭なんだから」


 その言い方に、レインはまた小さな違和感を覚えた。


 庭。 王都の裏を、そう呼ぶには慣れがいる。


 生きるために覚えただけではない。もっと幼い頃から、そこが居場所だったような口ぶりだ。


「……お前、昔からここにいるのか」


 何気なく尋ねたつもりだった。


 だがミレイアの表情が、ごくわずかに固まる。


「そうだけど」


「家族は」


「知らない」


 答えが早すぎた。


 反射で出た嘘か、本当を短く切り捨てたのか。


 どちらにせよ、それ以上は踏み込むなという線だけははっきり見えた。


「で、質問タイム終わり?」


 ミレイアが軽く言う。


「これ以上は別料金だけど」


「高そうだな」


「安くはないよ。あたし、自分の価値は叩き売らない主義なんで」


「そうか」


「なに、その“別にどうでもいい”みたいな顔」


「してない」


「してる」


 また同じやり取りになって、今度は二人とも少しだけ黙る。


 地下の空気は乾いている。


 外では昼のざわめきが続いているはずなのに、ここだけ時間が一拍遅れて流れているようだった。


 レインは先に身を翻した。


「夜半に行く」


「うん」


「裏切るなよ」


「そっちこそ」


 背を向けたまま、小屋の出口へ向かう。


 そのとき、ミレイアの声がもう一度だけ彼を呼び止めた。


「レイン」


 振り返る。


 ミレイアは机に片肘をつき、いつもの軽い笑みを浮かべていた。 だがその金の瞳の奥には、さっきまでとは違う色があった。


 試す目ではない。


 期待とも呼べない、もっと不器用で、でも確かに何かを預けようとする気配。


「……来なかったら、少しだけつまんない」

 それだけ言って、彼女はすぐに目を逸らした。


 軽口の形をしている。


 けれど、本当に言いたかったのは別のことだとわかる程度には、レインは人の声色に慣れていた。


 来い。 置いていくな。


 そういう種類の言葉だ。


 胸の奥に、また鈍い既視感が触れる。


 レインは数秒だけミレイアを見つめ、それから短く答えた。


「行く」


 小屋を出ると、昼の光が眩しかった。


 裏通りの空は狭い。


 その細く切り取られた青空を見上げた瞬間、レインはふと、昨日のセレスティアの顔と、今のミレイアの目を思い出していた。


 祈ることしか許されない少女。


 疑うことしか覚えていない少女。


 どちらも、この世界の違う歪みだ。


 そして自分は、そのどちらにももう関わり始めている。


 右手の甲の亀裂紋が、熱を持つ。


 まるで先を急がせるように。


 夜半。西の荷車置き場の裏。 教会が隠す古代の欠片。


 裏通りの少女の案内。


 王都の静かな表皮の下で、別の流れが確かに動き始めていた。

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