雨降らずの梅雨の空
予感はしていた。教室を出ようとしたときに、視線を感じたから。
……ついでに言うと、それが誰かもわかっていた。だって、思い当たるのは彼女だけ。
だから、今のこの状況は、非常にありがたくない。
「葵。こっち向いてほしい」
本当ならとっくに逃げ出しているはずだったのに、掴まれた左手のせいでそれは叶わない。
放課後の靴箱には当たり前だけどたくさん人がいて、私たちの横を通り過ぎる誰もが不思議そうな目でこちらを見ていた。
「わかったから、場所変えよう」
結局折れたのは、私だった。
そういえば、昔から彼女は押しが強かった。
先に歩き出した彼女の後ろを少し離れてついていく。
本当は逃げ出したいのに、手ももう解放されているのに、それは何故かできなかった。
中庭の、端のほうで立ち止まった。
「あおい」
「うん」
久しぶりに面と向かって見た彼女の顔は、記憶にぼんやりと残っていたのよりも少しだけ大人っぽくなっている。
重くなるかと思っていた気持ちは、別になんてことはなくてほっとした。
考えるのは、何を言われるんだろうってことだけ。
「あの、何ていうか……クラスメイトとして、よろしく」
「へ?」
もしかしたら謝られたりするのかなあ、なんて嫌な気分になったのもつかの間。実際に彼女……素子が口にしたのは、想像していたのとはてんで違うことだった。
「私なりにいっぱい考えたんだけど、これしかないなあ、って」
すっきりした。
傷つけられたことも、過ぎたときも、絶対に忘れられないし戻ってもこないけれど、だけど、それはそれでいいかもしれない、って。単純だ、われながら。
「……じゃあ、よろしくってことで」
「うん」
「あ、そうだ葵」
「ん?」
立ち去ろうとした私に、素子が後ろから声をかけてきた。ちゃんと振り返って聞く。
「冴島君と付き合ってるって、本当?」
「そんなわけないでしょ!」
……素子の笑顔は、記憶のままの素子だった。
*
「暑い!」
「じゃあ来るなよ」
中庭からの帰り、何となく屋上に行ってみると、そこには忌々しい奴の姿があった。
梅雨なのに、私のいるところは全然それらしくない天気。私は汗で制服が気持ち悪いのに、奴はどう見ても、さわやか。
「あー、夏かあ」
手すりにもたれた。
「あー、そうですね」
「……もうすぐテストかあ」
「……もうすぐそうですねえ」
よくこんなところで本なんて読めるよなあ……。横目で奴を見ながら、取りとめもなく呟いた。それについてくる冴島の声。
「うっとうしいわ!」
「……その声のほうがうっとうしい」
怒鳴ってみても、奴はどこまでもさわやか。
「何て嫌味な男」
「何てうるさい女」
思わずにらみ付けた冴島の横顔。そこには笑みが浮かんでいた。
……その余裕のあるような顔が、ますますむかつくんだけど。
見上げた空は、やっぱり梅雨らしくなくて。
だけど、とても綺麗だった。
<シリーズ4 らいおんのたてがみ 完>




