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第7話 どうしようもない僕はあの日死んだ。君と歩くために②


 どうでも良かったんだ。


 とにかく彼女を振り向かせることに必死だったよ。

 学校の研究として、植物調査実習の一環で近くの農村で調査したいって直訴したら、すぐに認められたよ。

 兄達の優秀さのお墨付きだったからね。

 とにかく村の滞在を許された僕はクリスの家の麦畑を慣れない農具を使って、一生懸命耕した。

 彼女のお父さんにはずいぶん怒鳴られたな。

 そんななよなよした男に娘はやれんってね。


 泥まみれになって身体がへたばるまで農作業をしたよ。

 けれど不思議と惨めじゃなかった。

 彼女の、クリスのいる場所で汗を流している。

 そのことだけで胸のたかまりを感じ、同時に自分を誇らしく思えたんだ。

 それまで本でしか知らなかった『生きている実感』がそこにはあった。


 クリスはいつも僕がボロボロになって意識を失い欠ける時に、水筒を持って励ましてくれたんだ。

 そして眩しい笑顔でこう囁くんだ。

「そこで諦めたら終了だよ?」

 僕は魂を削って野良仕事に躍起になった。

 そしたらクリスは無邪気そうにケタケタ笑うんだよ。

「やればできるじゃん、根性無しのライエル君」


 何日か過ぎて、マジで僕が本気で野良仕事をしてたら、やがて村の人達やクリスの家族達は僕のことを少し認めてくれたよ。

 勿論クリスも。

「やる気は伝わるけど頼りないなー」

 と屈託ない感想を伝えられたけどね。

 ただクリスのお父さんは最後まで苦い顔をしてたよ。


 しばらく経って、僕は自分の身分をクリスに白状した。

 シュターデン家の末っ子で、兄は国の宰相をしてますってね。


 本当は黙っていたかった。

 身分を言えば、この温かく大切な時間が終わると分かっていたから。

 けれど、クリスの陽だまりのような笑顔を見ているうちに、このまま素性を隠しているのは、とても卑怯な気がしたんだ。


 クリスは泣いた。

 僕は彼女のお父さんにボコボコにされたよ。

 おそらく貴族の戯れで大切な娘の心を弄んだと誤解したんじゃないかな。

 僕は本気だった。

 将来の地位や名誉とかもいらなかった。

 ただ彼女の側にいたかっただけなんだ。

 そのことに純粋であったんだよ。

 ただこの気持ちをどうしていいかわからなかった。

 ただ泣きじゃくるクリスを見て、僕は何かを間違えたことを思い知らされた。


 そしてクリスの涙を見た時、僕は初めて自分の気持ちに気づいた。

 これが恋だとね。

 胸の奥に刺さったまま抜けない棘みたいな感情だった。

  

 けど好きだという気持ちだけでは、クリスを守れない。

 僕が側にいることは彼女をもっと苦しめる。


 僕は彼女の心を傷つけてしまった。

 これ以上、彼女の側にいればもっとクリスを傷つけることになる。


 失意の中、学校の寄宿舎に戻ったよ。


 寄宿舎には懺悔室があった。

 僕は懺悔室の中で心の内にある彼女の想いの丈を叫んだ。

 多分泣きながら懺悔室の向こうにいる人間に怒鳴ったんじゃないかな。

 懺悔なんてものじゃない。

 ただ情けない男の泣き言を神様にぶつけていただけだ。


 そしたら、懺悔室の向こうにいる人間が無邪気そうな明るい声で笑っていたんだ。


「諦めたら、終了だよ。泣き虫のライエル君」


 なんと向こう側にいたのはクリスだった。

 屈託ない無邪気そうな笑顔でそこにいた。


 彼女は偶然そこにいたんじゃなかった。

 まるで、僕がここに来ることを最初から知っているように笑っていたんだ。


 そしてあることを提案したんだ。

「ここに眠り薬があります。それを二人で飲んで、みんなを騙して心中したことにしちゃおう」

 そうか、死んだことにすれば僕らは自由に恋愛ができる。

 想いを遂げることができる。

 

 あの時の僕には未来なんて残っていなかった。

 彼女と一緒にいられないなら、生きている意味も分からなかった。

 だからその提案は、嵐の後の夜明けの光のような希望に思えた。


 僕は二つ返事で快諾し、その薬を一気に飲み干した。 


 それがいけなかった。 


 次に目が覚めたのは実家の医務室だった。

 どうやら相当眠ってしまったらしい。

 身体の自由が効かない。

 僕の看病をしていたのは数人の使用人と頭を抱えた一つ上の兄であった。

「ライエル、なんで学校で自殺を図ったんだ!?」

 僕はクリスがどうなったか、兄に問い質した。

「そんな女は知らん! 学校の懺悔室にはお前一人が倒れていた。治療が遅れれば死んでしまうところだったんだぞ!? 偶然通りかかった学校の使用人の娘に感謝することだな!」

 その言葉で事態をなんとなく察することができた。

 おそらくクリスと二人で死んだふりをすることは成功したのだ。

 だが僕がマジで死にかけてビビったクリスが救助を求めたんだ。

 

 結局僕は学校を退学し、絶望の中、屋敷で軟禁生活を送るハメになった。

 食事が喉を通らなかった。

 パンを口に入れても、砂の塊を噛んでいるみたいだった。


 恋は心の病だ。

 鉄格子のついた部屋で失意のどん底にいた。

 このまま朽ちて死ぬかとも思った。

 ふと窓から空を見上げる。

 いつか見た眩しいクリスの笑顔を思い出した。

 もう思い残すことはなかった。

 僕は窓から身を投げ出した。

 今度こそ終わると思ったんだ。

 けどそれは間違いだった。

 足を挫いただけで終わった。


「君の部屋、ニ階だよ? 何してんのさ? 本当に頼りがいがないなー」

 その朗らかで屈託ない笑顔の声の正体を僕は知ってる。

 クリスだ。

 彼女は息を切らして、泥だらけの靴のままたっていた。

 どうやってここまで来たのか聞くまでもなかった。

「ライエルは本当に根性がないなー、さっさとここから抜け出そう! 家とか身分とかそんなしがらみ捨ててさ!」

 僕は再び彼女の緑色の瞳を見つめる。

 そこには無限の草原が広がっていた。

 その世界の向こうへと飛びだすように、彼女の細い身体を必死に抱きしめた。

 さっそくクリスが文句を言う。

「本当にライエルは気が効かないなー! 身長差考えてよ。ほらしゃがんで」

 僕は言われるままに膝を曲げる。

 するとクリスの緑色の瞳が僕の瞳に飛び込んできた。

 唇に湿った感触、柔らかい感覚が伝わる。

 それは甘く、温かかった。

 その口づけは僕がそれまでに抱えていた世界の価値観をぶち壊した。

 そして切ない吐息をする赤面したクリスを見て、僕は新しい世界へ歩む決意を固めた。

 ゆっくりと、クリスの小さな歩幅に合わせるように、歩くような速さで足を進めた。

 二人の呼吸はバッチリだった。

 

 そして二人で手を繋いで二人だけの旅路へと駆け出して行ったんだ。

 

 

 夏草が黄昏に染まっていった。


 あの日、どうしようもない僕は確かに死んだ。

 そしてようやく、なんのために生まれたか実感した。


 僕は足元にあるアンテリナムの香りを忘れることはないだろう。


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