第97話 絶望の淵の咆哮
どれくらいの時間が経っただろうか。
アキラを未来へ送り出してから、体感では数分、あるいは数十分。この光の届かぬ奈落の底では、時間の感覚すらもが曖昧になっていた。
俺の意識は、切れかけた電球のように明滅を繰り返していた。
デストロイドラゴンの攻撃には、一切の慈悲も容赦もない。再生が追いつかないほどの傷を負い、流れ続ける血が俺の体力を確実に奪っていく。かつてメカドラゴンに穿たれた古傷も開き、焼けるような激痛が絶え間なく全身を苛んでいた。
もはや、四本の足で立っているのがやっとの状態だった。視界が己の血で赤く霞み、呼吸をするたびに折れた肋骨が肺に突き刺さりそうになる。
この数十分間、俺はただひたすらに、耐え続けていた。
攻撃ではない。回避と防御、その繰り返し。洞窟の地形を利用し、奴の死角に飛び込み、巨大な岩柱を盾にする。だが、それも徐々に限界を迎えていた。俺が隠れる場所は次々と破壊され、洞窟はさらに広がり、もはや身を隠す場所すらなくなりつつあった。
対するデストロイドラゴンは、無傷。
その赤い瞳は変わらず虚無の光を湛え、俺をただ破壊すべき「障害物」として、無感情に見下ろしている。
勝負は、とうの昔に決していたのかもしれない。それでも俺が戦い続けるのは、アキラが地上にたどり着き、助けが来ると信じているから。そのための、絶望的な時間稼ぎ。
だが、その希望も尽きようとしていた。
デストロイドラゴンが、もはや虫の息の俺に興味を失ったかのように、とどめの一撃を放つべく、その顎を大きく開く。
口の奥で、漆黒の対消滅エネルギーが禍々しい光を放ちながら収束を始めた。空間が歪み、周囲の瓦礫が音もなく吸い込まれて消滅していく。
もう、避ける力は残っていない。
俺の旅も、ここまでか。
俺が静かに目を閉じ、全ての終わりを覚悟した、その時だった。
ズズズズ……ンッ!!
ドゴォォォォォォォンッ!!!
突如として、俺たちの頭上、遥か彼方の岩盤から、連続した爆発音が響き渡った。
一度ではない。二度、三度…。
まるで、天の神が怒りの拳を振り下ろしているかのような凄まじい衝撃が、地下空洞全体を激しく揺さぶり、天井から砂塵が滝のように降り注ぐ。
デストロイドラゴンですら、予期せぬ外部からの攻撃に、ブレスのチャージを中断して訝しげに天を仰いだ。
ーーーその数十分前。地上。ーーー
大陸東部の荒野に、数機の最新鋭ステルス輸送機が、地響きを立てながら強行着陸を敢行していた。本来の滑走路などない不整地に、パイロットの神業的な操縦で機体が次々と降り立つ。砂塵が舞い、機体が大きく揺れるが、兵士たちは動じない。
ランプゲートが開き、中から現れたのはタカギ司令率いる先行部隊と、顔に疲労の色を浮かべながらも、瞳に強い意志の光を宿したアキラだった。
「アキラ君、座標はここで間違いないんだな」
タカギの問いに、アキラは腕の端末に表示された立体地図を指差した。
「はい。俺が射出された竪穴の入口がここです。ヴァイスさんは、この真下、深度五百メートルの空洞で戦っています」
周囲では、兵士たちが慌ただしく野戦指揮所を設営し、大型のパラボラアンテナや地中探査レーダーを次々と展開していく。
その一角にあるテントで、科学顧問の女性が、数人の部下と共に血眼になってアキラの持ち帰ったデータを解析していた。
「……ダメね。デストロイドラゴンの自己修復能力とエネルギー効率は、我々の想定を遥かに超えている。ヴァイス殿の魔力だけでは、消耗戦に持ち込まれていずれ……」
彼女が悔しそうに歯噛みした時、別のオペレーターが叫んだ。
「博士! アキラ君の端末の通信記録から、ヴァイス殿のテレパシーの周波数パターンを逆探知することに成功しました!」
「本当!?」
「はい! これを基にすれば、指向性の増幅装置を作ることで、限定的ながら、こちらから彼に意思を伝えることが可能かもしれません!」
絶望の中に差した、一筋の光だった。
野戦指揮所のメインモニターに、地中レーダーが捉えた地下の様子が映し出される。赤く表示された巨大なエネルギー反応と、それに必死に食らいつく、か細い青い反応。青い反応は、時間と共に弱々しくなっている。
「……もう時間がない」
タカギは、苦渋の決断を下した。彼はミサイル部隊の指揮官を呼びつける。
「バンカーバスター部隊、準備はいいか」
「はっ! いつでも撃てます! ですが司令、目標の真下にはヴァイス殿が…! 直撃せずとも、崩落に巻き込まれる危険性が…!」
「わかっている。だが、このままではヴァイス殿は確実に殺される。我々はこの一撃が活路を開くと信じ、賭けるしかない」
タカギはマイクを掴んだ。
「目標、アキラ君が特定した座標デルタ7。地下空洞の最も強度が低い天井部分だ。いいか、一発で終わらせるな。地層の硬度を計算しながら、断続的に、しかし正確に同じ一点を穿ち続けろ。ドリルで穴を開けるようにだ!」
「……了解! バンカーバスター部隊、全弾、座標デルタ7に設定! 位相差連続攻撃を開始する!」
タカギの号令一下、少し離れた場所に展開していた自走ミサイルランチャー群が、一斉に天に向かって咆哮を上げた。
―――そして、現在。
ガラガラガシャァァァンッ!!
バンカーバスターの執拗な飽和攻撃によって、ついに天井の岩盤が限界を超えて爆砕した。
ぽっかりと開いた直径百メートルほどの巨大な穴から、地上の眩い太陽の光が、まるで天からの啓示のように、暗く絶望的なこの地下空洞へと差し込んできた。
地上、大穴の縁。
そこには、輸送機から降り立った一個大隊の空挺部隊が、すでに降下準備を完了させていた。彼らは、直径百メートルの暗い穴の向こう、五百メートル下の戦場を、固唾を飲んで見下ろしている。
「天井部の破壊を確認! 突入ルート確保!」
オペレーターの報告に、タカギはすぐさま次の指示を出す。
「よし! 降下部隊、突入せよ! 医療班は最優先でヴァイス殿の元へ向かえ! 他の部隊は奴の注意を引きつけ、時間を稼ぐんだ!」
降下部隊の隊長が、穴の縁に並ぶ部下たちに向かって最後の訓示を行った。
「聞いたな、諸君! 俺たちの仕事は、伝説の竜が息を吹き返すまでの、ほんの数分間を稼ぐことだ! 命を惜しむな! 誇りを胸に、友のために戦え! 行くぞッ!」
「「「オオオオッ!!」」」
兵士たちの雄叫びと共に、彼らは背中のウインチから射出されたワイヤーを穴の縁に固定し、躊躇なく暗闇の中へと身を躍らせた。
ワイヤーを高速で滑り降りながら、彼らは黒い影の群れとなって、絶望の戦場へと向かっていく。
『―――ヴァイス殿! ご無事か!』
その時、俺の頭の中に、ノイズ混じりだが確かに、タカギ司令の焦燥と安堵がないまぜになった声が直接響き渡った。
俺は、瓦礫の中から顔を上げ、驚愕に目を見開いた。
「な……に……?」
俺の口から、思わずかすれた声が漏れた。
人間たちが、来た。
俺を見捨てず、助けるために。
こんな、地獄のような絶望的な戦場に。
降ってきたのは、統合軍の最新鋭パワードスーツを装備した、一個大隊の精鋭空挺部隊だった。
彼らはワイヤーから次々と離脱し、スラスターを噴かして巧みに着地すると、すぐさま散開して戦闘態勢に入った。
『―――目標、デストロイドラゴン! ヴァイス殿を援護せよ! 総員、攻撃開始ッ!』
隊長の裂帛の号令の下、兵士たちが両腕に装備したプラズマキャノンや高出力レーザーガンを一斉にデストロイドラゴンに向けて撃ち放った。
ビシュン! バシュッ! ドォォン!
無数の光弾と爆発が赤い巨体を包む。
もちろん、そんな攻撃が奴の装甲に通用するはずもなかった。デストロイドラゴンは鬱陶しそうに重力フィールドを展開し、全ての攻撃を弾き返す。
だが、彼らの目的はダメージを与えることではなかった。デストロイドラゴンの注意を、一瞬でも俺から逸らすこと。
そのわずかな隙を突き、背中に医療ユニットを背負った白い特殊スーツの部隊が、スラスターを全開にして俺の元へと滑り込むように駆け寄ってきた。
「ヴァイス殿! 動かないでください! 応急処置をします!」
彼らは俺の傷だらけの身体に、巨大なスプレーのような装置を向けると、青白い霧状の薬剤を大量に噴射した。
『これは……?』
「軍事用の緊急修復ナノマシンです! 傷口を塞ぎ、細胞の再生を強制的に加速させます!」
隊員の一人が叫ぶ。
「本来は人間用ですが、博士が『生命の設計図は根元で繋がっている』と。竜である貴方にも効果があるはずです!」
ナノマシン――それは、人間の赤血球よりも小さい、自己増殖機能を持つ超小型の医療用機械の群れ。霧状になって体内に侵入した無数のナノマシンが、俺の損傷した細胞をスキャンし、正常な組織をテンプレートとして、アミノ酸レベルで傷を再構築していく。
冷たい霧が傷口に染み渡ると、焼けるような痛みが嘘のように引いていく。砕けた骨が繋がり、裂けた筋肉が再生していくのが、身体の内側から実感できた。
そして、失われた体力が急速に回復していくのを感じた。
『ヴァイス殿! 聞こえるか!』
再び、タカギの声が響く。地上では、アキラと科学顧問の女性が、血眼になって解析を続けていた。
『アキラ君が、奴の行動パターンを解析した! 奴が最大出力のブレスを放つその一瞬だけ! コアの強制冷却のために、シールドが物理的に開放される瞬間がある!』
『……その一瞬を狙うしかない! ……それまで、なんとか持ちこたえてくれ!』
希望の光が見えた。
俺は一人ではなかった。
アキラの知識が、タカギの指揮が、そして兵士たちの勇気が、俺を支えている。
俺には、この千年後の未来の世界にも、共に戦い、背中を預けられる仲間たちがいたのだ。
俺は、治癒剤のおかげで取り戻した力で、再び大地を蹴って立ち上がった。
「グルオオオオオオオオオッッ!!」
俺の咆哮が、地下空洞全体を震わせた。
それは復活の雄叫び。
そして、駆けつけてくれた仲間たちへの、感謝の咆哮だった。
俺と統合軍との、奇跡の共同戦線が始まった。
兵士たちが、命がけで陽動を仕掛け、ミサイルや攪乱弾を撃ち込み、デストロイドラゴンの注意を引きつける。
「アルファ隊、右翼から集中砲火! 奴のセンサーを眩ますんだ!」
「ブラボー隊、了解! ヴァイス様、今です!」
俺は、その隙を突き、奴の懐へと飛び込み、近接攻撃でダメージを与えていく。
魔力が使えないメカドラゴンとの戦いで培った、泥臭い肉弾戦の経験が、ここで活きていた。
関節部を狙って噛みつき、動きを鈍らせる。奴が尻尾を振れば、俺が体当たりで軌道を逸らす。
奴がブレスを撃とうとすれば、兵士たちが集中砲火を浴びせて体勢を崩させる。
完璧な連携だった。
だが、デストロイドラゴンの力は、それでも圧倒的だった。
奴が苛立ち、咆哮すれば、その衝撃波だけで周囲のパワードスーツが紙くずのように吹き飛ぶ。
奴が足を踏み鳴らせば、衝撃で岩盤が砕け、足場が崩落していく。
「うわあああっ!」
「また一人やられた! 衛生兵!」
兵士たちが次々とその凶刃に倒れていく。俺も、彼らを守るために無理な体勢で攻撃を受け、再び深手を負い始めた。
回復した体力も、尽きかけている。
もはや、限界か。
絶望が、再び俺の心を黒く塗りつぶそうとしていた。




