第十五話 王の切り札、勇者召集
アルマード王国の王城は、連日届けられる悲報に近い報告に、かつてないほどの緊張と重苦しい空気に包まれていた。
「陛下!本日も、武闘派で知られるAランクパーティ『赤き獅子』が、風竜に敗北したとの報告が!」
「昨日、討伐に向かった『銀の流星』もです! スピードを活かした連携が自慢でしたが、竜の起こす風の前に近づくことすらできず、全員満身創痍で帰還したそうです!」
「一体、どうなっているのだ……。近隣諸国から集まった、選りすぐりのAランク冒険者たちが、束になっても歯が立たぬとは……」
玉座の間で、大臣たちが蒼白な顔で議論を交わしている。
国王アルフォンスは、豪奢な肘掛けに頬杖をつき、眉間に深い皺を刻んで、その絶望的な報告を聞いていた。
事態は、彼の想像を遥かに超えて悪化していた。
最初は、自国の安全を脅かす竜を一匹排除するための、単なる国内的な問題だったはずだ。
通常、ドラゴン種の討伐はBランクパーティ数組、あるいはAランクパーティ一組で十分に可能なはずだった。
しかし、あの竜は異常だった。規格外の硬度と魔力を持ち、これまでの常識が通用しない。
さらに、「殺さない竜」という奇妙な噂が広まった結果、エルロード山脈の麓や王都は、各国の腕利き冒険者たちが集う、さながら無法地帯と化してしまっていた。
城下の酒場では、討伐に失敗し、ストレスを溜め込んだ冒険者同士の乱闘騒ぎが絶えない。
「おい、押すなよ! 怪我人が通るんだぞ!」
「うるせえ! 竜にビビって逃げ帰ってきた負け犬が、デカイ顔してんじゃねえよ!」
「なんだと!? てめえらだって、尻尾巻いて逃げただろうが!」
治安は急速に悪化し、一般市民は不安に怯えている。
何より、アルマード王国は、周辺諸国から
「自国の領内に現れた竜一匹、管理できないのか」と、その統治能力と威信を問われる深刻な事態に陥っていた。
「……お父様」
玉座の脇に控えていたアリア王女が、意を決したように口を開いた。
「やはり、あの竜に害意はないのではないでしょうか。これほど多くの冒険者と戦いながら、死者は一人も出ていないと聞きます。今からでも、対話の道を模索すべきでは……」
「まだそのようなことを言うか、アリア!」
アルフォンス王が、いら立ちを隠さずに娘を叱責した。
「死者が出ていないのは、偶然の結果論に過ぎん! あれがいつその気まぐれを起こして、王都に牙を剥かぬとも限らんのだぞ!」
「それに、もはや引くには引けぬのだ。我が国の威信にかけて、あの竜は、必ず我らの手で討伐せねばならん!」
王の決意は固かった。
彼は宰相に向き直り、腹をくくった低い声で告げた。
「……もはや、小手先の策は通用せん。最後の手段を用いる」
その言葉に、宰相だけでなく、その場にいた全ての大臣が息をのんだ。
王が口にした「最後の手段」。それが何を意味するのか、彼らは知っていたからだ。
「陛下、まさか……『勇者』をお呼びになるのですか?」
「そうだ」
アルフォンス王は静かに、しかし重く頷いた。
「この国に、または大陸に仇なす巨悪を討ち滅ぼすため、神に選ばれし聖剣の担い手。勇者カイルを召集する」
勇者。
それは数十年から百年に一度、この世界に現れるとされる特別な存在だ。
復活の予兆がある魔王や邪神といった、人類の手に負えない脅威が出現した際に、それに対抗しうる唯一の希望として、神託によって選ばれる。
現勇者であるカイルはまだ若く、魔王討伐といった歴史的な偉業はまだ成し遂げていない。しかし、その潜在能力は計り知れず、Aランク冒険者を遥かに凌駕する戦闘能力と、奇跡を起こす力を持つとされていた。
これまで、彼は王国の命で辺境の強力な魔物を単騎で討伐したり、小国の紛争をそのカリスマ性で調停したりと、その力を平和のために用いてきた。
そんな、いわば国家の最終兵器とも言える勇者を、たかが一匹の竜を討伐するために動かす。それは、アルフォンス王にとっても苦渋の決断だった。
「……よろしいのですか? 勇者の出動は諸刃の剣。下手をすれば周辺諸国に、我が国がそれほどまでに追い詰められていると、弱みを見せることにもなりかねませぬが」
宰相の懸念ももっともだった。
「構わん。これ以上、冒険者どもの無法を許し、国の威信を失い続けるよりはマシだ」
アルフォンス王は決然と言い放った。
「直ちに勇者カイルに使者を送れ。王命であると。エルロードの『白き風竜』を討伐せよ、とな」
王の厳かな命令が、玉座の間に重く響き渡った。
アリアは唇を強く噛みしめ、ドレスの裾を握りしめたまま、ただ祈ることしかできなかった。
どうか、これ以上悲劇が起こりませんように、と。
しかし、その祈りも虚しく、物語の歯車は否応なく、最強の存在同士の激突へと向かって大きく動き始めていた。
その頃、ヴァイスはと言えば。
連日の戦闘による疲れを癒すため、神殿の奥深くで心地よい眠りについていた。
打ち破った冒険者の数は、もはや三十を超えている。
俺の白銀の鱗には無数の小さな傷が刻まれ、それはまるで、歴戦の戦士の勲章のようにも見えた。
(……いい加減、飽きてきたな)
微睡みまどろみの中で、俺はそんなことをぼんやりと考えていた。
毎日毎日、代わり映えのしない挑戦者たち。彼らを適当にあしらい、追い返す作業にも、そろそろ飽きが来ていた。
最初の頃に感じた、自分の力を試す高揚感も、今はもうない。
ただ、面倒くさいという倦怠感だけが心を支配していた。
だが、まさか次に来る挑戦者が、これまでとは全く質の違う、本物の「英雄」であることを、この時の俺はまだ知る由もなかった。
この世界の運命を大きく左右することになる、一人の若者との出会いが、すぐそこまで迫っていた。




