週末の台所
私の部屋にある男性用エプロンは彼氏のものだ。正面は真っ黒だが肩紐と前で結ぶ部分の紐はグレー。本人いわく好みのタイプを探すのにネットでショップをたくさん見たそうだ。
「気に入ったエプロンをして料理をするのが楽しさ倍増だよ。りかちゃんだってそうでしょう?」
そう言って勝手知ったるうちの台所でうきうきとフェットチーネをゆで、一からホワイトソースを作っている。簡単にできるものも美味しいけど、どうせやるなら本格的にやりたいと自分で材料を買ってうちに来ていた。
男の料理は材料にこだわりすぎて費用がかかる。作ってくれるのはありがたいけど、片付けまでが料理だということをまったく分かっていない、とこの間会った既婚の友人はぼやいていた。
へえ、そうなのか。彼は料理をしたときはいつも調理器具をきっちり洗うし、どうしても作りたいもの以外のときは冷蔵庫のなかにあるもので適当に作っている。
「利香の彼氏はそういうところないの?」
「え、う、うーん。あんまり、ないかな。どうなんだろう?」
「もう、なによそれ。ねえねえところでさ…」
どうやら私相手にぼやいてもしょうがないと思ったらしく、そのあとは結婚する友人へのお祝いはどうするかという本来の目的に話がうつってほっとした。
私は彼氏と友人のダンナを比較してしまっていることに内心気づいてちょっと焦ってしまった。今までそんなことしたことなかったのに…。
そんなことを紅茶の入ったマグを両手で持ってつらつらと考えている間にも彼氏の料理は進んでいる。ほうれん草をゆでベーコンをにんにくとオリーブオイルで炒めているらしくいい香りがしてくる。
今日はほうれん草とベーコンのホワイトソースパスタか。私が作るものより彼氏の作るものは濃厚でコクがある。ほうれん草もたっぷり、ベーコンも厚切りで惜しみなく。そして出来上がるのは白ワインが飲むたくなる味。
「もうすぐできるよ~。りかちゃん、お皿出して」
「はーい。深めの白いやつがいいよね?」
「うん、赤いふちのやつ」
「おっけー」
彼はうちにどんな食器があるのかもきちんと把握している。
切ったトマトにルッコラをちぎって散らしただけのサラダ。かけるのは作りおきのドレッシングで上に粉チーズをふりかけて。
「スープまでは手が回らなかったな~。失敗」
「いやいやそこまで求めてないし。この缶詰のミネストローネは美味いし」
「そりゃそうだけどさ、どうせやるなら完璧にしたいじゃない」
「えー、いいよ。全体の8割できてりゃ上等じゃない」
「……りかちゃんって、仕事以外はほんとぐうたらだよね」
「そりゃそうだよ。仕事はきちんとしないと見合ったものがいただけないじゃないの。それに、ぐうたらじゃなくて力が抜けてると言って」
私がそう言うと、彼はちょっと困ったような楽しそうな顔をして笑う。普段眉間にしわ寄せてる顔が多いらしいので、この顔を見られるのはちょっとした特権だな、ふふん。
「なるほど。その言い方はりかちゃんらしくて、いいね」
「……はやく食べようよ」
「うん、早く食べよう」
彼は私の照れた顔を見るのが、とても好きなのだ。
「クリームが濃厚な気がする。やっぱり一から作ると違うのかなあ」
「そりゃそうだよ。でもさ、普段の日にホワイトソースが食べたくなったらこれは無理」
作った本人が言うんだから、そうなんだろう。
「パスタ、美味しいな~。あー、幸せ。でもこのパスタを食べると白ワインが飲みたくなるのはなぜ。そしてあまったソースはパンでぬぐいたい」
「そう言うと思って、ロールパン買って来た。ワインはりかちゃんが用意してるでしょ?」
くっ、お見通しか。彼から“次の休みほうれん草とベーコンのホワイトソースパスタを作るよ”とメールがあったからいそいそと用意しておいたのだ。
「……なんて至れりつくせりなんだ。嫁にほしい。嫁に来ない?」
「俺がりかちゃんをお嫁さんにほしいなあ。どう、そろそろ俺と結婚しませんか?」
「……はい?」
パスタを食べる手を思わず止めて彼を見る。
「俺さ、そろそろ寮出たいんだよね。で、りかちゃんの部屋の近くで探してたんだけど、一緒に住むのもありかと思って。そうなると俺は同棲よりも結婚したくなって」
「ちょっと、何勝手に決めてんのよ」
「俺と住むのいや?」
「い、いやだったら、部屋に入れないし…まずつきあわないよ」
「そうだよね。りかちゃんはそういう人だ。そんなりかちゃんが俺は好きだよ」
「……仕事、辞めないわよ」
「うん、辞めなくていいよ」
ああ、つかまった。でも彼ならいいか。