第六十二話
アルトマン家の皆様(といっても今日はイレーネ様とフェリ様の二人しかいらっしゃらないけれど)の夕食が終盤に差し掛かった頃、イレーネ様からお呼びがかかった。
煌びやかなシャンデリアが輝く食堂で、飾り付けられた料理が一層豪華に見える。ただしわたしが触らせてもらった皿が出てくる筈もなく、それは勉強がてら後で食べさせてもらえることになっている。
「フェリクスから聞いています。貴女の料理は味は良いけど見た目が駄目だと」
「ちょっと、おばあ様!? 私、そんなこと一言だって言ってないわ!」
いつの間にか戻って来ていたフェリ様が、反論ありとばかりに身を乗り出す。
わかっています。フェリ様はそんなことをおっしゃる方じゃありません。だけど……
「貴方が言ったのは何だったかしら。家庭的? 優しさ? 素朴な温かみ? 今回そんなものは必要ありません」
そうなのです、必要ないのです。
ジョエルさんたちが作り上げた美しき芸術に心を奪われてしまったわたしは、イレーネ様の意見に大きく頷いた。
決して自分の料理を恥じているわけでも卑下しているわけでもない。子どもの頃は母から、そして王都に来てからはエッボのおじさんから学んだ大事な味だもの。ただこんな美しいものを作ってみたいと思う自分もいるのだ。
「ルディウス卿の他に、魔法局副局長までいらっしゃるそうではないですか。さすがに素朴な料理を出すわけにはいきません。ジルヴェスター卿のお抱え料理人として皆さんに振る舞うのですから、貴族が好むものでなければ」
あ、ダメだ。ちょっと気が重くなってきた。そんな大それたものがのしかかっていたなんて。
「そこでジョエル」
「はい」
「悪いけれど、このリリアナに色々と教えてやってくれないかしら?」
「お言葉ですが、話によると明日一日しかないのですよね? そんな短期間で吸収できることなど、たかが知れていますが……」
「それでもです」
「かしこまりました。大奥様のご命令ならば」
ジョエルさんが恭しく首を垂れる。イレーネ様の命令は絶対なのである。
厨房へ戻ると、後片付けの最中だった。さっきまでピリピリしていた空気が、今は少し和やかなものに変わっている。問題なく召し上がっていただけたことに、皆安堵しているのだろう。
そこへジョエルさんが声を飛ばす。
「おい、この中で明日休みの奴はいるか?」
「明日は俺が休みですけど……」
手を挙げたのは、わたしが声をかけた若い人だ。
「ヤン、お前明日何か用事あるか?」
「いえ、特にはないです」
「なら今日ちょっと残ってくれないか。出来れば明日も来てくれると助かる」
「構わないですけど、何をするんですか?」
「大奥様からの命令で、こいつに料理を教えることなった。ヤン、お前にはその手伝いをしてもらう」
「手伝い、ですか」
ヤンさんはもちろん、他の料理人も微妙な顔を向ける。
何で今日来たばかりの奴に? それもこんな小娘に? そう思うのは当然だ。皆、何年もかけて身につけていくのだから。
だけどここですごすごと引き返すわけにはいかない。わたしには大きなものがのしかかっているのです。それを今しがた知りました。
「よろしくお願いいたします!」
勢い良く頭を下げると、少しひるんだヤンさんが「あ、ああ」と返事をくれた。
「厨房は好きに使っていい。材料もある物なら何でも使え。足りなければ明日持って来させる」
「あ、ありがとうございます」
「じゃあまずは皆の片付けを手伝え」
「はい!」
後片付けや翌日の仕込みが終わると、明日も仕事のある人たちはぞろぞろと帰っていく。若干妬ましそうにしている人もいて、申し訳ないと思う。
そうしてわたしと一人残ったヤンさんにジョエルさんの授業が始まった。
最初はわたしが盛り付けた平目のソテーを食べてみる。冷めているけど、それでも文句なしに美味しい。たまらない顔をしていると、我慢できなくなったヤンさんの手が横から伸びてきた。
「このソースは何かわかるか?」
「白い方はほんのりとセロリの味がします。だけどそれだけじゃなくて……んー何かもったりとした……」
「蕪だ。セロリだけだと風味がきつ過ぎるからな」
「あとはバターも?」
「そうだな。玉ねぎとクリームも使っている」
「だからこんなにコクがあるのですね」
「白身魚や鶏肉のような淡白なものには、乳製品を使ったコクのあるソースが合う。他にはトマトや白ワインも合うな。それにハーブや柑橘類などを合わせると、メニューがいくつも増やせる」
ジョエルさんは高価な料理本を何冊も持ち出し、自分が美味しいと思った組み合わせをいくつも説明してくれる。本には盛り付けられた絵も丁寧に描かれていて、すごくイメージし易い。ヤンさんも一緒になって真剣に耳を傾け、「明日が休みで本当にラッキーだった」と破顔した。
そして実技が始まる。調理と盛り付けはわたしが行うけれど、他の下拵えや洗い物などの雑事はヤンさん担当してくれることになった。
火加減や味付けのパターンを一通り習うと、あとの時間は盛り付けに割かれる。
「ステーキ一つにしても、その盛り付け方には色々ある。一枚肉を均等に切って重ねて並べたり、分厚く切った切り口を上にして並べる。フィレだと塊で焼いた片側を削いで赤身を際立たせたりな」
「うう……、焼いたものをそのまま出していました」
「家で食べるなら充分さ。だけどお偉方はそれを嫌う。ソースはもちろん、付け合わせの野菜だって手を加えなきゃいけない。色味の組み合わせだってある」
なんて面倒な! 作る側としてはそう思うが、食べる側はそりゃあ美しい方が嬉しいわよね。これを毎日作っているジョエルさんたちはすごいと思う。人数の強みがあればこそのなせる業だけど。
その後もずっと様々な盛り付け方を試していく。時間も遅くなり、ジョエルさんは明日もあるからといって帰っていった。その後ろ姿をヤンさんは羨ましそうに見送っていた。
「なあ、まだ続けるのか?」
「ヤンさんも帰ってください。もう充分お手伝いいただきましたし」
「でも料理長が帰ってすぐ帰るっていうのもなぁ……。じゃあもうちょっとだけ残ってやるよ」
「ありがとうございます。無理はしないでくださいね」
ちょっとと言いながら、ヤンさんは結局その後二時間もいてくれた。優しい人だ。
一人きりになったので竈の火を落とし、置いていってくれた料理本に噛り付く。レシピも頭に叩き込みたいところだけど、それと同時に絵を見て盛り付けのイメージを記憶に刷り込んでおきたい。
料理本に夢中になっていると、最後にはわたしが戻ってこないと報告を受けたフェリ様が、厨房まで探しにきてくれた。レディの睡眠時間を削ってしまうとは、なんたる失態。ちなみにフェリ様の寝間着は、ちゃんとネグリジェでした。
そして翌日。朝から厨房で準備をしていると、なんとヤンさんが現れた。まだ眠たそうにしているけれど、それでも来てくれるとは感激だ。
わたしたちは皆の邪魔にならないように隅の方で作業することにした。
昼食の支度が始まる頃にはジョエルさんも出勤し、こちらの進捗状況も確認してくれる。
「それでどんな料理を出すのか決まったのか?」
「一応考えてはみたのですが……」
前菜、サラダ、メイン。夜通し考えたものを伝えると、「なかなか良いんじゃないか」と合格をいただいた。
「それじゃあ今日はそれを繰り返し作れ。出来たら、その都度見せに来い」
「わかりました、お願いします!」
引き続きヤンさんに手伝ってもらいながら練習を繰り返す。そしてジョエルさんからアドバイスをもらって、味と見た目を修正していく。
そんな作業を続けていると、突然厨房の外が騒がしくなった。
「ダメよ、こっちに来ないで!」
「いいじゃない。わたくし抜きで楽しそうなことしてズルいわ」
「何もしてないってば。ああもう、そっちはダメなの!」
声の主はフェリ様と、もう一人も女性。この騒ぎに何だ何だと厨房が騒めく中、ジョエルさんは難しい顔をしてこめかみを揉んでいる。
「何かあったので……」
すか? とジョエルさんに訊こうしたが、フェリ様の懇願するような声によって遮られた。
「リリアナちゃん、逃げて!」
「え?」
二日連続で逃げなければならない状況になるとは、思いもよりませんでした。
 




