第126話 虚無の王
『……我ハ一人デハナイ。我ハ、主ノ帰還ヲ待チ続ケテイル』
ガイア・プライムのその言葉は、静かでありながら、二千五百年という途方もない時間の重みを持っていた。
ミカサがハッとして顔を上げた。
「主……? あなたをここに設置した、探査船団のことね? 彼らは一体……」
『……肯定スル。彼ラハ、自ラヲ『ノア』ト名乗ッテイタ』
「ノア……!」
ミカサの口から、驚愕と、信じられないという響きを帯びた声が漏れた。その名前は、彼女の記憶の奥底に、半ば伝説として埋もれていたものだった。
「そんな……! その名前は……! まさか、本当に存在したというの!?」
彼女の隣で、観測士官のリオンが弾かれたようにデータパッドを操作し、アルゴス号のメインサーバーに保存されているアークの歴史データベースにアクセスする。彼の指が、猛烈な速度で仮想キーボードの上を走った。
「検索します! キーワード、『ノア計画』……!」
数秒の沈黙の後、リオンは「ありました……!」と、かすれた声を上げた。
「『ノア計画』……アーク船団計画と同時期に、地球統合政府によって立案された、もう一つの恒星間移民計画! ……ですが、こちらは軍主導で選ばれた人々を巨大な箱舟に乗せ、種の保存を最優先した我々の計画とは目的が根本的に異なっていました」
リオンは、モニターに表示された断片的な記録を、震える声で読み上げていく。
「ノア計画は、軍の管轄外で、科学者や技術者、そして探検家といった、人類の『知の継承』を目的とした精鋭たちだけで構成されていました。彼らの使命は、種の保存ではなく、人類の知識とフロンティアスピリットを絶やさず、新たな居住可能惑星を探し出すこと。デボアラーの襲撃が始まった際、彼らはアーク船団とは全く別の、極秘の脱出ルートで地球を離れたとされていますが……その後の通信は完全に途絶。彼らの船団がどこへ向かったのか、そして生き延びているのかさえも分からず、我々の記録では『幻の船団』として扱われていました……」
『幻デハナイ。彼ラハ確カニ存在シタ』
ガイア・プライムの静かな肯定が、リオンの報告を裏付けた。
「では、彼らはここに……! この星にたどり着いたのね!」
ミカサの声に、切実な希望の色が宿る。
「彼らは今どこに!? どこへ行けば会えるの!?」
だが、ガイア・プライムの次の言葉は、その希望に冷水を浴びせるものだった。
『……彼ラハ、モウココニハイナイ』
「……え?」
『彼ラハ、コノ星ニ一時的ナ補給基地ヲ建設シ、我ニテラフォーミングノ継続ヲ命ジタ後、更ナル新天地ヲ求メテ銀河ノ中心ヘト旅立ッタ』
「なぜ!? ここは、これ以上ないほど恵まれた環境のはずよ! なぜ、わざわざ危険な場所へ……」
『……彼ラヲ追ウ「黒キ影」カラ、更ニ遠クヘ逃レルタメニ』
黒き影。デボアラー。
その言葉に、ミカサの顔から血の気が引いた。やはり、彼らも追われていたのだ。人類という種が存在する限り、あの怪物はどこまでも追いかけてくるのか。
「彼らは……ノアの船団は、一体いつ、どこへ……!?」
ミカサが、最後の同胞の安否を問う。その声には、焦りと、わずかな怒りすら滲んでいた。
『彼ラガコノ星ヲ発ッタノハ、今カラ約二千年前。目的地ハ、銀河中心核ヲ取リ巻ク、高密度星団『サンクチュアリ』。……ダガ、ソノ後ノ彼ラノ消息ハ、我ニモ不明ダ』
二千年前。ミカサの心に、新たな絶望が影を落とす。自分たちが眠っている間に、もう一つの船団がここを訪れ、そして再び、孤独な旅へと出発してしまっていた。あまりにも残酷な、時のすれ違い。
だが、ガイア・プライムは続けた。
『……彼ラハ、我ニ一つの遺産ヲ託シタ。「我ラガ、千年の約束ノ内ニ戻ラヌ時ハ、コノ星ト、我ラガ遺シタ航路図ヲ、我ラノ後ヲ追ウデアラウ、次ナル来訪者ニ託ス」ト』
その言葉と共に、ガイア・プライムの光の球体がひときわ強く輝きを増した。その中心部から、一つのクリスタル状の記憶媒体が、まるで水の中から浮かび上がるようにゆっくりと物質化して現れ、ミカサの目の前にふわりと浮かんだ。
青色の光が、クリスタルの内部で複雑な模様を描いている。
『……ソシテ、アークノ船団ヨ。……貴方達ガ、ソノ『次ナル来訪者』ダ』
ミカサは、震える手でそのクリスタルを受け取った。
ずしりと重い。それは、ただのデータではない。二千年前に旅立った同胞たちの希望と、絶望と、そして未来への祈りが込められた、魂の重みだった。
ここには、ノア船団が旅した銀河中心領域への、安全な航路データが記録されているはずだ。失われた同胞へと繋がる、唯一無二の道標。
だが、ガイア・プライムは、不吉な予言を続ける。
『……同時ニ、彼ラハ最大ノ警告モ遺シテイル。……銀河ノ中心ニハ、決シテ近ヅイテハナラナイ、ト』
「どういうこと? 行くと言いながら、行くなと言う。矛盾しているわ」
ミカサが、クリスタルを握りしめながら鋭く問う。
『彼ラハ、デボアラーサエモ恐レ逃ゲ出ス、ヨリ根源的ナ脅威ノ存在ヲ感知シタ。……彼ラノ最後ノ通信ニハ、コウ記録サレテイル。『―――「銀河ノ中心ハ、生命ノ揺リ籠デハナク、生命ノ墓場ダ。ソコニハ、全テヲ喰ライ、全テヲ無ニ帰ス『虚無ノ王』ガ眠ッテイル。我ラハソノ正体ヲ突キ止メルタメニ進ムガ、コノ警告ヲ受ケ取ッタ者ハ、決シテ追ッテクルナ」ト』
希望と同時に、さらに巨大な絶望が提示された。クルーたちの間に、言葉にならない動揺が走る。
ノア船団は、デボアラーよりさらに強大な敵の存在を警告し、自らはその謎を追って消息を絶った。希望への道標は、同時に絶望への入り口でもあったのだ。
通信機越しに、軌道上のアルゴス号で全てを聞いていたアキラの声が、震えながらも響いた。
「……ヴァイスさん、ミカサさん。聞こえましたか? とんでもない話になってきたぞ……。虚無の王だって? デボアラーよりヤバい奴がいるっていうのかよ……」
その時、ガイア・プライムの光の球体が、それまでとは違う、何かを探るような光を放ちながら、俺――のホログラム体に焦点を合わせた。
『……風ノ竜ヨ』
その呼びかけに、俺は眉をひそめた。
『なんだ?』
『……貴殿ノ魂ノ波長ヲ、再スキャンシタ。……ソコニハ、極メテ異質ナ「揺ラギ」ガ観測サレル』
「揺らぎ……?」
ミカサが訝しげに呟く。
『肯定スル。貴殿ノ魂ハ、コノ宇宙ノ因果律ニ属シテイナイ。……ソレハ、我ガ主、ノア船団ガ観測シタ「虚無ノ王」ノ存在波形ト、極メテ酷似シテイル』
その言葉は、俺の心臓を直接鷲掴みにするような衝撃だった。
『……何だと? 俺の魂が、奴と似ているだと?』
『同一デハナイ。言ウナレバ、光ト影。表ト裏。……貴殿ガ、コノ世界ニ存在スルコト自体ガ、銀河ノ理ニ対スル大キナ「歪ミ」トナッテイル。……ソシテ、ソノ歪ミノ源流ハ、銀河ノ中心ニ眠ル「虚無」ニ繋ガッテイル可能性ガ高イ』
『……貴殿ガナゼ、別世界カラコノ星ニ転生シタノカ。……ソノ答エハ、オソラク、ソノ虚無ノ王ガ知ッテイル。……貴殿ト虚無ハ、何ラカノ深イ因果デ結バレテイルノダ』
ガイア・プライムの淡々とした分析は、俺自身の存在そのものを揺るがす、あまりにも衝撃的な事実を突きつけていた。
俺の転生は、ただの偶然ではなかった。
俺というイレギュラーな存在と、銀河を脅かす最大の脅威が、見えざる糸で繋がっている。
俺がこの世界に来たこと自体が、壮大な物語の、あるいは巨大な悲劇の、始まりの引き金だったのかもしれない。
「……上等じゃないか」
通信機の向こうで、アキラの声が聞こえた。その声には、恐怖よりも、全ての謎が繋がったことへのトレジャーハンターとしての興奮が勝っていた。
「危険だからって引き返すような俺たちじゃないだろ? 俺たちが探してる答えも、ノアの連中の安否も、そしてヴァイスさん自身の謎も、全部その闇の向こう側にあるってことだ!」
『……ああ。面白くなってきたじゃないか』
俺も、ホログラムの身体でありながら、武者震いを禁じ得なかった。
ノアの行方も、虚無の王の正体も、そして俺自身の魂のルーツも。全ての答えは、銀河の中心にある。
ならば、行く道は一つしかない。
ミカサも、データクリスタルを強く握りしめ、顔を上げた。その瞳には、もはや迷いはなかった。
「行きます。同胞が危険な場所へ向かったのなら、私たちは彼らを助けに行くだけです。……そして、ヴァイス、あなた自身の運命からも、私たちは逃げません」
俺たちは、ガイア・プライムに深く感謝を告げた。
『……我ハ、ココデ待ツ。貴方達ガ、主ヲ連レテ帰還スル日ヲ。ソシテ、コノ星ガ青ク輝ク日ヲ』
庭師は静かにそう言うと、コロニーの機能を再び長期スリープモードへと移行させた。
俺たちは、人類の未来を左右する二つの遺産――テラフォーミングの希望と、虚無の王という絶望――を手に、再び星の海へと舵を切る準備を始めた。
目指すは銀河の中心。
そこにあるのが希望か、絶望か。
確かめに行こう、相棒。この星々の海の、果ての果てまで。




