義也さまの、ばか!
ペテロは、聖水の聖別が終わったところだった。
「不祥わたくしめの信仰心が足りなかったんでしょう」
ペテロまでが、ラハブみたいなことを言う。そこで、俺は、
「いや、その水を無効化するような魔法が、かけられていたんじゃないのか?」
と言ってみた。
「魔法? この聖水に?」
ペテロは、まるで月が魔法で満ち欠けしている、と聞かされた学者みたいな顔になった。
「あの……、聖水ですよ、これ。魔法なんて関係ありませんよ」
そうなのかなぁ。俺はどうにも、納得がいかない。
「じゃあ聞くけど、聖水って、どう聖別するんだ? 魔法だろ?」
「だから、魔法じゃないんですってば。神さまに主の祈りをささげ、聖句をひととおり唱え、自分に神の力を与えたまえと念じ続けた結果、聖別されるんです。魔法は生まれつきですが、聖別は、聖職者ならだれでもできます」
「なら、デリラでもできるんだ?」
「あの方は、シスター見習いです。ちょっと難しいかも」
「その代わり、【ターン・アンデッド】ができるって言ってたっけね」
「死霊を倒せる貴重な魔法使いですよ。ほかにも使える魔法があるかもしれません。いちど、お聞きになったほうがよろしいかと」
「うーん、あんまり魔法を使いすぎて、魔力が枯渇したら困るよなあ」
「それは言えてますな」
暖かいペテロのほほえみ。中年を過ぎて、あごの無精髭が少し白くなっている。神父の服はしわだらけだ。昨今の死霊騒ぎで、心痛があるのだろう。
―――死霊。禁忌。背信。
デリラの夢解きを分析したときのキーワード。誰かが、西方教会の中で背信行為をしているのだ。もっと西方教会の中のことを、調べなければ。
それもあるが、聖剣ジェマイルの手がかりを手に入れなければならない。みんなの意見では、ここに重要な手がかりがある、という。考えてみれば、聖剣ジェマイルさえあれば、宝珠が思うように使えなくても、モンスターをばったばったと倒せそうな気がする(剣の使い方、あとでラハブに教えてもらわなくちゃ……)
やることは山ほどある。死霊のことはほうっておいて、水と食料と果物を待つアスリア王女のもとへ戻ってしまいたい。でも、困っているペテロを放っておくなんて出来ない。死霊が次々襲ってくる教会を、がんばってまもっているのだ。彼が背信行為をするには、それなりの理由があるはずである。
調べてみよう。西方教会は、たった二人で守っているのだ。手間を惜しむことはない。ここまで来たら、やるっきゃない。
俺は、副祭司長のペテロに向き直った。
「ペテロさん、あんた、親戚とか肉親とかいる?」
「いえ。わたくしめは、天涯孤独です。いまはすっかりさびれていますが、ここの孤児院で育ちました」
「あ、そう」
ペテロには肉親がいないのか。ちょっとホッとした。
それから、ちょっと胸が痛んだ。
守るべき肉親がいない。さびしいだろうな。
とはいえ、祭司長のパウロは、目に入れても痛くない姪のデリラの命と引き替えに、アスリアと俺を殺そうとしたっけ。ペテロには少なくとも、その動機はなさそうだ。
「エリヤはどうなの? 親戚とか肉親とか……」
「あの人は、もともとは傭兵なんですよ。サウル国王に人生を救われたと言ってました。傭兵時代に、助けてもらったらしいです。だから国王の命令なら、命も捨てると言うタイプですね」
「極端な人だな」
俺はちょっと、あきれてしまったが、
(そういえば、さっきデリラも、エリヤのことを言ってたっけ)
思い出した。
エリヤは、サウル国王に忠誠を捧げているのだ。どんな事情でサウル国王に助けられたのかは知らないが、人助けをされるほどの人間が、邪神ブラークルに魅せられて、犯行に及んだとしたら……。
それほど、悪というのは、魅力的なのか。
人を踏みつけたり、見下したり、あまつさえ殺そうとしたり。
陰険な手口と言い、ブラークルというのは、かなり悪賢い。
気をつけなきゃ。
パウロを誘惑した手口で、俺も誘惑されたらどうしよう。
俺は思わず、頭を振った。最悪のことは、出来るだけ考えまい。実際に起こってしまったら、困るじゃん。
俺はペテロを見つめた。
「じゃあ、聖水のもとの水があるところを教えてくれ」
きっとそこに、秘密がある。
このヘンテコな世界にも、いちおうは理屈が通っているはずだ。
「っ! それは危険です! 新種のモンスターが―――」
「それは聞いた」
血相を変えるペテロに、俺は宝珠を取り出して見つめた。
「こいつが守ってくれると、俺は信じたい」
「〈メイストームの宝珠〉ですね……。あらゆるモンスターをその光で滅ぼすという」
「デリラには、ムリをさせたくないからな」
「……惚れてるんですか」
「あのなー」
パウロと言い、ペテロと言い、なんですぐ、そういう話にするんだよ!
「俺はだれにも、惚れてねーし!」
と同時に、扉がガタンと開いた。
「義也さまの、バカ!」
デリラの声とともに、走り去る足音。
「あわ、あわわわ」
思わずあせってしまったら、ペテロは目を細めて、
「いやー、若いってほんっと、すばらしいですね」
余裕ぶっこいてる場合か。
「あとを追わなきゃ。どこ行ったか、心当たりは」
「きっと死霊の館でしょう。自分が有能だと証明するには、うってつけの場所ですからな」
「死霊の館?」
「邪神ブラークルの信徒であった老婆が、その信仰心を表明するために作った館です。『モンスター事典』によると、死霊の棲み家になっている拠点で、これを壊すと死霊は出てこれなくなるんだとか。これまでエリヤがなんどか壊そうとして、殺されそうになりました」
「そのとき聖水は?」
ペテロは、ハッと目を見開いた。
「そう言えば、効かなかったですね」
「なにかあるな」
エリヤが、聖水に効力がないと知っていて、それを頼りに館を壊そうとするというのは考えにくい。
これには、第三者が絡んでいそうだ。誰だろう?
とにかく、デリラのあとを追おう。たいして助力にはならんだろうが、死霊と戦うんだったら、宝珠の助けが必要だ。使えるか使えないかは、やってみなけりゃわからない。
「その死霊の館の場所を、教えてくれ」
ペテロは気がかりそうに目を細めた。
「デリラのあとを追うんですね」
「ま、まあな」
「わたくしめも、連れて行ってください。今度こそ、聖水の威力を見せつけてやりますぞ!」 足手まといの気もした。しかし、その真剣で思い詰めた顔を見ていると、断るのはためらわれた。ペテロは、そのためらいを見て取った。
「ラハブやエリヤも連れて行きましょう。この際、館を徹底的に破壊し尽くして、死霊の発生を食い止めるのです」
大所帯になったが、ラハブとエリヤとペテロと俺は、その森の奥へと向かっていった。




