第94話 不屈の翼
先に動いたのは、デストロイドラゴンだった。
予備動作は一切なかった。その機械的な顎が、カシャリと音を立ててわずかに開いたかと思うと、次の瞬間。
直径数メートルはあろうかという、漆黒の破壊光線が、俺に向かって射出された。
速い!
俺は本能的に身体を捻り、横っ飛びに回避する。光線は、俺がコンマ一秒前までいた場所を音もなく通過し、背後の岩盤に着弾した。
だが、轟音はしなかった。ジュッ……という、熱した鉄を水に入れた時のような微かな音と共に、岩盤の一部が、空間ごとごっそりと抉り取られ、消滅したのだ。
対消滅エネルギー。オオトリが使おうとしていたフェニックスと同じ原理の兵器を、こいつはブレスとして連射できるというのか。かすっただけで、俺の身体の一部がこの世界から消し飛ぶだろう。
『……上等だ!』
俺は咆哮し、反撃に転じた。これまでのどんな時よりも強大な、俺の最大級の風のブレス『テンペスト・ブレス』を放つ。
白銀に輝く嵐の奔流が、圧縮された大気の刃を伴って、デストロイドラゴンに襲いかかる。
だが、デストロイドラゴンは、それを避けることすらしなかった。その身の周りに、黒い靄のような重力フィールドを展開し、俺のブレスを全て、まるで巨大なレンズで光を屈折させるかのように、ぐにゃりとねじ曲げ、あらぬ方向へと逸らしてしまったのだ。
俺の渾身の一撃は、空しく洞窟の壁に当たり、自らの魔力で岩盤を削り取るだけに終わった。
ブレスが効かない。ならば、肉弾戦だ。
俺は大地を蹴り、奴の巨体が生み出す重圧に抗いながら、その懐へと一直線に飛び込んだ。狙うは、胸で不気味に明滅する赤いコア。
だが、俺の爪がコアに届く寸前で、奴の鋼鉄の尻尾が、音速を超えて俺の脇腹を薙ぎ払った。
ドガァッ!!
「ぐっ……!?」
凄まじい衝撃。内臓がシェイクされ、全身の骨が悲鳴を上げる。俺の巨体が、まるで木の葉のように軽々と吹き飛ばされ、洞窟の硬い壁に激しく叩きつけられた。
背骨が軋む音と、自慢の鱗が砕け散る嫌な音が同時に響く。口の端から、熱い血が込み上げてきた。
強い。強すぎる。
パワー、スピード、防御力。全ての面において、俺の力を遥かに上回っている。これが、「神」を超えようとした人類の科学の、悪夢のような結晶か。
だが、ここで怯むわけにはいかない。
俺は痛む身体に鞭打ち、体勢を立て直すと同時に、翼を大きく羽ばたかせた。巻き起こった突風が砂塵を巻き上げ、奴の視界を眩ます。
その一瞬の隙を突き、俺は低空を滑るように飛行し、奴の足元へと潜り込んだ。
狙うは関節部。どんな強固な装甲も、動くためには必ず隙が生まれる。俺はその一点を狙い、牙を剥いた。
だが、デストロイドラゴンの反応は俺の想像を上回っていた。奴は視界が塞がれた状態でも、センサーで俺の動きを正確に捉えていたのだ。
ガキンッ!
俺の牙は、奴の脚部装甲を掴む寸前で、膝から突き出た鋭利なスパイクによって阻まれた。火花が散り、俺の牙がわずかに欠ける。
『……!』
一瞬の攻防。だが、その一瞬で奴は次の攻撃に移っていた。俺の頭上から、その巨大な前足が、ハンマーのように振り下ろされる。
まずい、避けきれない!
俺は咄嗟に、頭部を硬い翼で覆い、防御態勢を取った。
ズドォォォンッ!!!
頭蓋が砕けるかのような衝撃。視界が真っ白になり、脳が激しく揺さぶられる。翼の骨が数本、嫌な音を立てて折れたのが分かった。
それでも、俺は意識を失うわけにはいかなかった。
俺は衝撃を利用して後方へ吹き飛び、距離を取る。
奴は追撃の手を緩めない。
今度は、その背中から無数の棘がミサイルのように射出され、雨のように俺に降り注いだ。
『くそっ!』
俺は、折れた翼の痛みをこらえながら、洞窟の天井スレスレを飛び回り、その追尾ミサイルを必死で回避する。
ミサイルは俺を追って岩壁に次々と突き刺さり、連鎖的に爆発を引き起こした。洞窟全体が揺れ、天井から巨大な岩塊がいくつも落下してくる。
俺は、その落下する岩塊を盾にしたり、あるいは尻尾で叩き落として軌道を変えたりしながら、なんとか攻撃を凌ぎ切った。
息が上がる。魔力の消耗が激しい。
対するデストロイドラゴンは、涼しい顔で佇んでいる。その胸のコアは、先ほどよりもさらに力強く、安定した光を放っている。まるで、この戦いそのものを楽しんでいるかのように。
どうすればいい。
直接攻撃は通じない。遠距離攻撃は無効化される。
奴の攻撃パターンを分析しようにも、そのバリエーションはあまりに豊富で、予測が追いつかない。
俺は、焦り始めていた。
アキラを地上へ送ってから、どれくらいの時間が経った?
まだ数分か。それとも数十分か。
この地下深くでは、時間の感覚すら曖昧になる。
俺の心が焦りで曇り始めた、その一瞬の隙を、奴は見逃さなかった。
デストロイドラゴンが、これまで見せなかった動きを見せた。その全身の装甲がカシャリカシャリと音を立てて変形し、まるで戦闘機のように翼が展開されたのだ。
そして、足元のスラスターを全開にし、弾丸のような速度で俺に突進してきた。
重力フィールドを展開しながらの、高速突撃。
それは、あらゆるものを薙ぎ倒す、絶対的な破壊の槍。
避けられない。
俺は覚悟を決め、残された魔力の全てを、口元の一点に凝縮させた。
奴の重力フィールドを、至近距離から、一点突破で貫く。
俺と奴の、互いの最強の一撃が、洞窟の中央で激突した。
ズゴオオオオオオオッッ!!!!
閃光が全てを飲み込み、轟音が鼓膜を破る。
結果は、明白だった。
俺のブレスは、奴のフィールドをわずかにこじ開けただけで、完全に霧散した。
そして、俺の身体は、鉄塊と化した奴の巨体に真正面から激突され、今度こそ完全に、壁の奥深くまで叩きつけられた。
全身の骨が砕ける音を聞いた。
口から、夥しい量の血が溢れ出す。
視界が、急速に暗くなっていく。
ここまでか。
俺は、千年の時を超え、こんな名も知らぬ地下の底で、誰にも知られず一人朽ち果てるのか。
アキラは、無事に地上へ着いただろうか。
タカギは、間に合うだろうか。
薄れゆく意識の中、俺の心を占めていたのは、死への恐怖だけではなかった。
それ以上に、俺のプライドを苛んでいたのは、燃えるような屈辱と、情けなさだった。
俺は、風竜ヴァイス。
魔王ゼノンと互角に渡り合い、幾多の伝説を打ち立て、神話として語り継がれてきた、最強の竜のはずだ。
千年後の世界に目覚めてからも、その力は衰えるどころか、さらに増していた。軍の最新兵器を玩具のようにあしらい、星の環境すら一息で変えてみせた。
慢心していたわけではない。だが、心のどこかで、この世界に俺を脅かすものなど存在しないと、思い上がっていたのかもしれない。
それがどうだ。
この無機質な鉄の塊に、赤子のようにあしらわれ、傷つき、無様に地面に転がされている。
情けない。
アキラに「行け」と偉そうな口を叩いておきながら、この体たらく。
カイルたちが、リリたちが、今の俺を見たら何と言うだろうか。
きっと、呆れて笑うに違いない。
俺は静かに目を閉じ、全ての終わりを覚悟した。
その時だった。
俺の脳裏に、魂の奥深くに刻まれた、懐かしい声たちが、走馬灯のように鮮やかに響き渡った。
『―――諦めるな、相棒!』
カイルの声だった。どんな絶望的な状況でも、決して屈することなく、その背中で仲間を守り続けた、太陽のように熱く、力強い勇者の声。その声が、砕け散りそうになった俺の心に、不屈の闘志という火を灯す。
『―――お前さんは一人じゃねえ! わしらがついてるぞ!』
ギルバートの、いつも豪快に笑っていたドワーフの王の声。その声が、震える俺の足に、再び大地を踏みしめるための力を与えてくれた。
『―――私たちが、あなたの背中を押しているわ!』
ルナミリアの、慈愛に満ちた、優しいエルフの女王の声。その声が、全身を苛む激痛を和らげ、守るべきこの世界の、緑の美しさを思い出させてくれる。
『―――あなたの翼は希望の翼でしょう! まだ飛べます!』
リリの、真っ直ぐで、決して諦めることを知らなかった獣人の少女の声。その声が、絶望という名の分厚い暗雲を切り裂き、その向こうに、まだ勝利への道筋が残されていることを教えてくれる。
そうだ。
俺は、一人ではない。
俺のこの身体には、この魂には、俺が出会ってきた全ての仲間たちの想いが、そして今を生きるアキラやタカギたちの未来が、確かに乗っている。
俺がここで倒れれば、その眩しいほどの想いも全て、ここで潰えてしまう。
負けるわけにはいかない。
絶対に。
俺は、最後の力を振り絞り、砕けた鱗を撒き散らしながら、呻き声と共に再び大地を蹴った。
放たれたデストロイドラゴンの破壊光線を、奇跡的に、紙一重でかわし、再び距離を取る。
全身が痛い。翼も片方折れているかもしれない。視界も霞んで、敵の姿が二重、三重に見える。
だが、まだだ。
まだ終われない。
俺には、守るべき世界があるのだから。
絶望的な戦力差。だが、俺の心には、千年分の仲間たちの絆という、決して砕けることのない最強の武器があった。
奇跡を起こすための本当の戦いは、ここから始まる。




