邪悪な神殿の中へ 勅命が下る!
『ギデオン号』は、すでに真冬の分厚い雲に覆われ、雪の中を飛んでいた。一行はジャシミテ国の北海へと向かっていた。ラハブはぶっきらぼうで相変わらず口は悪いが、自分に対する目つきが、徐々に変化していると俺は感じた。気のせいかもしれないが。
「ジャシミテ国の北海のなかに火山があって、そこがアララト山じゃ」
とパウロが告げた。
「ひょえー。海が凍ってやがる」
俺は下を見ながら、ひとりごちた。
アスリア王女は、不安そうに俺にもたれかかった。甘い髪のにおい。
「あの氷に触るとやけどしそうな気がします」
「やけど? 凍ってるのに?」
「以前、冷たすぎるモンスターに襲われて、やけどしたことがあるのです。気をつけてくださいね勇者さま」
氷温やけど―――凍傷ってやつか。この異世界にも、そんなものがあるんだな。
「お、おう」
「やけどをしても、このわし、パウロがいればだいじょうぶですぞ」
パウロは、むんっと胸を張った。
「【ヒール】ですぐ、完治させましょう」
「祭司長。勇者さまをけしかけないでください。やけどするなら、このわたくしが」
「わーっ! アスリアさま、ごかんべんを~~~~!!!!」
二人して、じゃれ合ってる。アスリアの意外な一面だった。
ときおりドラゴンの姿が見えると、魔法の船はそれ自体、姿を消した。われわれの姿は、モンスターたちには見えない。ドラゴンたちは、鼻をひくひくさせて周回していたが、見えないのであきらめて飛び去っていった。
三日目の夕方、船は大きな島の港へしずしずと降りていった。
「着いたのか?」
「らしいですな」パウロは船室の窓から見下ろした。
「火山は港から見える距離にあるようじゃの。そこではモンスターたちが群れをなして待ち構えているでしょうな」
甲板に出た俺は、港をわたる冷たい潮風に、ぶるっと身をふるわせた。姿をけして着水している『ギデオン号』だが、空気までは遮断できないようだ。むろんそうだろう。換気されなきゃ、窒息しちまう。火山の方向に目をこらすと、まがまがしい黒い雲と、血のようなマグマが、山を彩っているのが見えた。麓に、おどろおどろしい建物が見える。
「おお、邪悪な神殿が見えるのぉ」
となりに立っていたパウロも、手をかざして山を見た。俺がいるから安心だとばかりに余裕ぶっこいてやがる。俺は、柴田先生そっくりのパウロが、俺のサポートをすると言って聞かなかったのを思い出した。
「あの神殿のなかに、聖剣ジャマイルがあるのか?」
「若者よ、キミの受けたエメット神のお告げがホンモノなら、そうじゃろうな。聖剣ジェマイルは、いまからざっと二千年前に、ネルビア国を救った救世主ジェスさまが鍛えた魔法の剣じゃ。ジェスさまは、その剣を平和のための武器として、われわれに賜ってくださった。長い間行方不明じゃったが、あんなところにあったのじゃの」
「―――ジェスさま? って、あれか? 悪に対して善に報いるっていう? それにしちゃ、ずいぶん危ない賜り物だな」
パウロは、無知な人間をあわれみ、自分の知識を披露する機会を得てうれしそうになった。
「ジェスさまは、悪に対して善で勝て、と言うたが、それは相手の善性を信じていたからです! 根っからの悪党には、抵抗するべきじゃ」
「根っからの悪党ね……。俺には、それがサウル国王だと思えるね」
「なんて不敬な! たとえ勇者でも、聞き捨てならないですぞ」
パウロは、顔を赤くしている。どうやら図星をさしたらしい。
「すべては、邪神ブラークルのせいなのじゃよ。勇者健司さまが、影を解放さえしなければ―――」
「それだ!」
俺は、身を乗り出した。
「健司はいったい、なにをしでかしたんだ? ブラークルと健司のあいだには、なにがあるんだ? 健司はなぜ、自殺したんだ?」
こないだからずっと見ている夢を思い出す。
弟はいつも、俺を見つめて、
「おれを殺したのは、あんただ」
と責める。あいつとは仲がいいとは言わなかったが、そこまで言われる理由がわからない。弟は、いったいなぜ、自殺したんだ? 神夢に出てきたってことは、これから先の旅と関係があるのだろうか。ひょっとすると、ほんとうに俺があいつの自殺の原因を作ったのか?
「健司どのが自殺した原因。それはわしにも分からん」
パウロは、顔を伏せて悲嘆にくれたそぶりをみせた。
「あんなにご立派に、モンスターたちをやっつけていたのに。宝珠もしっかり使いこなしておいでだったのに」
「―――使いこなせなくて悪かったね」
「聖剣ジェマイルを持たずに、ブラークルと対決したせいじゃろうか。自信をもつのはいいことですが、傲慢さは邪悪につけこまれるものじゃ」
「説教はいいよ」
「ブラークルは、ひとのいちばん弱いところにつけ込んでくるのじゃ。わしも手も無くやられたから、やり口はよーくわかる」
パウロの口ぶりは、後悔と痛恨の思いに満ちていた。
「火山に近づこう。神殿のなかに入って、ジェマイルをゲットだ」
俺が言うと、パウロはなだめるような目になった。
「なにが起こるかわかりませぬゆえ、姪のデリラと親衛隊長のラハブ、そしてわしを連れていったほうがよろしいと思いますぞ」
ペテロは西方教会に置いてきた。エリヤの墓を守り、ネルビア国をブラークルの魔の手から守ると言って聞かなかったのである。サウル国王に増援を頼んでいるから、独りじゃないと強がっていたが、本当に大丈夫だったのだろうか。
「ペテロ副祭司長。この付近はどんどん寒くなってきています。凍傷にだけは気をつけて。指がなくなったら、聖餐式用のトレイを使えません」
よほど心配なのだろう、アスリアは、口うるさいほど言っていた。自分に出来ることが少ないことが、無念なのかもしれない。
ペテロはうなずく。魔法の船はこれ以上乗員を増やす余裕はない。俺たちは別れを惜しみ、こうしてアララト山に来たのだった。
「わたくしも、参加します」
アスリアは、きりりと優美な眉をつりあげる。パウロが止めた。
「王女さま、お言葉ですがあなたには、国民への義務が」
「義務があるからこそ、参加するのです」
王女は、ぴしゃりと返した。
「国民を守る。王女として、また十字教徒の聖女として、みなを助けなければなりません。わたくしの『魔力増幅』の力があれば、あなたたちは有利になるはず」
「しかし、あなたさまはモンスターと交渉なさるおつもりでは」
「義也さまに二度も救われて、わたくしも目が覚めました」
パウロは絶句した。
王女はたおやかさがまるで感じられない声で、堂々と言った。
「勅命です。わたくしをつれて、ブラークルと対決しなさい!」




