第128話 ロストポイント
ガイア・プライムから託された古の航路図を頼りに、俺たちアルゴス号はオリオン大星雲を目指して旅を続けていた。
だが、その航海は、これまでの旅路とは比較にならないほど困難を極めるものとなった。
ノア船団が遺した航路図は、あくまで千年以上も前の宇宙の姿を記したものに過ぎない。
宇宙は、決して静的な存在ではない。絶えず動き、変化し続ける、巨大な生命体のようなものだ。星々は生まれ、燃え盛り、そしてやがては死を迎え、新たな重力源や放射線の嵐を生み出す。千年の歳月は、かつて安全だったはずの航路を、予測不能な死の罠へと変貌させるには十分すぎる時間だったのだ。
亜空間航行をすれば、こうした物理的な障害物の多くは無視できる。だが、ワープはエンジン、特に俺の魔力と共鳴するエーテル・ウィング・ドライブに絶大な負荷をかける、いわば諸刃の剣だった。
長距離を連続で跳躍し続ければ、いずれエンジンが焼き付き、俺自身の魔力も枯渇してしまう。俺たちは、エネルギーを温存し、船体を休ませるためにも、比較的安定している宙域では通常航行に切り替え、慎重に進む必要があった。
航海開始から二週間後、最初の難関が俺たちを襲った。平穏な日常会話が交わされていたブリッジの空気が、突如として切り裂かれたのだ。
ウウウーッ! ウウウーッ!
甲高い警告音が鳴り響き、全てのコンソールが赤く明滅する。
「船長! 進路上の重力波形に異常を多数検知! このパターン……マイクロ・ブラックホールの群生地帯です!」
観測士官リオンの悲鳴に近い報告に、アキラが舌打ちした。
「データにないぞ!? 千年前の航路図では、ここはただの星間ガス雲だったはずだ!」
「おそらく、寿命を迎えた複数の恒星が、ほぼ同時に重力崩壊を起こし、無数の特異点を生み出したのでしょう!」
ミカサが、凄まじい速度でコンソールを操作しながら叫ぶ。
「問題は、そのどれもが質量が小さすぎて、目視も光学センサーでの観測も不可能なことです! 頼りになるのは、空間の歪みを捉える重力センサーだけです!」
目に見えない無数の「宇宙の落とし穴」が、俺たちの行く手を完全に塞いでいる。一つでも踏み抜けば、巨大なアルゴス号といえども、飴細工のように捻じ曲げられ、光さえ脱出できない事象の地平線へと吸い込まれてしまうだろう。
アキラは、額に噴き出した冷や汗を腕で拭いながらも、船長として冷静に指示を飛ばす。
「全速前進は自殺行為だ。だが、後退もできない。それに、すでに群生地帯の引力圏に入ってしまっている。…ヴァイスさん! 頼みます! 俺たちの『目』になってくれ!」
『……任せろ』
俺は、船体上部の専用ハンガーで静かに目を閉じ、意識を極限まで研ぎ澄ませた。
視覚ではない。魔力による空間把握能力。竜族だけが持つ、空間の歪みやエネルギーの流れを「肌で感じる」第六感だ。
俺の感覚には、漆黒の宇宙空間に、不自然に空間が歪み、光もマナも音もなく吸い込まれていく「穴」が、無数に空いているのが手に取るようにわかった。
『……右舷15度、仰角3度へ修正! その針路の先に、重力の渦がわずかに弱い回廊がある! 針の穴を通すつもりで行け!』
「了解! 操舵手、面舵いっぱい! …ボルツ、エンジンは持つか!?」
アキラの緊迫した声が、機関室の頑固なドワーフに飛ぶ。
『おうよ! ワシを誰だと思ってやがる! この程度の精密な出力調整、屁でもねえわい! …だが、油断するなよ、艦長! 一瞬でも出力が揺らいだら、船もろともお陀仏だ!』
機関室のモニターから、ボルツの怒号にも似た激励が飛んでくる。
アルゴス号は、見えない死の迷路の中を、俺の超感覚によるナビゲートと、アキラの瞬時の判断力、そしてボルツの神業的なエンジン調整によって、奇跡的なバランスを保ちながら、ゆっくりと、しかし着実に突破していく。
その一ヶ月後には、巨大な恒星が最期に放った超新星爆発の残骸――高エネルギーのガンマ線が嵐のように吹き荒れる、致死的な放射線帯に遭遇した。
船体を守るエーテルシールドが、見えない放射線の嵐を受けて激しくスパークし、船内温度が危険なレベルまで上昇していく。
「シールド出力、70%まで低下! このままではあと数分で船内の電子機器が焼き切れます!」
「くそっ、この放射線、強すぎる…!」
『……チッ、世話が焼ける!』
俺は舌打ちすると、自らの魔力を惜しみなく船のシールド発生装置へと直接流し込み、防御壁を内側から強制的に強化した。
俺の純白の魔力がアルゴス号全体を包み込み、致死的な放射線を弾き返す、第二のシールドとなる。
俺自身の魔力も急速に削られていくが、中の仲間たちを守るためなら惜しくはない。
「ヴァイスさん! 無茶だ! そんなことをしたら、あんたの魔力が…!」
アキラが、俺を案じて叫ぶ。
『黙れ、相棒。船長なら、俺の魔力残量を心配するより、この嵐を最短で突破するルートを計算しろ。お前の腕を信じているぞ』
俺の言葉に、アキラは「…了解だ!」と短く応じ、再びコンソールに向き直った。
次から次へと、アルゴス号に宇宙の牙が襲いかかる。
だが、そのたびに俺たちは知恵を絞り、それぞれの専門知識を結集させ、そして何よりも互いを信じ合うことで、全ての危機を乗り越えてきた。
マイクロ・ブラックホールの迷路は俺の感覚が、放射線の嵐は俺の魔力が、そして予測不能な小惑星帯の突破はアキラと操舵手の神業的な操船技術が、船を救った。
いつしか、新米だったクルーたちの顔つきは、出発前とはまるで別人のように変わっていた。
不安げだった瞳には、幾多の修羅場を乗り越えた自信と覚悟の光が宿り、無駄の多かった動きは洗練され、歴戦の宇宙冒険者たちのそれになっていた。
俺と彼らの絆も、ただの協力関係から、共に死線を潜り抜けた鋼鉄のように強固なものへと変わっていた。
俺たちは、もはや単なる寄せ集めの集団ではない。
ヴァイスという竜の魂を心臓に宿した、一つの巨大な生命体として、この過酷な宇宙を泳いでいるのだ。
そして。
故郷の星を出発してから半年近い月日が流れた、ある日のこと。
ブリッジは、穏やかな緊張感に包まれていた。航路図によれば、まもなくノア船団の信号が途絶えた「ロストポイント」に到達する。
「……もうすぐだな」
アキラが、キャプテンシートで腕を組みながら、静かに呟いた。
「ええ」とミカサが応じる。「ここから先は、本当に何が起こるか分かりません。全クルーに、第一級戦闘準備態勢をとるよう通達します」
「頼む」
アキラはそう言うと、傍らに立つ俺のホログラムを見上げた。
「ヴァイスさん、あんたも頼む。何か妙な気配を感じたら、すぐに教えてくれ」
『ああ。言われるまでもない』
ブリッジの空気が、ピンと張り詰める。誰もが息を呑み、前方の空間を映し出すメインスクリーンを食い入るように見つめていた。
その沈黙を破ったのは、観測席に座るリオンの、震える声だった。
「……船長……。前方に、何かあります」
「何だ?」
「……センサーに、膨大な数の反応。ですが、動いていません。まるで……巨大な壁のようです」
「壁だと? 映像を拡大しろ!」
リオンがコンソールを操作すると、メインスクリーンに映し出された漆黒の宇宙空間が、急速にズームアップされていく。
最初はただの暗闇だった空間に、やがて、無数の、歪で、静かな影が浮かび上がってきた。
「……なんだ、これは……」
アキラが、キャプテンシートから立ち上がり、信じられないという顔でスクリーンに歩み寄る。
「……船……? いや、船の残骸です!」
ミカサが声を上げた。
「無数の、破壊された宇宙船のデブリが、一つの巨大な塊となって漂っています!」
その時、別のオペレーターが叫んだ。
「船長! 先ほどのデブリ帯の中から、微弱な救難信号ビーコンを複数キャッチしました! 信号パターンは…地球宇宙連合軍のものです!」
「何だって!?」
ブリッジが、一気に色めき立つ。
「生き残りがいるのか!?」
「いや、待て! この信号、数百年以上も前に発信されたものが、今もループ再生されているだけだ! 生存者のものではない!」
希望と絶望が、一瞬のうちに交錯する。
アキラは、メインスクリーンに映し出された、あまりにも広大で、静かな「墓場」を前に、静かに、しかし力強く命令を下した。
「……アルゴス号、第一級警戒態勢のまま、デブリ帯にゆっくりと進入する。…リオン、救難信号の発信源を特定しろ。ボルツ、いつでも緊急離脱できるよう、エンジン出力を維持しておけ」
その時の俺たちは、まだ知らなかった。ここが、千年を超える悪夢の入り口だということを。




