第109話 怪物の腹の中
膠着状態が続き、俺の焦りが頂点に達しようとしていた、まさにその時。
『見つけたぞ、ヴァイス殿!』
タカギの興奮した声が、途切れがちだった通信回線を通して、クリアに響き渡った。地上の司令部では、アーニャ博士のチームが、アークから回収した膨大なデータの中から、奇跡的に破損を免れた一枚の設計図の断片を発見していたのだ。
『アークの航海日誌の断片から、奴の構造パターンを解析した! やはり、本体の最深部に、この巨体を制御する「コア」があるはずだ!』
『だが、その場所がわからん! 奴の表面は分厚い装甲と、あの忌々しいシールドに覆われている!』
『……いや、わかるかもしれない!』
アキラの声が割り込む。その声には、徹夜続きの疲労と、世紀の発見をした科学者のような興奮が混じっていた。彼は、アーニャが復元した設計図の断片と、リアルタイムで観測されるエネルギーの流れを、自身の端末上で猛烈な速度で照合していたのだ。
『ヴァイスさん! 奴のエネルギーの流れを読んでくれ、あんたならできるはずだ! 奴が攻撃する時、全身のエネルギーが一つの場所に集約される瞬間があるはずだ、その中心地こそが、奴の心臓だ!』
アキラの言葉に、俺は集中力を極限まで研ぎ澄ませた。
そうだ、俺にはそれがある。魔力の流れを読むのは、俺の最も得意とするところだ。
俺は、奴の放つ対消滅エネルギーの光線を避けながら、その巨体内部のエネルギーの流れを、竜の第六感で探っていく。
見えた。
奴の分厚い装甲の、さらに奥深く。その中心部で、ひときわ巨大で禍々しいエネルギーが、まるで銀河のように渦巻いているのが。
『……中心部だ。この怪物のド真ん中に、心臓がある』
俺は、そこへ向かって突進した。
全身全霊を込めた、最大速度の突撃。
俺自身が、一本の白銀の槍となって、奴の装甲を貫く。
だが、俺が接触する寸前、デボアラーの表面に、黒い亀裂のようなものが無数に走り、それが網の目のように広がって、俺の進行方向を完全に塞いだ。
位相転移シールド。俺の物理攻撃は、空間ごと捻じ曲げられ、届かない。
『ぐっ……!』
弾かれた衝撃で、俺の身体がきりもみ回転しながら宇宙空間に投げ出される。
どうすればいい。ブレスも、物理攻撃も通じない。
このままでは、エネルギー切れで宇宙の塵となるだけだ。
焦りが、再び俺の心を黒く覆い始めた、その時。
『ヴァイスさん、諦めるな!』
通信の向こうで、アキラが叫ぶ。
『コアの反応を解析した! 奴は、コアの周囲に何重もの防御フィールドを張っている! だが、そのフィールドを維持するため、逆に内部構造は驚くほど単純だ! つまり、内部はガラ空きのはずだ!』
『……どういうことだ?』
『奴の体内は、中心のコアにエネルギーを供給するための、ただの巨大なパイプラインだらけなんだ! 外から壊せないなら、中から壊せばいい!』
中から、壊す。
俺の脳裏に、かつて地下施設でメカドラゴンを倒した時の記憶と、魔王大戦で、超巨大ゴーレムの動力炉を破壊した戦術が蘇った。
そうだ。方法は、一つしかない。
『……ヴァイスさん、まさか……!』
俺の意図を察したアキラが、息を呑む。
『ああ。その「まさか」だ。俺は、デボアラーの表面にある無数の巨大な捕食口の一つに狙いを定める。奴が周囲の小惑星を吸い込む、その一瞬を狙って、俺自身が「餌」となって、奴の体内に飛び込むんだ。そして、内部から、全てを破壊する』
『……正気か、ヴァイス殿! それは自爆行為だ!』
タカギが制止する。
『戻ってこられる保証はないぞ! 内部の環境も、どうなっているか……!』
『……他に手があるか?』
俺は、不敵に笑った。
『……俺の命一つで、この星が救えるなら安いものだ。それに、俺はそう簡単には死なんさ。約束したからな』
俺は、仲間たちに最後の言葉を送った。
『……アキラ、タカギ、アーニャ。……後のことは、頼んだぞ。俺が道を開く。お前たちは、未来を繋げ』
『待て! 待ってくれヴァイスさん! まだ何か方法は――』
アキラの制止する声を背に、俺は加速した。
デボアラーの巨大な口が、すぐそばの隕石群を飲み込もうと、巨大な工業用シュレッダーのような刃を回転させながら開かれた、その瞬間。
俺は、シールドの切れ目を縫うようにして、その闇の中へと自ら飛び込んでいった。
ズズズズズ……ッ!
視界が、一瞬で闇に包まれる。
まるで、巨大なクジラに飲み込まれた小魚だ。周囲の岩石やデブリが、螺旋状の刃によって凄まじい音を立てて粉砕され、俺の巨体もその奔流に巻き込まれる。
ガギン!ガギン!と、俺の鱗に回転刃が食い込み、激しい火花と嫌な金属音を立てた。
『ぐっ……!』
痛みに耐えながら、俺は必死で体勢を制御し、シュレッダーの刃をブレスで溶かしながら、その奥の、食道とも言うべき通路へと強引に突き進んだ。
同時に、通信機から激しいノイズが走り、仲間たちの声が途絶えた。
『……アキラ! タカギ! 聞こえるか!?』
ザザ……という、死を宣告するような砂嵐の音だけが虚しく響く。
デボアラーの体内は、強烈なジャミングと、あらゆる物質を分解するエネルギー粒子で満たされていた。俺は、完全に孤立した。
俺は、通信が途絶えた孤独な闇の中、怪物の体内を突き進んだ。そこは、無数のパイプラインが複雑に絡み合い、エネルギーが奔流となって流れる、巨大な化学プラントの内部のようだった。
壁面からは、強酸性の消化液のような液体が絶えず染み出し、俺の身体を包む魔力のヴェールを、バチバチと音を立てて削っていく。
通路のあちこちからは、直接生えた触手のようなものが現れ、執拗に俺の行く手を阻んだ。
『邪魔だ!』
俺は咆哮し、それらをブレスや爪で薙ぎ払いながら、ただひたすらに、コアの中心を目指して突き進んだ。
壁に体をぶつけるたびに、強酸性のエネルギー粒子が俺の鱗を溶かし、肉を焼く。焼けるような痛みと、骨まで染みるような冷気が交互に襲い、体力を容赦なく奪っていく。
だが、止まるわけにはいかない。
俺はアキラが最後の瞬間に示してくれた、最もエネルギーの流れが強い方向だけを頼りに、進み続けた。
どれくらいの時間が経っただろうか。
数分か、あるいは数十分か。
体感では、永遠にも感じられる苦難の道だった。
俺の身体はすでにボロボロだった。純白だった鱗は、消化液とエネルギー粒子で焼け爛れ、見るも無惨な黒灰色に変色している。翼はところどころ穴が開き、魔力のヴェールも、もはや風前の灯火だった。
(……まだか……。まだ、着かないのか……)
焦りと疲労で、意識が朦朧とし始める。
もう、ここまでか。
仲間たちの顔が、脳裏をよぎっては消える。カイル、リリ、そしてアキラ……。
すまない。俺は、約束を守れそうにない。
俺の足がもつれ、ついにその場に膝をついた、その時。
前方の闇の奥に、微かな、しかし確かな光が見えた。
赤黒く、心臓のように脈打つ、不吉な光。
あれだ。
あれが、奴の心臓だ。
俺は、最後の力を振り絞り、再び立ち上がった。
そして、最後の通路を抜けた先に、ついにたどり着いたのだ。
デストロイドラゴンの時よりも遥かに巨大な、デボアラーの心臓部。
赤黒く脈動する、直径数百メートルはあろうかという、巨大なエネルギーコアの前へ。
そのコアは、無数のパイプラインとケーブルに繋がれ、まるで巨大な蜘蛛の巣の中心で獲物を待つ蜘蛛のように、不気味に鎮座していた。周囲には強力な重力フィールドが渦巻き、近づくもの全てを原子レベルまで分解してしまう、まさしく死の領域。
残された魔力は、もうほとんどない。
俺の身体はボロボロだ。
だが、ここで、俺の最大最後の、全てを賭けた一撃を放つしか、この星を救う道は残されていなかった。
俺は、自らの生命そのものを燃やし尽くす覚悟を決める。
さよならだ、アキラ。
さよならだ、カイル。
さよならだ、俺の愛した世界。
俺が最後のブレスを練り上げようとした、その瞬間。
完全に途絶えたはずの通信機から、ノイズ混じりの、しかし必死な叫び声が、奇跡のように俺の脳内に飛び込んできた。
地上の司令部では、俺との通信が途絶えた瞬間、絶望的な沈黙が支配していた。
メインスクリーンには、俺の生命反応を示す青い光点が、デボアラーの巨体の中に吸い込まれ、そして急速に弱々しくなっていく様子だけが、無情に映し出されていた。
「……ヴァイス殿……」
タカギが、絞り出すような声で呟く。
誰もが、最悪の結末を覚悟していた。
だが、アキラだけは諦めていなかった。
「……まだだ! まだ終わってない!」
彼は、他のオペレーターたちが呆然とする中、一人だけコンソールに向かい、猛烈な勢いでキーボードを叩き続けていた。
「博士! 奴の体内のジャミングパターンを解析してくれ! 必ずどこかに『波の隙間』があるはずだ! どんな微弱な信号でもいい、ヴァイスさんに俺たちの声を届けるんだ!」
アーニャもハッと我に返り、すぐさま解析チームに指示を出す。
「全スーパーコンピューターのリソースを、ジャミング解析に集中させて! あらゆる周波数帯をスキャンしなさい! 0.001秒でもいい、通信が可能なタイミングを見つけ出すのよ!」
それは、砂漠の中から一本の針を見つけ出すような、絶望的な作業だった。
だが、彼らは諦めなかった。友が、たった一人で戦っているのだ。自分たちがここで諦めてどうする。
そして、数十分後。
「見つけました!」
若いオペレーターが、歓喜の声を上げた。
「ほんの一瞬ですが、コアのエネルギーパルスが変動するタイミングで、通信が可能な周波数帯の窓が開きます! 次のウィンドウまで、あと15秒!」
「よくやった!」
タカギは、すぐさま通信マイクを掴んだ。祈るような気持ちで、友の名を叫ぶ。
『―――待て、ヴァイス殿! 早まるな!』
その声は、時空を超え、怪物の腹の中の絶望的な闇を切り裂き、確かに俺の魂へと届いた。
希望の光が、まだ尽きてはいないことを告げる、奇跡の声だった。




