12 刻印
扉をあけて、今にもこそっと退出しようとしたところで、フィードが俺を呼びとめた。
「ショウ、出て行く必要はないですよ。もう終わりましたから」
彼がそう言うと同時にニーナとニルスの封じられていた動きは解かれ、二人は呆然としながら、それを確認するように手足を動かした。しかしその直後、急に二人は口を手で覆ってうずくまった。
顔に苦悶と恐怖の色を浮かべて床をのたうち回り、何か言おうとしているが、呻き声をあげるばかりで言葉にならない。それはおそらく、ほんの数十秒のことだったが、とても長い時間に感じた。俺は人が苦しんでいる姿を見ていられなくて、その数十秒、今度は完全に目を背けた。
悲鳴混じりの呻き声は次第に小さくなり、苦痛に喘いだ呼吸にかわる。おそるおそるニーナとニルスを見ると、荒い息をはきながら、涙目で顔を見合わせていた。
「ねえ、私の舌、何かなってる? 焼けるみたいに痛かったわ!」
「俺もや! なんや、あのキスは! なんかの術やったんか?」
ニーナが出して見せた舌には、魔法陣のような刻印があり、ニルスの舌にも同じものが刻まれていた。生々しい傷跡で描かれた刻印は、直視するには勇気が必要だった。俺と吟遊詩人の二人は説明を求めて、フィードを見た。彼は冷たい目で二人を見据えている。
「“口封じ“の術です。あなたたちは今日の件を誰かにしゃべることはできない」
語気鋭く言い放たれたフィードの言葉に、ニーナとニルスの顔がさっと青ざめた。
「口封じって……呪術やんか! 呪いは暗黒が扱うもので、暗黒に堕ちてない普通の魔道士が使えるもんやない! お前、ほんまは暗黒の手の者と違うんか⁉︎」
「さればこその、赤金糸なのですよ。“普通の魔道士”ではないのです。
ああ、暗黒に堕ちてもいませんよ。手の者とは心外な。」
ニーナがおそるおそると、たずねた。
「あの、もし、誰かにしゃべっちゃったら……。私は、どうなってしまうんでしょうか……?」
「どうもなりませんよ? ここにいる私達以外には“しゃべることができない”だけです。嘘つきに降す罰にしては優しいでしょ?
ただ、刻んだ印は消えませんし、さらに私を裏切る様でしたら、そこから呪い殺すことも可能ですので、悪しからず」
床に座り込んだままのニーナとニルスの全身から、絶望が漂っている。彼らのフィードに向ける視線は、まるで悪魔でも目の当たりにしたかのようだった。
フィードは冷たい表情を崩して、一仕事終えたと言わんばかりに晴れやかに伸びをした。そして赤ローブを脱いだ彼は、もとの温和な雰囲気に戻る。
部屋に満ちた恐怖を払うかの様に、フィードはパンと一つ拍子を打った。
「はい、私を怖がるのはおしまい! どうぞ、みんなソファに掛けて。これからの話をしましょう」
怖がらせている自覚は、さすがにあったらしい。ニーナとニルスはまだ恐怖に支配されながら、フィードの言葉に従った。俺は魔法事情をよく知らないので、フィードのやったことが、どれ程のことなのか、正直よくわからない。しかし、二人はまだガタガタと震えていて、簡単に気持ちを切り替えることはできないようだった。
ニルスが意を決したように、しかしおずおずと、口を開いた。
「あの……貴重なお話を聞かせて頂いておいて、大変、いまさらなのですが……正直申しますと、フィード様にお支払いできるほどの金品は持ち合わせておらず……」
「そんなことは、はじめからわかってます。口外しないという約束も、職業柄守られないでしょう。しかし、ディングランが力を失っている今、なるべく隠密に事を進めたい。
ですから私も、あなた方が逃げようが留まろうが、どのみち“口封じ“をするつもりでした。お互い様なので、報酬は結構ですよ」
「しかし、それでは……」
「吹っ掛けたのはあきらめてもらうためで、端っからお金貰おうなんて思ってませんから。困ってませんし」
「では、女の子を紹介しましょうか?」
「興味ないです」
「え? じゃあ男……」
「そういう意味ではなくて‼︎
私もあなた方に酷い事をしたんですから、何もいらないと言ってるんです‼︎」
「しかし、それでは……」
このフィードとニルスの不毛なやりとりはしばらく続いた。二人が言い合っている中、ニーナが俺の隣に座り、こそっと話しかけてきた。
「ねえ、あなたのこと、なんてお呼びしたらいいかしら? “ディングラン様“? それとも、フィード様のように、“ショウ様“とお呼びする?」
あらためて間近で見ると、ニーナは、絶世の、とも形容できそうなほど、ものすごい美人だった。化粧は少し濃いめだが、彫りが深くはっきりした目鼻立ちで、健康的な褐色の肌。彼女もニルスも中東系の美形といった雰囲気。スレンダータイプで胸は控え目だ。そして、こんなに綺麗な女の子が密着するほど近くに座るというこの状況は、少なからずドキドキした。それでも、それは悟られまいと精一杯、平静を装う。
「ショウでいいよ。様はいらない。俺は何にも偉くないから」
「では、ショウさん。
本当に、まったく何も、覚えていらっしゃらないの?」
「申し訳ないけど、本当にまったく、何も」
「私たち、ディングランの伝説もたくさん歌にして演奏してきたわ。一人で行動することが多い方だったらしいから、言い伝えられている話がどこまでが事実で、どこまでが誇張かわからないんだけどね。
いつかお会いできる幸運があれば、暗黒を封じた偉業のこととか、お聞きしたいことが、いっぱいあったの」
「ごめん。俺は“ショウ“でしかなくて。ガッカリさせてしまうけど……」
俺はなんだか、ここにいることすら申し訳なく思えてきて、モゴモゴと言った。自分が、皆に求められている人物ではないというのは、どうにも居心地が悪い。
「あ、あの、落ち込ませるつもりじゃ! 配慮が足りなくてごめんなさい」
ニーナがなぐさめるように俺の頬に手を当てながら上目遣いをしてきたので、気恥ずかしさに身体が動かなくなる。そのままうっかり、彼女に見惚れていると
「おいおい、ええ感じの雰囲気作りなさんな」
と、ニルスが割り込んできた。いつの間にかフィードとの決着がついたのだろうか? 慌ててニーナと距離を置いてから、結局どうなったのかを聞くと、フィードが教えてくれた。
「明日、今ダンゲで話題の、行列が出来るカフェのスイーツを奢ってもらうことになりました」
何がどうなって、裏切りと呪いの話が女子のちょっとしたお詫びレベルの話に落ち着いたのかわからないが、ついさっきまで恐怖の対象と小動物くらいの関係性だったのに、なんだかいつの間にか打ち解けている。
さあこれで、とりあえず今日は円満に解散、というところで、ニルスが言いにくそうに切り出した。
「ところで……。実は今夜の宿がまだ見つかってなくて……。そこの余ってる寝室、貸していただけないでしょうか?」
「厚顔無恥とはあなたのことを指す言葉だったんですね。いっそ清々しいです」
フィードはグサリと言ったが、冷たさはなく「しょうがないなぁ」くらいのニュアンスに感じた。どのみち部屋は空いているし、俺たちはニーナとニルスに使ってもらうことにした。
2020/05/13 改稿しました
2020/05/14 改稿しました
2020/06/13 改稿しました