第17話 流恋情花⑦
あれは庭に朝顔が咲き始めた頃の季節だ。
私が畑で植えた洋芋を掘っていた時だな。
珍しくシュエが冷や汗を垂らしながら、身震いして、私に慌てて伝えてきた。
「主様、漆黒の束帯装束の方々の行列が屋敷に来ております。その中で。黄丹の衣冠をした精悍な青年が主様を訪ねて来ております……。あ、あの……、まさかひょっとして……、面を上げてはいけない方なのでは?」
私は洋芋掘りに夢中になっていて、それどころではなかった。
「家宰からの書状を読んだ。先帝の正室の倅が皇位継承争いで、先日ようやく跡目を継ぐことが決まったらしいな。しかし、儂に会うのに大勢を引きつけるとは気が利かない男だ。里の連中が怯えてしまうではないか。今度は一人で来いと伝えて追い返せ」
シュエは非常に嫌そうな顔をした。
「……そのまま伝えたら、何されるかわからないので、優しく諭して、主様は気分がすぐれないので面会はできないとお伝えしますね……。……伝言する身にもなって下さい……。主様、要件は聞かないのですか?」
「知らんが、わかる。儂には関係ない。構わん、追い返せ」
シュエの足取りは重たかった。
そういえば、シュエは健陽で太守をしてた頃は不遜な態度をとっていたが、宮中の連中には会ったことが無かったか。
懐かしいものだ。
先帝とは上奏した時、よく口論したものだ。
確か今門の前でシュエに追っ払われているのは、ホンルー殿下か。
国を割ることなく、皇位を継承したことだけは誉めてやる。
だが、時間をかけ過ぎだ。
おかげで政りごとが滞ってしまったではないか。
周囲の家臣に恵まれなかったな。
まぁ私も危うく家を割るところではあったが。
まぁいい。
今はこの洋芋を引っこ抜くことが先決だ。
今夜は芋鍋だ。
最近、料理が楽しくて仕方ない。
流石にシュエの腕には敵わないがな。
翌週に熊狩りから帰るところで、またシュエが血相を変えて、私に伝えた。
「主様! また殿下がこの庵に行幸にいらしましたよ! なんで肝心な時に留守にしてるんですか!」
「ふむ、今回は一人で来たか?」
シュエは黙って、頷いた。
「全く、馬鹿正直な男だ。供回りぐらいつけておけばいいものを。何かあった時どうするつもりだったのか。先が思いやられるわ!」
シュエは呆然と呆れて果てていたな。
「聖上は主様を宮中に迎え入れたいと申し上げておりました」
「であろうな。察しはつく」
「こんな無礼なことして、どうするおつもりですか?」
「どうもこうもない。元々宮仕えに嫌気が出て、この里に来たのだ。晴耕雨読をやっと満喫できたところで、はた迷惑な申し出よ。そんなことより今宵は熊鍋だ。いや油を市で仕入れたから肉を揚げてみるか」
「……すっかり隠棲生活に馴染んでますね」
「帝都では熊肉は味わえぬ。何しろ熊がいないからな」
私は高らかに笑った。
そんな私を見てシュエは嘆息しながらも、ほっとするように笑みを浮かべていた。
まぁこんな態度を取れば、殿下も二度と足を運ぶこともあるまい。
そう、たかを括っていた。
だが違った。
今上の帝とも言える人物が三度も我が屋敷に足を運んだのだ。
三顧の礼か……。
かの関中王の演義でもあるまいし、だがこれ以上の非礼は矜持が許さなかった。
仕方なく、屋敷に招き入れることにした。
それまでの非礼を詫び、存分の郷の料理でもてなした。
熱々の雑穀粥を肴に濁酒を差し出した。
殿下は顔顰めながらも、それを口にした。
どうやら私の勘は当たっていたらしい。
頼れる腹心を探しているようだ。
先の帝で低い官位ながらも数多の秀逸な政策を奏上したこと、また、この健陽を大いに繁栄させた功績を高く買っているらしい。
今は空席の三公の一つ、司空の席を用意すると伝えてきた。
私が思案した顔をすると、
「長江以南の領地の差配を貴君に封じる。この健陽のように発展させてくれ」
破格の待遇だ。
以前の私なら飛びついたであろう。
さらに帝の身でありながら、こうべを垂れてきた。
「次代の世には貴君の力が必要なのだ。是非引き受けてくれまいか」
私は夜も更ける、使者に返事を送る故、今夜はお帰り願うと伝えた。
帝が去った後に、シュエに夕飯の用意しようと伝えた。
今夜は若鶏のもも肉を油で衣揚げにした料理だ。
月花美人の花が開くのを楽しみながら味わおう。
しかしシュエの顔はすぐれず、箸も止まっていた。
気のせいか、目元が赤く染まっている。
「天下が主様の帰還をお待ちしております」
「そのようだな」
「……どうなさるのですか?」
「一晩考える。しかし月花美人の花がなかなか開かんな」
「……もう二晩、三晩必要かもしれませんね」
「それは困るな。明日には帝都に行くかも知れんのに」
すると、シュエは顔を逸らして席を立ち、自室にこもってしまった。
私は咲かない月花美人を見ながら、食事の感想を呟いた。
「旨いはずなのに、味気がないな……」
そうして、寝ずに縁側で物思いに耽った。
月夜が眩しく感じた。
「月も笑っておるわ……」
私が宮仕えに戻ったら、シュエはついてきてくれるのだろうか……。
しかし下野してからここまでよく側にいてくれたものだ。
シュエがいなかったら、今の私はなかったであろうな。
そう思いに暮れると、いつの間にか居眠りをしてしまった。
私を起こしたのは夜明けの光明だった。
眩しかった。
そしてその光の粒は庭先に咲く、百彩の紫陽花の花弁を照らしていた。
その中で白い花が光の中心にあった。
そうだった。
私が心を奪われたのはこの白い紫陽花だったのだ。
胸のなかのしこりが取れた気持ちになった。
初めから欲しいものは決まっていたのだ。
シュエが朝食の支度をしている時に、私は声をかけた。
シュエは少しビクッと震えて、恐る恐る後ろを振り返った。
そこには白い紫陽花の花束があった。
シュエに尋ねた。
「……今度は受け取ってくれるか?」
シュエは溢れる涙を溢すのを止めずに、泣きながら微笑む。
「……紫陽花の花言葉を知っていますか? ……主様……」
私ははにかんだ笑顔をして、照れ臭そうに答えた。
「知ってはいるが、言わせるな……」
「……聖上のお返事はどうなさるのですか……?」
「もう主様と呼ぶのはよせ、ウェンでいい。儂とお前は同じ土の上に生きとし生ける者だ……」
「……それがあなたの決断なのですね……。……昨日の鶏料理は美味しかったです……。……せっかくなら宿でも営みませんか?」
「なら、屋敷を改築せねばならんな。善は急げだ、すぐに山に入って大樹を斬るぞ!」
「接客する訳ですから、一人称は変えて下さいね」
「あい、わかった! 私はウェンだ! ただのウェンだ!」
私は勇んで屋敷を出た。
夏虫の音色がとても心地良かった。
まるで私の門出を祝ってくれている気がした。
こうして私はシュエと宿屋を営み、今に至るわけだ。
すまんね、昔話しの長話しに付き合ってもらって。
素敵な話だったって?
白い紫陽花の花言葉は一途な想いだって?
やめてくれ、照れるじゃないか。
おや、通り雨が止んだようだ。
これなら、今年も収穫祭の灯籠流しが見れるな。
良かったな、お二人さん。
料理代はサービスだ、早く天灯を上げて行きな。
おや、少し長く話していたら、月花美人の花が満開じゃないか。
シュエ!
花が開いたぞ!
一緒に見よう。
年に一回の記念日なんだから。




