終話.第二王子は婚約者を妃にする
レオンは朝目覚めた時から、逸る気持ちが抑えられなかった。
待ちに待った日を迎えたからだ。
「殿下、お目覚めでしたらいくつか確認していただきたいことが」
「わかった」
今日のアドレアとの結婚式を迎えるまでに、自分の卒業から五年もかかるとは思っていなかった。細かい最後の調整の指示を出しながら、レオンはアドレアのドレス姿を早く見たいとそわそわしていた。
二人とも成人していたというのに、レオンの卒業から五年もかかったのには、いくつかの理由がある。
一つは、上級学校の警備都合上、在学中にアドレアを王太子妃にすることに反対が多かったからだ。また、アドレア本人も学校ぐらいはちゃんと卒業したいと希望しており、レオンは譲る形になった。
もう一つは、兄、エイブラムの死だ。アドレアが卒業し、結婚準備をしようと思っていた矢先に、エイブラムが亡くなった。王太子になれと言われたあの日から覚悟はしていたものの、実際にエイブラムが亡くなった日は、レオンは何も手につかないほど動揺していた。
アドレアがそばにいてくれなければ、レオンはしばし立ち直れなかったかもしれない。
そういう理由もあり、兄の死の直後はとてもではないが、自分の結婚式を挙げられるような状態ではなかったため、さらに結婚を先延ばしにしたのだ。
そして今日、ようやく準備が整い、アドレアとの結婚式までたどり着いたのである。
自分の身支度にも時間がかかるが、花嫁の身支度にはもっと時間がかかる。レオンはずっとそわそわしながら、その時を待っていた。
アドレア付きの侍女が、アドレアの準備が整ったという知らせを告げに来たときは、慌てて立ち上がって机の角に足をぶつけてしまったほどだった。
そうこうして待ちわびたアドレアのいる部屋に入った時、レオンは、しばし何も言えなかった。
扉を開いた先にまず視界に入ったのは、白い純白のレースと、それらにあしらわれた真珠の輝きだ。Aラインの美しいドレスは、長いトレーンによって床すらも白く輝かせていた。
そして何より、振り返った時のアドレアが、いつも美しいが、いつもの数倍美しく輝いて見え、レオンはただアドレアを見つめることしかできなかった。
「レオン? 感想もないの?」
「……綺麗だ」
「そうでしょうね」
万感の思いを込めてつぶやいた一言だったが、アドレアには当然よ、とばかりにその言葉は流されてしまう。
「王太子妃ってやっぱりとんでもないわ。私の支度をするのに、五十人ぐらいこの部屋を出入りしたわよ」
式の前なのでベールは上げられた状態のアドレアは、結われたプラチナブロンドの髪にそっと触れながら、ため息をついた。
彼女の前にある大きな姿見には、ドレス姿のアドレアが映っていて、まるで二人のアドレアがこちらを見ているかのような錯覚に陥った。
「その五十人全員に感謝しなくては。普段から美しいアドレアを、ここまで美しくしてくれたんだから」
「ドレスなんて着慣れているのに、それでも印象が変わるのって、すごいわよね。王宮に勤める侍女は化粧の腕も違うのかしら」
アドレアは自分が褒められていることを分かっているのか分かっていないのか、微妙な回答をしながら、しみじみとした様子で言った。
「でも……ついに来たわね。この日が」
「いつアドレアにもう待てないと言われるかひやひやしたよ」
「あら、この場で言ってあげましょうか?」
冗談めいていう彼女にキスしようとすると、アドレアは慌てて腕を突き出しレオンを突っぱねた。
「だめよ。あれだけ時間をかけて準備されたものなんだから、触らないで」
「……ちょっとだけ」
「絶対にだめ」
取り付く島もない様子のアドレアに、レオンは残念に思いながら体を離した。
「五年待ったんだから、今日の一日ぐらい待ちなさいよ」
「五年も待ったからこそ、待てないんじゃないか」
レオンはそうはいってみたものの、アドレアが嫌がっていることをするつもりはない。
部屋の中央に置かれた広々とした革張りのソファに腰かけると、アドレアはゆっくりとドレス姿で近くに用意されていた椅子に座った。
どうやらドレス姿でソファに腰かけるのは、長いトレーンが邪魔をして難しいようだ。
「そういえば、ルークは今日、事前に挨拶にくるって手紙で書いていたけど……どう思う?」
「ルークはできない約束はしないタイプだと思うよ。確かに……彼女の周囲の情勢は、ちょっと不安定ではありそうだけれど」
「まさか、ルークがウェストカームの女王になるとは思ってもみなかったわ」
「あれは驚きだったね」
アドレアが言うように、隣国ウェストカームでは大きな政変が立て続けに起こった。
初めに、ルナリークの双子の兄であるルクレティオ王子が出奔。品行方正で、国民からの人気も高かった王子の突然の出奔に、ウェストカーム王国は騒然としていた。そんななか、ルクレティオ王子が行方不明になる前に、有力貴族の息子であるカーティスと婚約したルナリークは、直系の中で唯一王位継承権を持つものとして、王太子となった。
そしてそれからわずか二年でウェストカームの国王が病により急逝し、ルナリークは女王となった。
もともとルクレティオ王子が次期国王にと有力視されていたところでのこの一連の騒動が起きたため、ルナリークの手によるものだという噂がまことしやかにささやかれたのだった。
「ルークに関する噂は、ひどいものよ。ルークが実の兄を追い出して父親を殺したなんてありえないわ」
「そうだね……それは、しないと思うな」
ただし、レオンの中では、小さな疑惑の種があった。
留学を終えたルークが国に帰る時、レオンに言ったのだ。
レオンのおかげで、私は自分の道を決められた、と。
あのとき言った彼女の道が、女王としての覇道だとしたら、父親殺しはさすがにしないにしても、ルクレティオ王子の出奔には関わっているのではないだろうか。
彼女にとって女王となる時の一番の障害はルクレティオ王子だったはずだ。それに、彼女はルクレティオ王子の出奔の数か月前に自国の有力貴族の息子を婚約者と定め、地盤を強化している。
「殿下、アドレア様、お客様がお越しです」
「ルークだわ! 入ってもらって」
アドレアがぱっと顔を輝かせて立ち上がった。その表情が、レオンの時よりもどこか生き生きとしているように見えて、レオンはかすかな嫉妬心を感じた。
「ご結婚おめでとうございます。レオン殿下、アドレア様」
扉が開かれ部屋にはいってきたルークことルナリーク女王は、黒いレースに縁どられたワインレッドのドレスに身をまとい、つややかで癖のない黒髪をサイドに流したダウンスタイルだった。かつてこの国にいた時はルクレティオとしてふるまうことが多かった彼女だが、今ではすっかり女王姿がなじんでいる。
「ご来訪いただきありがとうございます、ルナリーク陛下」
部屋の中とはいえ、たくさん人のいるこの場では、ルークに合わせてきちんとした礼を取った。
しかしこれでは話しづらいので、レオンはおおかた、侍女や従者を下げた。
「あなたたちも下がりなさい。……カーティスは残って」
ルークもそれに合わせて人払いすると、一人だけ男を残した。整った顔立ちの男で、黒髪のルークとは対照的に淡い色の髪と、サファイアを思わせる青い瞳を持った男だった。
彼の格好は式典用に華やかなものだが、腰には剣が下げられている。立ち振る舞いも隙が無く、おそらくルークの近衛騎士なのだろう。
「……ここからは堅苦しいのはなしよ。あなたたちにかしこまるのは、疲れるわ」
ルークはそう言うと、すたすたと部屋を横切り、アドレアの前で立ち止った。
「今までのどのアドレアよりもきれいだわ。おめでとう」
「ありがとう、ルーク。久しぶりね。あえて嬉しいわ……後ろのあなたはカーティスさん、ですよね?」
アドレアは何故かこの男と知り合いのようだった。
彼女が名を呼ぶと、カーティスと言われた男は一度うなずき、礼を取った。
「アドレアは会ったことがあるけれど、レオンは初めてよね? 紹介するわ。私の夫のカーティスよ。つまり王配ね」
ルークの紹介に、レオンはようやく、ルークが結婚した相手の名がカーティスであったことを思い出した。
「初めまして。カーティス・フォン・ラーゲンと申します」
「初めまして。レオン・エメラルド・セントレアです」
レオンとカーティスの挨拶が終わると、ルークは部屋の中央にあったソファに迷いなく腰かけた。そんな様子を見てアドレアはくすりと笑うと、恐る恐ると言った様子で問いかけた。
「ねえ、私、ずいぶん心配したのよ。根も葉もない噂が流れているし」
アドレアはやや根も葉もない、という言葉の語調を強めて言うと、ルークがソファにもたれかかって答えた。
「気にしなくていいわ大したことない噂だもの」
「でも……どうして、噂をもみ消さないの? 多少はどうにかできる力があるでしょう?」
「確かに、噂をもみ消すことはできなくはないわ。でも、警戒されていた方が好都合なのよ。ただでさえ若き新女王の誕生に、付け込もうとする輩は多いわ。私が身内に手をかけた残虐非道の王だと思われていた方が、牽制できる」
ルークの選択は、レオンには理解できた。
自分を知らぬ人がたとえ自分のことをなんと言おうとも、それによって自分の身や自分の周囲の者の身を守れるのであれば、それを利用しない手はない。
しかしアドレアは、ルークの毅然とした態度を目にしてもまだ、不安な様子だった。
「新女王としての立場のために、噂を利用すること自体を否定はしないわ。私には、ルークの抱える重責は分からないのだから。でも……あなた自身は、実は噂に傷ついている自分を自覚して、それと向き合うべきだわ」
「私が……噂に傷ついていると?」
ルークは赤いドレスを翻して立ち上がると、窓の方へと歩いて行った。それはまるで自分の表情をアドレアに見せたくないかのようにも見える行動だった。
「身内殺しの汚名を着せられて、正義感の強いあなたがまったく心に傷を負わないとは思えないわ。それなのに自分にすら嘘をつき続けたら、何が本当の気持ちか分からなくなってしまう」
「……でも、私はその道を選んだ。自分が傷つける刃の降る死の道だとしても、私の足元が血で染まろうとも、私はこの道を行くのだと決めたのよ」
ルークは振り返ると、まっすぐにアドレアを見た。そして安心させるように微笑むと、次にレオンを見て言った。
「レオン。私は自分の道を選び、誰を巻き込むかを決めた。あなたも今日、強い制約によって、アドレアにあなたの道を歩かせようとしている。私が今日ここに来たのは、あなたへの宣言と、あなたの覚悟を問うためよ」
「……なるほど。それなら、ルーク、そしてカーティス殿。二人を見届け人として、私、レオン・エメラルド・セントレアは誓う」
レオンはそう宣言するとアドレアの前で片膝をついた。
「国民の前で行う宣誓は、この国の王太子としての言葉で、レオンとしての言葉じゃない。だから、この場でレオンとしてアドレアに誓う」
アドレアを見上げる形でそう宣言したレオンは、次のアドレアの行動に驚かされた。彼女は膝をついているレオンの目の前でしゃがんで視線を合わせてきたのだ。
「誓いの言葉は、ちゃんと目を見て聞かないと、と思ったから」
いたずらっぽく微笑んで見せるアドレアを抱きしめたくなったが、先ほど怒られたのを思い出し、ぐっとこらえた。
「アドレア。私はセントレアの名にかけて、君を生涯愛すると誓う。そしてそれは同時に、私の国王としての道に君を巻き込むことを意味する。この道は平たんなものではないかもしれない。今は平和に過ごしているけれど、いつ国王として茨の道を行くことになるかは分からない。……それでも、私は、アドレアに隣にいてほしいんだ。アドレアじゃなきゃ、ダメなんだ」
レオンとアドレアの視線が交錯した。アドレアはレオンの言葉を聞き、真剣な表情でレオンを見つめると、ゆっくりと口を開いた。
「いったはずよ。私はあなたと歩む覚悟があると。この世の全てが凝縮したような面倒事も、きっと、あなたがいれば大丈夫なの」
アドレアはそういうと、そこで言葉を切って立ち上がった。
そしてレオンに向かって手を差し伸べる。
「だから、私、アドレア・ストラーテンも誓うわ。レオンを生涯愛し、あなたの進む道をともに歩むのだと」
レオンはその手を取って立ち上がり、そして、結局耐えられずにアドレアを思い切り抱きしめた。
そのあと、アドレアに怒られたのは言うまでもない。
セントレア王国の国王、レオン・エメラルド・セントレアは、大きくセントレア王国を発展させた。彼は国内の貴族の勢力バランスを見事に保ち続けながら、いくつかの政策を行い、国の文化の発展に寄与した。また、隣国が戦争で情勢不安の中、国境間際での小競り合いになることはあれども、常に防衛戦に臨み、国内に戦火を広げなかったことも、彼の功績として後世に語り継がれた。
また、王妃アドレアを深く愛した愛妻家としても歴史に名を残しており、夫婦の逸話は、歴史書だけでなく、庶民たちの間でも語り継がれたという。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
レオンは私の中でカッコ良くなりきれない人間味溢れたヒーローとして描かせていただきました。
このお話の中では心情がわかりづらかったアドレアサイドのお話である
「アドレア・ストラーテンは怠惰に生きたい」も更新しておりますので、よろしければご覧ください。
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